〇再結集・赤点組

 新茶の香り漂う季節となりました、ますますご清栄のこととお喜び申し上げます。

 高等学校に入学し、早1か月と半。オレは程ほど無難に日々を送っております。

「ちょっと、人の話を聞いているの? 頭は大丈夫?」

 ほりきたは失礼にも人の額に手のひらを当てて、その後自分の額に持っていく。

「熱はないようね」

「ねえよ! ちょっと長い回想に入ってたんだ」

 ここに至るまでの過程を思い出し、深い深いため息をついた。オレは堀北に協力すると答えてしまった。後悔先に立たず、という状態だ。

 あの時は堀北を奮い立たせるためでもあったが、改めて考えると実にオレらしくない。

「それで軍師殿。オレはどうすればよろしいのでしょうかねぇ」

「そうね……当然、もう一度どうくんたちを説得して勉強会に参加してもらう必要がある。そのためには、あなたが地に額を擦りつけてお願いするしかないわね」

「何でそうなるんだよ……。そもそもは、お前が須藤たちとめたのが原因だろ」

「彼らが真面目に勉強に取り組まないことが原因よ。焦点を間違えないで」

 コイツは……。本当に須藤たちを助けるつもりがあるんだろうな……?

くしの力なしに須藤たちをもう一度集めることは不可能だ。堀北もわかってるだろ?」

「……わかっているわ。背に腹は代えられないもの」

 どんだけ櫛田がかかわることが嫌なんだよ。堀北は非常に不満そうだったが、承諾した。

 櫛田が近づくことを良しとしなかった堀北の、精一杯の歩み寄りととらえておこう。

「早速だけど櫛田さんの件、協力してもらえる?」

「オレがか?」

「当たり前じゃない。あなたは私と契約したんだから。Aクラスに上がるまで馬車馬のごとく私の命令に従い働き続けるって」

 そんな契約をした覚えはこれっぽっちもない。

「ほら、ここに契約書も」

 わぁホントだ。オレの名前が書かれてあるし、印鑑まで押されてるぅ。

「文書偽造の罪に問われるぞコラ」

 ベリベリとその場でやぶり捨てた。堀北は、机の上を片付けている櫛田の元に向かった。

「櫛田さん。話したいことがあるの。良かったらお昼付き合って貰えないかしら」

「お昼? 堀北さんからのお誘いなんて珍しいね。うん、いいよっ」

 もう一つの姿を見られたオレが傍に居ても、櫛田はいつものようにブレない。二つ返事で承諾する。そんなくしと向かったのは、学校でも随一の人気を誇るカフェパレット。

 前回は、オレと櫛田がうそをついて呼びだし、ほりきたに怒られてしまった場所だ。

 堀北がおごると言い、櫛田の分のドリンクを注文した。もちろんオレの分は自腹だ。

 がおでドリンクを受け取り、席に座る櫛田。オレたちも、櫛田の前に二人で座った。

「ありがとう。それで、私に話って何かな?」

どうくんたちに赤点を取らせないための勉強会。もう一度協力してもらえないかしら」

「それって、誰のためなのかな? 須藤くんたちのため?」

 櫛田も、正面から頼み込んできた堀北の言葉を、ただの善意とは受け取らなかった。

「いいえ。私自身のためよ」

「そっか。堀北さんは、やっぱり堀北さんなんだね」

「あなたのともだちのために頑張らない人間とは、手を組めない?」

「堀北さんがどんな考え方を持っていても私は自由だと思うよ。だけどな嘘はついてほしくなかったから、素直に答えてくれたのはうれしかったかも。分かった、協力してあげてもいいよ。だって私たち同じクラスメイトじゃない、ね? あやの小路こうじくん」

「お、おう。助かるよ」

「堀北さんに聞きたいんだけどね? 堀北さんは友達のためでもなく、ポイントのためでもなく、Aクラスに上がるために協力してくれてるんだよね?」

「そうよ」

「それ、信じられないって言うか……無理じゃない? あ、別に堀北さんをバカにしてるわけじゃないんだよ? ただなんて言うか……クラスの皆も大半はあきらめてるって言うか」

「現状のAクラスと、ポイントの差がひどいからか?」

「うん……正直、追いつける気なんてしないよね。来月もポイントがもらえるかどうか怪しいしさ。意気消沈って感じ」

 だるーんとテーブルに上半身を倒す。

「私はやるわ、絶対に」

「綾小路くんも、Aクラスを目指してるの?」

「そうよ。私の助手として共にAクラスを目指してるの」

 勝手に助手にするな。

「ん……わかった。私も堀北さんの仲間に入れてよ」

「もちろんよ、だから勉強会をつだってほしいとお願いしているわけだし」

「そうじゃなくって、Aクラスを目指す活動の仲間に入れて欲しいの。勉強会以外にも、これから沢山のことをやっていくってことでしょ?」

「え、ええ。そうだけど……」

「それとも、私は仲間に入れたくない?」

 ほりきたの表情をうかがうように、くしはじーっと大きな瞳を向けた。

「分かった。今回の勉強会がくいったら正式に協力を要請するわ」

 そう堀北は答えた。櫛田の存在には思うところもあるのだろうが、それでも堀北が認めざるを得なかったのは、自分にはない人徳を持っていると理解してのことだろう。

 堅物の堀北から承諾を得られた櫛田は、上半身を勢いよく起こした。

「ほんと!? やったっ!」

 心底うれしそうにその場で万歳して素直に喜びを表現する。そんな姿もいちいち可愛かわいい。

「改めてよろしくね、堀北さん! あやの小路こうじくん!」

 左右の手を同時にオレたちに伸ばしてきた。

 少し戸惑いながらも、オレと堀北は櫛田の手を取り握手した。

「あとは、どうくんたちが素直に応じてくれるかどうかが問題ね」

「そうだな。現状だとちょっと難しいかもな」

「じゃあさ、もう一度私に任せてもらえないかな? 仲間に入れて貰うんだもん、これくらいはやらせてよ。ね?」

 堀北も櫛田のマイペースな展開に巻き込まれ、ちょっとされていた。

 櫛田はすぐにでも行動するつもりなのか、携帯電話を手に取った。程なくして、櫛田に誘われ有頂天気分のいけやまうちがやって来た。が、堀北とオレの顔を見るなり、オレの方に目線だけで『もしかしてチャットのことを話したのか!?』と訴えて来た。好都合なので黙っておこう。二人の罪悪感が、この場ではむしろ有効に作用するかも知れない。

