〇集え赤点組

 5月初日から、早くも1週間がとうとしていた。いけたちも、黙って教師の話に耳を傾けている。唯一どうだけは堂々と居眠りしていたが、誰にもとがめられなかった。いまだプラスポイントに転じるすべが見つかっていない以上、矯正できないという判断か。

 それでも須藤が日々、多くのクラスメイトから煙たがられていくことには変わりない。

 ……オレもちょい眠い。この時間がわれば昼飯、つらい時間帯だ。昨日きのうネットで動画を見ていたら夜更かししてしまった。このまま眠ったら気持ちいいんだろうなぁ……。

「たうわ!?」

 うつらうつらと頭を前後させていると、突如右腕に強烈な痛みが走った。

「どうしたあやの小路こうじ。いきなり大声をあげて。反抗期か?」

「い、いえ。すいませんちやばしら先生。ちょっと目にゴミが入りまして……」

 今のが私語あつかいになるのかどうかは微妙なところだが、ポイントに敏感になっているクラスメイトから痛い視線が飛んできた。ヒリヒリする部分をでながら、オレは隣人を強烈ににらみつけた。こちらに目線だけを向けた堀北の手には、コンパスが握られている。

 正気のじゃない。そもそもコンパスなんて常備してるんだ。高校の授業で使うことはほとんど無いと思うんだが。授業がわるなり、オレは即座にほりきたに詰め寄った。

「やって良いことと悪いことがあるだろ! コンパスはやばいぞコンパスは!」

「ひょっとして怒られているの? 私」

「腕に穴が開いたんだぞ穴が!」

「何のこと? 私がいつあやの小路こうじくんにコンパスの針を刺したの?」

「いや、だって手に持ってるだろ、凶器を」

「まさか手に持ってるだけで刺したと決めつけたの?」

 目はめたが、その後痛みで授業どころじゃなかったぞ。

「気を付けて。あなたが居眠りをして、それを見つかれば間違いなく減点よ」

 堀北はDクラスを脱却するために行動を起こし始めた。学校側への抗議は水泡に帰したのだろう。あー痛い。くそ、堀北が居眠りしそうだったら今度仕返ししてやる。

 おのおの食事のため席を立とうとし始めた時、ひらが口を開いた。

ちやばしら先生の言っていたテストが近づいてる。赤点を取れば、即退学だという話は、全員理解していると思う。そこで、参加者を募って勉強会を開こうと思うんだ」

 Dクラスのヒーローは、どうやらそんな慈善事業も始めるつもりらしい。

「もし勉強をおろそかにして、赤点を取ったらその瞬間退学。それだけは避けたいんだ。それに、勉強することは退学を阻止するだけじゃなく、ポイントのプラスにもつながる可能性がある。高得点をクラスで保持すれば査定だって良くなるはずだよ。テストの点数が良かった上位数人で、テスト対策に向けて用意をしてみたんだ。だから、不安のある人は僕たちの勉強会に参加してほしい。もちろん誰でも歓迎するよ」

 平田はどうの目をジッと見つめ、そう優しく話しかけた。

「……ちっ」

 すぐに目をらし腕を組んで目を閉じる須藤。

 入学初日、自己紹介の件で平田をっぱねてから、須藤は平田との関係は悪いままだ。

今日きようの5時からこの教室でテストまでの間、毎日2時間やるつもりだ。参加したいと思ったら、いつでも来てほしい。もちろん、途中で抜けても構わない。僕からは以上だ」

 そう言って話を終えた途端、数人の赤点生徒がすぐに席を立ち、平田の元へ向かう。

 赤点組で平田の元へすぐに駆けつけなかったのは、須藤、いけやまうちの3人。須藤以外の二人は少し迷っているようだったが、結局平田の下にはいかなかった。須藤の機嫌が悪くなるのを恐れたのか、単純に平田のモテっぷりが嫌だったのか、それはさだかではない。


    1


「お昼、暇? もし良かったら、一緒に食べない?」

 昼食をどうしようかと思っていると、ほりきたが自ら話しかけて来た。

「堀北からの誘いなんて珍しいな。なんだか怖いぞ」

「別に怖くないわよ。山菜定食で良ければおごらせてもらうけれど」

 それ、無料の定食ですやん……。

「冗談よ。ちゃんと奢ってあげる、好きなもの食べて構わないわ」

「やっぱ怖いな。なんか裏があるんじゃないだろうな?」

 そもそも堀北がオレを食事に誘うと言うこと自体が、怪しくて仕方がない。

 突然誘われたら疑問に感じる。前に堀北がそう言ったことを思い出した。

「人の好意を素直に受け取れなくなったら人間おしまいよ?」

「まあ、そりゃそうだけど……」

 特に予定は入っていなかったし、奢ってもらえるならと堀北と食堂へ向かう。

 高めのスペシャル定食を選び、席を確保し堀北と共に座る。

「それでは、頂きますっと?」

 オレが食べるのを待っているのか、堀北はじーっと見つめている。

「どうしたのあやの小路こうじくん? 早く食べたら?」

「あ、ああ」

 怖いな。絶対に裏がある。ないわけがない。とはいえ、いつまでも食べないわけにもいかない。それに冷めたらもつたいないしな。恐る恐るコロッケを一口かじった。

「早速だけど話を聞いてもらえるかしら」

「圧倒的に嫌な予感がする……」

 逃げようと思って立ち上がろうとすると、手をつかまれた。

「綾小路くん、もう一度言うわ。話を聞いて貰える?」

「ふぁい……」

ちやばしら先生の忠告以降、クラスの遅刻は確かに減り私語も激減したわ。大半のマイナス要素だった部分は消せたと言っても過言じゃない」

「ま、そうだな。元々難しいことじゃないし」

 長続きはしないかも知れないが、少なくともここ数日は以前よりもはるかにマシだ。

「次に私たちがすべきこと、それは2週間後に迫っているテストでより良い点数を取るための対策よ。さっき、ひらくんが行動を起こしたようにね」

「勉強会か。ま……確かに赤点対策は出来るだろうな。ただ───」

「ただ、何? 随分と含みのある言い方ね。問題でもある?」

「いや、気にしないでくれ。でもお前が他人を気にするなんて珍しいな」

「本来なら、テストで赤点を取るなんて私には考えられない。けれど、世の中にはどうしても赤点を取ってしまうような、どうしようもない生徒がいるのも事実」

どうたちのことか。相変わらず容赦ない物言いだな」

「事実を事実として述べただけよ」

 この学校は敷地内から出られない上に、外部との連絡は一切禁じられているし、塾のような施設も無い以上、結局勉強のできる生徒に授業以外で教わるしか対策のすべはない。

ひらくんが積極的に勉強会を開いてくれるようだから、安心したの。でも、須藤くん、いけくん、やまうちくんは勉強会に参加しない様子だったでしょう? 気になったの」

「あいつらはなぁ。平田とは疎遠と言うか、仲良くないからな。参加しないだろうな」

「つまりこのままだと彼らは赤点の可能性が高い、と。そしてAクラスに上がるためには、マイナスポイントを取らないことは大前提で、プラスになるポイントを集めることが必要不可欠でしょう? 私はテストの点数がプラスに結びつく可能性もあると見ているの」

 テストで頑張った分、生徒たちに見返りがあると考えるのは自然なことだ。

「もしかして───お前も平田みたいに勉強会を開くってことか? それも、須藤や池たちを救済するって目的の」

「ええ。そう考えてもらっても差し支えないわ。意外と、思うでしょうけど」

「そりゃ今までのお前の態度を見てたら、意外だと思わないはずがないだろ」

 それでもオレ自身、驚きそのものは少ない。あくまでも自分自身のためってことだろうし、ほりきたがそこまで特別冷たい人間だとオレ個人は思っていない。

「まぁ、お前がAクラスに行きたいって思いは伝わって来た。ただ、正直須藤たちに勉強を教えるのは一筋縄ではいかないと思うぞ。赤点を取る生徒は大抵、人よりも勉強することが嫌いだ。それにお前は初日にクラスメイトから距離を置いただろ? ともだちなんていらないと思ってる人間の元に集まる奇特な奴は居ないぞ」

「だからあなたに話してるんじゃない。幸いあなたが親しくなった人たちでしょう?」

「は? ……おい、まさか────」

「彼らはあなたが説得すれば話は早い。友達、と言うありがたい存在だから問題はないはずでしょ? そうね、図書館に連れて来て。勉強そのものは私が教えるから」

「お前ちや言うなよ。当たりさわりのないへいたんな道を歩くオレにそんなリア充もさおな行動が出来ると思ってんのか?」

「出来る出来ないじゃない。やるのよ」

 オレはお前の飼い犬か何かか。

「堀北がAクラスを目指すのは自由だが、オレを巻き込むなって」

「食べたわよね? 私のおごりで。お昼を。スペシャル定食、豪華で良かったわね」

「人の好意を素直に受け取っただけだ」

「残念だけど、それは好意ではなくて他意よ」

「一言も聞いてねえし……よし、じゃあポイント分オレも奢る。それでチャラだ」

「私、人におごられるほど落ちぶれているつもりはないから。お断りします」

「今初めて、オレはお前に対して怒りを覚えたかも知れない……」

「それでどうなの。協力してくれるの? それとも私を敵に回すの?」

けんじゆうを額にきつけられて、やれと脅されているようだ……」

「ようだではなく、事実脅しているようなものね」

 これがほりきたの言う、暴力の力って奴だろうか。確かに効率的だ。

 まあ……集めるくらいだったら別に協力してもいい、か?

