〇ようこそ、実力至上主義の世界へ

 5月最初の学校開始を告げる始業チャイムが鳴った。程なくして、手にポスターの筒を持ったちやばしら先生がやって来る。その顔はいつもよりも険しい。生理でも止まったんですか? なんてジョークをかましたら、鉄バットで顔面をフルスイングされそうだ。

「せんせー、ひょっとして生理でも止まりましたー?」

 いけがまさかの発言を繰り出す。つか、オレと池の思考が一緒だったことにショックだ。

「これより朝のホームルームを始める。が、その前に何か質問はあるか? 気になることがあるなら今聞いておいた方がいいぞ?」

 茶柱先生は池のセクハラに一切構わず、そんなことを言った。生徒たちからの質問があることを確信しているかのような口ぶりだ。実際、数人の生徒がすぐさま挙手した。

「あの、確認したらポイントが振り込まれてないんですけど、毎月1日に支給されるんじゃなかったんですか? 今朝ジュース買えなくて焦りましたよ」

ほんどう、前に説明しただろ、その通りだ。ポイントは毎月1日に振り込まれる。今月も問題なく振り込まれたことは確認されている」

「え、でも……。振り込まれてなかったよな?」

 本堂ややまうちたちは顔を見合わせた。池は気づいていなかったらしく驚いていた。確かに今朝、ポイントを確認しようと思ってチェックしたら、昨日きのうまでと全く同じ、つまり新しいポイントは振り込まれていなかった。てっきり後で振り込まれるものだと思っていたが。

「……お前らは本当に愚かな生徒たちだな」

 怒り? あるいはよろこびか? 不気味な気配をまとった茶柱先生。

「愚か? っすか?」

 間抜けに聞き返す本堂に、茶柱先生は鋭い眼光を向ける。

「座れ、本堂。二度は言わん」

「さ、ちゃん先生?」

 聞いたことがない厳しい口調に本堂は腰が引け、そのままズルっとに収まった。

「ポイントは振り込まれた。これは間違いない。このクラスだけ忘れられた、などという幻想、可能性もない。わかったか?」

「いや、分かったかって言われても、なあ? 実際に振り込まれてないわけだし……」

 本堂は戸惑いながらも、不満げな様子を見せる。

 もし、茶柱先生の言うように振り込まれたのが事実だとしたら……。

 それが矛盾ではないとしたら? 振り込まれた結果が、0ポイントなんだとしたら?

 そんな疑問がかすかに、だが確実に膨れ上がっていく。

「ははは、なるほど、そういうことだねティーチャー。理解出来たよ、このなぞ解きがね」

 こうえんが声高らかに、笑った。そして足を机に乗せ、偉そうな態度で本堂を指さした。

「簡単なことさ、私たちDクラスには1ポイントも支給されなかった、ということだよ」

「はあ? なんでだよ。毎月10万ポイント振り込まれるって……」

「私はそう聞いた覚えはないね。そうだろう?」

 ニヤニヤと笑いながら、高円寺はちやばしら先生にもその堂々とした指先を向けた。

「態度には問題ありだが、高円寺の言う通りだ。全く、これだけヒントをやって自分で気がついたのが数人とはな。嘆かわしいことだ」

 教室の中は、突然の出来事、報告に騒然としだした。

「……先生、質問いいですか? に落ちないことがあります」

 ひらが手を上げる。自分のポイントを守るため、ではなく不安に包まれるクラスメイトを心配しての挙手に見えた。流石さすがはクラスのリーダー。こんな時も率先して行動する。

「振り込まれなかった理由を教えてください。でなければ僕たちは納得出来ません」

 確かに、ポイントが振り込まれなかったのか、その詳細が一切不明だ。

「遅刻欠席、合わせて98回。授業中の私語や携帯を触った回数391回。ひと月で随分とやらかしたもんだ。この学校では、。その結果お前たちは振り込まれるはずだった10万ポイントすべてを吐き出した。それだけのことだ。

 入学式の日に直接説明したはずだ。この学校は実力で生徒を測ると。そして今回、お前たちは0という評価を受けた。それだけに過ぎない」

 ちやばしら先生はあきれながらも感情の無い機械的な言葉を発する。この学校に来てからの疑問がありがたいことに次々解決していく。最悪の形で、ではあるが。

 つまり、スタートダッシュでもらった10万という巨額のアドバンテージを、オレたちDクラスはひと月で失ってしまったということだ。

 カリカリと鉛筆の動く音が聞こえる。ほりきたが冷静に事態の掌握を計ろうとしているようで、遅刻欠席の回数や、私語の回数をメモしているようだった。

「茶柱先生。僕らはそんな話、説明を受けた覚えはありません……」

「なんだ。お前らは説明されなければ理解出来ないのか」

「当たり前です。振り込まれるポイントが減るなんて話は聞かされてなんていませんでした。説明さえして貰えていたら、皆遅刻や私語なんかしなかったはずです」

「それは不思議な話だなひら。確かに私は振り込まれるポイントがどのようなルールで決められているかを説明した覚えはない。しかし、お前らは学校に遅刻するな、授業中に私語をするなと、小学校、中学校で教わってこなかったのか?」

「それは……」

「身に覚えがあるだろう。そう、義務教育の9年間、嫌と言うほど聞かされてきたはずだ。遅刻や私語は悪だと。そのお前らが、言うにことかいて説明されてなかったから納得できない? 通らないな、その理屈は。当たり前のことを当たり前にこなしていたなら、少なくともポイントが0になることはなかった。全部お前らの自己責任だ」

 反論のしようなどない、絶対的な正論だった。誰もが知っている、一番簡単な善悪。

「高校一年に上がったばかりのお前らが、何の制約もなく毎月10万も使わせてもらえると本気で思っていたのか? 日本政府が作った優秀な人材教育を目的とするこの学校で? ありえないだろ、常識で考えて。なぜ疑問を疑問のまま放置しておく?」

 その正論に平田は悔しそうな姿を見せるが、すぐに先生の目を見た。

「では、せめてポイント増減の詳細を教えて下さい……。今後の参考にします」

「それはできない相談だな。人事考課、つまり詳細な査定の内容は、この学校の決まりで教えられないことになっている。社会も同じだ。お前が社会に出て、企業に入ったとして詳しい人事の査定内容を教えるかいなかは、企業が決めることだ。しかし、そうだな……。私も憎くてお前たちに冷たく接しているわけじゃない。あまりに悲惨な状況だ、一つだけいい事を教えてやろう」

 今日きよう初めて、薄い笑みを見せた茶柱先生。

「遅刻や私語を改め……仮に今月マイナスを0に抑えたとしても、ポイントは減らないが増えることはない。つまり来月も振り込まれるポイントは0ということだ。裏を返せば、どれだけ遅刻や欠席をしても関係ない、という話。どうだ、覚えておいて損はないぞ?」