「呼び出してごめんね二人とも。私からと言うか、堀北さんから話があるんだって」

「ななな、なにかな? 俺たち、なんかした!?」

 過剰に反応しすぎだ……。ビビりまくっていて、腰が引けている。

「二人は平田くんの勉強会には参加する予定はないの?」

「え? べ、勉強会? いや、だって勉強とかだるいし、平田モテ過ぎでムカつくし……。テスト前日に詰め込んだら何とかなるかなって。中学だってそれで乗り切って来たし」

 池の言葉に、山内も二度、三度とうなずいた。一夜漬けで乗り切る算段らしい。

「あなたたちらしい考え方ね。けれど、このままじゃ退学になる可能性は高いわ」

「相変わらず何様なんだよ、お前は」

 須藤が堀北をにらみつけながら現れた。どうやら須藤も櫛田の甘いわなにかかったらしい。

「一番心配なのはあなたよ須藤くん。退学に対する危機感が無さすぎる」

「テメェの知ったことかよ。いい加減ぶっ飛ばすぞ。俺は今バスケで忙しいんだよ。勉強なんてテスト前にやりゃ十分だっつの」

「お、落ち着けって須藤。な?」

 池はチャットのことを知られたくないのか、須藤をなだめた。

「ねえどうくん。もう一度一緒に勉強しないかな? 一夜漬けでも乗り切ることが出来るかも知れない。だけど、ダメだったら、大好きなバスケットも出来なくなるよ?」

「それは……けどな、俺はこの女の施しみたいな受けるつもりはねえよ。この間俺に吐き捨てた言葉は忘れちゃいない。誘うなら謝罪が先だ。誠心誠意のな」

 ほりきたに対しては敵意しか見せない須藤は、そう言い切った。自分自身、勉強しなければ危ないと感じていながらも、バスケを侮辱されたことは許せないようだ。

 それに対し堀北は、もちろん謝罪を簡単に口にはしない。なら、自分自身が間違ったことを口にする人間ではないと自負しているからだ。

「私はあなたが嫌いよ須藤くん」

「なっ!?」

 謝罪どころか、火に油を注ぐように、須藤に対しキツイ言葉を浴びせる。

「けれど今、お互いを毛嫌いしていることはさいなことじゃないかしら。私は私のために勉強を教える。あなたはあなたのために勉強を頑張ればいい。違う?」

「そんなにAクラスに行きたいのかよ。嫌いな俺を誘ってまで」

「ええそうよ。そうでなければ、誰が好き好んであなたたちにかかわると?」

 歯に衣着せぬ堀北の一言一言に、露骨に須藤はいらちを募らせていく。

「俺はバスケに忙しいンだよ。テスト期間でも、他の連中は練習を休む気配はねえ。面白くもねえ勉強してる間に、遅れを取るわけにはいかねーんだよ」

 堀北はあらかじめ、須藤がそんなことを言うだろうと予見していたかのように、一冊のノートを取り出すと、それを開いて見せる。そこにはテストまでのスケジュールが細かに記載されていた。

「この間の勉強会で、あのスタイルの勉強方法はダメだと気が付いたの。あなたたちは学業の基礎が出来ていない。例えるなら大海にほうり出された一匹のかえる。どこを目指して泳げばいいのかすら分からない状態にある。それに須藤くんが言うように、趣味に充てる時間を削ることがストレスになってることも理解したつもり。そこで、その問題を解決する策を思いついたの」

「どんな魔法だよそりゃ。あるんなら教えてもらいたいぜ」

 テスト勉強と部活動を両立させる。そんな方法があるはずない、と須藤が鼻で笑う。

「今から2週間。あなたたちは平日の授業を、死ぬ気で勉強しなさい」

 一瞬、堀北が何を言っているのか分からなかった。それは他の全員も同じだ。

「普段、3人は授業中真面目まじめに取り組んでなんていないわよね?」

「決めつけないでもらいたいね」

 いけが反論する。

「じゃあ、真面目に取り組んでいるの?」

「……取り組んでない。授業がわるのをボーっと待ってる」

「でしょうね。つまりあなたたちは1日に、6時間無駄な時間を過ごしていると言うことよ。わざわざ放課後に1、2時間確保して勉強するよりも、はるかに膨大で貴重な時間をロスしているということ。これを有効活用しない手はない」

「確かに……理論的にはそういうことにはなるけど……それはちやじゃないかな?」

 くしの不安は当たっている。普段勉強できないからこそ、時間を無駄にしているのだ。

 授業中はおしやべりするわけにもいかず、一人で問題を理解しきれるとは到底思えない。

「授業の内容なんて、全くついていけてねぇよ」

「そんなことわかっているわ。だから、更に休み時間を利用して、短い勉強会を開くの」

 そう言ってほりきたは次のページをめくった。そしてどういう仕組みかを書きつづっていく。

 要約するとこうだ。1時間の授業が終わったら、すぐに全員で集合し、授業で分からなかった部分を報告する。そして10分の休憩の間に、堀北がそれに対する答えを教える。

 そしてまた次の授業へ、という流れだ。もちろん、これはそう簡単な話じゃない。

 授業についていけてないどうたちが、短い時間で学習できる保証はどこにもないのだ。

「ま、待てよ。なんか頭が混乱してきた。本当にくいくのかよ」

 いけたちも、それが大変なことだとすぐに気づく。

「そうだよ、10分の休憩じゃ、分からなかった部分の解説とか無理じゃない?」

「心配ないわ。私がその授業中、すべての問題に対して分かりやすく解答をまとめておくから。それをあやの小路こうじくんと櫛田さん、私の3人がそれぞれマンツーマンで教えればいい」

 それなら、確かに10分と言う時間を無駄なく消化することは可能だ。

「二人とも、答えの解説をするくらいなら出来るでしょう?」

「けどよぅ……間に合うとは思えねえよ。高校の勉強難しいしさ。わけわかめだし」

「1時間で学ぶ授業の内容は、意外と少ないものよ。ノートにして1ページ、精々2ページね。そこからテストに関係のありそうなものだけに絞り込めば、半ページ分の知識を詰め込むだけで済む。どうしても時間が不足する場合にだけ、昼休みを利用する。私は問題を理解してとは言わない。頭にそのままたたんで欲しいだけ。大切なのは授業の時は先生の声、黒板に書きだされる文字だけに集中すること。ノートを取る作業は一旦忘れて」

「ノートを取らない、ってことかよ」

「書きながら問題や答えを覚えるのは案外難しいものよ」

 確かに、それはあるかも知れない。ノートを取る作業に集中してしまい、単に書き写すことだけで貴重な時間を浪費してしまう。

 何にせよ、堀北は放課後の時間を利用して勉強するつもりはないようだった。

「物は試し。否定する前に実践してみればいいのよ」

「……やる気になんねぇな。時間かけてやったところで、俺はお前みたいなガリ勉とは違うからよ。そんな簡単な、裏ワザみたく勉強ができるようになるとは思えねえ」

 ほりきたなりに、3人に配慮して考えたプランだったが、どうは首を縦には振らなかった。

「根本的なことを勘違いしているみたいね。勉強に近道や裏技があるとでも? 地道に時間をかけて覚えていくしかない。それは勉強だけじゃなくて、他のことでもすべて一緒なんじゃないかしら。それともあなたが情熱を注ぐバスケットには近道や裏技があるの?」