 堀北はともだちを作っていないから、この手のことは事実最も不得意なはずだ。

 それに、どういけたちはせつかく出来た友達でもある。早々に退学させてしまうのは嫌だ。

 どうするか迷っていると、堀北はさらに畳みかけて来た。

くしさんと結託して、うそで私を呼び出したこと、許したつもりはないのだけれど?」

「あの件は責めないって言っただろ。今更持ち出すなんてずるいぞ」

「それは櫛田さんに対してであってあやの小路こうじくんを許した覚えはないの」

「うわ、汚ねぇ……」

「帳消しにしてほしかったら私に協力することね」

 どうやら最初からオレに逃げ道は無かったらしい。

 堀北はその材料を残してつだわせたかったようだが、この際帳消しにできるだけマシか。

「集められる保証はないぞ? それでもいいのか?」

「私はあなたなら全員集められると信じてるから。これ、私の携帯番号とアドレス。何かあったら、これで連絡して」

 まさかの形で、高校生活初、女子の連絡先をゲットした。

 堀北のだけど。……べ、別にうれしくなんてないんだからなっ。


    2


 教室をぐるりと見回す。さて、どうしたもんか。

『放課後一緒に勉強しないか?』なんて声をかけて、誰かついてくるだろうか。

 須藤や池たちとは、たまに飯をう程度の仲にはなった。だけどあいつらは勉強とは縁遠い位置に居る。……ダメ元か。一応聞くだけ聞いてみよう。

「須藤、ちょっといいか?」

 昼休みに教室へ戻って来た須藤に話しかける。須藤は薄らと汗をかいていて、息が少し上がっていた。もしかしたら、昼休みもバスケの練習に励んでいたのかも知れない。

「今度の中間テスト、どうするつもりなんだ?」

「そのことか……。わかんねえよ、勉強なんて真面目まじめにやったことねーし」

「お、そうか、じゃあ丁度いい方法があるぞ? 今日きようから放課後、毎日勉強会やろうと思ってるんだ。参加しないか?」

 しばらくの間、口を開けて考えるどう

「本気か? 学校の授業ですらめんどうくせぇのに放課後も勉強なんてやってられっか。それに俺は部活もあるからな、無理だ無理。第一お前が教えんのか? 点数良くなかっただろ」

「その辺は安心しろ。勉強を教えるのはほりきただ」

「堀北? あいつのことはよくわかんねぇしな。さんくさい、断る。テスト前に一夜漬けすりゃ何とかなんだろ。もう行けよ」

 案の定、須藤は勉強会をすぐに断った。粘ってはみるものの聞く耳を持たない。

 くそ、ダメか。須藤にこれ以上いついたらなぐられかねない。仕方ない。まずはもうちょっと落としやすそうなヤツから行くか。一人携帯で遊んでいるいけに声をかける。

「池、なあ────」

「パス! 須藤に言ってた話聞こえてたぞ。勉強会? 嫌だね、そんなの」

「赤点取ったら退学だって分かってるのか?」

「俺、確かによく赤点取ってたけどさ、大体乗り切ってきてんだよな。どうしても頑張るときは須藤と一緒に一夜漬けで暗記すっから」

 本気を出せば大丈夫とタカをくくっているのだ。退学に対する危機感を持っていない。

「この間の小テストも不意打ちじゃなかったら40点くらいとってたって」

「お前の言いたいことは分かった。でも万が一ってこともあるだろ?」

「放課後は高校生の貴重な時間だぜ? 勉強なんてしてらんねーよぉ」

 もう行けよ、と手で払われる。携帯でクラスの女子とチャットすることに熱中している。平田が彼女を作った話を耳にして以来、池は彼女を作ろうと躍起だ。オレはわざとらしく肩を落とし自分の席に戻った。頑張ったけど無理でしたアピールで、許してもらう作戦だ。

「使えない」

「……今聞こえたぞ、何て言った?」

「使えない、って言ったの。まさかそれでわりなんて言わないわよね?」

 くっそー。人に頼んでおきながら、なんてふてぶてしいヤツだ。

「そんなわけないだろ。まだオレには四百二十五の手が残されてる」

 オレは腰を据えて教室の中を見回した。授業中の緊張感とは裏腹に、かんした空気の流れる昼休みは、とにかく騒がしい。

 勉強嫌いの人間を勉強させる方法。それも授業中ではなく、自由な時間である放課後を利用しての勉強。普通なら断られてしかるべきだが相手は退学の危機がかかっている。

 今は拒絶する須藤も、きっかけさえあれば参加してくれるはずだ。

 となれば、後はエサを用意するしかない。勉強をすればこんなラッキーなことがあるんだぞと思わせる。出来れば具体的で、かつ分かりやすいもの。そして効果的なものがいい。

 ───ひらめいた!

 天啓が舞い降りたオレは、目を見開きほりきたへと向き直った。

「勉強を教えるのは堀北の役目だが、どういけたちを勉強に誘うのは容易じゃない。そのためにはお前の別の力が要る。協力してくれ」

「別の力? 一応聞いてあげるけど……何をすればいいの?」

「例えば、こういうのはどうだ? もしテストで満点を取ったら、堀北を彼女に出来るとか。そうすれば間違いなくあいつらはいつくぞ。男の原動力はいつだって女の子だ」

「死にたいの?」

「いいえ、生きていたいです」

真面目まじめに考えてるのかと思ったから話を聞いたのに。私がバカだったわ」

 いや、割とマジでこういうのが効くと思うんだけどな。多分人生で一番勉強に励む気がする。しかし、そんな男心は堀北には全く理解してもらえない。

「じゃあアレだ。キス。満点取ったら堀北にキスしてもらえるとか」

「やっぱり死にたいの?」

「ま、まだまだ生きていたいです」

 鋭い手刀が、素早く首筋にあてがわれる。くそ、やっぱりこの手のごほうは堀北が絶対認めそうにないか。効果抜群なのに。仕方なく一から考え直す。

 と、オレは教室の中でひときわ目立つ存在に気づく。ひらとはまた違い、クラスの輪をまとめられる可能性を持った人物。それはくしきようだ。

 ルックスはもちろんのこと、とにかく明るく元気。男女分け隔てなく誰とでも気軽に雑談が出来る社交性。実際池は櫛田にゾッコンだし須藤たちだって悪い印象は持ってない。おまけにテストの点数も、比較的高い方だったはず。この大役にぴったりだ。

「なあ───」

 櫛田を仲間に引き入れないか? と言いかけて、思いとどまる。

「なに?」

「いや……何でもない」

 こいつは基本的に人とのかかわりを嫌っている。前回、櫛田とのトモダチ作戦、堀北は相当怒っていた。今回の勉強会、赤点を取ってない櫛田が関わることを堀北はまず認めてくれないだろう。いったん放課後まで保留して堀北が帰ったあと実行することにしよう。


    3


 あっという間に放課後がやって来る。堀北はすぐに教室を出て家に帰ってしまった。勉強会用にテスト範囲の絞り込みでも行うんだろう。こっちはくしを捕まえることにしよう。

「ちょっといいか?」

 帰り支度をしていた櫛田に声をかける。思いがけない来客に、櫛田は首をかしげた。

「珍しいね、あやの小路こうじくんから話しかけてくれるなんて。私に何か用かな?」

「あぁ。もし良かったら、少しいいか? ちょっと教室の外で話がしたい」

「この後ともだちと遊びに行くから、あんまり時間ないんだけど……いいよ」

 嫌がる素振りひとつ見せず、がおでついてくる。

 廊下の隅に連れて来られた櫛田はわくわくした様子でオレの言葉を待っていた。

「喜べ櫛田。お前は親善大使に選ばれた。これからクラスのために尽力してくれ」

「え、えーと? ごめん、どういう意味かな?」

 かくかくしかじか、オレはどうたちを救済するための勉強会を開きたいと伝えた。

 もちろん、その勉強を教えるのがほりきたであることも。

「この勉強会を通じて堀北と仲良くなれるかも知れないし、そう思ってさ」

「仲良くはなりたいけど……そういう心配はいらないよ? 困ってる友達がいたら助けるのは当たり前じゃない? だからつだうよっ」

 こいつ、良いヤツ過ぎ……。いけや須藤たちの退学を阻止したいと思ってくれてるようだ。

「本当にいいのか? 嫌だったら無理強いは出来ないぞ」

「あ、ごめん。さっきの間は嫌って意味じゃないの。ただ……うれしかったから」

 くしは壁にもたれかかり、こつん、と軽く廊下をった。

「赤点を取ったら退学なんてひどい話だよね。せつかくともだちになったみんなとそんなことでお別れになっちゃうのって、すごく嫌じゃない? そんな時ひらくんが勉強会を開くって聞いて、凄いなって感心したの。でもほりきたさんは私よりもずっと周りをちゃんと見てたって言うか。どうくんたちのことを見てたから。堀北さんもクラスのことを、友達のことをちゃんと考えててくれたんだなって。私が皆の役に立てるんだったら、何でもするよっ!」

 オレの手を取り、櫛田はがおを振りまいた。うっわ、めちゃくちゃ可愛かわいいんですけど!

