人と妖

ぎろり、訝しげに三白眼。

「なんだヒトノコ、俺達の顔に何か付いているか。」

百鬼夜行も終わり、揺れる屋形船の上、下界の酒をちびちび飲む自分に対し、妖世界でも最も強いと言われる特別製の日本酒、越天楽の一升瓶をそれぞれ少なくとも二本は空けておきながら、この御三方は表情一つ変えない。見慣れてしまった光景に思わずげんなりしてしまう。

「いや、こうしてみれば成る程妖怪だと…。」

「こうしてみれば、とはどういう意味だ?」

「飲みっぷりが……人間と全く違うもので。」

政木様が豪快な笑い声をあげる。

「そらそうやろ!人間みたいなちゃちな作りしとったらこんな永い歳月とてもやないけど生きられへんわ!」

「まあ、この頃はヒトノコも大概妖怪だがな。」

「何故?」

「其奴俺が勝手に家上がったら自分の金棒でどつき回してきよった。怖すぎてあれから暫く飯も喉通らんかったわ。」

「床に漆を塗ったばかりだというのに政木様が狐の姿で家に上がるからですよ。塗り上がりは暫く傷が付きやすいので爪の跡を付けないよう、人の姿でいらっしゃるようにとお願いしていたではありませんか。」

「なんだ、全て政木のせいか。嗚呼成る程、だから所々に傷が……。」

「思い出したらまた腹が立ってきましたね。」

「堪忍してください。」

「ふははっ、三代妖怪の一人に頭を下げさせるとは流石だな。外道丸が拾ってきただけはある!」

そう言って鞍馬様は斜めがけされた天狗の長ッ鼻を撫でながら、鼻筋の通った浅黒い顔をくしゃくしゃにして笑った。

「そういえば、お二方は普段から人に近い格好をなさっていますが、それは何故なのですか。」

すると、二人は不思議そうに顔を見合わせる。何を言っているかわからないとでも言いたげな、珍しくも気の合った顔をされ、まるで自分が世間知らずのようなどことなく恥ずかしい気がしてきた。

「ヒトノコ、お前二人の本来の姿を見たことくらいあるだろう?」

おずおずと首肯する。先程も話した通り、政木様はしょっちゅう獣の姿で来訪して来るし、鞍馬様は昔一度だけだが、立派な嘴の生えた烏頭を見せていただいたことがある。

私が黙っていれば、外道丸様に本当に分からんのか、という呆れた視線を向けられる。

「妖怪が人に化けるのは、人間が何かと勝手のいい形をした生き物だからだよ。」

「勝手のいい……。」

鞍馬様が酒を煽りながら言う。

「例えば、そうだな……。

俺達妖怪の中には、身体的特徴によって変化なしでは食事を摂ることもままならない者も多いのだ。瀬戸大将にのっぺらぼう、あとは異形だな。俺も嘴では飲み食いが難しい部分もある。

その点、人間は立派な器官を揃えているからな。」

「俺かてそうやわ。獣の姿は、確かにまあ移動には便利やけど、物は掴めへんし、手足は短いし、それについ昨日やって自分、屋敷に毛落とすん止めろ言うて俺のことどついてきたやん。」

「なるほど……。」

人間として生を受け、もう三千年ほどになる。しかし、人間の体の便利さなど考えたこともなかった。

考えてみれば、この世界の文明は人間向けに作られていると言っても過言ではない。殊に家や家具の作りがそうだ。大半は人間の形をした生き物が使うことを前提に作られている。種族にもよるのだろうが、妖怪達は自らの姿を使い分けながら生活しているのだ。

「まあ、人間が驕りたくなるんも分かるわ。俺達妖怪かて畜生やないから、出来ることの幅は広いし物考えることもする。

やけど普通に生きる分には、性能は人間に劣っとるわな。」

「妖怪はなんらかの思念から生まれることもある。その為、それ以外が偏っている者は案外多い。

…普通に生きるように出来ていないのだ。」

「…いや、それは違うんじゃないか。」

外道丸様は甲板に立っていらした。

「……そもそも、普通に生きる為にうまれたんじゃない。」

いまいち私には、普通に生きるということが何なのか理解出来なかった。ここが、己と彼ら妖怪との境界線なのかも知れない。

しんと静まり返った座敷。屋根の下で飲む私達には空が見えないが、もしかすると、彼女の目には月が映っているのやもしれない。


船頭のいない屋形船は、提灯の灯りを水面に落としつつ滑るように妖世界の夜を駆けて行った。

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