「っ……」

 ひらの表情がより一層暗くなる。一部の生徒は意味を理解できなかったようだが、そんな説明はほぼ逆効果だ。遅刻や私語を改めようという生徒の意識ががれる。それが、ちやばしら先生の、いや、学校のねらいなのか。

 話の途中だがチャイムが鳴り、ホームルームの時間がわりを告げる。

「どうやら無駄話が過ぎたようだ。大体理解出来ただろ。そろそろ本題に移ろう」

 手にしていた筒から白い厚手の紙を取り出し、広げた。それを黒板にりつけ、磁石で止める。生徒たちは理解も及ばないまま、戸惑いながらぼうぜんとその紙を眺める。

「これは……各クラスの成績、ということ?」

 半信半疑ながらも、ほりきたはそう解釈した。多分合っている。

 そこにはAクラスからDクラスの名前とその横に、最大4けたの数字が表示されていた。

 オレたちDクラスは0。Cクラスが490。Bクラスが650。そして一番高い数字がAクラスの940。これがポイントのことだとすると、1000ポイントが10万円に値する、というところか。すべてのクラスが軒並み数値を下げている。

「ねえ、おかしいと思わない?」

「ああ……ちょっとれいすぎるよな」

 オレと堀北は貼り出された点数のある奇妙な点に気づいた。

「お前たちはこの1か月、学校で好き勝手な生活をしてきた。学校側はそれを否定するつもりはない。遅刻も私語も、全て最後は自分たちにツケが回って来るだけのこと。ポイントの使用に関してもそうだ。得たものをどう使おうとそれは所有者の自由。その点に関しても制限をかけていなかっただろう」

「こんなのあんまりっすよ! これじゃ生活できませんって!」

 今まで黙って聞いていたいけが、叫んだ。

 やまうちに至ってはきようかんをきわめている。あいつ、もう残りポイント0だったしな……。

「よく見ろバカ共。Dクラス以外は、全クラスがポイントを振り込まれている。それも一か月生活するには十分すぎるほどのポイントがな」

「な、なんで他のクラスはポイントが残ってんだよ。おかしいよな……」

「言っておくが不正は一切していない。この一か月、全てのクラスが同じルールで採点されている。にもかかわらず、ポイントでこれだけの差がついた。それが現実だ」

……ここまでクラスのポイントに差があるんですか」

 平田も貼り出された紙の謎に気が付いた。あまりに綺麗にポイント差が開いている。

「段々理解してきたか? お前たちが、何故Dクラスに選ばれたのか」

「俺たちがDクラスに選ばれた理由? そんなの適当なんじゃねえの?」

「え? 普通、クラス分けってそんなもんだよね?」

 おのおの、生徒たちは友人と顔を見合わせている。

「この学校では、優秀な生徒たちの順にクラス分けされるようになっている。最も優秀な生徒はAクラスへ。ダメな生徒はDクラスへ、と。ま、大手集団塾でもよくある制度だな。つまりここDクラスは落ちこぼれが集まる最後のとりでというわけだ。つまりお前たちは、最悪の不良品ということだ。実に不良品らしい結果だな」

 ほりきたの表情が大きくこわった。クラス分けの理由がショックだったためだろう。

 確かに優秀な人材は優秀な箱に、ダメな人材はダメな箱に詰めた方がいい。腐ったミカンが、良いミカンを腐らせることは間々あることだ。優秀な堀北が反感を抱くのは必然。

 でもオレはこれで良かったのかもな。これ以上下がることはないわけだし。

「しかし1か月ですべてのポイントを吐き出したのは過去のDクラスでもお前たちが初めてだ。よくここまで盛大にやったもんだと、逆に感心した。立派立派」

 ちやばしら先生のわざとらしい拍手が教室に響く。

「このポイントが0である限り、僕たちはずっと0のままということですね?」

「ああ。このポイントは卒業までずっと継続する。だが安心しろ、寮のはタダで使用できるし、食事にも無料のモノがある。死にはしない」

 必要最低限の生活は出来るかも知れないが、多くの生徒にとっては慰めにもならない。この一か月生徒たちはぜいたくざんまいの生活を送ってきた。急にそれを我慢しろと言うのは相当大変なことだ。

「……これから俺たちは他の連中にバカにされるってことか」

 ガン、と机の脚をったのはどう。クラス順に優劣が決まるのなら、当然一番下のDクラスがバカの集まりだと公言していることになる。卑下するのも無理はない。

「何だ、お前にも気にする体面があったんだな、須藤。だったら頑張って上のクラスに上がれるようにするんだな」

「あ?」

「クラスのポイントは何も毎月振り込まれる金と連動しているだけじゃない。このポイントの数値がそのままクラスのランクに反映されるということだ」

 つまり……仮にオレたちが500ポイントを保有していたら、DクラスからCクラスに昇級していた、ということか。本当に企業の査定のようだ。

「さて、もう一つお前たちに伝えなければならない残念な知らせがある」

 黒板に、追加するようにり出された一枚の紙。そこにはクラスメイト全員の名前が、ずらりと並んでいる。そして各名前の横には、またしても数字が記載されていた。

「この数字が何か、バカが多いこのクラスの生徒でも理解出来るだろう」

 カツカツとヒールで床を踏み鳴らし、生徒たちを一瞥する。

「先日やった小テストの結果だ。そろいも揃って粒ぞろいで、先生はうれしいぞ。中学で一体何を勉強してきたんだ? お前らは」

 一部の上位を除き、ほとんどの生徒は60点前後の点数しか取れていない。どうの14点という驚異的なものは無視するとして、その次がいけの24点だ。平均点は65点前後か。

「良かったな、これが本番だったら7人は入学早々退学になっていたところだ」

「た、退学? どういうことですか?」

「なんだ、説明していなかったか? この学校では中間テスト、期末テストで1科目でも赤点を取ったら退学になることが決まっている。今回のテストで言えば、32点未満の生徒は全員対象と言うことになる。本当に愚かだな、お前たちは」

「は、はあああああああ!?」

 真っ先にきようがくの声をあげたのは、その7人に該当する池たち。

 り出された紙には、7人で一番点数の高いきくの31点、その上に赤いラインが引かれていた。つまり菊地含め、それ以下の生徒は赤点ということだ。

「ふっざけんなよちゃん先生! 退学とか冗談じゃねえよ!」

「私に言われても困る。学校のルールだ、腹をくくれ」

「ティーチャーが言うように、このクラスには愚か者が多いようだねぇ」

 つめを研ぎながら、足を机の上に乗せたままのこうえんが偉そうに微笑ほほえむ。

「何だと高円寺! どうせお前だって赤点組だろ!」

「フッ。どこに目が付いているのかねボーイ。よく見たまえ」

「あ、あれ? ねえぞ、高円寺の名前が……あれ?」

 下位から順に、上位へと向かう視線。そして───たどり着いた、高円寺六助の名前。

 それは信じられないことに、上位も上位、同率首位の一人に名を連ねていた。その点数は90点。恐ろしく難度の高い問題を1つは解いていたということだ。

「絶対須藤とおんなじバカキャラだと思ってたのに……!」

 そんな驚嘆といやの入り混じった声が池以外からも聞こえた。

「それからもう一つ付け加えておこう。国の管理下にあるこの学校は高い進学率と就職率を誇っている。それは周知の事実だ。恐らくこのクラスの殆どの者も、目標とする進学先、就職先を持っていることだろう」