 なんて浮かれている場合じゃない。無難な男を目指すオレはかつつけて平静をよそおった。

「じゃあ、是非頼む。櫛田が居れば百人力だ」

 この笑顔を見せられて、コロッといかない男はいないはずだ。意味不明の根拠。

「あ、でもひとつだけお願いを聞いてくれる? その勉強会に私も参加させてほしいの」

「は? そんなことでいいのか?」

「うん。私もさ、みんなと一緒に勉強したいし」

 こちらとしては願ったりかなったりだ。櫛田が居れば重くなりがちな勉強会にいやしをもたらしてくれることだろう。問題点が無いわけじゃないが、櫛田には関係のない部分だ。

「それで、勉強会はいつからなの?」

「一応明日から開始出来るように手配してある」

 堀北が。と心の中で付け加えておく。

「そっか。じゃあ今日きようのうちに、皆に声かけなきゃいけないね。後で連絡しておくね」

「あ、須藤たちの連絡先教えようか」

「大丈夫だよ~。3人とも連絡先知ってるから。私がクラスで携帯登録してないのは、あやの小路こうじくんと堀北さんだけだったり……」

 知らなかった……。つか、オレと堀北だけって。

「率直に聞くけど、二人ってもう付き合ってるんじゃないの?」

「ど、どこの情報だよそれ。堀北とは友達……いや、ただの隣人だ」

「クラスの女子では、結構うわさになってるよ? 堀北さんって、いつも一人じゃない? なのに綾小路くんとだけは仲良さそうにしてるし。ご飯も一緒に食べたりしてるから」

 うーむ、気が付けば女子たちの間でもそんな噂が立ち始めていたのか。

「残念ながらオレと堀北の間に、そんな甘いストーリーは皆無だ」

「じゃあ問題ないってことだね? 私と連絡先、交換してください」

「喜んで」

 こうして、オレは女子二人目の連絡先をゲットしたのだった。


    4


 夜中、自室でボーっとしていたオレの元に一通のメールが届いた。くしからだ。

やまうちくん、いけくん、からはオッケーでたよー(`・ω・´)b』

「早っ」

 つか池のヤツ、オレの誘いは断っておいて早い手の平返しだな。やっぱり女の子の存在って男にとっては大きいんだろうなぁ。エロとか、無限のパワーを発揮するって言うし。

『今、どうくんにも連絡してるけど、好感触っぽい(^ω^)』

 更にメールが届く。おー。このペースなら本当に明日、全員集まるかも。

 予想以上に早い展開に、オレはこのタイミングでほりきたへ情報を伝えておくべきだと判断した。櫛田が協力してくれることになったこと、そして池と山内の二人が早くもその効果で集まったこと、更には櫛田が勉強会に参加してくれるむねを書き、堀北にメール送信。

「さて風呂にでも入るかな」

 とベッドから立ち上がった途端、即、堀北から電話がかかってきた。

「もしもし?」

「……ちょっと、言ってる意味が理解できないのだけれど?」

「何だよ、意味が理解できないって。簡潔に書いたつもりだぞ? 良かったな、多分須藤含めて3人とも集まりそうだ」

「そこじゃないわ。櫛田さんがつだってるって話。聞いていないわ」

「さっき決まったんだよ。クラスメイトの信頼が厚い櫛田が協力してくれればオレが勧誘するよりもはるかに高い可能性で集まる。実際に須藤や池たちが納得してるし。そうだろ?」

「私はそんなことを許可した覚えはないわ。彼女は別に赤点を取ったわけでもないし」

「あのな──オレが声をかけるよりも、クラスとのネットワークを持つ櫛田を引き入れた方が、遥かに成功確率は上がる。単純に確率が高くなる手段を取っただけだ」

「……気に入らないわね。私の許可を取ってからするべきでしょう?」

「お前が櫛田のような積極的な子が嫌いなのはわかってる。けど、赤点を出さないための手段だろ? それとも今からお前が地道に声をかけて赤点組を集めるか?」

「それは……」

 堀北は、頭では櫛田の協力があった方が良いことは理解しているはず。

 自分のプライドがそれを邪魔していて、素直になれないのだ。

「テストまでそんなに時間もない。いいだろ?」

 こういえば、堀北にだって余裕がないことは伝わるはず。それでも、何かが堀北の中でまだ引っかかっているのか、即決できなかった。少しの間訪れる沈黙。

「……分かったわ。背に腹は代えられないもの。けど、櫛田さんの手伝いを認められるのは赤点組を集める作業だけ。勉強会に参加させることは認められないわ」

「……いや、だからな? それがくしつだう条件なんだよ。ちや言うな」

「櫛田さんが勉強会そのものにかかわることを、私は認めない。これは変わらないわ」

「それはアレか? 前にオレと櫛田でお前を騙して呼び出すしたからか?」

「それとこれとは無関係よ。彼女は赤点組じゃない。余計な人を招き入れるのは手間と混乱を生むだけだと判断したの」

 一応筋は通っているようだが、とてもそれだけが理由とは思えない。

「なんか露骨に櫛田を嫌ってないか?」

「あなたは自分のことを嫌いな人をそばに置いて不快に感じないの?」

「え?」

 ほりきたの言った意味が、一瞬理解できなかった。

 櫛田は間違いなく堀北を誰よりも理解しようとし、ともだちになろうとしてくれている。

 その櫛田が堀北を嫌っている、という風にはとても思えなかった。

「櫛田が来ないからって人が集まらなかったらどうするんだよ」

「……ごめんなさい、テスト範囲の絞り込みに思ったより時間を取られてるの。まだかかりそうだからそろそろ切るわね。じゃ、おやすみなさい」

「あ、おいっ」

 一方的に通話を切られた。人嫌いもここまで来ると大概だな。だが、Aクラスに上がることを目標とするなら、歩み寄りも必要なはずだ。

 携帯を切った後、充電器に差し込んでテーブルに置くと、ベッドで横になった。

 この学校に入学してから今日きようまでのことを思い返す。

「不良品、か……」

 入学式の日、二年の先輩がオレたちをそう言っていたっけ。

 不良品を英語で言うと、Defective product。

 あれはオレたちDクラスの生徒をした言葉だったんだろうな。一見かんぺきに見える堀北も、その欠陥を抱えているのかも知れない。今日のことで何となく理解してしまった。

「どうすっかな……」

 このまま強行するか? しかし、その場合堀北の離脱という最悪の展開も考えられる。

 勉強を教える堀北が抜けたら、完全にみんなの時間を無駄にしてしまう。

 重い気持ちのまま、携帯で櫛田の番号を押すことにした。

「もしもーし」

 ぶおー、という強い風の音と共に通話がつながる。それはすぐに音を弱め聞こえなくなる。

「もしかして、髪乾かしてたか?」

「ごめ、聞こえちゃった? ちょうどわったところだから、大丈夫」

 風呂上がりのくしか。……って、そんなくだらない妄想をしている余裕はなかった。

「いや、あの、すげぇ言いにくい話なんだが……。今日きよう言った赤点組を集める話、無かったことにしてくれないか?」

「…………えっと、それはどうして?」

 少しの沈黙の後の返答。怒っていると言うよりは理由を知りたがっている様子だ。

「悪い。詳しくは話せない。だが、ちょっと難しくなったんだ」

「そっか……。やっぱりほりきたさんに、私のこと反対されちゃったんだね」

 じんもそんな空気を出した覚えは無かったが、電話越しの櫛田に見抜かれた。

「堀北は関係ないよ。こっちでミスがあっただけだ」

「隠さないでもいいよ~。私別に怒ってないよ? 堀北さんは私を嫌ってるみたいだから、拒否られても仕方ないって思ってたし。想像出来てたしね」

 女の勘、って奴だろうか。

「とにかく、せつかくつだってくれるってことだったのに悪いな」

「ううん。あやの小路こうじくんが謝ることじゃないよ。ただね……? その、堀北さんじゃ、どうくんたちを集められるとは思えないな」

 それは否定しようにも、すごく難しい部分だった。

「ねえ、堀北さんには何て言われたの? 私が人を集めることにも反対だった? それとも、勉強会には呼びたくないって言ったの?」

 まるで、隣で通話を聞いていたと言われても、驚かないほどに正確で的確なセリフだ。

「……後者だ。気分悪いよな、悪い」

「あははは、だよね。だから綾小路くんが謝ることじゃないよぉ。ほら、堀北さんって人を寄せ付けないオーラがあるじゃない? だからそんなこともあるかなーって」

 だとしても、鋭すぎる。

「でも、皆には私も参加するからって理由で納得してもらったからなぁ……。私も誘った手前、参加できなくなった理由にうそをつけないじゃない? 今から断りのメールとか入れたら、多分堀北さん、本当に皆に嫌われちゃうね……」

 オレは櫛田に対し、少しだけ恐怖心を覚えた。根拠は何もないが。

「今回の件、私に任せてもらえないかな」

「任せる?」

「明日、全員を堀北さんのところに連れて行くよ。もちろん、私も行くね」

「それは───」

「大丈夫だから。ね? それとも、今から綾小路くんが全部解決させる? 私抜きで全員を集めて、堀北さんを納得させられる方法がある?」

 残念だがそれはほぼ不可能だろう。

「……わかった。お前に任せる。その代わり、何があっても知らないぞ」

「大丈夫。あやの小路こうじくんには何の責任もないことだから。それじゃ、また明日ね」

 数分ほどの、くしとの通話がわった。まさかほりきたとの会話以上に疲れることになるとは、思いもしなかった。あいつは大丈夫だと言っていたが、本当に平気か?