「んなもんあるわけねえだろ。何度も何度も練習して、初めてくなんだよ」

 須藤は自分で口にしておいて、ハッとしたように息を呑んだ。

「集中力、真剣に取り組む力がない人には絶対に無理。でも、あなたはバスケットのためになら全力を出せる人よ。その力を少しでいいから、今回勉強に回して欲しい。あなたがこの学校でバスケットを続けていくために。自分自身の可能性を捨てないために」

 それはかすかにだったが、間違いなく堀北から須藤への歩み寄りだった。須藤が逡巡する。

 だが、それを小さなプライドが邪魔をする。どうしてもやると口にできなかったようだ。

「……やっぱり俺は参加しねえ。堀北に従うってのが、納得いかねーんだよ」

 須藤はそのまま、席に着くこともなく立ち去ろうとした。堀北はそれを止めない。

 この機会を逃せば、もう二度とは一緒に勉強をする機会は得られないだろう。普段なら何もしないところだが、ここはひと肌脱ぐしかないか。

「なぁくし。もう彼氏は出来たのか?」

「え? えっ? まだいないよ、って言うかいきなりなに!?」

「もし、オレが50点取ったら、デートしてくれっ」

 オレはしゅばっと手を差し出す。

「は!? おま、何言ってんだよあやの小路こうじ! 俺とデートしてくれ! 51点取るし!」

「いやいや俺だ! 俺とデートを! 52点取って見せるから!」

 いち早く反応したのは、いけだ。そしてやまうち。櫛田はオレの真意にすぐに気づく。

「こ、困ったな……。私、テストの点数なんかで人を判断しないよ?」

「でも頑張ったごほうは欲しいし。池や山内も、乗り気みたいだしさ。勉強会のご褒美みたいなもんがあれば、やる気が出るっていうか」

「じゃ、じゃあこうしない? テストで一番点数の良かった人と、その、デートするってことでいいなら……。私、嫌いなことにも頑張って努力できる人は、好きだな」

「うおおおおおおおおお! やる! やるやる! やります!」

 別に釣れなくてもいい池たちが、鼻息荒く叫ぶ。オレは須藤に声をかけることにした。

「なあ須藤。お前はどうする? これはチャンスかも知れないぞ」

 それは、櫛田とデートしたいだろ? と言う意味とは少し違う。

 須藤の性格は大よそつかんだつもりだ。こういう時、素直に参加させてくれって言いにくいことくらいは、何となく予想できる。だったら、こっちから落としどころを見つけてやらなければならない。

「……デートか。悪くねえ。ったく、仕方ねえな……俺も参加してやる」

 どうは振り返らず、そう小さく答えた。くしはホッと胸をで下ろす。

「覚えておくわ、男子は想像以上に単純でくだらない生き物だと言うことを」

 ほりきたもそれを感じ取ったのか、あえてそう答えることで、須藤を自然に迎え入れた。


    1


 再結成した勉強会が始まり、何だかんだ順調に回り始めていた。

 もちろん誰一人、勉強することの楽しさに目覚めたり、喜びを感じたりはしていないが、退学しないため、そして築きつつある仲間との日々を守るため、嫌いな勉強に立ち向かい続けていた。三バカトリオは似合わないと感じつつも、必死に黒板に書きだされた問題を繰り返し見て、そして理解しようと何度も首をひねる。須藤に至っては、時折意識がもうろうとしているのか、首がカクンカクンと前後するが、それでもギリギリで踏みとどまっているのは、やはり自らの目標、バスケのプロ選手を目指すためだろう。人が聞けば笑ってしまいそうな無謀な夢を、ひたむきに追いかける。中学から上がったばかりのオレたち多くの一年生には、まだ夢らしい夢はない。ただ漠然と、将来何かになれればいい、生活に困らなければ、としか考えていない人間の方が多い。だから、夢のためにひたむきに練習に取り組める須藤は立派な人間だ。

 それにしても、この学校は、何をもって実力の定義を定めているのだろうか。

 少なくとも、学力だけで生徒の合否を決めているわけじゃない。

 それはオレが入学できたことや、いけ、須藤たちを見ていても間違いはないだろう。

 勉強以外の、様々な生徒の才能を見越して入学させたとすれば、赤点を一度でも取れば退学という制度は絶対にあり得ない。少なくともオレはそう考える。

 制度そのものがうそでないとすれば、導き出される答えはそう多くない。

 池であれ須藤であれ、必ず乗り越えられるように問題が設定されているのではないか。

 そんな疑問が浮かび上がってくる。けどなぁ、そう単純なことでもなさそうなんだよな。今やってる授業も小テストも、須藤たちからすれば十分にレベルの高い問題だ。

 午前の授業のわり、堀北は満足そうに一人、小さく一度うなずいてノートを見下ろした。どうやら自分なりにく、まとめあげることが出来たらしい。

 堀北からしてみれば教える相手が三バカであっても、極力高い点を取らせたいに違いない。その方がクラスとして評価もされるし、生徒個人の能力も上がるのだから、当然だ。

 でも、オレは満点を取らせるなんてちや、はなからねらうつもりはない。池に教えられるのは赤点を越えるための方法、ただそれだけだ。

 昼のチャイムが鳴ると同時に、いけたちは一目散に食堂へと駆けて行った。昼休みは全部で45分。昼食の後、全員が図書館に集合して20分間勉強をする約束になっている。

 移動の手間も考え、最初は教室でやる案が出ていたが、集中力を高めるために、騒がしい教室を避け、図書館を利用する方針で決まっていた。

 もっとも、本当のところはほりきたが平田を避けたからだとオレは見ている。平田たちのグループは、昼に放課後に向けての勉強法を話し合ったりしている。そのそばでオレたちが復習していたら、声をかけてくる可能性は低くない。堀北はそれを嫌ったんじゃないだろうか。

「堀北、昼飯どうする?」

「そうね───」

あやの小路こうじくーん。お昼、一緒に食べよ? 今日きようは予定空けてきたんだ」

 ぴょこっと姿を見せたのは、くし

「あぁ、そうだな。じゃあ櫛田も一緒に───」

「それじゃ。私は予定があるから、これで失礼するわ」

 スッと立ち上がると、堀北は一人で教室を出て行ってしまう。

「ごめんね綾小路くん。その、もしかして私……お邪魔だった?」

「いや、そんなことはないけど」

 櫛田は堀北の背中を見つめながら、ばいば~い、と小さく手を振った。

 ひょっとして確信犯か? どうもあの日、櫛田の秘密を目撃してしまってから、櫛田がオレへと接触してくる機会が露骨に増えた気がする。信用していると口では言っていたけど、誰かに告げ口するんじゃないかと疑っているのかもな。