 それは当然のことだろう。この学校は全国でも屈指の進学、就職率。ここさえ卒業出来れば、通常では難しいとされる希望先にもすんなりと入れるとうわさされていた。日本最高峰のレベルを誇る東京大学ですら推薦で入れるらしいというまことしやかな噂があるほどだ。

「が……世の中そんない話はない。お前らのような低レベルな人間がどこにでも進学、就職できるほど世の中は甘くできているわけがないだろう」

 ちやばしら先生の言葉が教室に響き渡る。

「つまり希望の就職、進学先がかなう恩恵を受けるためには、Cクラス以上に上がる必要がある……と言うことですね?」

「それも違うなひら。この学校に将来の望みを叶えてもらいたければ、Aクラスに上がるしか方法は無い。それ以外の生徒には、この学校は何一つ保証することはないだろう」

「そ、そんな……聞いてないですよそんな話! 滅茶苦茶だ!」

 立ち上がったのは、ゆきむらと言うメガネをかけた生徒だった。テストではこうえんに並ぶ同率首位で、学力的には文句のつけようはない成績だ。

「みっともないねぇ。男が慌てふためく姿ほどみじめなモノは無い」

 そんな幸村の声をみみざわりとでも言わんばかりに、高円寺はため息をついて漏らした。

「……Dクラスだったことに不服はないのかよ。高円寺」

「不服? 不服に思う必要があるのか、私には理解できないねぇ」

「俺たちは学校側から、レベルの低い落ちこぼれだと認定されて、その上進学や就職の保証もないって言われたんだぞ、当たり前だ!」

「ふっ。実にナンセンス。これこそ愚の骨頂と言わざるを得ない」

 つめを研ぐ手を止めない高円寺。それどころか幸村に目を向けることすらしなかった。

「学校側は、私のポテンシャルを計れなかっただけのこと。私は誰よりも自分のことを評価し、尊敬し、尊重し、偉大なる人間だと自負している。学校側が勝手にD判定を下そうとも、私にとっては何の意味もなさないと言うことだよ。仮に退学にすると言うのなら、勝手にするがいい。後で泣きついて来るのは、100%学校側なのだからね」

 流石さすがは高円寺といったところか。男らしいと言うか唯我独尊と言うか。確かに学校側がAだのDだのと判定しているだけで、気にしなければ別にどうってことはない。頭脳や身体能力の高さから考慮するに、Aクラスの生徒全員が高円寺より上とも考えにくい。恐らくそれ以外の、この変わった性格のためDクラスに配属されたのだろう。

「それに私は学校側に進学、就職を世話してもらおうなどとはじんも思っていないのでね。高円寺コンツェルンの跡を継ぐことは決まっている。DでもAでもさいなことなのだよ」

 将来を約束されている男にとっては、確かにAクラスである必要性は皆無だ。

 幸村も反撃の言葉を失い、そのまま腰を下ろすしかなかった。

「浮かれていた気分は払しょくされたようだな。お前らの置かれた状況の過酷さを理解できたのなら、この長ったるいHRにも意味はあったかもな。中間テストまでは後3週間、まぁじっくりと熟考し、退学を回避してくれ。お前らが赤点を取らずに乗り切れる方法はあると確信している。出来ることなら、実力者に相応ふさわしい振る舞いをもって挑んでくれ」

 ちょっと強めに扉を閉めると、ちやばしら先生は今度こそ教室を後にした。

 がっくりとうな垂れる赤点組たち。いつも堂々としているどうも、舌打ちをしてうつむいた。


    1


「ポイントが入らないって、これからどうするんだよ」

「私昨日きのう、残りのポイント全部使っちゃったよぉ……」

 ちやばしら先生が居なくなってからの休み時間、教室の中は騒然、いや、ひどく荒れていた。

「ポイントよりもクラスの問題だ……ふざけんなよ。なんで俺がDクラスなんだよ……!」

 ゆきむらふんしたように声を荒げた。その額には汗も薄らと浮かんでいる。

「って言うか、そもそも私たち好きなところに進学できないわけ? じゃあ、何のためにこの学校に入ったの? ちゃん先生、私たちのこと、嫌いなのかな……?」

 他の生徒たちも、一様に混乱の色を隠せない。

「混乱する気持ちは分かるけど、いったん落ち着こう」

 教室の不穏な流れに危機感を覚えたひらが、周りを制そうと立ち上がる。

「落ち着くってなんだよ。お前も悔しくないのかよ、落ちこぼれだって言われて!」

「今はそう言われても、力を合わせて見返してやればいいじゃないか」

「見返す? そもそもこっちはクラス分けの時点で納得いってねーんだよ!」

「気持ちは十分分かるよ。でも、今ここでを吐いたって始まらないだろう?」

「なんだと?」

 幸村は距離を詰め、今にも平田の胸倉をつかみそうな勢いだ。

「落ち着いてよ二人とも。ね? きっと先生は私たちを奮い立たせるために厳しく言ったんじゃないかな?」

 くしだった。たいする二人の間に入ると、幸村の強く握られたこぶしに、そっと優しく手を添える。幸村もさすがに櫛田をさせるわけにもいかず、思わず半歩後ろに下がった。

「それにさ、まだ入学して1か月だよ? 平田くんの言うようにこれからみんなで頑張ればいいじゃない。私、間違ってること言ってるかな?」

「い、いや、それは……。確かに、櫛田の言うことも間違いではないが……」

 幸村の怒りは、既に半分近く雲散していた。櫛田の目は本気でDクラスの皆が協力し合えば、何とかなると訴えかけてきていた。

「そ、そうだよな。焦ること、ないよな? 幸村も平田もけんする必要ないって」

「……悪い。ちょっと冷静じゃなかった」

「いいんだ。僕の方こそもう少し言葉を選ぶべきだったよ」

 櫛田きようの存在が、このおざなりなカンファレンスにまとまりを持たせた。

 オレは携帯を引っ張り出し、黒板に張り出されたままの紙、そこに書かれたポイントを打ち込む。その姿を見ていたほりきたが不思議そうにのぞんできた。

「何をしているの?」

「どうにかしてポイントの詳細を割り出せないかと思ってさ。お前も色々メモってたろ」

 遅刻が、雑談が何ポイントマイナス、とかが分かれば対策も立てやすくなる。

「現段階で詳細を割り出すのは難しいんじゃない? それに、あなたがそれを調べたところで解決する問題とは思えない。このクラスは単純に遅刻や私語をし過ぎたのよ」

 ほりきたの言うように、今手持ちの情報だけじゃ判断は難しい。そしてさすがの堀北も焦りを感じているのか、いつものような冷静な態度にどこか欠けている気がした。

「お前も進学組か?」

「……どうしてそんなことを?」

「いや、AとDの差を聞いた時、ショックそうだったからな」

「そんなの、大なり小なり、このクラスにいる誰だってそうでしょう? 入学する前に説明があったならともかく、この段階で言われても納得なんて出来ない」

 ま、そうだな。恐らくDクラスだけじゃなく、CやBクラスの生徒からも不平不満が出ているに違いない。学校からすれば、A以外は落ちこぼれあつかいだ。それでも頑張れば上に手が届きそうなだけマシかも知れないが。