 堀北は誰が相手であっても、気に入らないことにはって掛かる。一触即発の状態になることは火を見るより明らかだ。不安を覚えながら、オレは浴室へと向かうことにした。

 明日のことを考えると───やめよう、そんなゆううつなことを考えるのは。

 どうせ悩んだって明日は来るし、明日は終わる。何とかなるさ。


    5


 朝から堀北は不機嫌、怒り心頭だった。これがほおを膨らませて顔を赤くしたり、ポコポコと可愛かわいく男の胸をたたいたり、そんな可愛げのある怒り方だったらどれだけ良いか。

 話しかけても終始無言、無表情。まるでオレの存在など空気のようにあつかってきやがる。

 こっちも無視してやろうと背中を向けると、コンパスを取り出す音が聞こえるからたちが悪い。そして、長い長い一日が終わり放課後がやって来た。

「勉強会に参加すべき人は、集まったの?」

 今日きよう初めての言葉が、勉強会か。そして、わざと含みのある言い方をされる。

「……櫛田が集めてくれてる。今日から参加するんじゃないかな」

「櫛田さんが、ね。彼女にはちゃんと伝えたの? 勉強会に参加はさせないって」

「伝えた」と返すと、堀北は納得したらしく図書館へ行くことを促す。教室を出るぎわオレがくばせで櫛田の方を見ると、可愛すぎるウインクで返された。

 図書館の端、長机の一角にスペースを確保し、赤点組を待つ。

「連れて来たよ~!」

 座って待っていたオレと堀北の元に、櫛田がやって来た。その背後には───。

「櫛田ちゃんから勉強会を開くって話を聞いてさ。入学したばっかで退学なんてしたくないしな。よろしくなー」

 いけやまうちどうの3人。しかし思いがけない来訪者が一人いた。おきたにという男子生徒だ。

「あれ、沖谷って赤点取ったっけか?」

「あ、う、うん。そうなんだけど……その、テストなんだけど、赤点ギリギリだったから心配で……ダメ……だったかな? ひらくんのグループ、ちょっと入りにくくて……」

 可愛く頬を赤らめ、オレを見上げてそう言う沖谷。きやしや身体からだつきに、ふわっとしたショートボブの青い髪。女子に免疫力のない男子なら、コロッと「れてまうやろー!」と叫んでいただろう。こいつが男でなければ危なかった。

「別に、おきたにくんが参加しても大丈夫だよね?」

 くしほりきたに確認する。確か沖谷の点数は39点、念のために参加したいってことか。

「赤点の心配がある生徒なら、構わないわ。ただし真面目まじめにやってもらうわよ」

「う、うんっ」

 うれしそうに沖谷は席に座る。その隣に櫛田が腰を下ろすが、堀北はそれを見逃さない。

「櫛田さん。あやの小路こうじくんから聞かなかったかしら? あなたは───」

「実は、私も赤点を取りそうで不安なんだよね」

「あなたは……前の小テストで悪い成績ではなかったはずよ」

「うーん、実はあれ、偶然って言うか。選択問題が多かったじゃない? だから半分くらい当てずっぽうだったんだよ。実際は、結構ギリギリで」

 櫛田はえへへ、と可愛かわいほおを人差し指でいた。

「沖谷くんと同じくらいか、ちょっと下くらいだと思うんだよ。だから私も勉強会に参加して、しっかりと赤点を回避したいなって。いいよね?」

 図太いと言うか、思わぬ櫛田の策略にオレは驚きを隠せなかった。沖谷が勉強会の参加を認められたことを確認してからの切り返し。これでは堀北も、許可をせざるを得ない。

「……わかったわ」

「ありがと」

 櫛田はがおで堀北に頭を下げ腰を下ろした。赤点を取らなかった沖谷がこの場に居るのも、すべて櫛田の作戦かも知れない。自分が参加できる大義名分を、く作り出した。

「32点未満は赤点つってたよな。32点じゃアウトってことか?」

「未満だったらセーフだって。どうお前大丈夫か?」

 いけにまで心配される須藤。さすがに以上と未満の違いくらいは知っててもらいたい。

「どちらでも構わないわ。私はここに居る皆には50点を目指してもらうから」

「げぇ、それってその分大変ってことだよな?」

「ギリギリのラインを越えるように勉強に挑むのは危険よ。赤点を楽に越えられるようでなければ、もしもの時に困るのはあなたたちよ」

 堀北の正論に、渋々従うようにうなずく赤点組と、その候補。

「今度のテストで出る範囲はある程度こちらでまとめてみたわ。テストまで残り2週間ほど、徹底して取り組むつもりよ。分からない問題があったら、私に聞いて」

「……おい、最初の問題から分からないんだが」

 須藤は半ばにらみつけるように堀北を見た。オレも問題を読んでみる。

『A,B,Cの3人の持っているお金の合計は2150円で、AはBよりも120円多く持っています。また、Cの持っているお金の5分の2をBに渡すと、BはAよりも220円多く持つことになります。Aは始め何円持っていましたか』

 連立方程式の問題か。高校生が十分に解ける問題で第一問としては無難なところか。

「少しは頭を使って考えろ。最初から考えることを放棄していたら前に進めないぞ」

「んなこと言ってもよ……俺は勉強の方はからっきしなんだ」

「皆よく受かったよね」

 学校側はテストの点数だけで入学の合否を判断してない。どうは身体能力の高さを評価されたんだろう。そう考えると、赤点で退学を迫られたらたまったもんじゃないな。

「うげ、俺もわかんね……」

 いけも頭をかきながら困り果てる。

おきたにくんは分かる?」

「えっと……A+B+Cが、2150円で……A=B+120……で」

 お、どうやら沖谷の方は赤点を回避しただけあって、連立方程式の式を書き始めた。

 その様子を隣で見守る櫛田。

「うんうん、合ってる合ってる。それで?」

 くしは大胆と言うか、挑発的だ。赤点ギリギリと言いながら沖谷に勉強を教えている。

「正直言って、この問題は中学1、2年生でも、やり方次第で十分に解ける問題よ。ここでつまずいていたら先には進めないわ」

「俺たちって小学生以下……?」

「でもほりきたさんの言うように、ここで躓くのはやばいかも。小テストに出た数学の最初の問題はこれくらいの難度だったけど、最後の方の問題は難しくて私わからなかったもん」

「いい? これは連立方程式を用いて簡単に答えを求めることが出来るの」

 堀北は迷うことなくペンを走らせていく。残念なことに、その式を読み解けているのは、櫛田と沖谷くらいだった。

「そもそも連立方程式って何だよ……」

「……本気で言っているのか?」

 よほど勉強とは無縁の生活だったんだろうな。須藤はシャーペンを机にほうり投げた。

「ダメだ、やめる。こんなことやってられるか」

 勉強を始めて間もないのに、リタイアを宣言する須藤たち。

 そのあまりに情けない姿を見ていた堀北は、静かに怒りを蓄えていた。

「ま、待ってよ皆。もうちょっと頑張ってみようよ。解き方を理解すれば、後は応用だからテストでも生かせるはずだし。ね? ね?」

「……まぁ、櫛田ちゃんが言うなら、頑張ってみてもいいけどさ……。と言うか、櫛田ちゃんが教えてくれたら、俺もうちょっと頑張れるかも」

「え、えと……」

 チラッと堀北にお伺いを立てる櫛田に対し、堀北は無言だった。イエスともノーとも答えない一番困る展開だ。しかし長い間沈黙が続けば、赤点組は勉強を放棄してしまいかねない。くしは意を決して、シャーペンを手に取った。

「ここはね、ほりきたさんの言うように、連立方程式を使った問題なの。だから、私がさっき口にしたのを一度式として書いてみるね」

 そう言い三行の方程式を書きつらねていく。頑張ってはいるみたいだが、基本を理解できていない赤点組に答えとなる式を書いて見せてもダメだろう。これは勉強会とは名ばかりの居残り授業みたいなもの。漠然とした勉強方法に、ほとんどの生徒がついてこられていない。

「で、答えが710円になるの。どうかな?」

 本人としては会心の運びだったんだろう、櫛田は笑みを浮かべてどうを見る。

「……え、これで答え出せるのか? なんでだ?」

「う……」

 そして直後に痛感する。自分の説明についてこられている者が居ないことを。

「あなたたちを否定するつもりはないけれど、あまりに無知、無能すぎるわ」

 無言だった堀北が、ついに言葉を発した。

「こんな問題も解けなくて将来どうしていくのか、私は想像するだけでゾッとするわね」

「っせえな。お前には関係ないだろ」

 さすがに堀北の言い方がしやくさわったのか、須藤が机をたたいた。

「確かに私には関係ないことよ。あなたたちがどれだけ苦しもうと、影響はないから。ただあわれみを覚えるだけ。今までの人生、つらいことからずっと逃げて来たんでしょうね」

「言いたいこと言いやがって。勉強なんざ、将来なんの役にも立たないんだよ」

「勉強が将来の役に立たない? それは興味深い話だわ。根拠を知りたいわね」

「こんな問題解けなくても、俺は苦労したことないからな。勉強なんて不要だろ。教科書にかじいてるくらいなら、バスケやってプロ目指した方がよっぽど将来の役に立つぜ」

「それは違うわね。こういった一つ一つの問題を解けるようになって初めて、今までの生活にも変化が生じてくる。つまり、勉強していればもっと苦労しなかった可能性がある、と言うことよ。バスケットにしても同じ道理ね。あなたはきっと自分に都合の良いルールでバスケットに取り組んで来たんじゃないかしら。本当に苦しい部分には勉強のように背を向けて逃げていたんじゃない? 練習に対してもしんに取り組んでいるようには思えないし。何より周囲の和を乱すような性格。私が顧問ならレギュラーにはしないわ」

「っ!」

 須藤は立ち上がると、詰め寄り堀北の胸倉をつかんだ。

「須藤くんっ!」

 オレが動くよりも早く、櫛田は立ち上がり須藤の腕を掴んだ。

 ほりきたどうすごまれても、眉ひとつ動かさず、須藤を冷めた目で見ていた。

「私はあなたには全く興味ないけれど、見ていればどんな人間かは大体わかるわ。バスケットでプロを目指す? そんな幼稚な夢が、簡単にかなう世界だとでも思っているの? あなたのようにすぐに投げ出すような中途半端な人間は、絶対にプロになんてなれない。もっとも、仮にプロになれたとしても、納得の行く年収がもらえるとは思えない。そんな現実味のない職業を志す時点で、あなたは愚か者よ」