 結局、櫛田とオレはカフェで食事をとることにした。二人で一緒にカフェまでやって来ると、オレは圧倒的な女子力の前にされた。

「なんだこれ、すごい数の女子だな……」

 カフェに居る客層の8割以上は女子だ。

「男子が食べるご飯、って感じじゃないしね」

 メニューはパスタやパンケーキなど、まさに女の子が好きそうなメニューばかりで、体育系のどうなら全然量が足りないとか言いだすだろう。わずかな男子も、リア充系とでも言おうか、チャライ男ばかり。大体彼女と二人きりだったり、数人の女子に囲まれている。

「やっぱり学食にしないか? なんか心地ごこち悪いって言うか」

「慣れれば平気だよ。こうえんくんなんて毎日のように来てるみたいだよ? ほら、あそこ」

 そう言って櫛田が指さした奥の多人数用のテーブル席。そこには女子に囲まれる高円寺の姿があった。いつものように堂々とした態度だ。

 昼間姿を見かけないと思っていたら、こんなところに出入りしていたのか。

「モテモテみたいだね。周りは、三年生の女子だよ」

 くしも驚いている。何となく耳をすましてこうえんと先輩たちの会話を拾ってみる。

「高円寺くん、はい、あーん」

「はっはー! やはり女性は年上に限るねぇ~」

 三年生相手に全く臆することなく、むしろ肌を密着させるようにして食事していた。

「あいつ、ほんとすごいヤツだな……」

「あちこちに言いふらしてるみたいだよ。高円寺の名前」

 なるほど、取り巻きの女子たちはお金目当てってことか。

「嫌な世の中だな」

「女の子は現実主義者だから。夢だけじゃ食べていけないんだよ」

「櫛田もか?」

「私は、ちょっとくらいは夢見たいかな。白馬の王子様みたいな」

「白馬の王子様ねぇ」

 出来る限り高円寺から距離を取れる二人掛けの席を確保する。

あやの小路こうじくんは? やっぱりほりきたさんみたいな子が好き?」

「なんで堀北が出てくるんだよ」

「いつも一緒だから。それに可愛かわいいじゃない」

 まぁ、確かに堀北は可愛いと思うけど。外見だけは。

「知ってる? 綾小路くん、実はちょっと女子から注目されてるんだよ? 1年生の女子が作ったランキングにも載ってるし」

「注目。オレが? それに一体なんのランキングだ……」

 気付かない間に、オレたち男子は格付けされていたらしい。

 前に男子が胸の大きさでランキングやってたのと、同じようなことだろうか。

「ランキングの種類はいっぱいあるよ? イケメンランキングでしょ? お金持ちランキングでしょ? 気持ち悪いランキングでしょ? それから───」

「……もういい。なんか聞きたくなくなってきた」

「大丈夫だよ。綾小路くんはイケメンランキングで見事5位につけてるね。おめでとう! ちなみに1位はAクラスのさとなかくんって人。2位が平田くんで、3、4位はAクラスの男子だね。平田くんは外見と性格で大きくポイントをかせいでる感じ」

 さすがはDクラス期待の星。C以上の女子からも注目されているらしい。

「それ、オレは喜んでいいのか?」

「もちろん。あ、ただ根暗そうランキングでも上位に入ってるけど」

「左様で……」

 携帯を向けられる。そこには無数の男子を格付けしたランキングがあるようだった。

 中には死んで欲しい男子ランキングなんて物騒な文字も。見なかったことにしよう。

「あんまりうれしそうじゃない? 5位なのに」

「モテてる実感があれば別だけど、そんなものは何にも感じない」

 事実、靴箱にハートのシールがられた手紙の一通ももらった覚えはない。

「それ、全員参加ってわけじゃないだろ?」

「うん。結構な人数が参加してるっぽいけど、票数とかは分からないようになってるし。コメントしてる人たちも全部匿名だからね~」

 つまり分からないことだらけで、あてにはならないってことだ。

「多分さ、あやの小路こうじくんは損してるんだよ。私から見ても十分イケメンだと思うけど、平田くんみたいな華は無いって言うか、目立つところが無いから。頭が良いだとか、運動神経が抜群だとか、すごく話し上手だとか、そう言う魅力的な部分が欠けてる感じ?」

「それ、結構心にき刺さるんですけど……」

 つまり人間として中身の魅力は全く無い、と言うことになる。

「ご、ごめん。ちょっと遠慮して言えば良かったかも」

 さすがに言い過ぎだと思ったのか、反省するくし

「えと、綾小路くんは中学校の時、彼女とか居なかったの?」

「居なくて悪いか」

「……居なかったんだ。あはは、別に悪くはないけどさ」

「ランキングねえ。男子がそれやったら、女子はなんて思うやら」

「サイテーあつかいすると思うよ?」

 にっこり笑うが、目が笑っていない。うん、まぁそうだよな。裏で可愛かわいい女子やさいな女子を格付けしてたら、猛抗議を受けるに違いない。ここにも一つ、男女間での差別が芽吹いている。それにしても、櫛田は本当に以前と変わらない様子でオレに接してくる。

 あれだけの内面を見せている以上、思うところだって少なからずあるはずなのに。

「なあ。もし嫌々オレと接してるなら無理しなくていいぞ」

「やだなぁ、嫌々なんて思ってないよ。私、綾小路くんと話してると楽しいし」

「それ、本人に嫌いって言っといて言うか?」

「あははは、そうかもね。ごめんごめん、でもあれは本心だから」

 ……いや、本心だから傷つくんですけど。こんながおなのに嫌われてるとか。最悪だ。

「実は今日きようお昼誘ったのもさ、ちょっと綾小路くんに確認がしたかったんだよね。これは仮にの話だけど、私と堀北さん、どっちかの味方につくとしたら、綾小路くんはどっちを選ぶのかな? 私を選んでくれる?」

「オレは誰の味方でも敵でもない。中立だ」

「世の中都合よく中立を通せるほど単純じゃないことだってあると思うよ。戦争反対を掲げるのは立派なことだけど、いつ渦中に巻き込まれるかわかったものじゃないでしょ? もしも私とほりきたさんが対立したとき、あやの小路こうじくんが協力してくれたら頼もしいな」