「オレとしちゃ、AだのDだの言う前に、ポイントの確保をしたいところだな」

「ポイントなんて副産物でしかないわ。無くても生活に支障は出ない。事実学校には随所に無料で利用できるものがあるでしょう?」

 今思えば、それはオレたちのようなポイントを失った者たちへの救済措置なんだろう。

「生活に支障は出ないねえ……」

 確かに生きていくだけなら問題はない。けどポイントでしか賄えない部分も多々ある。その代表例が娯楽だろう。その娯楽の欠如が、後々あだにならなければいいんだが……。

「先月、あやの小路こうじくんは幾ら使ったの?」

「ん? ああ、ポイントのことか。2万くらいかな、ざっくりとだけど」

 悲惨なのはポイントを使い切ってしまった生徒たちだろう。さっきから机の上でわめき散らしているやまうちとか。いけほとんどポイントを吐き出しているはずだ。

「気の毒だと思う反面、ごうとくともいうわね」

 確かに、計画性なく1月で10万使い切るのには少々問題がある。

「オレたちは一か月間、まんまと甘いエサにつられてたってことだな」

 毎月10万。そんなに甘いわけがないと思いつつも、つい浮かれていた。

「皆、授業が始まる前に少し真剣に聞いて欲しい。特にどうくん」

 まだ騒然とする教室で、ひらは教壇に立ち生徒の注目を集めた。

「チッ、なんなんだよ」

「今月、僕たちはポイントをもらえなかった。これは、今後の学校生活において非常に大きく付きまとう問題だ。まさか卒業まで0ポイントで過ごすわけにもいかないだろう?」

「そんなの絶対嫌!」

 一人の女子生徒が悲鳴にも似た叫びをあげる。ひらは優しくうなずいて同調する。

「もちろんだよ。だからこそ、来月は必ずポイントを獲得しなければならない。そしてそのためにはクラス全体で協力しなきゃならない。遅刻や授業中の私語はやめるよう互いに注意するんだ。もちろん、携帯を触るのも禁止だね」

「は? なんでそんなことお前に指示されなきゃならねえんだ。ポイントが増えるならともかく、変わらないなら意味ないだろ」

「でも、遅刻や私語を続ける限り僕たちのポイントは増えない。0から下がらないだけで、マイナス要素であることには間違いないんだから」

「納得いかねーな。真面目まじめに授業受けてもポイントが増えないなんてよ」

 どうは鼻を鳴らし、不満げに腕を組んだ。そんな様子を見ていたくしが、発言する。

「学校側からすれば、遅刻や私語をしないのは当たり前の話ってことなのかな?」

「うん、櫛田さんの言う通りだと思う。出来て当たり前のことなんだよ」

「それはお前らの勝手な解釈だろ。それにポイントの増やし方がわからねーんじゃやるだけ無駄だろ。増やし方を見つけてから言えよ」

「僕は、何も須藤くんが憎くて言ってるわけじゃないんだ。不快にさせたなら謝りたい」

 平田は不満を漏らす須藤にも丁寧に頭を下げた。

「だけど須藤くん、いや皆の協力がなければポイントを得ることが出来ないのは事実だ」

「……お前がなにやろうが勝手だけどよ。俺を巻き込むな。わかったな」

 この場に居ることに心地ごこちの悪さを感じたのか、それだけ言うと須藤は教室を出た。

 授業が始まるまでか、それとももう戻って来ないつもりか。

「須藤くんほんっと空気読めないよね。遅刻だって一番多いしさ。須藤くんが居なかったら少しくらいポイント残ってたんじゃない?」

「だよね……もう最悪。なんであんなのと同じクラスに……」

 うーむ、まで幸せな生活を皆満喫していたはずなんだけどな。須藤に文句を言う奴もいなかったし。そんな中教壇を降りた平田が、珍しくオレたちの席の前までやって来た。

ほりきたさん、それからあやの小路こうじくんも少しいいかな。放課後、ポイントを増やすためにどうしていくべきか話し合いたいんだ。是非君たちにも参加してもらいたい。どうかな?」

「どうしてオレたちなんだ?」

「全員に声をかけるつもりだよ。だけど一度に全員に声をかけても、きっと半数以上は話半分に聞いて真剣に耳を傾けてはくれないと思うんだ」

 だから個別にお願いをしていくことを考えたのか。何か良案が出せるとは思えないが、参加くらいはしてもいいかな。そう思っていると───。

「ごめんなさい、他を当たってもらえる? 話し合いは得意じゃないの」

「無理に発言しなくてもいいよ。思いつくことがあったらで構わないし、その場に居てくれるだけでも、十分だから」

「申し訳ないけれど、私は意味のないことに付き合うつもりはないから」

「これは、僕たちDクラスにとって、最初の試練だと思う。だから───」

「断ったはずよ。私は参加しない」

 強く冷静な一言。ひらの立場をしんしやくしつつもほりきたは再度拒絶を示した。

「そ、そうか。ごめん……もし気が変わったら、参加して欲しい」

 残念そうに引き下がる平田を、もう堀北は見ていなかった。

あやの小路こうじくんは、どうかな?」

 正直参加しても良かった。クラスの大半は話し合いに参加するだろうし。

 だが、そこに堀北だけが不在になったらどうのように異物あつかいを受ける可能性もある。

「あー……パスで。悪いな」

「……いや、僕こそ急にごめん。でも、気が変わったらいつでも言ってよ」

 平田はオレの考えを理解したのかも知れない。強くは誘ってこなかった。

 話し合いがわるなり、次の授業のための準備を始める堀北。

「平田も偉いよな。ああやって行動を起こすんだから。落ち込んでもおかしくないのに」

「それは見方一つね。安易に話し合いを持って解決する問題なら苦労しないわ。頭の悪い生徒が束になって話し合いをしても、むしろ泥沼にまって余計に混乱するだけよ。それに私には今の状況を素直に受け入れる事なんて出来ない」