「テメェ……!」

 須藤は、明らかに制御がかなくなる寸前だ。もしもこぶしを振り上げるようなら、オレも飛び出して須藤を抑えなければならない。

「今すぐ勉強を、いいえ、学校をやめて貰えないかしら? そしてバスケットのプロなんてくだらない夢は捨てて、バイトでもしながらみじめに暮らすことね」

「はっ……上等だよ。やめてやるこんなもん。ただ苦労するばっかりじゃねえか。わざわざ部活を休んで来てやったのに、完全に時間の無駄だ。あばよ!」

「おかしな事を言うのね。勉強は苦労するものよ」

 なおも追い打ちをかける堀北。くしがいなければ、もしかしたら須藤は本気で堀北に手をあげていたかも知れない。いらちを隠さないまま、かばんの中に教科書を詰め始めた。

「おい、いいのか?」

「構わないわ。やる気のない……ここまで勉強の出来ない人間に構うだけ無駄よ。退学がかかっているというのに。学校に対する執着心なんて、欠片かけらもないんでしょう」

「お前みたいなともだちの一人も居ない奴が、勉強会なんて変だと思ったんだ。どうせ俺たちをバカにするために呼び出したんだろ。女じゃなかったらぶんなぐってるところだぜ」

「殴る勇気がないだけでしょう? それを性別のせいにしないで」

 始まったばかりの勉強会は、既にボロボロ、崩壊していた。

「俺もやーめよ。なんか、勉強についていけないってのもあるけどさ……正直ムカつく。堀北さんは頭いいかもしんねえけど、そんな上から来られたらついてけないって」

 我慢ならなかったのか、いけもサジを投げた。

「退学しても構わないのなら、好きにするのね」

「ま、そこはほら、徹夜でもするし」

「面白い話ね。自分で勉強できないから、今ここに居るんじゃないの?」

「っ……」

 普段ひょうきんな池までも、堀北のとげのある言葉に表情をこわらせた。そしてやまうちまでもが教科書を鞄にしまい始める。最後まで悩んでいたおきたにも流れには逆らえず席を立った。

「み、皆……本当にいいの?」

「行こうぜ、沖谷」

 いけは迷っているおきたにと一緒に図書館を出て行った。

 この場に残ったのはオレとくしだけ。その櫛田すらも、もはや限界のようだった。

「……ほりきたさん、こんなんじゃ誰も一緒に勉強なんてしてくれないよ……?」

「確かに私が間違っていたわ。もし、今回あの人たちに勉強を教えてく赤点を回避できても、またすぐに同じような窮地に追い込まれる。そうなればまたこの繰り返し。そして、やがてはつまずく。これは実に不毛なことで、余計なことだと痛感したわ」

「それって、どういう、こと……?」

「足手まといは今のうちに脱落してもらった方がいい、ということよ」

 堀北の出した結論だった。赤点組が居なくなれば教える手間もなくなり、結果クラスの平均点も上がる。そう結論付けた、ということ。

「そんなのって……ね、ねえあやの小路こうじくん。綾小路くんからも何か言ってよ」

「堀北がそう結論付けたなら、それでいいんじゃないのか?」

「あ、綾小路くんまで、そんなこと言うの?」

「まぁ、あいつらを切り捨てたいとまでは思ってないけど、オレ自身教えられるような人間じゃないし、どうすることも出来ないからな。結局は堀北と似たようなもんだ」

「……そう。わかった」

 櫛田は表情に影を落とし、かばんを持つと立ち上がった。

「私は何とかする。してみせる。こんなに早く皆と別れるなんて絶対に嫌だから」

「櫛田さん。本気でそう思っているの?」

「……いけない? 須藤くんや池くんたちを見捨てたくないって思っちゃ」

「あなたが本心からそう言ってるなら、構わないわ。でも、私にはあなたが本気で彼らを救いたいと思っているようには思えない」

「何それ。意味わかんないよ。どうして堀北さんは、そうやって敵を作るようなこと、平気で言えちゃうの? そんなの……私、悲しいよ」

 櫛田は顔を一度伏せたが、うつむいているわけにもいかないと、すぐ顔を上げた。

「……じゃあね二人とも、また明日」

 短く言葉を残し、櫛田までも立ち去って行く。こうしてまたたく間に、オレたちは振り出しの二人に戻った。途端に図書館は静寂に包まれる。

「ご苦労だったわね。勉強会はこれで終了よ」

「そうみたいだな」

 静まり返った図書館は、不気味なほどに静かだった。

「綾小路くんだけは理解してくれたわね。あなただけは、あの下らない人たちよりは幾分かまともと言うことかしら。もし勉強が必要なら、特別に教えてあげるけど?」

「遠慮しておくよ」

「帰るの?」

どうたちんところに行く。何となく、雑談しにだけどな」

「もうすぐ退学するかも知れない人と接して、得することなんて何もないわ」

「オレは単純に、ともだちと接することは嫌いじゃないんだよ」

「随分と勝手ね。友人だと言っておきながら退学していく様を傍観しているなんて。私からしてみればそれが最も残酷な話だと思う」

 確かに、それは否定できない部分だろう。ほりきたは間違ったことを言っていない。

 結局勉強って部分は、個人がどれだけ頑張れるのか、その一点にかかっている。

「オレはお前の考えを否定するつもりはない。勉強を嫌う須藤をバカにしたくなる気持ちも分からないじゃない。だけどな堀北、少しは須藤の後ろにある背景を想像することも、大切なんじゃないのか? バスケのプロを目指すだけなら、わざわざこの学校を選ぶメリットは少ない。この学校を選んだのか、そこまで考えて初めて、相手の本質が見えてくるんじゃないか?」

「……興味ないわね」

 オレの言葉に耳を傾けることなく、堀北はずっと、一人教科書に目を落としていた。


    6


 図書館を出ると、オレはくしの後を追う。勉強会を開くために力を尽くしてくれたお礼と謝罪をしておきたい。それにほら、可愛かわいい子とは極力仲良くしておきたいだろ?

 意気込み携帯をつかむと、アドレス帳から櫛田の名前を引っ張り出す。二度目とはいえ、女の子にかけるのは少し緊張する。二度、三度とコール音が耳に届く。

 しかし、一向に出る気配がない。気づいていないのか、出るつもりがないのか。

 敷地の中をあてもなく小走りで探し回っていると、学校の校舎に入っていく櫛田らしき人物の背中を見つけた。もう時刻は六時近く、部活動で残っている生徒以外はいないはずだ。まぁ、櫛田なら部活で仲の良い友達に会うって可能性もあるか。

 一応追いかけて、誰かと合流していたら後日にしよう。そう思い校舎の中へ。

 ばこから上履きを出して廊下に向かうが櫛田の姿は見えない。見失ったか? そう思ったが、かすかにカツンカツンと歩く音が響いてきた。

 どうやら二階へ続く階段を上ったらしい。後を追う。足音はどんどんと上に向かっていて、三階を過ぎる。確かこの上は屋上、だよな? 昼は食事用に解放されているが、放課後は施錠されていて出られないはず。不思議に思いながらオレは階段を上った。誰かとの待ち合わせも考慮し、ちょっと気配を殺して。そして、屋上へ通じる階段の中ほどで立ち止まる。

 すぐ上で人の気配がする。

 そっと手すり付近から、屋上の扉が見える方へと顔をのぞかせた。そこには屋上の扉をジッと見つめて立つ、くしの姿。他には誰の姿もない。と言うことは、待ち合わせでここに?

 こんな人気のない場所での待ち合わせって言ったら……、もしかして櫛田には彼氏が居て、こっそりあいきしている? とすればここでジッとしていると、その彼氏と挟み撃ちにあう可能性がある。引き返すかどうか悩んでいると、櫛田がかばんをゆっくりと床に置いた。

 そして───。


「あ──────ウザい」


 あの櫛田が発したとは思えないほど、低く重い声だった。

「マジでウザい、ムカつく。死ねばいいのに……」

 呪文を、じゆの言葉を唱えるように、ぶつぶつと暴言をつぶやく。

「自分が可愛かわいいと思ってお高く止まりやがって。どうせアバズレに決まってんのよ。あんたみたいな性格の女が、勉強なんて教えられるわけないっつーの」

 櫛田がムカつくと言っている相手は……ほりきたか。

「あー最悪。ほんっと、最悪最悪最悪。堀北ウザい堀北ウザい、ほんっとウザいっ」

 クラス一の人気者で、誰の世話でも焼く優しい少女のもう一つの顔を見た気がした。彼女の誰にも見られたくないであろう姿だ。ここに留まるのは危険だと脳が告げる。

 しかし、ここで奇妙な疑問が生まれる。彼女に裏の顔があった、という部分はともかく、堀北に対してけん感を抱いていたなら、なぜ協力を引き受けたのだろうか。櫛田なら堀北の性格や言動がどんなものかは十分に理解できていたはず。最初からつだいを断るか、あるいは勉強会そのものは堀北に任せるとか、取れる手は幾つもあったはずなのに。

 強行し、無理してまで勉強会に参加した意味は何だったのだろうか。堀北と近づき仲良くなりたかった? あるいは参加者の誰かと親しくなりたかった?

 どうもそのどれもがしっくりと来ない。ストレスをめてまで勉強会に参加した理由が他になければ説明がつかない。

 いや……この兆候は、思いがけないほど初めのうちからあったのかも知れない。

 オレ自身、そこまで深くは考えていなかったが、この櫛田の状態からして、1つのピースが当てはまった気がした。もしかして、櫛田と堀北は───。

 ともかく、今はここを離れるべきだろう。櫛田も暴言を吐いている姿を、他人に見せたくなんてないはずだ。気配を殺したまま、すぐにこの場を離れることにした。

 ガンっ!