「そう言われてもな……」

「何となく、覚えておいてね。私が綾小路くんに期待してるってこと」

「期待、ね。協力を要請するなら、まずは事情を説明することが先決だと思うけどな」

 終始くしがおを崩さないまま、それでもそこは強い意志で首を横に振り拒否した。

「まずはお互いに信頼できる関係を作らなきゃね」

「そうだな」

 オレも櫛田も、まだ互いのことをよく理解していないのが本音だ。

 これから先信頼関係が築けたとき、もう一歩深く、櫛田のことを知るのかも知れない。


    2


 約束の時間から、1分ほど遅れてオレたちは図書館へと着いた。

 既に全員スタンバイしてノートを開いて待機していた。オレたちだけじゃなく、図書館では大勢の生徒たちが勉強に励んでいる様子だった。1年~3年まで、区別なく全員が進退を掛けた戦いを強いられている。それが一目で分かる光景だった。

「遅いわよ」

「悪い、ちょっと店がんでて時間がかかった」

「まさか2人で飯ってたんじゃないだろうなぁ?」

 2人同時にやって来たことを怪しんだいけが、疑いの目を向けて来た。

 実際2人で食ってたわけだが、ここは余計なことを言わない方がいいか。

「うんそうだよ。2人でランチしてたの」

 それは言わなくていい話だろう。案の定池たちは露骨に不満そうな顔をして、オレをにらみつけて来た。まるで親のかたきを見るようだ。堀北はこちらに目もくれることなく、一言。

「早くして」

「……はい」

 堀北に冷たくあしらわれ、オレは静かに着席してノートを取り出した。

「授業受けて思ったんだけどさ、地理って結構簡単だよな」

「化学も思ったほど難しくない」

 池とやまうちがそんなことを言う。

「基本的には暗記問題が多いからじゃないかな? 英語や数学は基礎が出来てないと解けない問題が多いし」

「油断は禁物よ。時事問題が出ることも十分考えられるわ」

「ジジイ……問題?」

「時事問題。近年に起きた政治や経済における事象のことよ。教科書に載っている問題だけが出題されるとは限らないということ」

「うげ、そんなの反則だろ! テスト範囲の意味ねーじゃん!」

「それも含めて勉強よ」

「急に地理が嫌いになって来た……」

 確かに時事問題の可能性は排除しきれないが、それは今回目をつむってもいいだろう。

 出るかも分からない部分を気にしすぎて、拾えるところを逃したら大損だ。

「急いだ方がいいんじゃないか?」

 あれこれ話している間にも、刻一刻と時間は過ぎていく。

「そうね。誰かさんが遅れてきて、貴重な時間が削られたから」

「……まだ責めるか」

「私から皆に問題ね。帰納法を考えた人物の名前は、なんでしょーか?」

「えーっと……さっきの授業で習った奴だよな? 確か……」

 うーんと頭をひねりながら、いけが指先でシャーペンを回す。

「あぁアレだ。アレ。すげぇ腹の減る名前だった気がすんだよな」

「フランシスコ・ザビエル! ……っぽいヤツ、だろ?」

 どうも答えが出なかったのか、ちょっと惜しかった。

「思い出した。フランシス・ベーコンだ!」

「正解っ」

「うっし! これで満点確実だな!」

「いや、全然だろ……」

 とは言え、あと一週間、必死に詰め込めば、なんとか全員赤点をまぬがれそうだ。

「皆、体調だけは崩さないようにしてね。勉強する時間も減っちゃう」

 くしにも余裕がないことは分かっているのだろう、そう言った。

「大丈夫よ。この3人なら」

「さすがほりきたちゃん。俺たちのことを信用してくれてる感じ!?」

 それは多分『バカはひかない』的なニュアンスで言ったんだと思うぞ。

「おい、ちょっとは静かにしろよ。ぎゃーぎゃーうるせぇな」

 隣で勉強していた生徒の一人が顔をあげた。

「悪い悪い。ちょっと騒ぎ過ぎた。問題が解けてうれしくってさ~。帰納法を考えた人物はフランシス・ベーコンだぜ? 覚えておいて損はないからな~」

 池はへらへらと笑いながら、そう言う。

「あ? ……お前ら、ひょっとしてDクラスの生徒か?」

 隣の男子たちが一斉に顔をあげ、オレたちを見回す。その様子がしやくさわったのかどうが半ばキレて口調をこわらせた。

「なんだお前ら。俺たちがDクラスだから何だってんだよ。文句あんのか?」

「いやいや、別に文句はねえよ。俺はCクラスのやまわきだ。よろしくな」

 ニヤニヤと笑いながら、オレたちを見回す山脇。

「ただなんつーか、この学校が実力でクラス分けしててくれてよかったぜ。お前らみたいな底辺と一緒に勉強させられたらたまんねーからなぁ」

「なんだと!」

 真っ先に怒りで立ち上がったのは、言うまでもなく須藤。

「本当のことを言っただけで怒んなよ。もし校内で暴力行為なんて起こしたら、どれだけポイント査定に響くか。おっと、お前らはくすポイントもないんだっけか。てことは、退学になるかもなぁ?」

「上等だ、かかって来いよ!」

 須藤がえるたびに、静かな図書館、周囲から嫌でも注目を浴びてしまう。

 このまま事態がひどくなれば教師の耳に入ることだってあるだろう。

「彼の言う通りよ。ここで騒ぎを起こせば、どうなるか分からない。最悪退学させられることだって、あると思った方がいいわ。それから私たちのことを悪く言うのは構わないけれど、あなたもCクラスでしょう? 正直自慢できるようなクラスではないわね」

「C~Aクラスなんて誤差みたいなもんだ。お前らDだけは別次元だけどなぁ」

「随分と不便な物差しを使っているのね。私から見ればAクラス以外は団子状態よ」

 へらへらと笑っていた山脇が、少しだけほりきたにらんだ。

「1ポイントも持ってない不良品の分際で、生意気言うじゃねえか。顔が可愛かわいいからって何でも許されると思うなよ?」

「脈絡もない話をありがとう。私は今まで自分の容姿を気に掛けたことはなかったけれど、あなたに褒められたことで不愉快に感じたわ」

「っ!」

 机をたたき、山脇が立ち上がる。

「お、おい。よせって。俺たちから仕掛けたなんて広まったらやばいぞ」

 山脇に同席しているCクラスの生徒が、慌ててそでつかみ抑える。

「今度のテスト、赤点を取ったら退学って話は知ってるだろ? お前らから何人退学者が出るか楽しみだぜ」

「残念だけど、Dクラスからは退学者は出ないわ。それに、私たちの心配をする前に自分たちのクラスを心配したらどうかしら。おごっていると足元をすくわれるわよ」

「く、くくっ。足元をすくわれる? 冗談はよせよ」

「俺たちは赤点を取らないために勉強してるんじゃねえ。より良い点数を取るために勉強してんだよ。お前らと一緒にするな。大体、お前ら、フランシス・ベーコンだとか言って喜んでるが、正気か? テスト範囲外のところを勉強して何になる?」