「受け入れる事なんて出来ない? それってどういう意味だ?」

 堀北は俺の質問には答えず、それ以降黙り込んでしまった。


    2


 放課後。朝の告知通り平田は教壇に立ち、黒板を使って対策会議の準備を始めていた。

 平田の求心力のすごさがうかがえる参加率で、堀北と須藤、数人の男女を除きほぼ満席だ。気が付けば不参加連中は教室には居なかった。本格的な話し合いが始まる前にオレも出よう。

「綾小路ぃ~~~」

 机の下から、にゅっと顔を出してきたのは、今にも死にそうな顔をしたやまうちだ。

「おうっ!? な、なんだよ。どうした?」

「これ、20000ポイントで買ってくれよ~。ポイントなくて何にも買えないんだよ~」

 机に置かれたのは、先日山内が購入したばかりのゲーム機。ぶっちゃけ全く欲しくない。

「お前がそれをオレに売ったらオレは誰と遊べばいいんだよ」

「そんなの知るかよ。いいだろ? 破格だからお得だろ?」

「1000ポイントなら買ってやるよ」

あやの小路こうじぃ~~~~! 頼れるのはお前だけなんだよぉ~!」

「何でオレだけなんだよ……。無いそでは振れないぞ」

 やまうちは潤んだ瞳でオレを見上げていたが、気持ちが悪いので目をらした。

 オレからは施しを受けられないと判断したのか、すぐに別のターゲットをねらう。

博士はかせ! 最大の友として頼みがある! このゲーム機を22000で買ってくれ!」

 今度は博士に売りつけるつもりらしい。しかもずうずうしいことに値上がりしている。

「大変そうだね、ポイントを使い切っちゃった人たち」

 くしが、山内と博士のやり取りを見ながら声をかけて来た。

「櫛田の方こそ、ポイントは大丈夫なのか? 女の子は色々必要なものがあるだろ」

「うーん、まぁ、今のところは、かな。半分くらいは使っちゃった。この一か月自由に使い過ぎて来たから、ちょっと我慢するのは大変だね。綾小路くんは大丈夫?」

「交友関係が広いだけに、全く金を使わないって生活も難しいよな。……オレの方はほとんど使ってないかな。特に必要なものもなかったし」

ともだちがいないからだったりして?」

「おい……」

「あはは、ごめんごめん。悪気は全然ないよ?」

 クスクスと笑いながら両手を合わせて謝る櫛田。そんな姿も無駄に可愛かわいい。

「あのさ櫛田さん、ちょっといいかな?」

かるざわさん、どうしたの?」

「実はあたしさ、ポイント使い過ぎちゃってマジで金欠なんだよね。今、クラスの女子からも少しずつポイント貸してもらってるんだけど、櫛田さんにも助けて貰いたいって思って。あたしたち友達だよね? ほんと、ひとり2000ポイントだけでいいんだけど」

 頼み込むような態度には見えなかったが、軽井沢はヘラヘラとした様子で櫛田にポイントを貸せと要求してきた。こんなもん、即断られて終了だ。

「うん、いいよっ」

 いいのかよ! 心の中でっ込んだが、友達同士の問題は当人たちで決めることだ。

 櫛田は少しも嫌がることなく、軽井沢に援助することを決めたようだった。

「さんきゅ~。やっぱ持つべきものは友達だね。これあたしの番号。そんじゃ、よろしく~。あ、がしらさん、実はあたしさ、ポイント使い過ぎちゃってさ~」

 次のターゲットである生徒を見つけ、軽井沢は風のようにオレたちの前から去った。

「良かったのか? あれは十中八九返って来ないぞ?」

「困ってる友達がいたらほうっておけないし。軽井沢さんも交友関係が広いから、ポイントなしじゃ大変だと思うもん」

「それでも10万も使い切るのは、個人的に問題あると思うけどな」

「あ、でもポイントってどうやって渡せばいいのかな?」

かるざわから番号書いた紙もらっただろ? 携帯でそれ打ち込めば譲渡できるはずだ」

「学校側はちゃんと、生徒たちのことを配慮してるんだね。軽井沢さんみたいに困った人を助けられるようにこんなシステムまで用意してるんだから」

 確かに、軽井沢にとっては渡りに船だ。でもわざわざ送金、譲渡できるようにしておく必要はあったのだろうか。むしろトラブルの火種にだってなり兼ねない。

『1年Dクラスのあやの小路こうじくん。担任のちやばしら先生がお呼びです。職員室まで来てください』

 穏やかな効果音の後、そんな無機質な案内が教室に響いた。

「先生からの呼び出しみたいだね」

「だな……悪い、くし。ちょっと行ってくる」

 入学以来、特に注意を受けるようなことをした覚えは一つもない。何となく重いクラスの視線を背中に受けつつ、オレは教室を抜け出した。

 ウサギの心臓を持つ臆病なオレは、そっと職員室の扉を開いた。ぐるっと見回すが茶柱先生の姿は見えない。仕方がないので鏡で自分の顔をチェックしている先生に声をかける。

「あの、茶柱先生居ます?」

「え? サエちゃん? えーっとね、さっきまでいたんだけど」

 振り返った先生は、セミロングで軽くウェーブのかかった髪型の今時の大人って感じの人だ。親しそうに茶柱先生の名前を呼ぶ。年齢も近そうだしともだちなのかも。

「ちょっと席をはずしてるみたい。中に入って待ってたら?」

「いえ。じゃあ廊下で待ってます」

 なんか職員室って好きになれないんだよな。注目を浴びるのが嫌だったので、オレは廊下で待つことにした。すると何を思ったか、若い先生がひょっこりと廊下に出て来た。

「私はBクラス担任のほしみやって言うの。とは、高校の時からの親友でね。サエちゃんチエちゃんって呼び合う仲なのよ~」

 聞いてもいないのに、使い道のなさそうな情報を提供してもらった。

「ねえ、サエちゃんにはどういう理由で呼び出されたの? ねえねえ、どうして?」

「さあ。それはオレにもさっぱり……」

「分かってないんだ。理由も告げずに呼び出したの? ふーん? 君の名前は?」

 質問攻め。ジロジロと観察するように、上から下までオレを見回す。

「綾小路、ですけど」

「綾小路くんかぁ。何ていうか、かなりかついいじゃない~。モテるでしょ~?」

 何なんだこの軽いノリの先生は。うちの茶柱先生と違って教師と言うより学生に近い。

 男子校に居たら、たちまち全生徒の心をわしづかみにしてしまうだろう。

「ねえねえ、もう彼女とか出来た?」

「いえ……あの、別にオレ、モテないっすから」

 からむと火傷やけどしそうだったのでわざと嫌そうにしてみせたが、ほしみや先生はそれすらも楽しむように積極的に近づいてきた。するりと細くれいな手がオレの腕をつかむ。

「ふーん? 意外ね、私が同じクラスに居たら絶対ほうっておかないのに~。ウブってわけでもないでしょ? つんつんっと」

 ほおを人差し指でかれ、どう返すべきか戸惑う。いきなり指でもめればこの絡みもわるだろうが、職員会議に掛けられて退学まで一気に持っていかれそうだ。

「何やってるんだ、星之宮」

 突然、現れたちやばしら先生が手にしていたクリップボードでスパン、と響きの良い音をさせ星之宮先生の頭をしばいた。痛そうに頭を押さえてうずくまる星之宮先生。

「いったぁ。何するの!」

「うちの生徒に絡んでるからだろ」

「サエちゃんに会いに来たって言ったから、不在の間相手してただけじゃない」

「放っとけばいいだろ。待たせたなあやの小路こうじ。ここじゃ何だ、生活指導室まで来てもらおうか」

「いえ、別に大丈夫ですけど。それより指導室って……オレ何かしました? これでも一応目立たないよう学校生活を送って来たつもりなんですが」

「口答えはいい。ついてこい」

 何なんだよ、と思いながらも歩き出した茶柱先生についていく。するとオレの横に並びがおの星之宮先生もついてきた。すぐそれに気づき、茶柱先生は鬼のぎようそうで振り返る。