 夕暮れ時の学校に、扉をる音は想像以上に大きく響き渡った。思わぬ大きな音。櫛田も少しやり過ぎたと思ったのか、一瞬身を固くし息を殺した。それがあだになった。誰かに聞かれたんじゃないかと振り返ったくしの視線の先には、わずかにオレが映りこんだ。

「……ここで……何してるの」

 僅かな沈黙の後、櫛田の冷ややかな声が聞こえる。

「ちょっと、道に迷ってさ。いや、悪い悪い。オレはすぐ立ち去るよ」

 うそくさいほどの嘘をついて、櫛田の目を見つめる。見たこともない強烈な視線だった。

「聞いたの……」

「聞いてないって言ったら信じるか?」

「そうだね……」

 つかつかと、櫛田が階段を降りてくる。そして、自ら左の前腕をオレの首元にあてがい、壁に押し付けた。口調も、行動も、すべてオレの知る櫛田ではなかった。

 今の櫛田は、ほりきたとは比較にならないほど恐ろしいぎようそうをしている。

「今聞いたこと……誰かに話したら容赦しないから」

 とても、脅しとは思えないほど、冷たい感情の籠った言葉。

「もし話したら?」

「今ここで、あんたにレイプされそうになったって言いふらしてやる」

えんざいだぞ、それ」

「大丈夫よ、冤罪じゃないから」

 有無を言わせぬ迫力が、そこにはあった。

 そう言うと、櫛田は今度はオレの左手首をつかみ、ゆっくりと手のひらを開かせる。自らの手をオレの手の甲に添える。そして、オレの手を自らの胸元へと持っていく。

 柔らかな感触が、手の平全体を通じて伝わって来る。

「……お前、何やってんだよ」

 想定外の行動に、急ぎ手を引こうとするが、上から押さえつけられる。

「あんたの指紋、これでべっとりついたから。証拠もある。私は本気よ。分かった?」

「……分かった。分かったから手を離せ」

「この制服はこのまま洗わずにに置いておく。裏切ったら、警察にき出すから」

 しばらくの間、手を固定されたまま、櫛田ににらみつけられる。

「約束よ」

 念を押すように言い、櫛田はオレから距離を取った。

 人生で初めて触れた女性の胸、その感触なんてもう覚えていない。

「なあ櫛田。どっちが本当のお前なんだ?」

「……そんなこと、あんたには関係ない」

「そうだな……。ただ、今のお前を見てどうしても気になった。堀北のことが嫌いなら自分からかかわる必要はないだろ」

 こんなことを聞くつもりなんてなかった。聞けばくしが嫌がることも分かっていたつもりだった。でも、何が櫛田をそうさせているのかが、気になったからだった。

「誰からも好かれるよう努力することが悪いこと? それがどれだけ難しくて大変なことか、あんたに分かる? 分かるわけないよね?」

「オレはともだちが少ないからな、分からないな」

 櫛田は入学初日から消極的な子に話しかけるのはもちろん、連絡先を交換しては遊びにも誘っていた。それがどれだけ大変で手間のかかることかは、想像すれば誰にでも分かる。

「たとえほりきた……堀北さんのような人でも、私は表向き仲良くしていたいの」

「ストレスを抱えて、でもか」

「そうよ。それが私が望む生き方。自分の存在意義を実感することが出来るから」

 迷わず答えた。櫛田には、櫛田にしか分からない考え、ルールがある。そう言うことか。そのルールに添って、必死に堀北と仲良くなろうと試行錯誤している。

「この際だから言っておくけど、あんたみたいな暗くて地味な男、すごく嫌い」

 今までの可愛かわいい印象を持っていた櫛田の幻想は打ち砕かれてしまったが、ショックを受けている場合じゃない。人は多かれ少なかれ本音と建前を使い分けているものだ。

 でも櫛田の答えは、本当のことでもあり、うそでもある気がした。

「これはオレの勘だけど、お前堀北と知り合いなんじゃないのか? この学校以前の」

 そう口にした瞬間本当にわずかにだが、くしの肩がぴくっと反応したのを見逃さなかった。

「なにそれ……意味わかんない。ほりきたさんが私のこと何か言ってた?」

「いや、櫛田と同じで初対面っぽい印象は受けてる。でも、少しおかしいとも思ってる」

「……おかしい?」

 オレは初めて櫛田が話しかけてきた時のことを思い出していた。

「まだ入学して間もないオレのことを、自己紹介を聞いて名前を覚えてくれたんだよな?」

 それがどうかしたの、と櫛田は無表情で聞き返す。

「だったら堀北の名前はどこで知ったんだよ。あの時、あいつはまだ誰にも名前は名乗ってなかった。唯一知ってたとすれば須藤くらいだが、須藤と接点はなかったはずだ」

 つまり名前を知る機会なんて無かったに等しい。

「それにオレに接近してきたのも、探りを入れるためだったんじゃないのか?」

「もういい、黙って。これ以上あやの小路こうじくんと話してるとイライラしてくるから。私が言いたいのは一つだけ。今ここで知ったことを、誰にも話さないって誓えるかどうか」

「約束する。それに、もしオレがお前のことを話しても誰も信じないさ。だろ?」

 櫛田はそれだけクラスの連中に信頼されている。オレとは天と地ほどの差がある。

「……わかった。綾小路くんを信じる」

 表情は崩さなかったが、櫛田は一度目を閉じた後、ゆっくりと息を吐いた。

「オレを信じられる要素なんてあるのか?」

 本当に余計だ。自分でそう思っても、口に出してしまったものは仕方ない。

「堀北さんって、変わってるでしょ?」

「まあ、ものすごく変わってるな」

「誰ともかかわろうとしないし、それどころか他人を遠ざけようとしてる。私とは正反対」

 確かに、堀北と櫛田は、真逆に位置するかも知れない。

「そんな堀北さんが、綾小路くんにだけ心を許してる」

「ちょっと待て。そこだけは素早く訂正させてくれ。心は絶対許してない。絶対にだ」

「……かも。でも、少なくともクラスの誰よりも信頼してるはず。そんな警戒心の強い堀北さんが信頼してるってこともそうだし、何より私は、同い年のともだちの中じゃ、一番沢山の人と接点を持ってきた自信がある。それこそ、くだらない人間から、信じられないくらい優しい人間までね」

「つまり人を見る目は確か、ってことか?」

「私が信じるって言った理由。綾小路くんは基本的に、他人に無関心でしょ?」

 そんな素振りを見せた覚えはなかったのに、櫛田は確信を持っているようだった。

「別に不思議なことじゃないよ。バスで老人に席を譲る気配、全然なかったもん」

 なるほど、そういうことか。こいつはあの状況下でオレたちのことをしっかり把握していたのだ。それこそ、席を譲る譲らないを、どうとらえているかまで。

「だから無駄に言いふらしたりしない。そう思えたから」

「そんなに自信があるなら、わざわざ胸、触らせることはなかっただろ」

「それは───さすがに、慌てたって言うか。一瞬パニックになって……」

 固かった表情がちょっと崩れ、焦りに変わる。

「とりあえず、くしは男に平気で胸を触らせるビッチ認定ってことでよろしいか?」

 直後、思い切り太ももをり飛ばされた。慌てて手すりにつかまる。

「危なっ! 落ちたらするぞ!」

「バカ言うからだよ!」

 顔を(羞恥ではなく怒り)にして、みつく勢いで怒鳴られた。

「とりあえず、ちょっと待ってて」

 怒った顔のままでそう言われ、オレは小さくうなずくだけだった。

 階段を上がると、櫛田はすぐにかばんを持って降りて来た。満面のがおで。

「一緒に帰ろっか」

「あ、ああ」

 悪い夢じゃないかと思うくらい櫛田の態度はがらりとひようへんしていた。いつもの櫛田だ。一体どっちの櫛田が本当の櫛田なのか、今のオレには判断がつかなかった。


    7


 明日からDクラスはどうなっていくんだろうな。半ばごとのように感じながら、オレは虚無的な感情でバラエティ番組を見ていた。携帯にグループチャットが飛んでくる。

 とうがグループに参加しました、という文字。確かクラスのイケイケ女子の一人だ。

『やっほー。向こうでいけくんと話してたんだけど、こっちにお呼ばれしちゃいました』

 オレは何を打つでもなく、ただボーっと仲間のチャットを眺める。

『今日のこと聞いたよー。ほりきたのヤツ、マジムカつかない?』

『今日のは俺もカチンと来た。須藤なんてマジギレだったよな。なぐるかと思った』

『明日見たら、殴るかも知れねぇ。それだけ今日のはムカついた』

『あははは、殴ったりしたら大問題だってw それはさすがにやり過ぎ』

『あのさ、相談があるんだけど。明日から徹底的に堀北を無視しない?』

『いや、いつもこっちが無視されてんじゃん(笑)』

『なんか仕返ししないと気がすまない。いっそいじめて泣かしちゃう? 上履き隠したり』

『子供かっつーのwww けど、慌てる姿はちょっと見てみたいかも』

 どうやら、佐藤を交えた池たちのグループチャットは、堀北の話題で持ち切りだった。

『ねえ、あやの小路こうじくんもやらない? ほりきたのいぢめw』

『綾小路は堀北に夢中だから無理じゃね?』

『お前、俺たちと堀北、どっちの味方につくんだよ』

 皆が堀北に対し、いらちを募らせてしまったのは仕方のないことだ。誰だってあんな対応をされたら嫌いになってしまう。ただなぐるのがやり過ぎで、無視や物を隠すことが許されるのは全く理解できない。どちらも等しくいじめでありそこには善悪の差なんてない。