「え?」

「もしかしてテスト範囲もろくに分かってないのか? これだから不良品はよぉ」

「いい加減にしろよ、コラ」

 どうはもうキレる寸前なのか、既にキレてしまったのか、やまわきの胸倉をつかみ上げた。

「お、おいおい、暴力振るう気か? マイナスらうぞ? いいのか?」

「減るポイントなんて持ってねーんだよ!」

 須藤が腕を引いた。やばい、こいつマジでなぐり飛ばすつもりだ。

 さすがに止めなければならないと、オレがを引いた直後───。

「はい、ストップストップ!」

 そう言ったのは、この図書館で勉強していたと思われる女子生徒の一人だった。

 思わぬ登場人物に、須藤の手が止まる。

「んだ、テメェは、部外者が口出すなよ」

「部外者? この図書館を利用させてもらってる生徒の一人として、騒ぎを見過ごすわけにはいかないの。もし、どうしても暴力を起こしたいなら、外でやってもらえる?」

 淡々と正論をぶつけるストロベリーブロンドの美女に、どうやまわきから手を離した。

「それから君たちも、挑発が過ぎるんじゃないかな? これ以上続けるなら、学校側にこのことを報告しなきゃいけないけど、それでもいいのかな?」

「わ、悪い。そんなつもりはないんだよ、いち

 一之瀬、と山脇に呼ばれた少女は、前に一度だけ見かけたことがあったことを思い出す。

 ほしみや先生と話していた、Bクラスの生徒だ。

「おい行こうぜ。こんなところで勉強してたらバカが移るし」

「だ、だな」

 山脇たちは吐き捨てるように言ってこの場を去って行った。

「君たちもここで勉強を続けるなら、大人しくやろうね。以上っ」

 さつそうと去っていく姿を見送った後、オレは感心したようにうなずいた。

ほりきたと違って、しっかりとこの場を治めていったな」

「私は乱したつもりはないわ。ただ本当のことを言っただけよ」

 それが場を乱すキッカケになったんだけどな……。

「ねえ……さっきテスト範囲外って……言ってた、よね?」

「……どういうこと?」

 オレたちは顔を見合わせる。

 ちやばしら先生から聞いたテスト範囲には、大航海時代が入っている。

 それはオレも堀北もメモしていたから間違いない。

「クラスでテストが違う、ってことなのかな?」

「それは考えにくいわね……学年で統一されているはずよ」

 堀北の言うように、五科目の中間、期末テストは基本的に同学年すべて同じ問題が出題されるはずだ。そうでなければポイント制度への反映もあいまいな基準になってしまう。

 だとしたら、Cクラスだけが早くにテスト範囲の変更を知らされていた?

 あるいは、オレたちDクラスにだけ伝えられていなかったか……。

 思いがけない情報に、オレたちは混乱せずにはいられなかった。

 もしも本当に社会のテスト範囲が違ったのだとしたら。

 ……いや……。社会だけが間違っていたのなら、最悪何とかなる。

 だけど、もしもすべてのテスト範囲が違っていたとしたら。

 オレたちはこの一週間無駄な時間を過ごしてきたことになってしまう。


    3


 昼休みがわるまで、後10分を切った。

 オレたち勉強会のメンバーは勉強を切り上げ、全員で職員室へと足早に向かった。

 にもかくにも、テスト範囲が正しいのかを確認しなければ前に進めない。

「先生。急ぎ確認したいことがあります」

「随分と物々しい様子だな。他の先生たちが驚いてるぞ」

「大勢で押しかけたことはおびします」

「それはいいが、ちょっと取り込み中だ。手短に頼む」

 教師には教師でやることがあるのか、何やらノートに書き記していた。

「先週ちやばしら先生から伺った中間テストの範囲ですが、それに間違いはありませんか? 先ほど、Cクラスの生徒からテスト範囲が違うと指摘を受けましたので」

 茶柱先生は眉ひとつ動かすことなく、ほりきたの話に耳を傾ける。そして黙って聞いていた茶柱先生の、ペンを動かす手が止まった。

「……そうか、中間テストの範囲は先週の金曜日に変わったんだったな。悪いな、お前たちに伝えるのを失念していたようだ」

「な───!?」

 ノートにサラサラと五科目分のテスト範囲と思われる部分を書き出し、ページを切り取ると堀北へと手渡した。そこに書かれた教科書のページ数は既に授業で習っていた場所だったが、勉強会を開く以前の部分が大半で、どうたちはほとんど学習していない。

「堀北、お前のお陰でミスに気付くことが出来た。皆も感謝するように。以上」

「ちょ、ちょっと待ってくれよちゃん先生! 遅すぎるぜそんなの!」

「そんなことはない。まだ一週間ある、これから勉強すれば楽勝だろう?」

 悪びれることもなく茶柱先生はそれだけ言うと、オレたちを職員室から追い出そうとした。だが、素直に従う生徒は誰一人いなかった。

「これ以上居座ったところで、事態は変わらない。それくらいは分かるだろ?」

「……行きましょう」

「で、でもよぉ堀北ちゃん! こんなの、納得できないって!」

「先生の言うように、こうしていても時間の無駄よ。それよりも、新しいテスト範囲の勉強を少しでも早く始めた方がいい」

「けど!」

 堀北はきびすを返し、職員室を出る。渋々だが須藤たちもその後に続いた。茶柱先生は一度もこちらに目を向けることをしなかった。そこには生徒に対する申し訳ないと言う思いも、ミスをした焦りもなかった。何より、一部の教師たちには今の話が聞こえていたはず。

 ある種一大事とも取れる担任のミスにもかかわらず、反応を示そうとしない。一瞬、茶柱先生の向かいの席に居るほしみや先生と目が合った。薄く微笑ほほえみ、ひらひらと手を振る。

 こりゃあ、何かあるな。ただテスト範囲を伝え忘れていた、ってだけじゃなさそうだ。

 廊下に出ると、もうすぐ午後の授業が始まることを知らせる予鈴が鳴った。

くしさん。少しお願いがあるのだけれど」

「ん? なにかな?」

「新しいテスト範囲のことを、Dクラスの皆に知らせて欲しいの」

 そう言い、先生から受け取った紙を櫛田に手渡した。

「それはいいけど……私でいいの?」

「この中であなたが一番の適任者であることは、議論するまでもないこと。テスト範囲を勘違いしたままテストを迎えるわけにはいかないの」

「うん、わかった。私が責任を持ってひらくんたちに伝えておくね」

「私は明日以降に備えて、新しいテスト範囲から更に絞り込みをするわ」

 ほりきたは努めて平静をよそおっていたが、わずかに焦りがにじみ出ているのが分かった。必死に勉強した部分は無駄になり振り出しに戻された。時間も一週間しか残されていない。