「お前はついてくるな」

「冷たいこと言わないでよ~。聞いても減るものでもないでしょ? だって、サエちゃんって個別指導とか絶対しないタイプじゃない? なのに、新入生の綾小路くんをいきなり指導室に呼び出すなんて……何かねらいがあるのかなぁ? って」

 ニコニコと茶柱先生に答えた後、オレの背後に回り両肩に手を置いた。

 背後の星之宮先生の顔は見えないが、ビリビリとした気配がぶつかり合うのが分かった。

「もしかしてサエちゃん、こくじようでも狙ってるんじゃないのぉ?」

 下剋上? どういう意味だ。

「バカを言うな。そんなこと無理に決まっているだろ」

「ふふっ、確かに。サエちゃんにはそんなこと無理よね~」

 含みのあるセリフをつぶやき、星之宮先生はオレたちの後を追ってくる。

「どこまで着いてくるつもりだ? これはDクラスの問題だ」

「え? 一緒に指導室だけど? ダメなの? ほら、私もアドバイスするし~」

 無理やりほしみや先生がついて来ようとした時、一人の女子生徒がオレたちの前に立ちはだかった。見たことのない、薄ピンク色の髪をした美人の生徒だった。

「星之宮先生。少しお時間よろしいでしょうか? 生徒会の件でお話があります」

 一瞬オレと目が合ったが、すぐに視線をらし星之宮先生に向き直った。

「ほら、お前にも客だ。さっさと行け」

 パン、とクリップボードで星之宮先生のケツをたたく。

「もう~。これ以上からかってると怒られそうだから、またね、あやの小路こうじくんっ。じゃあ職員室にでも行きましょうか、いちさん」

 そう言い、ひらりときびすを返し、一之瀬と呼ばれた美人と職員室へ入っていく。

 星之宮先生を見送り、ポリポリと頭をかいた後、ちやばしら先生は指導室に向かうのか歩き出した。程なくして職員室の近くにあった指導室へと入る。

「で……何なんですか、オレを呼んだ理由って」

「うむ、それなんだが……話をする前にちょっとこっちに来てくれ」

 指導室の壁に掛けられた丸時計をチラチラと確認していたかと思うと、指導室の中にあるドアを開く。そこは給湯室になっているようで、コンロの上にはヤカンが置かれていた。

「お茶でも沸かせばいいですかね。ほうじ茶でいいすか?」

 オレは粉末のほうじ茶が入った容器を手に取る。

「余計なことはしなくていい。黙ってここに入ってろ。いいか、私が出てきて良いと言うまでここで物音を立てずに静かにしてるんだ。やぶったら退学にする」

「は? 言ってる意味が全く───」

 説明を受けることもできず、給湯室のドアが閉められた。一体何をたくらんでいるんだか。

 一応言われた通り静かに待っていると、程なくして指導室のドアが開く音がした。

「まあ入ってくれ。それで、私に話とは何だ? ほりきた

 どうやら指導室を訪ねて来たのは堀北のようだ。

「率直にお聞きします。私が、Dクラスに配属されたのでしょうか」

「本当に率直だな」

「先生は本日、クラスは優秀な人間から順にAクラスに選ばれたとおつしやいました。そしてDクラスは学校の落ちこぼれが集まる最後のとりでだと」

「私が言ったことは事実だ。どうやらお前は自分が優秀な人間だと思っているようだな」

 指摘を受け、堀北はどう返すつもりなのか。オレなら強気に反論する、にベットするな。

「入学試験の問題はほとんど解けたと自負していますし、面接でも大きなミスをした記憶はありません。少なくともDクラスになるとは思えないんです」

 ほら当たった。堀北は自分が優秀な人間だと思っているタイプだ。そしてそれは自意識過剰ではなく、実際に優秀だと思う。先日のテストも、堀北は同率1位に名を連ねていた。

「入試問題は殆ど解けた、か。本来なら入試問題の結果など個人に見せないが、お前には特別に見せてやろう。そう、偶然ここにお前の答案用紙がある」

「随分と用意周到ですね。……まるで私が抗議のために来る、と分かっていたようです」

「これでも教師だ。生徒の性格はある程度理解しているつもりなんでな。ほりきたすず。お前の入試結果は自分の見立て通り、としの一年の中では同率で3位の成績を収めている。一位二位ともきん。十分過ぎる出来だな。面接でも、確かに特別注視される問題点は見つかっていない。むしろ高評価だったと思われる」

「ありがとうございます。では───?」

「その前に、お前はどうしてDクラスであることが不服なんだ?」

「正当に評価されていない状況を喜ぶ者などいません。ましてこの学校はクラスの差によって将来が大きく左右されます。当然のことです」

「正当な評価? おいおい、お前は随分と自己評価が高いんだな」

 ちやばしら先生は失笑、あるいは単純な笑いなのか、を堀北に対して浴びせる。

「お前の学力が優れている点は認めよう。確かにお前は頭が良い。だけどな、学力に優れた者が優秀なクラスに入れると誰が決めた? そんなこと我々は一度も言っていない」

「それは───世の中の、常識の話をしているんです」

「常識? その常識とやらが今のダメな日本を作ったんじゃないのか? ただテストの点数だけで人間を評価し、優劣を決めていた。その結果無能な人間が上で幅をかせて本当に優秀な人間を落とそうと躍起になる。そして、結局最後に行きつくのは世襲制だ」

 世襲制とは、地位や名誉、職を子孫代々受け継いで行くという意味だ。

 オレはその言葉を聞き、思わずのどを鳴らした。そして、胸が痛い。

「確かに勉強が出来ることは1つのステータスだ。それを否定するつもりはない。しかし、この学校は本当の意味で優秀な人間を生み出すための学校だ。それだけで上のクラスに配属されると思ったら大間違いだ。この学校に入学した者には、それを一番最初に説明しているはずだがな。それに、冷静になって考えてみろ。仮に学力だけで優劣を決めていたのなら、どうたちが入学できたと思うのか?」

