旅の前に 15
「ザッシュッ!!」
「う!クッ!」
「あれ~、誰が動いて良いと言った?!」
アヒム殿下は振り下ろした剣を引き、相手の右腕を確認していた。
「あれ~、おかしいな? 確かに腕を切り落としたつもりだったのだけど? 君、結構剣術ができるんだ?」
セルバは剣を持つ手で二の腕から流れ出る血を押さえながら顔をしかめていた。
先程は不意を突いたから剣が通ったのか?、実力差がありすぎる。
セルバも全盛期の冒険者クラスはA-だった。
それなのに全く勝てる気がしなくなっていた。
「はは、不思議そうだね? この僕の手を斬って、自信でもあったのかな?」
掌をヒラヒラとさせて、手に付けられた剣の傷痕を見せ付ける。
「あの糞ガキ、レンティエンスとの勝負の時もそうだけど、僕は奥の手を使ってなかったんだよ。まあ、あの時の勝負は使うまでもなく勝てると慢心していたから使わずに負けてしまったんだけどね。でも奥の手を使っていたら問題なく勝てたはずなんだ。ああ~! くそ! 今思い出しても胸糞が悪い!」
傷のある手で額を掴み、当時の出来事を悔しそうにしセルバを睨みつける。
「まあ、いい。君をとっとと始末してあの糞ガキを待つとするか。カーナ! お前がやれ!」
アヒムの命令に、今までダルナンに突き付けていた刀を翻し、セルバに対して構えを取るカーナ。
その表情は全く意思を感じられない。
「カーナ様! 正気に戻って下さい! このままでは!」
「無駄だよ。」
アヒムは顎をクイッと小さく突き上げると同時にカーナがセルバに向かって刀を振り下ろす。
セルバは何とか一撃目を剣で受け止めるがその尋常でない剣激に腰を折り、膝を突いてしまう。
「クッ! カーナ様!」
やっとの思いで防いだものの、反撃が出来る余裕は無かった。
カーナはその隙に刀をセルバの剣の上を横へ滑らせ、踏み込んでいた足を軸に急旋回、刀はその勢いのまま最短で回転しセルバの首を寸分違わずに狙いを定め横薙が決まった・・
「ギィンンン!!」
あと、小指一本分程でセルバの首に到達するはずだったカーナの刀が、もう一つの同じ形の刀によって止められていた。
「ほおう、やっとの御登場か。」
アヒムは目の前で起こった事を特に驚くでもなく、カーナの斬撃を止めた張本人に向け余裕の言葉を投げかけた。
「アヒム殿下? ですよね? あなたカーナに何をしたんだ?」
その声にセルバは恐怖し、ダルナンは腰を抜かし床に尻餅をついていた。
なんだこの子は、見た目は10才もいってないまだあどけない姿なのに、この地の底から湧き出る様な冷たい言葉は? 本当に子供なのか? いやそもそも人間なのか?
セルバは、震える身体をなんとか制して、目の前の子供を見つめる。
しかしアヒムはそんなレンの怒りの視線を軽く受け流し笑みを絶やさない。
「何を? ですか? 見れば判るでしょう? この女は私の物になったんですよ。 レンティエンス・ブロスフォード君。」
「!!」
「おっと。」
レンの身体に力が入る直前、アヒムは数歩分飛び後退し、カーナもそれに合わせアヒム殿下の横へと後退した。
残されたレンは、刀の剣先をアヒムに向けながらゆっくりと立ち上がった。
部屋の中に静寂が訪れる。
そんな中アヒムは口角を上げ嫌味な笑みを張り付かせ、カーナは表情を変えずただレンの方を向いていた。
一方レンは立ち上がったまま、静かにアヒムとカーナを交互に観察している。
それは冷静に状況の判断をしている様に見えたが、直ぐ側にいるセルバには全く違って見えた。
憤怒、激怒、そんな言葉が生易しい程の言葉に表せられない、怒りの感情に支配された化け物がそこにいる様に見えていた。
「殺す。」
「おいおい、怖いなあレンティエンス君。そんなに殺気立っていちゃあ、間違えてカーナに剣を刺してしまいそうだよ。」
カーナの下腹部辺りに自分の剣先を突き当てながら、ニタニタと笑うアヒム。
カーナの綺麗な肌から一筋の血が流れる。
胸騒ぎを感じていた僕は、カーナの調査で判っていた部屋へと急いでいた。
こんな気持ちは初めてだ。
こんなにも、落ち着かず焦るなんて今まで無かった。
階段を駆け上がり、奥の部屋へと急ぐ。
程なくして扉の前に到着するが、リーシェンが裏手に回るまでは少し時間がかかる。
ここは少し待ってタイミングを合わせて駆け込むか?
そんな事を思っていたら、中の方で異様な雰囲気が発せられたのを感じ。それに対して僕の危険信号が鳴り響いた。
待っていたらまずい!