 何より心配なのは、どういけたちトリオのモチベーションだろう。

「堀北。お前には苦労かけるけどよ、頼むわ」

 須藤は、頭を下げながら堀北にそう言った。

「俺……明日から一週間、部活休む。それで何とかなるか?」

「……それは……」

 残された一週間という時間を考えれば、それは必要不可欠、冷静な判断だ。

 願ってもない申し出に驚く堀北だったが、にわかには受け入れがたいようだった。

「本当に構わないの? すごく、苦労することになるわ」

「勉強は苦労するもの、だろ?」

 ニヤリと笑い、須藤は堀北の肩をたたいた。

「須藤、本気かよ?」

「ああ。今すげぇムカついてんだ。担任にも、Cクラスの連中にも」

 不幸中の幸い、とでも言おうか。追い込まれに追い込まれたことで、須藤が初めて勉強に対して前向きな姿勢を見せた。やらなければテストを乗り切ることが出来ない。そう肌で感じたのだろう。そして須藤を見ていた池ややまうちも、それに触発された。

「仕方ない、俺たちもやるぜ」

「分かったわ。あなたたちにその覚悟があるなら、協力するわ。だけど須藤くん───」

 パン、と肩に置かれた手を、堀北は容赦なく振り払った。

「私の身体からだに触らないで。次に同じことをしたら、容赦しないから」

「……可愛かわいくねー女……」

「絶対に見返してやろうぜ!」

「私もやるよっ!」

 くしも、ぜんやる気を出したのか、握りこぶしを前にき出した。

あやの小路こうじくんも一緒にがんばろうね!」

「え? いや、オレは───」

「もしかして……もう、勉強する気なくなっちゃったとか?」

「……ちょっと考えるかな……」

「あなたは私に協力する約束をしたはず。違う?」

 しっかりと聞かれてしまったのか、ほりきたにらまれる。

「オレは人にモノを教えるのは得意じゃない。人には向き不向きがあるだろ?」

 正直、勉強を教えるって意味じゃオレなんかより、堀北や櫛田の方が向いている。

 誰かに教えられるほど、オレは『出来た』人間じゃない。

「そういや、綾小路はテストの点数、そんな良くないんだよな?」

「時間が無いし、マンツーマンで教えるよりも堀北と櫛田で協力して3人に教えた方がはるかに効率がいいはずだ。それに、少し気になることもあるしな」

「気になること?」

 職員室での一連の流れは、見過ごすには大きすぎる要素だ。


    4


 昼休みになると、オレはすぐに席を立った。ある目的のために。そして食堂へ向かう。

「どこに行くのっ?」

 そそくさとDクラスを後にしたオレの様子が気になったのか、櫛田が跡を付けてきていた。ひょっこりと前に回り込み、前かがみでオレを見上げた。

「昼だから、飯おうと思って」

「ふぅん。私も一緒していい?」

「別に、それはいいけど。櫛田なら相手は幾らでもいるだろ」

「一緒にご飯を食べるともだちは沢山いるけど、綾小路くんは一人だけだからね。それにいつもなら堀北さんに声をかけるのに、今日きようはそうじゃなかったから。昨日きのうさ、気になることがあるって職員室で言ってたよね。アレって何だったの?」

 相変わらず、周囲の話をよく聞いてると言うか観察していると言うか。正直、誰かが居るとやりづらい、そう思ったんだが、櫛田の場合は大丈夫か。オレはこいつの秘密を偶然知ってしまっている。なことはしないだろう。

「教えてやってもいいけど、他言しないと約束できるか?」

「秘密にするのは得意だからっ」

 オレは櫛田と共に、食堂に向かうことにした。やがて、食堂、混雑する食券売り場の前までたどり着く。そして列に並び二人分の券を購入すると、オレはカウンターに並ばず券売機横まで移動し、メニューを買う生徒たちの指先に視線をやった。

「どうしたの?」

 突如観察を始めたオレに不思議そうに首をかしげるくし

「これがオレの気になってたことの、答えにつながる可能性がある」

 オレは券売機で定食を買っていく生徒たちを見つめ続けた。そして目的の生徒は、20人ほど待った時に現れた。ある定食を購入し、重い足取りでカウンターへ向かう生徒。

「よし、オレたちも行くぞ」

「ん? うん」

 足早にカウンターで券の定食と引き換え、オレは足取り重い生徒の前に腰を下ろした。

「あの、すいません。先輩……ですよね?」

「……え? なんだお前」

 静かに顔を上げた生徒は、興味なさそうにオレを見上げた。

「二年ですか? 三年ですか?」

「三年だけど。それがなんだよ、お前一年だな?」

「Dクラスのあやの小路こうじって言います。多分先輩も、Dですよね?」

「……それがお前に関係のあることか?」

 どうしてわかったの? と櫛田が目で驚いていた。

「無料で食べられる定食は限られてますから。しくないですよね、それ」

 先輩が食べているのは、山菜定食。

「何なんだよ、うつとうしいな」

 トレイを持って立ち上がろうとしたので、呼び止める。

「少し相談があるんです。聞いて頂けたら、お礼もするつもりです」

「……礼?」

 食堂は混雑していて、オレの小さな声は周囲のけんそうにかき消される。

 近くの生徒たちも、幸いともだちとの談笑に夢中なようだった。

「一昨年の一学期、中間テストの問題を持ってませんか? もし先輩、あるいは先輩のクラスメイトの中に過去問を持ってる人が居るなら、それを譲ってもらいたいんです」

「お前、自分が何を言ってるのか分かってるのか?」

「別に不思議なことじゃないでしょう。過去の問題を有益に利用することは、別に学校のルールには反しないと思いますけど」

「何で俺なんかに、そんな話を持ってきた」

「簡単ですよ。ポイント不足に困っている人なら、相談に乗ってくれる確率が高いと思ったからです。事実、先輩はこうして美味しくない山菜定食食べてますし。もちろん、山菜が好きで食べてるってなら話は別ですけど。どうですか?」

