光水

 大きな腹からドブのような体液を吹き出す。「ギギギ!」と断末魔を上げ蜘蛛は次第に動きが鈍くなり遂には息絶えた。レオンはそれが分かると剣を引き抜き付着したその体液を振り払うと地面に叩きつけられ「びしゃ!」と音が鳴る。


「醜い臭いだな、シムとは違って貰うもんなんて何も無い」


 そう吐き捨てるとレオンは宙にぶら下がるアルバートの方へ近寄って油をしみ込ませた布で剣を軽く拭いてから両手を拘束している糸を切り離す。ついで両手首間の糸も切り離すが、それぞれの手首に付着した糸を完全に取り除く事は叶わなかったアルバートは嫌悪感を示した。


「助かったよ。それにしても気持ち悪い」

「仕方ないだろ、今はこれはどうにもならん。流石に手首を切り落とすか?」

「冗談はやめてほしい。水で落ちないかな?」

「貴重な飲み水を使う訳にはいかんぞ。どこかにある水源まで我慢するんだな。それまでは無闇矢鱈にくっつかないよう土でも掛けておけ」


 渋々その場にある土を掘り掴み両手首に掛けると粘着はなくなったが、それはそれで不快なものになりアルバートはため息をついた。

 それから散らばった道具を出来るだけ回収してから一旦どこか休息を取れそうな場所を求めてその場を後にする。


「正体不明の巨大猿に目玉の大蜘蛛………命があっても足りない」

「そうだな、習性が分からない未知の生物の巣で歩き回るのも自殺行為の他ならない。それに貴重な閃光弾も使ってしまった」

「ごめん、僕の不注意触で」

「気にするな、あれは俺でも分からん。それにああ言う時こそ使っての道具だ」


 この世界、閃光弾は貴重品であって高額で取引がなされている。過去に訪れた街の市場での光景を思い出したアルバートは少しばかり落ち込んだ。


「次は気を付けるよ」

「頑張ってくれ。それとああ言う戦闘はこれからは日常茶飯事になるだろう。知らぬ間にくたばっても俺のせいにするなよ」

「………善処するよ」


 それから周囲に警戒し探索を再開するが一向に目的の人物に出会す事はない。流石のレオンも痺れを切らしたのか切り出した。


「よし、予定変更だ。一旦この森を抜けるぞ。体勢を立て直す」

「立て直してそれからどうするの?」

「そりゃ、また潜って探索するに決まってるさ。だが今度ここに戻ってくるのは俺一人。悪いがお前はあの村でお留守番だ」

「そんな………そうだね、どうしても僕は足を引っ張っている」

「物分かりが良くて助かる」

「まさかとは思うけど別れた後、僕を見切ってそのまま行くなんて事なんてないよね?」

「ははは、まるで飼い犬の様に可愛いヤツだな。心配するな、事が済んだら必ず村に戻るつもりだ」


 会話の中で落胆、疑念、赤面、心情と表情をコロコロと変化させるアルバートだったがどこでしたその小さな音を聞き逃さなかった。


”……パシャ……”


「どうした?」

「いや、どこからか水を打つような音が」


”パシャ”


 再び鳴った音をアルバートは確実に捉え近くに水辺があると確信した。見渡すと三時の方向が小さくぼんやりと明るくどうやら水を打つ音はそちらから鳴っている様だった。


「レオン、あれ」

「ん? おお、目がいいな。行ってみるか」


 そうして、そのぼんやりと光る方向へ進んでいく。

 次第に陽光が強くなり最後、目の前に現れたのは湖だった。


「でかしたアルバート」

「よかった」


 久しぶりの日の光に安堵したアルバートは力が抜けヘナヘナとその場に尻をついた。


「おそらくここの生物は今までの感じ光に弱いのだろう。ここには近づく可能性は低そうだ。だが念の為に俺は周囲を見て来るからお前はその手首でも洗っておくといい」


 そう言ってレオンは湖の周辺を調べに行ってしまった。一人残されたアルバートは早速水際に近づき水を掬う。両手の中で揺れる高い透明度のそれを少し見つめてから一気に喉へ流し込むと生き返ったように思えた。

 装備を外し開放的になると土と粘着物がまとわり付いた手首を湖の中に突っ込みゴシゴシと洗う。


「良かった、簡単に取れそうだ」


 不快感がなくなり心も晴れやかになると警戒心も薄れていったがそれは緊張の糸をまたピンと張らせた。


 ”パシャ!”


 湖の対岸でまたもや水を打つ音が鳴ると即座に反応し顔を上げその方向を見た。レオンがいない今不安がアルバートを一気に襲い、先ほど潤したはずの喉が既に乾きゴクリと鳴る。対岸付近に生えた木々の枝が邪魔をしているが確実にそこに動く何かがいる。アルバートは目を細くし神経を集中させた。額から頬へ一つ汗が流れた時 ”バシャー!” と音を立てそれは正体を見た。それは紛れもなく人間の女。腰上まで伸びた黄緑の長い髪が濡れ、日の光でキラキラと輝く。背を向けるその裸体には全く無駄がなく引き締まっていて美しかった。アルバートは人間だと分かって安心する以前に初めて見る女性の裸体、いや彼女自身に見惚れてしまいその場で固まってしまう。水をかけ体を洗っていたが程なくして女は体をアルバートの方に向ける。明らかにアルバートの存在には気が付いているようだ。意識した彼の体が熱くなり顔を赤くし戸惑っていると女は水面に浮かぶ何かを手に取りそれに息を吹きかけた。

 その行動が何を意味しているのかその時には分からなかったが程なくしてアルバートの熱を持った体と赤かった顔は一瞬にして冷め血の気を引く。その原因は正体不明の素早い三つの軌道が彼目掛けて向かって来たからだ。


「な、何だ?!」


 殺気混じりの三つの軌道から本能的に体を動かされアルバートは森の中に逃げ込んだ! 躓き転びながらも必死に駆け抜ける中で後ろを振り返るとその三つの軌道はまるで生き物のように木々をすり抜けアルバートを追尾した! そしてその一つがアルバートに触れようとした!


「そ、そんな!?」


 その時レオンが空中から現れその三つの軌道の全てを剣で叩き落とす! そしてアルバートはその場に倒れ込む。


「はぁはぁはぁ! あ、ありがとう」

「本当に危ない目によく合うな。しかし、よくやった、これで任務は終了だ。久しぶりだな! メアリー!」


 そう言ってレオンが見上げた先、ポタポタと落ちる水滴の元を辿ると太い枝の上に立ち黄緑の髪を持つ全裸の女が僕達を見下ろしていた。

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