「っ……」

 この学校は日本屈指の進学校にもかかわらず、勉学以外で入学ができている生徒がいる。

「それに、正当に評価されていない状況を喜ぶ者は居ない、と決めつけた発言をするのも早計だな。Aクラスともなれば、学校から受けるプレッシャーは強く下のクラスからのねたみも強い。日々重いプレッシャーの中で競争させられるのは想像よりもはるかに大変なものだ。中には正当に評価されないことを良しとする者もいる」

「冗談でしょう? そのような人間、私には理解できません」

「そうかな? Dクラスにも居ると思うがな。低いレベルのクラスに割り当てられて喜んでいる変わり者の生徒が」

 それは、まるで壁越しにオレへと語り掛けているようだった。

「説明になっていません。私がDクラスに配属されたのが事実かどうか、採点基準が間違っていないかどうか。再度確認をお願いします」

「残念だがDクラスに配属されたことはこちらのミスではない。お前はDクラスになるべくしてなった。それだけの生徒だ」

「……そうですか。改めて学校側に聞くことにします」

 どうやらあきらめるわけではなく、担任じゃ話にならないと判断したようだ。

「上に掛け合っても結果は同じだ。それに悲観する必要はない。朝も話したが、出来不出来でクラスは上下する。卒業までにAクラスへと上がれる可能性は残されている」

「簡単な道のりとは思えません。未熟な者が集まるDクラスがどうやってAクラスよりも優れたポイントを取れるというのですか。どう考えても不可能じゃないでしょうか」

 ほりきたの苦言ももっともだ。今回の圧倒的なポイント差がそれを表している。

「それは私の知ったことじゃない。その無謀な道のりを目指すか目指さないかは個人の自由だ。それとも堀北、Aクラスに上がらなければならない特別な理由でもあるのか?」

「それは……今日きようのところは、これで失礼します。ですが私が納得していないことだけは覚えておいてください」

「分かった、覚えておこう」

 ギッとを引く音が聞こえた。話し合いはわったらしい。

「あぁそうだった。もう一人指導室に呼んでいたんだった。お前にも関係のある人物だぞ」

「関係のある人物……? まさか……兄さ───」

「出て来いあやの小路こうじ

 こんなタイミングで呼んでほしくない。よし、このまま出ないでおこう。

「出てこないと退学にするぞ」

 ひ、ひでぇ。聖職者が平然と退学を武器にしやがって。

「いつまで待たせれば気が済むんスかね」

 ため息をつきながら、わざとらしく指導室へ戻る。堀北は当然驚き戸惑っている。

「私の話を……聞いていたの?」

「話? 何か話してるのは分かったがよく聞こえなかったな。意外と壁が厚いんだ」

「そんなことはない。給湯室はこのの声が良く通るぞ?」

 どうやら、ちやばしら先生は何が何でもオレをこの土俵に引きずり出したいらしい。

「……先生、このようなことを?」

 これが仕組まれた流れだったことに、すぐに気が付く堀北。明らかにご立腹だ。

「必要なことと判断したからだ。さて綾小路、お前を指導室に呼んだワケを話そう」

 ちやばしら先生はほりきたの疑問を適当に流し、オレへと話題をシフトする。

「私はこれで失礼します……」

「待て堀北。最後まで聞いておいた方がお前のためにもなる。それがAクラスに上がるためのヒントになるかもしれないぞ」

 背を向けかけた堀北の動きが止まり、そしてに座りなおした。

「手短にお願いします」

 茶柱先生はクリップボードに視線を落としながら、ニヤニヤと笑った。

「お前は面白い生徒だな、あやの小路こうじ

「茶柱、なんて奇特なみようをもった先生ほどオモシロイ男じゃないすよ、オレは」

「全国の茶柱さんに土下座してみるか? んん?」

 いや、多分全国探しても茶柱なんて苗字はあんた以外居ないと思うんだが……。

「入試の結果を元に、個別の指導方法を思案していたんだが、お前のテスト結果を見て興味深いことに気が付いたんだ。最初は心底驚いたぞ」

 クリップボードから見覚えのある入試問題の解答用紙がゆっくりと並べられていく。

「国語50点、数学50点、英語50点、社会50点、理科50点……おまけに今回の小テストの結果も50点。これが意味するものが何か分かるか?」

 堀北は驚いた様子でテスト用紙をい入るように見て、オレへと視線を移した。

「偶然って怖いっスね」

「ほう? あくまでも偶然すべての結果が50点になったと? 意図的にやっただろ」

「偶然です。証拠はありません。そもそも試験の点数を操作してオレにどんな得があると? 高得点を取れる頭があるなら、全科目満点ねらってますよ」

 わざとおどけてみせると、教師はあきれたようにため息をついた。

「お前は実に憎たらしい生徒のようだな。いいか? この数学の問5、この問題の正解率は学年で3%だった。が、お前は間の複雑な証明式も含めかんぺきに解いている。一方、こっちの問10は正解率は76%。それを間違うか? 普通」

「世間の普通なんて知りませんよ。偶然です、偶然」

「全く、その割り切った態度には敬服を覚えるが、将来苦労することになるぞ」

「当分先ですし、その時になって考えます」

 どうだ? と言わんばかりに、茶柱先生は堀北を見る。

「あなたは……どうしてこんなわけのわからないことをしたの?」

「いや、だから偶然だっての。隠れた天才とか、そんな設定はないぞ」

「どうだかなぁ。ひょっとしたらお前よりものうめいせきかも知れないぞ堀北」

 ピクリと堀北が反応する。先生、その余計な口出しそろそろやめてもらえないでしょうか。

「勉強好きじゃないですし、頑張るつもりもないですし。だからこんな点なんですよ」

「この学校を選んだ生徒が言うことじゃないな。もっとも、お前の場合、こうえんのように、DでもAでも良いと思えるような、他の生徒とは異なる理由があるのかも知れないが」

 この学校だけでなく、この教師もまた普通じゃない。先ほどのほりきたとの対話でも、堀北を動揺させる言葉を乱発していた。まるで在校生すべての『秘密』を握っているようだ。