『既読ついてるんだから、見てるよな? おーい、綾小路はどっちの味方だよ』

『オレはどっちの味方もしない。お前らが堀北を虐めても、別に止めはしないよ』

『出た中立。一番ずるいパターンw』

『どうとらえてもいいけど、あいつに構うだけ損だぞ。それこそ虐めの問題が学校に知られたら面倒なことになる。それだけは気を付けた方がいい』

『そうやって堀北かばうパターン?ワラ』

 チャットだと相手の顔が見えないから人は普段よりも強気になりやすい。もし面と向かっていたら、いけもこんな風にオレにはからんで来なかっただろう。

 ただ皆は堀北をエサに、そこから生まれる連帯感、安心感を感じたいだけ。

 これ以上無駄なやり取りをするだけ時間の無駄だ。手っ取り早く話をわらせるか。

くしがこの話を聞いたら、お前嫌われるな。ワラ』

 そう返して携帯を閉じる。すぐに着信が鳴るがほうっておく。男連中はこれでかつなことはしないだろう。とうも池たちの協力なしに不用意なことはしないだろうし。

 の窓を少し、開ける。植えられた木々から虫の鳴き声が聞こえる。ジ───、と鳴いているのはクビキリギスだろうか。かすかに吹き付ける夜の風が、小さく窓を揺らした。

 入学式の日、堀北に出会って、それが偶然同じクラス、隣の席の生徒で。気が付いたらどうや池たちとともだちになってて。おまけに学校のわなにまんまと引っかかって、どん底にたたとされて。それを救済すべく動いたはずの堀北は、性格が災いして孤立を深めて、今に至っては他の連中が陰湿な虐めの話で盛り上がっている。

 そんな状況を誰よりも間近で見ていたはずなのに、オレはどこか浮遊感を感じていた。

 違うな、浮遊感は誤用だ。けして心地よい気分なんかじゃない。ただ、漠然と宙に浮いている感覚。須藤たちが退学の危機を肌で感じていないように、オレは今周囲で起こっている出来事を、まだどこかでごとだと思っていて、ピンと来ていないんだ。

『力を持っていながら、それを使わないのは愚か者のすることだ』

 思い出したくもないのに、あいつの言葉がオレの頭を過った。

「愚か者……なんだろうなぁ、オレはやっぱり」

 窓を閉めると、やけにテレビから漏れる笑い声がみみざわりだった。


    8


 何となく寝付けそうになかったオレは、身体からだを起こしを出た。

 ロビーに置かれた自販機で適当なジュースを一本購入してエレベーターの前に戻る。

「ん?」

 一階にあったエレベーターが7階に止まっている。何となく気になったオレは、エレベーター内の映像が映るモニターを見た。制服姿のほりきたが映っている。

「……別に隠れる必要はないんだけどな」

 顔を合わせづらいと感じたオレは、自販機の陰に身を潜めた。堀北は1階に降りて来た。

 周囲を警戒しながら堀北は寮の外へと出ていく。やみに姿が消えたのを確認して、オレは後を追った。だが、寮の裏手の角を曲がりかけたところで、思わず身を隠した。

 堀北の足が止まったのだ。そして、そこにはもう一つの影があった。

すず。ここまで追って来るとはな」

 こんな時間にどこに行くのかと思えば、男と落ち合う予定だったのか。

「もう、兄さんの知っている頃のダメな私とは違います。追いつくために来ました」

「追いつく、か」

 兄さん? 暗がりで姿はよく見えないが、話し相手は堀北の兄貴なのか。

「Dクラスになったと聞いたが、3年前と何も変わらないな。ただ俺の背中を見ているだけで、お前は今もまだ自分の欠点に気づいていない。この学校を選んだのは失敗だったな」

「それは───何かの間違いです。すぐにAクラスに上がって見せます。そしたら───」

「無理だな。お前はAクラスにはたどり着けない。それどころか、クラスも崩壊するだろう。この学校はお前が考えているほど甘いところではない」

「絶対に、絶対にたどり着きます……」

「無理だと言っただろう。本当に聞き分けのない妹だ」

 堀北の兄貴は、一歩距離を詰める。陰から、ゆっくりとだが姿を見せる。

 それは、生徒会の会長を務めていると名乗ったあの堀北だった。

 その表情には一切の感情が無く、ただ興味のない存在を見る瞳をしていた。

 堀北の兄貴は無抵抗な妹の手首をつかみ、強く壁に押し付けた。

「どんなにお前を避けたところで、俺の妹であることに変わりはない。お前のことが周囲に知られれば、恥をかくことになるのはこの俺だ。今すぐこの学校を去れ」

「で、出来ません……っ。私は、絶対にAクラスに上がって見せます……!」

「愚かだな、本当に。昔のように痛い目を見ておくか?」

「兄さん───私は───」

「お前には上を目指す力も資格もない。それを知れ」

 ほりきた身体からだがぐっと前に引かれ、宙に浮いた。直感的に危険だと判断する。

 オレは堀北に怒られることを覚悟で物陰から飛び出すと、堀北の兄貴に迫った。

 気配を悟られる前に、堀北の手首をつかむ兄貴の右腕を掴みとり、動きを制限した。

「───何だ? お前は」

 掴まれた自分の腕を見た後、ゆっくりとオレへと鋭い眼光を向けた。

「あ、あやの小路こうじくん!?」

「あんた、今堀北を投げ飛ばそうとしただろ。ここはコンクリだぞ、わかってんのか。兄妹だからってやって良いことと悪いことがある」

「盗み聞きとは感心しないな」

「いいからその手を離せ」

「それはこちらのセリフだ」

 オレと兄貴はにらい、少しの間沈黙が襲う。

「やめて、綾小路くん……」

 堀北の絞り出した声。こんな状態の堀北をオレは一度も見たことがない。

 渋々、ゆっくりと兄貴の腕を放した。その瞬間とてつもない速度の裏拳が、オレの顔目がけて飛んでくる。ヤバイと直感し、身体を半身にしのけぞるようにして避けた。細い身体してえげつない攻撃だ。さらに、急所をねらった鋭いりが飛んできた。

「っぶね!」

 当たれば、一発で意識を失ってしまうだろう威力だと分かる。ほりきた兄はわずかに疑問の表情を見せ、呼気を吐くと右手をぐ、開いた状態で伸ばして来る。

 つかまれれば、地面にたたきつけられる。そう直感し、左手の裏ではたくようにして流す。

「いい動きだな。立て続けに避けられるとは思わなかった。それに、俺が何をしようとしたのかも、よく理解している。何か習っていたのか?」

 ようやく攻撃をめ、そう問いかけて来た。

「ピアノと書道なら。小学生の時、全国音楽コンクールで優勝したこともあるぞ」

「お前もDクラスか? 中々ユニークな男だな。すず

 兄貴はゆっくりとこちらに向き直った。

「堀北と違って、無能なんでね」

「鈴音、お前にともだちが居たとはな。正直驚いた」

「彼は……友達なんかじゃありません。ただのクラスメイトです」

 否定するように、堀北は兄を見上げる。

「相変わらず、孤高と孤独を履き違えているようだな。それからお前。あやの小路こうじ、と呼ばれていたな。お前が居れば、少しは面白くなるかも知れないな」

 そのままオレの横を通り過ぎ、やみへと消えていく。異彩を放つ生徒会長。あの時堀北の様子がおかしかったのは、兄貴を見つけたからだったんだろう。

「上のクラスに上がりたかったら、死にもの狂いでけ。それしか方法は無い」

 堀北の兄貴が去り、夜の静けさに包まれた。堀北は壁ぎわに座り込んでうつむいてしまっている。余計なこと、しちまったかな。黙って寮に戻ろうとすると、堀北に呼び止められる。

「最初から、聞いていたの……? それとも偶然?」

「いや、なんつーか、半分偶然だ。自販機でジュース買ってたら外に行くお前が見えてさ。ちょっと気になって追いかけた。ただ、立ち入るつもりはなかった、これは本当だ」

 また、堀北は黙り込んでしまう。

「お前の兄さん、あれ相当強いだろ。殺気とか半端なかったし」

「空手……5段、合気道4段だから」

 うへえ、そりゃ強いわけだ。引いてくれなかったら大惨事になってたぞ。

「綾小路くん、あなたも何かやってたでしょう。それもかなりの有段者」

「言っただろ? ピアノと茶道をやってたって」

「さっきは書道って言ってたわよ」

「……書道もやってたんだ」

「テストの点数をわざとそろえたり、ピアノや書道やってるって言ったり。あなたのこと良く分からない」

「点数は偶然そろっただけだし、ピアノや茶道、書道はマジでやってたんだって」

 ここにピアノでもあれば、エリーゼのためにくらい演奏してやるところだ。

「あなたには、変なところを見られちゃったわね」

「むしろほりきたも普通の女の子なんだってわかって良かっ───何でもありません」

 思い切りにらまれた。

「戻りましょう。この場を誰かに見られたら誤解を生みかねないし」

 確かに。真夜中に男女が二人きりなんて、絶対に変なうわさが立つ。

 ましてオレと堀北は、ただでさえその関係に探りを入れられてる状態だし。

 ゆっくりと立ち上がった堀北は、寮のエントランスへと歩き出す。

「あのさ……お前、本当にもう勉強会はいいのか?」

 話を切り出すなら今しかないと思い、オレは思い切って声をかけてみることにした。

「どうしてそんなことを聞くの? 元々は私が開くと言った勉強会よ。おつくうに感じていたあなたが気にするようなことじゃない。違う?」

「後味が悪いだろ。クラスの連中ともちょっと険悪になったと言うか」

「気にしていないもの。こんなことは慣れてるから。それに大半の赤点組はひらくんが拾い上げた。彼も勉強は出来るし、人付き合いが得意みたいだから、私と違って親身に教えてくれるはず。少なくとも今回はボーダーラインをクリアさせてくるはずよ。だけど私は赤点保持者に時間を割くだけ無駄だと判断した。卒業まで同じようにテストは繰り返される。その度に赤点を取らないようにカバーするなんて、愚の骨頂よ」

