旅の前に 17

「さて、準備も出来たしカーナ剣を構えろ。」


カーナはアヒムの命令に忠実に行動を起こす。

腰を低くし、刀を持つ手を後方へ引いて剣先を一直線に僕へ向けた。

僕も身構えて対抗する。

僕は、これからカーナに過酷な事をさせようとしている。

そうしないとアヒムに悟られずカーナを捕まえる事が出来ないんだ。

だけど、カーナがそれに耐えられるのか?


カーナが僕を真っ直ぐに見ている。

目に力を感じないので視線が合っているのか今ひとつ確信は無いけど、それでも僕はカーナとの視線を合わせ、訴えかける。

カーナの心に。

僕がこれからする事に耐えて欲しい事を。


「止めなさい! カーナさん目を覚ましなさい!!」


自由を奪われたリーシェンが顔だけを上げて必死にカーナに訴えかける。

でも、カーナが反応する事は無く、無表情のまま、僕の方に向いて身体強化魔法を掛けて力を貯める。

僕は、ほんの少し視線をアヒムの剣を見る。

残念。

この状況になれば、アヒムの剣がカーナから外れる可能性に賭けたんだけど、そう甘くなかったか。

変態のくせに用心深い奴め。

僕は直ぐにカーナの瞳に僕の視線を固定する。

どんな状態になってもその瞳から視線を離さない様にするため、そうすれば、


「それでは、レンティエンス君、何も出来ずに君の従者に殺されるがいい。殺れ!」

「カーナは従者じゃない! 僕の大切な人だ!」


カーナから、物凄い圧力が僕に向かって来た。

僕とカーナの間は10~12歩くらいしかない。

こんな距離、カーナなら瞬きの時間も必要ない。


「カーナさん! だめ!!!!!」


「来る!」


ほんの一瞬しかない間、なのに僕は物凄くゆっくりな時間にこの時思えた。

それは、カーナの瞳から涙が出ているのを見たからかもしれない。

しかも微かに赤く染まっていた。


血の涙。


カーナが苦しんでいる。

僕がふがいないばかりに、こんな辛い思いをさせてしまった。

これを切り抜けたら真っ先に謝ろう。

そして、これからも僕を助けてくれるようにお願いしよう。

その為にも、僕が何とかするんだ!

泣いているカーナの瞳に向かって僕は自信のある笑顔で迎える。


カーナ! 僕を信じて! そして自分を信じるんだ!


ドスン!!


深く重い物が僕のお腹に響いた。

僕の白っぽい騎士服が一気に赤く染まり始める。

カーナの刀は僕のお腹からそのまま背中に剣先が深く抜けるほど刺さっていた。

刀が僕の身体に深く刺さっているので、僕の顔とカーナの顔が額を付けるほどに近くなっていた。


「いやああああ! レン様!!!!」


リーシェンの叫び声がなんだか遠くに聞こえる。

これは案外やばい! 

痛みは確かに凄く痛いけど、こんなの母様の扱きに比べたらたいしたことはない。

それより出血による思考とか視界とかが思った以上に低下するのが早いし、その上、身体から力が抜けて行くのが早すぎる。

一度気合いを入れ直し、目の前にあるカーナの顔を両手で挟むと、視線を固定しカーナの瞳の奥へと意識を潜り込ませる。

アヒムに出来て僕の加護、神対応が出来ないはずがない!

僕は意識をさらに集中しカーナの瞳の奥へとさらに沈めていく。


僕の周囲が急に暗くなりとても冷たいと感じた。

さらにその奥へと進めると、裸の女の子がうずくまっているのを見つけた。


「カーナ?」


その女の子は僕くらいの年齢に見えるが、その特徴のある赤い髪と赤い瞳は間違いなくカーナだと僕の心が言っていた。


「レン、さ、ま。どうしてこんな無茶をされるんですか、私はもともとメイドでただの護衛なんですよ? 私なんかの為に命をはる事はないんです! 私の変わりは他にもいるんです! でもレン様の変わりは居ないんですよ!!」


うずくまって顔を伏せながら、カーナは叫んで怒っていた。


「ごめん。でもそれは無理。もうカーナが居ない世界なんて考えられないもの。僕が赤子の頃から一緒にいて、たぶん母様より僕の事を知っているのはカーナだし、僕が何も言わなくてもなんでも判ってくれるのもカーナだもの。いないなんて考える事自体、無理だよ?」