「……いくら払える」

「10000ポイント。それが上限です」

「過去問を俺は持ってない、が……持ってる奴に心当たりはある。そいつに協力を頼むなら、最低でも30000ポイント必要だ。それで用意してやってもいい」

「幾ら何でも30000ポイントは無理です。手持ちが足りません」

「あと幾ら残ってるんだ」

「……20000、です」

「なら20000……いや、15000で手を打ってやる。それ以下は無理だ」

「15000ですか……」

「知らない俺に過去問を頼み込むくらいだ、よっぽど焦ってんだろ。この学校は赤点を取った生徒には容赦なく退学をきつける。クラスメイトも、もう何人も居なくなった」

「でしょうね。……分かりました。15000ポイント支払います」

「交渉成立だな。もちろんポイントは先に振り込んでもらうぞ」

「それは構いませんけど、もし裏切るようなしたら、先輩でも容赦しませんよ? 退学覚悟で、あらゆる手をもって報復しますんで」

「……強気だな。分かってる、ポイントの譲渡をすれば嫌でも記録は残る。後輩から巻き上げたなんてうわさが広まれば、俺はタダじゃ済まないからな」

「それから先輩、15000お支払するので、オマケを一つ付けてもらえませんか。入学直後、やらされた小テスト。その解答が見たいんです」

「分かった、それもつけてやる。ま、お前の心配は無用だと思うけどな」

 どうやら先輩はオレのねらいも、考えも理解している様子だった。

「ありがとうございます」

 交渉成立させると先輩はそそくさと席を立った。目立ちたくないと思ったのだろうか。

「ね、ねえあやの小路こうじくん……。今の……そんなことして、本当に大丈夫なの?」

「問題ないさ。ポイントの譲渡は学校のルール内だし。違反に問われることはない」

「それはそうかもだけど。でも過去問を貰うなんてずるいんじゃないの?」

「ずるい? オレはそうは思わない。もし学校がそれを認めてなかったら、当然最初にそれを説明しているはずだし、それに今日きようの3年生を見て確信に変わったよ。こんな風に生徒同士で取引するのは珍しいことじゃない、ってな」

「え……?」

「特別驚いた素振りも無かったし、俺の存在を意外と早く受け入れた。多分交渉は初めてじゃない。一年の時の中間テストの答案用紙だけじゃなく、入学直後の小テストの答案用紙すら保存しているところを見てもほぼ間違いなさそうだ」

 目を丸くして、くしは驚く。

あやの小路こうじくんって、意外と思い切ったことするんだね。びっくりしちゃった」

どうたちの退学を阻止するための、保険って奴だな」

「けど、もし空振りだったら無駄になっちゃうね。過去問は過去問でしょ? としのテストとは全く無関係ってこともあると思うし」

「丸々同じ問題は出ないかも知れないけど、全く違う問題になるとも思えない。この間の小テストが、そのヒントを出してくれてたからな」

「ヒント?」

「簡単な問題の中に、一部すごく難しい問題が混ざってたのは気づいたか?」

「それは、うん。最後の方の奴だよね? 私は問題の意味すら理解できなかったな」

「後で調べてみたら、アレは高校二年、三年で習う範囲の問題だった。つまり、一年生の大半には解けるはずのない問題ってことだ。学校側がそんな解けない問題をわざわざほうり込むなんて無駄だろ? あれには学力を計る以外で別のねらいがあったのかも知れない。もし過去の小テストで、今回と全く同じ問題が出題されていたら、どうだ?」

「……過去問を見ていたら、全問正解出来てたことになるね」

 更に中間テストにも、同じように応用できることになる。

 程なくして、オレの携帯に三年の先輩から添付画像が送られていた。過去問だ。

 まずは小テストの方を確認する。肝心なのは最後の3問が同じなのかどうかだ。

 くしも気になるのか、近くで携帯をのぞんできた。

「どう? どう?」

「同じだ。一語一句違わない。一昨年のテストとオレたちが受けたテストは同じ内容だ」

「凄い凄い! じゃあ、この過去問を皆に見せたら楽勝だね! 須藤くんたちだけじゃなくて、他のともだちにも早く見せてあげようよ!」

「いや、それはよそう。須藤たちには過去問はまだ見せない」

「ど、どうして? せつかく高いポイント使ってもらったのに」

「これが有効的な過去問だと聞けば、どうしても緊張が緩むし、折角の猛勉強に水を差す。何より信用しすぎるのも問題だ。中間テストも小テストのような同じ問題とは限らない上に、今年だけ違う可能性だってある」

 あくまでも、この過去問は保険の域であることを、頭に入れておかなければならない。

「じゃあこれはどうやって使うの?」

「テスト前日にこれが過去問であることをネタバラしする。そして一昨年はほぼ同じ問題、答えだったってことを一緒に教える。そしたら、皆はどうする?」

「夜、必死に机にかじいて過去問を暗記する!」

「そういうことだ」

 要領の悪い生徒はすべての問題を1日で覚えられないかも知れない。けど、事前に問題を把握することは難しくない。今回のテストは満点を取ることが目的じゃない。あくまでも赤点を取らずに乗り切ることが大切だ。欲張りすぎると、墓穴を掘る可能性がある。

 けどこれで、Dクラスの生徒全員クリアできるかも知れない。

「ねえ……いつから過去問を手に入れようって考えてたの?」

「手に入れたいと思ったのは、テスト範囲が間違ってると知った時だ。もっとも、過去問が有効的だって可能性は、中間テストの話をされたときから、少し想定してた」

「えっ!? そ、そんな前から!?」

「中間テストのことを話した時、ちやばしら先生の言い方は妙に独特だった。担任としてどうたちの成績や学習態度はしっかりと把握している。にもかかわらず、退学者を出さずに乗り切れる方法があると確信を持って話していた。つまり、絶対に助かる確実な方法があることを示していたんじゃないか、ってな」

「それが……この過去問の存在?」

 勉強が得意でない須藤やいけたちがこの学校に入学できたのも、その辺がからんでいるのかも知れない。正攻法では点数を取れなくても、退学にならないための逃げ道というか、手段がちりばめられているんじゃないだろうか。今回で言う、過去問を入手することで誰でも満点に近い点数を取れる、というような。そう考えると自然と納得できてしまう。

「……あやの小路こうじくんって、何気にキレ者?」

「悪知恵が働くだけだ。内心、自分が中間テストを乗り切れる自信もなかったし。何とかして楽出来る方法がないか探してただけさ」

「ふぅん」

 何か思うことがあるのか、くしは含みのある笑みを浮かべる。

「ひとつお願いがあるんだが、この過去問櫛田が入手したことにしてくれないか? 櫛田が仲良くなった三年の先輩から教えてもらったことにしてほしい」

「それはいいけど……でも、綾小路くんはそれでいいの?」

「オレは事なかれ主義なんだよ。不用意に目立つことはしたくないし。それに櫛田はクラスメイトから信用されてるからな。オレが伝えるよりもよっぽどいい」

「……分かった。綾小路くんがそう言うなら」

「助かるよ。余計なことをして目立つのは避けたいんだ」

「じゃあこのことは、私たちだけの秘密、だね」

「ま、そう言うことだな」

「秘密を共有した者同士って、妙なきずなっていうか信頼関係が生まれる気がしない?」

「さあ、どうかな。そうだといいな」

「ありがと」

 櫛田はただ、短くそう言った。そのありがとうの意味は、告げないまま。

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