第62話 海風に攫われて、消えてしまえよ

「ゴトンッ」


 鈍い音を立てて缶が落ちる。

 毎度毎度よく潰れないよなぁ、なんてどうでもいいことを思いながら缶を取り出す。

 

 適当にベンチに腰を掛けて、今もなお動き続ける海を眺めた。



 ――あの気持ちは、



 加恋の横顔が脳裏に焼き付いて離れない。

 どんなに別のことを考えようとしても、加恋の儚く懐かしい顔しか考えられない。


 渦巻く感情、翔の言葉。


『でさ、お前ほんとに加恋のこと諦めたのか?』


 俺は諦めたいと答えた。

 それが加恋の望む関係なのだと、そう思ったから。


 だけど、今俺の心の中に浮かび上がっている、ずっと海底に沈んでいたこの感情は……。


「バカ野郎……」


 何一度決めたことをもう変えようとしてるんだ。

 俺の決意はそんなものだったのか?


 でも、この懐かしい気持ち。

 決して無視できるほど小さくなくて。

 今まで喉に骨がつっかえていたように、確かに俺の中に存在していて。


 俺はずっと、それから目を瞑ってきた。

 見ないようにしていた。

 

 だけど、俺の瞼を無理やり開かせて、何が何でも見せてくるみたいに俺の目の前にいるこの感情。


 ――もしかして俺は、加恋のことを、



「律?」



 背後から声が聞こえる。

 そこには俺の頭の中からそのまま出てきたみたいに、ピンポイントな人物が立っていた。


「加恋……」


「何辛気臭い顔してるのよ。もう律も年かしらね」


 そう言いながら、俺の隣に腰を掛けてくる。


「年って、俺まだ十六だぞ?」


「もう十六なんだ。時間が流れるのって、こんなにも速いのね」


「……お前のその発言の方が年感じるけどな」


「なっ……お、女の子にそういうこと言うんじゃないわよ! ばかっ!」


「男女差別だろ……」


 昔は男の人の方が強かったって言うけど、今は完全に逆転してるよね。

 ってか女の人に勝てる気がしない。

 特に加恋。スタ〇ドでもいるんじゃないか?


「で、どうしたのよ。律が考え事なんて珍しい」


「考え事? なんで?」


 俺は飲み物を買ってくると言っただけなのに、なんでわかっているのだろうか。


「もしかして気づいてなかったの? 律が何か考え事するとき、いつもは絶対に買わない缶コーヒー買うのよ。昔からね」


「そうだっけか」


「そうよ。これでも私は律の幼馴染だもの。それくらい分かるわ」


「…………そうか」


 加恋の言葉が、胸に染みわたる。

 凪いでいた水面に一滴の雫が落ちるみたいに。


 波紋が広がっていく。

 ざわつく心の中。

 

 逃げるように俺は、プルタブを起こす。

 そのまま缶をくいっと傾けた。

 

 ……にげぇ。


「で、どうしたのよ。あんなに楽しそうにしてたのに」


「いや、別にお前に話すほどのことでもないんだよ。ほんとに」


「…………」


「…………無言で見つめてくるのやめてもらえます? ってか目力つえぇな……」


「…………」


 決して目をそらそうとしない。

 こうなったら加恋は引かないのだと、嫌というほど一緒にいた俺は当然わかった。


「……はぁ」


 ため息をついて、海を眺める。

 

 さっきまで少し怖かった海が、今は美しい。

 それは日が出ているときとは少し違った美しさで。


 友達や家族、恋人に「おやすみ」を言う夜でも海は動く。

 年中無休で、いつだって「綺麗」を届けている。

 

 働きもので、素直じゃなくて。

 時折猛威を振るうけど、慰めてくれる時もあって。

 常に心の中に寄り添ってくれていて、思い出すたびに夢中になる。



 あぁ、そうなのか。



「加恋はさ、もし大切な人が望んでいるものと、自分が望んでいるもののどちらかしか選べない時、どうする?」


 加恋は少し間をおいて、


「私は……自分が望んでいるものを取る」


 迷いのない声音で、そう答えた。


「……それで大切な人を傷つけてしまっても?」


「そうよ。だってこれは、私の人生だもの。それに私が本当に大切だと思う人なら、私の願いを尊重してくれる。受け入れてくれると思うわ」


 強いな、と俺は思った。

 この強さすらも、加恋にとっては美しさに変わる。

 いや、強さとは美しさなのかもしれない。


「だから、私も大切な人の願いを受け入れる。そうやってお互いに願いを子供みたいに言い合って、それから妥協点を探して、大人になっていけばいいのよ」


 力強くそう言う加恋。

 

 加恋は気づけば、こんなにも大人になっていた。

 俺だけ取り残されたような気持ちになる。


「加恋は、大人だな。俺は迷ってばっかだ」


「そんなことないわよ。きっと大人だって、悩んで、迷って、傷ついて。そうやって前に進んでいくんだと、私は思う」


「……そうか」


「そう。だから、そんな苦しそうな顔しないで?」


 苦しそうな顔? 俺が?

 

 加恋が我が子を見守るような表情で俺のことを見てくる。

 どうやら本当に、俺は苦しそうな顔をしていたらしい。


「……コーヒーが、あまりにも苦くってな」


「だったら飲まなければいいのに」


 ばかね、と付け加えてふふっと微笑む。

 俺もそれにつられて笑って、一息ついた。


「ありがとな、加恋。少しは楽になった」


「……高くつくわよ?」


「いや金とんのかよッ!」


 相談料とかかかるタイプなの?

 何それ弁護士かよ。


「……でも、どうして相談に乗ってくれたんだ?」


「そうね……そりゃ――」


 加恋がベンチから立つ。

 そのまま少し歩いて、砂浜を踏みしめる。

 髪を揺らして、まるで舞うようにくるっと半回転した。

 

 夜の海と、青白い月明かり。

 そんな景色すらもモノクロの味気ないものにしてしまうほどに、加恋は――



 ――美しかった。




「だって、律は私の大切な人だもの」




 小さな砂と一緒に風に吹かれて、今にも消えてしまいそうだとどこか思う。

 でも、きっとそうだ。


 何時だって今が続いていくわけじゃない。

 突然今が終わることだって、もちろんある。

 そんな当たり前のことに、今このタイミングで気づくとはな。

 

 ははっ、と自嘲気味な笑みが零れる。







 ――そんなこと言われたら、好きになっちまうだろうが。







―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


今回がこの物語のターニングポイントになります。

同時に、折り返し地点でもあります。


悩みに悩んで。傷つけて周囲を巻き込んで、また傷つけて。

客観的に見ればどれだけバカで、稚拙で、残酷なものであろうと。

それが青春であり、恋であると思うから。


悩みに悩んで、ボロボロになったその先にある結末を、どうか見届けていただけたら幸いです。

これからもこの物語をよろしくお願いします(o^―^o)ニコ

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