「それなら! レン様こそいなくなってしまったら駄目なんですよ?! 私には耐えられません!」

「だから、僕もカーナもいなくならなければ良いんだよ?」

「え?」


やっと、顔をあげてくれたカーナの顔が少し驚いている。


「カーナ、僕の声が聞こえて、このお腹の部分にわざと刺してくれたんでしょ?」

「え、確かにレン様の声が聞こえた様な気がして、とにかく身体を動かそうとはしていましたけど、殆ど役にたっていませんでしたよ?」


不安そうに顔をあげて僕を見つめる小さなカーナの頭を優しくなでる。


「ここなら内蔵にも殆ど傷が付かないところだから、傷口をふさげば何とかなるんだ。後はカーナに掛かった魅惑の眼差しの催眠術を解ければ良かったんだけどね?」

「?」

「はずだったんだけど思った以上に血が流れて意識がなくなりそうなんだ。だから急ぎたいんだ。」


カーナは僕の言葉を受けてバッと立ち上がり、僕にしがみついてきた。


「レン様! 何を私に優しく声を掛けているんです! 早く何とかしないといけないじゃないですか!?」

「う、うんそうなんだけど、カーナが許してくれるか心配で。」

「そんな事! 私がレン様の言う事を否定するなんて事ないですよ! この状況を打破出来るなら私なんでもします!」

「そう?」

「はい!」

「それじゃあ言うけど、アヒムの加護の影響下にあるカーナを元に戻す為には、さらにその上から同じ加護で上書きするしかないんだ。つまりカーナを僕の従順な下僕、つまり奴隷と同じ扱いで上書きする必要があるんだ。アヒムの魅惑の眼差しって加護は、本当に危ない加護だよ。」


カーナは不思議そうにしている。

あれ?何か変な事言ったかな?


「あの、それって何か問題あるんです?」

「え? だって奴隷だよ? 僕の奴隷って扱いになるんだよ? まあそれを言いふらす気はないけど。」


あ、何故かカーナ顔がにやけているよ? 何故?


「カーナ?」

「え? いえ! 大丈夫です! レン様さあ! どうぞ!! やっちゃて下さい!」


何故か自分から進んで受けているようだし、良しとしておこう?


「カーナ、じゃあするからね?」

「はい、来てください。」


少し緊張感を無くしてしまいそうな雰囲気だけど、僕は怯まず進めた。


「そうだ、この後の事を伝えとくね。」

「この後ですか?」

「ああ、アヒムを懲らしめる手順だよ。カーナにも演技してもらうからね。」

「はい! あいつはちょと許せませんから頑張ります!」

「うん、カーナにお願いするよ。叩きのめして、僕はちょと無理そうだから。」

「え?」

「行くよ!」


僕は、カーナの顔を両手で挟み固定して、瞳を覗きこんだ。

カーナの瞳の奥にある禍々しい光の明滅を直ぐに見つける事が出来た。

これか?

この複雑にどす黒い赤や紫色や色々な明滅する光を僕の色のイメージに書き換える。

すると、その色は次第に白と鮮やかな朱色に書き変わって行く。

僕はその明滅が安定したのを確認してから力を抜く。


「良し、これで良い。カーナ後は頼ん・だ・よ・・」


・・・・・・・・・・・・・


レン・さ・ま?


私は、何をしていたんだろう?

今、確かレン様と一緒にいて・・


目の前が突然、明かりが開けた様な感覚に襲われる。

ずっと暗い世界で悪夢を見ていた気がする。

そうだ、レン様に刀を向け、刺してしまう夢を見たんだ、

あんな現実と変わらない感覚の夢なんて、今考えただけでも恐ろしくて血の気が引いてしまう。

あんな夢を見るなんて・・・


私は寝ぼけて霞んでいた頭が次第に明瞭になって行くのを感じながら嫌な夢から逃れられた事に安堵のため息をついた。

視界が晴れて行く。

あれ?

目の前に誰かいる?

物凄い近くに人がいる。

でも、この感じは直ぐに判る。

私は、この優しい笑顔が大好きだ。

私は、この人の為なら何でも出来る。

今の私の全てなんだ。

あれ?この頬の感じ、この人の手が触っている。

何で?

嬉しい、はずだよね?

じゃあ、なんでこんなにも悲しいの?

私は何か大事な事を忘れている?

視界がはっきりし始めた。

私の目の前に大好きな彼の顔があった。

血にまみれ、それでも笑顔を私に向けている大好きな彼の顔が。

頬に伝わる手が冷たい。

私は、嫌でも現実に戻された。


これは、私がやったんだ。

私はレン様を!



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