「ほら。世界を創ってみようか」

廣木烏里

シュラとリンの部屋


 薄明かりの小さな部屋で、シュラとリンは今という時間を消費していた。

 濃紺のカーテンの隙間から見える外の色は黒。夜という名をもった闇の時間である。しかし、夜空の色を「黒」と呼ぶのは許されるはずがないとシュラは思う。

 

 シュラは窓の方に向けた視線をリンに戻すと、トリスウィスキーを一口飲んでグラスを置いた。ガラスのテーブルが乾いた音を立てる。沈黙とともに消費される時間は最も時間らしい時間かもしれない。

 シュラはグラスから手を離すと、鼻の頭をつまむように二回撫でてから、テーブルの上にある紙マッチに手を伸ばした。


「パチ。パチ。パチ。パチ。パチ」


 リンは不思議そうにシュラの指の動きを眺めている。

 シュラは指を器用に動かしながら、右手の三本の指で紙マッチを踊らせている。プラプラとした紙の棒が規則正しく並んだマッチは、指で叩くとまるで小さな楽器のように心地よい音がする。リンとシュラの視線は指先で楽しそうに踊り続ける小さな紙マッチで交わる。

 シュラはインプロヴィゼーションを終えると、片手で器用にマッチを擦り、タバコに火を着けた。滑らかな指の動きから火を着ける動きは、魔術のような特別な力が働いているようにも見えた。リンはタバコの先端に吸い込まれていく火をじっと見つめている。


「なんだか儀式みたいだね」


 外からは虫が鳴いている音がする。

 どんな形をしたどれくらいの数の虫たちががこの音を奏でているのかは誰も知らない。普段はあまり好かれない虫たちが、夜の間だけ草陰に隠れて音を奏でる様子はなんだか切なくもある。大人たちは形の見えない音ならば素直に受け入れるのに。

 シュラは考え込むように煙を大きく吸い込むとゆっくりと白い空気を吐き出した。魔術の世界観を一旦受け入れると、現実的な行為が儀式的に映ってしまう。もしかしたら魔術の力が降りてきているのかもしれない、とリンは思った。白い煙が満ちていく薄暗い部屋。


「ほら。世界を創ってみようか」


 タバコの煙を操るシュラは、本当に魔術師のようだった。シュラは魔術師くらいでは満足できなかったから、神様になろうと思ったのだろう。リンにはシュラの言葉の意味がわからなかったけれど、そんなことはどうだって構わない。だって言葉だって音に変わりないじゃない。


「私には何ができる?」

「果実をもぐにはまだ早い。こうやって雲を創ったら、やがて晴れと雨と曇りができるかな。僕にできないことを」

「できないことって?」

「できないことは思いもつかないな」

「生き物が生まれるまで待ってる」


 そういってリンは口笛を吹いた。

 それは聴いたことのない音の移り変わりだったけれども、聴いたことのある音に違いない。ないものからあるものを生み出すことはできないから。ならば世界はどうやって……


 白熱灯の暖かいオレンジ色。スイッチ一つで黒い闇。

 白熱灯の残像がリンの目から頭の回路上に残っている。シュラにも同じ残像が見えるのだろうか。逃げ遅れた光の残像は追いかければ追いかけるほど視線から逃げていく。シュラはその光をつかまえてみたかったのかもしれない。リンはシュラに向き合うようにあぐらをかいているシュラの上に座った。リンはシュラの右目を唇で覆い隠すように口づけした。シュラの左目はまだ残像を追いかけたまま——





 





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「ほら。世界を創ってみようか」 廣木烏里 @hsato

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