僕は勘に任せ、扉を打ち開けその発生源に何も考えず突っ込んで行く。
そして僕は信じられ無いものを見てしまう。
怪我をしている初老の男性にカーナが斬り掛かろうとしていた。
僕は何も考えずにその剣撃を僕の刀で迎え止めた。
「ギンンン!!」
「ほおう、やっとの御登場か。」
カーナがこの怪我をしている男に斬り掛かっているのを咄嗟に受け止めたのだが、そのカーナの姿に僕は息をのんだ。
何も服を着ていない? それなのに何の感情も無い表情でいるカーナに違和感を感じた。
カーナにもアヒム殿下の加護の対策は話していたはずなのに、どうしてこうなった?
彼の雰囲気が王宮であった時と違う気がする?
それが原因なのか?
いや! そんな事はどうでもいい!
カーナをこんな姿にさせ、関係の無い男を殺させようとするアヒム殿下が憎い!
そのアヒムをあまり注意せずに事に当たらせた僕の甘さが憎い!
「アヒム殿下? ですよね? あなたカーナに何をしたんだ?」
自分でも別人かと思う程の冷たい声が口から出たのに驚いた。
「何を? ですか? 見れば判るでしょう? この女は私の物になったんですよ。 レンティエンス・ブロスフォード君。」
アヒムの言葉に僕の中の何かが音をたててちぎれた気がする。
すると無意識に身体に力が入り身構えようとしている。
なんだ? この感覚? 自分が自分で無くなって行くような感じは?
「おっと。」
アヒムは声を出すと同時に数歩分後退し、カーナもそれに合わせアヒム殿下の横へと後退していった。
どうしてそいつに着いて行くの?
いや、それはあいつの加護のせいで・・・そうじゃ、ない! カーナは何時も僕の側に居てくれなきゃいけないんだ! 僕の横で何時も笑ってくれて、何時もどんな事でも何の気負いもなく相談できる僕にとって大切な絶対に必要な人なんだ! それをよくも奪ったな。こんな辱めまで受けさせた上に人殺しまでさせようなんて・・・・ゆるせない。
残されたレンは、刀の剣先をアヒムに向けながらゆっくりと立ち上がった。
部屋の中に静寂が訪れる。
アヒムの嫌味な笑みが腹立たしい。
無表情なのにカーナが悲しんでいる様に見える。
そう、僕はちゃんと見えている。
冷静だ。
冷静にアヒムを許す事が出来ない。
「殺す。」
「おいおい、怖いなあレンティエンス君。そんなに殺気立っていちゃあ、怖くて手元が狂ったらカーナに剣を刺してしまいそうだよ。」
「!!!?」
下腹部辺りにアヒムの剣先が突き当てられていたがほんの少し力を加えたのか、カーナの綺麗な肌から一筋の血が流れ出したのを見て僕は怒りに支配されそうになる。
けれど、その血が流れてもカーナの表情は変わらないのを見て、今僕が感情に任せて突っ込んでそれが最善になるのか不安に感じた。
アヒム殿下の魅了の眼差しは、確かに光の明滅による催眠効果によって人を洗脳するものだという事が判っている。
けど、その洗脳はアヒム殿下が死ねば消えるのかが判らない。
だから絶対に感情だけで動いてはいけないんだ。
「ん? レンティエンス君かかってこないのか? いやあ流石その歳で騎士爵を授かるだけの事はあるね。状況判断が素晴らしい!」
これでもかって感じの演技で嫌味を言うアヒム。
「君? 心配なんだろう? カーナに掛かっている僕の加護の力が、だろ?」
僕は答えずただ黙ってアヒムを睨みつけるだけにした。
それを肯定と思ったのか、鼻で笑い僕を見下すように言ってきた。
「教えてあげるよ。この加護はね? 一度掛けると私が解除するか、私と同じ、魅惑の眼差しの加護を持つ者が強制的に上書きするしか方法は無いのだよ。まあ、同じ加護を持つ者は今まで聞いたことが無いな。そして私を殺そうというなら、一生感情を取り戻す事が無いよう洗脳するからね。」
やはり予想通りか。
でも、それなら僕の神対応で何とかなるかも。
しかし問題は、カーナと視線を合わす必要があるんだが、あの生気の無い瞳の視線を掴むのは難しい。
出来るだけ間近で掛けないと。
「あ! そうそうレンティエンス君。先に忠告しておくよ?」
芝居がかった態度が鼻につく。
「もう一人君の従者がいたよね? 結構彼女も美人だったよな? 後ろの方で隠れて私に襲いかかる隙を伺っているなら早く出て来た方が良いよ? カーナに傷がいっぱい増えてしまうからね。」
僕もなるべく表情を変えずにいたけど、さすがにこの展開は驚いてしまった。
アヒム案外考えてやがる。
僕は無言のまま、首を縦に振るとアヒムの後方の窓に掛かるカーテンの後ろからリーシェンがゆっくりと現れた。
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