「何ですか。その異なる理由って」

「詳しく聞きたいか?」

 担任のちやばしら先生の眼光、その奥には鋭くのぞかせる光があったことをオレは見逃さなかった。どうやらそっちに誘導されているようだ。

「やめておきます。聞くと突然発狂して、の備品という備品を破壊しそうなんで」

「そうなればあやの小路こうじ、お前はEクラスへ降格だな」

「そんなクラスありましたっけ」

「喜べ。Eクラスってのは、イコールExpelled。退学ってことだ。ま、話はこれだけだ。これからの学生生活を満喫してくれ」

 実に皮肉の効いたセリフだった。

「私はもう行く。そろそろ職員会議の始まる時間だ。ここは閉めるから二人とも出ろ」

 背中を押され、オレたち二人は廊下へとほうり出される。茶柱先生はなぜオレを呼び出し、堀北と鉢合わせさせたのか。意味のないことをするタイプには見えなかったけどな。

「とりあえず……帰るか」

 堀北の確認を取らず歩き出す。今は、一緒に居ない方がいいと判断した。

「待って」

 堀北はそんなオレを呼び止めたが立ち止まらない。寮まで逃げ切ればゴールだからな。

「さっきの点数……本当に偶然なの?」

「当事者がそう言ってるだろ。それとも意図的だって根拠でもあるのか?」

「根拠はないけれど……。綾小路くん、少し分からないところがあるし。事なかれ主義って言ってるから、Aクラスにも興味なさそうだし」

「お前こそAクラスには並々ならない思いがあるようだな」

「……いけない? 進学や就職を有利にするために頑張ろうとすることが」

「別にいけなくはない。自然なことだ」

「私はこの学校に入学して、ただ卒業すれば、それがゴールだと思っていた。でも、実際は違った。まだスタートラインにも立っていなかったのよ」

 堀北は歩く速度を上げたのか、気が付けば隣に並ばれていた。

「じゃあお前は、本気でAクラスを目指すつもりなんだな」

「まずは学校側に真意を確かめる。私がDクラスに配属されたのか。もし、茶柱先生の言うように私がDだと判断されたのだとしたら……。その時はAを目指す。いいえ、必ずAクラスに上がって見せる」

「相当大変だぞ、それは。問題児たちを更生させなきゃならない。どうの遅刻やサボり癖、授業中の私語、テストの点数。それだけやって、やっと±0だ」

「……分かってるわよ。出来れば学校側のミスであることを期待するわ」

 ほりきたの自信あふれる言葉が逆に不安になる。本当に分かっているのだろうか。

 今日きようの情報から導き出されたオレの結論は『絶望』の二文字だ。基本的な学校生活のルールを守れば、マイナスはある程度防げるだろう。しかし、肝心なのはプラスになる行動が不明ということだ。最も優秀とされるAクラスが、わずかとはいえマイナスを記録した。

 それにたとえポイントを増やす効率的な手立てが見つかったとしても、それは他のクラスも同じようにポイントを増やすことが可能になるってことでもある。

 一度開いてしまった点差を詰めるのは、時間制限のある競争の中では非常に難しい。

「あなたの考えていることは大体わかる。でも、学校側がこのまま静観を続けるとは思えないわ。それじゃあ競争の意味は無いもの」

「なるほどな、そう言う考え方も出来るか」

 学校側が入学1か月でAクラスの逃げ切りを許す、なんてことはしないと読んだわけだ。つまり、どこかで大きくポイントが増減する機会が訪れると堀北は確信しているのか。

「自分の手でこの状況をなんとかしてみようとは考えない?」

「考えない」

「誇らしげに即答しないで」

 わき腹に手刀がき刺さった。もんの表情を作っても堀北は一切無視だ。

「いつつ……。お前の気持ちはんでやるけど、個人で何とかできる問題じゃない。須藤だって言ってただろ。自分が改善してもクラス全体がマイナスならどうにもならないって」

「違うわね。正しくは、個人ではどうにもならないけど、個々が解決しなければならない、非常に厄介な問題よ。一人一人がやらなければ、スタートラインにも立てないの」

「オレにわかったのは、答えがなんにせよ、すげえ面倒そうってことだけだ」

「すぐに改善しなければならないことは大きく3つ。遅刻と私語。それから中間テストの点数で全員が、赤点を取らないこと」

「前者の二つはある程度何とかなるだろう。けど、中間テストはなぁ」

 先日の小テスト、確かに難しい問題もあったけど、大半は難易度の低いものだった。あれで赤点を取る生徒が何人もいるレベルじゃ、正直この先の中間テストはお先真っ暗だ。

「そこで───あやの小路こうじくんにも協力をお願いしたいの」

「協力ぅ?」

 露骨に嫌そうな顔をしたが、肝心のその顔を堀北はいちべつしただけで流した。

ひらに断りを入れるお前を見たし、同じような理由で断ってもいいんだよな?」

「断りたいの?」

「あのな、オレが喜んで協力するとでも?」

「喜んで協力する、とまでは思っていなかったけれど、断られるとは思ってなかったわ。もしも本気で断ると言うのなら、その時は……いえよしましょう。今その先を考えても仕方のないこと。それで、協力してもらえるのか貰えないのか、どっちなの?」

 出来れば黙り込んだその先の言葉を教えてもらいたい……。とはいえ、どうしたものかな。助けを求めているものをに断るつもりはない。いやいや冷静になれオレ。ここで安直に協力するなんて言ったら、卒業までコキ使われるぞ。ここは心を鬼にしなければ。

「断る」

あやの小路こうじくんなら協力する、そう言ってくれると信じてた。感謝するわ」

「言ってねーし! 見事に断っただろ!」

「いいえ、私には心の声が聞こえたもの。協力するって言ってた」

 怖っ、何その電波的なもの、怖っ。

「そもそもオレに協力できるようなことがあるとは思えないけどな」

 ほりきたはテストの点はもちろん、頭の回転も速い。オレが力を貸す必要はないはずだが。

「心配することはないわ。綾小路くんが頭を使う必要は欠片かけらもないから。作戦は私に任せて、あなたは身体からだを動かしてくれればいい」

「は? なんだよ、身体を動かすって」

「綾小路くんとしてもポイントが多い分には困らないでしょう? 私の指示に従っていれば、必ずプラスポイントまで持っていくと約束する。悪い話ではないはずよ」

「どんな策があるのか知らないが、オレ以外に頼れるようになれよ。ともだちが出来るようにする協力くらいはしてやるから」

「残念だけど、Dクラスにはあなた以上に使いやすそうな人材が思い当たらない」

「いやいや、山ほどいるって。ほら例えばひらとか。あいつならクラスメイトにも顔がくし、頭もいい、かんぺきだ。おまけに堀北が孤立してることを気にかけてくれてる」

 こちらから手を伸ばせば、すぐにでも仲良しの出来上がりだ。

「彼ではダメね。確かに一定の才能は持っているけれど、私はそれを受け入れられない。そう、例えるならば将棋のこま。今私が欲しているのは金や銀ではなく、歩なのよ」

 それって、オレが歩って言ってる? 言ってるよね?

「歩も努力すれば金になるんだぜ?」

「面白い回答だけど、綾小路くんは努力しなそうな人間だもの。ずっと歩でいいから前に進みたくない、とか考えていそうじゃない?」

 出会って間もないくせに的確なツッコミしやがって。普通の人間なら心が折られてるぞ。

「悪いが、やっぱり協力は出来ない。オレ向きじゃないよ」

「じゃあ、考えがまとまったら連絡するから。その時はよろしく」

 こっちの意思はこれっぽっちもほりきたに届かなかった。

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