どうたちは、平田から距離を置いてるぞ。勉強会に参加するとは思えない」

「それは彼らが判断することであって、私には無関係ね。それに、退学が迫れば、四の五の言ってられないでしょうし。それでも平田くんにすり寄れないなら、退学してもらうだけ。確かに私はDクラスをAクラスに引き上げることを目標にした。でも、それは私自身のためであって、誰かのためなんかじゃない。他がどうなろうと関係ないわ。むしろ、今回の中間テストで赤点組を切り捨ててしまえば、残ったのは必然的にマシな生徒だけになるでしょう? 上のクラスを目指すことも容易たやすくなる。願ったりかなったりね」

 堀北が間違っているとは思わない。この退学の危機はそもそも、赤点を取ってしまう生徒が悪い。だけど、オレは妙にじようぜつな堀北に対し、言葉を続けずにはいられなかった。

「堀北、その考え方は間違ってるんじゃないか?」

「間違ってる? 私のどこが間違ってると言うの。まさかクラスメイトを見捨てる人間に未来はない、なんて寝言を言うわけじゃないわよね?」

「安心しろ。お前にそんな言葉が通じないことくらい、もう十分理解してる」

「じゃあ? 赤点組を救うメリットなんて、何もありはしないわ」

「確かにメリットは少ないかもな。だが、デメリットを防ぐことは出来る」

「……デメリット?」

「学校側が、お前の考えに辿たどかないとでも思ってるのか? 遅刻や授業中の手遊び一つでマイナスポイントを付ける連中だぞ。クラスから安易に退学者を出してみろ。一体どれくらいのマイナスが付けられると思う」

「それは────」

「もちろん、情報が開示されていない以上、根拠はない。でも、十分に可能性はあると思わないか? 100か? 1000か? あるいは1万10万なんてマイナスの可能性もある。そうなればお前のAクラスへの到達は困難になるだろうな」

「遅刻や私語等のマイナスは、0以下にはならないわ。0の状態である今こそ、勉強の出来ない生徒を排除した方がいい。ほぼダメージは無いのと同じじゃない」

「そうである保証はどこにもないだろ。見えないマイナスが残ってる可能性は十分ある。そんな危険なリスクを放置しても良いと本気で思うのか? つか……頭の良いお前が、その考えに辿り着いてないわけないよな。そうじゃなきゃ、そもそもお前が勉強会を開くと言いだすはずがない。赤点組なんて最初から見捨てておきゃよかったんだし」

 オレは少し高揚と言うか、気持ちが高ぶっているのをどこかで感じていた。多分それは、こいつのことをともだちだと、勝手に思い込んでいるからかも知れない。だからこそ安易な決断をして後悔してほしくないと、そう思っているんだ。

「よしんば見えないマイナスがあるとしても、赤点組を切り捨てた方が、将来的にクラスのためになる。これから先ポイントが増えてきた時、彼らを切り捨てなかったことを後悔するのは嫌でしょう? 今このタイミングで、リスクを取っておくべきよ」

「本当にそう思うのか?」

「ええ、本当よ。必死に彼らを救おうとするあなたの考え、理解に苦しむわ」

 エントランスから、エレベーターに乗り込もうとしたほりきたの手首を、オレはつかんだ。

「なに? まだ反論があるの? この問題は、私たち二人で解決できることじゃない。結局答えを知っているのは学校側だけなのだから、押し問答になるだけよ。あなたが好きに解釈していいように、私も好きに解釈をする。それだけのことでしょう?」

「随分とじようぜつだよな。こんなにしやべるヤツだとは思わなかった」

「それは……あなたがしつこいからよ」

 普段の堀北であれば、オレの制止なんて絶対に聞き入れないだろう。

 こんな風に強引に引き留めでもしたら、鋭い一撃を見舞われてもおかしくない。でもそれをしないということは、堀北自身、このままじゃいけないと感じている証拠だ。だから手を振り払わない。もちろん、本人にその自覚は無いかも知れないが。

「オレと堀北が出会った日。バスでの出来事のことは、覚えてるか?」

「老人に席を譲らなかった時のことよね、それは」

「ああ。あの時、オレは老人に席を譲ることの意味を考えてた。席を譲る、譲らない。どちらが正しい答えなのか」

「最初に言ったはずよ。私は意味がないと思ったから譲らなかった。老人に報いたところで、何のメリットもないし、ただ労力と時間を浪費するだけ」

「メリット、か。お前はあくまでも損得で行動をするってことだよな」

「いけない? 人は多かれ少なかれ、打算的な生き物よ。商品を売ればお金をもらうし、恩を売れば恩で返してもらう。席を譲ることで社会貢献という愉悦を得る。違う?」

「いいや、間違っちゃいないさ。それが人間だと、オレもそう思う」

「だったら───」

「お前がその信念を持ち続けているのなら、ちゃんと物事を、視野を広く見ろ。今のお前は怒りと不満で、何にも前が見えちゃいない」

「何様のつもり? あなたに、私をとやかく言うだけの実力があるとでも?」

「オレの実力がどうであれ、お前には見えちゃいないことが、一つだけオレには見える。それはほりきたすずという、一見かんぺきそうに見える人間の欠点だ」

 堀北は鼻で笑う。自分に欠点があるのなら、言ってみろと言わんばかりだ。

「お前の欠点を教えてやるよ。それはお前が、他人を足手まといだと決めつけ、最初から寄せ付けずき放してることだ。相手を見下すその考え方こそ、お前がDクラスに落とされた決定打なんじゃないのか?」

「……それじゃまるで、どうくんたちが私と対等だと言いたげね」

「なら、お前にあいつらが対等じゃないと言い切れるのか?」

「そんなの、テストの点数を見れば一目瞭然よ。それこそがクラスのお荷物である証拠」

「確かに勉強って意味じゃ、須藤たちは堀北に二歩も三歩も遅れをとってる。猛勉強したところで、お前を抜くことは難しいだろうさ。けど、それはあくまでも机の上での話だろ。学校側が見ているのは、知識面だけじゃない。もしも今回、学校側の試験がスポーツ関連だったら、こんな結果にはならなかった。違うか?」

「それは───」

「堀北も運動は出来る。水泳を見た限り女子でも上位だ。立派だよ。でも、須藤の身体能力だって、ひいでたものがあるのは一緒にいたお前も分かってるはずだ。いけだって、お前にはないコミュニケーション能力を持ってる。今回が対話をベースとした試験だったなら、池はきっと役に立った。逆にお前はクラスの足を引っ張ったかも知れない。じゃあ、お前は無能になるのか? 違うだろ。人にはそれぞれ、得意不得意がある。それが人間だ」

 堀北は反撃しようとしたが、のど元まで出かかった言葉がつぶやかれることはなかった。

「……根拠に乏しいわ。あなたの話は、すべて机上の空論に過ぎない」

「根拠がないのなら、今ある材料で結果を予測する必要がある。なら、ちやばしら先生が言った言葉をよく思い返してみろよ。指導室に呼ばれた時、ちやばしら先生はこう言ったはずだ。『学力に優れた者が優秀なクラスに入れると誰が決めた』と。ここから導き出される結果は、学力以外にも求められているものがある、と言うことだ」

 右へ、左へと論理を展開し逃げようとするほりきたを、オレもまた後を追い、先に回り込むようにして抑え込む。そうしなきゃあっさりと逃げ切られてしまう。

「お前は赤点組を切り捨てた方が後悔しないと言ったが、逆も然りだ。どうたちを失って後悔する日が来ることだって、十分にある」

 堀北と、目と目が合う。今現実に手を握っているだけじゃなく、意識間でつながった。オレはその手ごたえを感じ取る。

「あなたこそ随分とじようぜつね。とても事なかれ主義の発言とは思えないわ」

「かもな」

「あなたの話、悔しいけれどおおむね正しいわ。そう思わせるだけの説得力があった。その点は認める。でも、まだに落ちないのも確かよ。それは、あなたの真意。あなたにとってこの学校は何なの? 何のためにそんなに必死になって私を説得するの?」

「……なるほど、そう来たか」

「人を説く以上、説く人物に説得力が無ければ、ずる賢い理論も破たんする」

 オレが必死になって堀北を説得し、須藤たちを退学させまいと動く理由を求めている。

「今までの建前は抜きにして、その理由が知りたいの。ポイントのため? ひとつでも上のクラスに上がるため? それとも、ただともだちを救うため?」

「知りたいからだ。本当の実力って奴が何なのか。平等ってのが、何なのかを」

「実力と、平等……」

「オレはその答えを探すために、この学校に来た」

 頭の中ではくまとまっていなかったのに、するりと口からこぼれ出た言葉だった。

「手、離してもらえる?」

「ああ、悪い」

 少し力の籠っていた手を離すと、堀北はくるりと振り返りオレの正面に立った。

「まさか、あやの小路こうじくんに言いくるめられるなんてね」

 そう言って、堀北はオレに向かって手を差し伸べてきた。

「私は私自身のために須藤くんたちの面倒を見る。彼らを残すことでこれから先有利に運ぶことに期待しての打算的な考え。それでもいい?」

「安心しろ。お前がそれ以外で動くとは思ってない。その方が堀北らしいし」

「契約成立ね」

 オレは堀北の手を取った。

 もっとも、この契約が悪魔との契約だと知るのは、後日のことだった。

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