廻る歯車

生と死と

 タルトスを離れ数日が経ち彼らは山越えをする岩場の道中、レオンが引く馬はその場で横たわってしまい先を進めずにいた。”ブルル”と細く鳴く様子は力弱い。タルトスの領主を背中に乗せ帰った馬。シムと名付けられている。先日から前脚を悪くし、日が経つ毎に歩行に支障をきたし遂には立つ事が出来なくなってしまった。なんとか立ち上がろうと試みているものの立つ事が出来ない。恐らくそう長くはないようだ。


「ここまで本当に助かった。ありがとう、シム。直ぐに楽にしてやるからな」


 レオンはそう言いながら困憊しているシムを優しく撫でるとその表情はすうっと柔らかくなり何か悟ったように思えた。

 それからレオンは縄を取り出し、手際よく暴れないように前脚同士、後脚同士を縛り上げ横にし、きつく口を、最後に臆せず力いっぱい首を縛り上げる。予想とは違い暴れる事はなく、次第に動きが鈍くなっていき天に召された。


 “その意志の為に命を絶つ"


 そう表現するのが相応しいだろう。ここには生と死が凝縮されていて善も悪もない。利益、不利益に関わらず託す事とそれを受け入れる事、成すべき事と施される事が行われたにすぎない。ただ最後に残ったのはの念だったかもしれない。

 アルバートはその現場をただ不思議そうに見つめた。


「これから解体して使える物は余す事なく使わせてもらう。手伝ってくれ。………数日間も後ろをついて来ていたのに何だが、アンタ名前は?」

「………」

「おい、起きてるか?」

「………アルバートだよ」

「よし。アルバート、後脚を固定しててくれ」


 レオンはナイフで手際良く皮を剥いでいき部位を切り分けると血が流れて辺りを紅に染めた。初めての事に戸惑いながらも指示の下に動き、この経験を心と体に焼き付けようとするアルバートの姿があった。


 ………


 数時間後、シムはものの見事に肉、内臓、皮、骨に解体された。今、目の前に火が盛り、周りの地面に刺した枝には解体されたその肉が串刺しされ炙られ滴る脂が炎に照らされキラキラと輝いた。


「もう焼けたな。ほら」

「ありがとう」


 手渡された肉に見惚れ早くもかぶりつこうとしたアルバートだったが目を閉じ両手を胸の前で合わせ祈りを捧げていたレオンを見るや同様に目を閉じ祈りを捧げた。それから満を持してかぶり付くと「美味しい」と感動の声を上げた。


 焼いた分食べ終え揺れる火をアルバートはじっと見つめていたが、ふとはシムの肉の方に目をやる。


「まだ沢山、彼の肉があるけど食べ切ってあげられるだろうか」

「そうしてやりたいのは山々だがある程度は保存食の干し肉に、残った肉と皮、持っていける範囲の骨は次に着いた村か町で売り捌く。いつもまで持って移動するのは酷だからな」

「シムを失って悲しいとか、辛いとかは思っているのかい?」

「長く旅を一緒にしたきたからな、勿論寂しさはある。だからと言ってそれだけでは何も残らない。誰かの血肉として、誰かに意志を託す事で貰った命は受け継いでいかなければ」

「そうか…………。最後、シムはとても穏やか様子だった」

「言葉はないが"" 俺はそう思っているし、感謝している」

「そうだね………。あとひとつ聞いていいかな」

「なんだ?」

「僕は勝手にレオンに付いて来ているけどいいのかい?」

「………別について来れるなら構わないさ。それに荷物持ちも助かる。まぁ道中くたばっても知らんが」

「ははは。………改めて君の旅に同行させて欲しい」

「まぁ勝手にしてくれればいいさ。………ところでアルバート、アンタはなんで旅をしているんだ?」


 今まで幾度と受けたであろうこの質問、慎重になるも聞かれたら決まった返答を常にしていたアルバートだったが今回は違った。レオンの、その蛇のような瞳はまるで全て見透かすようで今まさに蛇に睨まれた蛙状態の彼は躊躇した。


「ああ………その、なんていうか………」

「………まぁ、話したくない事も隠したい事も誰にでもあるさ。俺だってある。話さなくてもいいし、俺も話したくない事は話さない」

「…………ごめん」


 それ以降、会話はなくなり再び揺れる火を二人はただ見つめた。


 ………


 翌日、重い皮を背負いながら山道を進み続け下り道に入ると遠くの方に小さな村が現れる。


「よし、あの村で売り捌くぞ。………おい、聞いているか?」

「はぁはぁはぁ、だ、大丈夫、聞こえているよ」


 その村の住居は数える程。小川が流れ水車が音を立て回り少し向こうに見える橋で子供達が釣りをして遊ぶ。自然に溢れ長閑で幸福に満たされている村だ。

 早速、レオンは村人に交渉を行うと売買は円滑に進み、肉も骨も皮も余る事無く売り捌いた。

 そうしてあれほど多かったシムは麻袋一つ程に小さくなってしまった。


「よし、それなりの収入だな。それに今日は屋根のある場所で眠れるぞ」

「そうか………良かった」

「どうした? 浮かない顔だな」

「そうかな」

「そんなに寂しいなら骨の一つでも取っておけばよかったろうに」

「実は一つ拝借しているんだ」


 アルバートは懐から一つ小さな骨の欠片を取り出し見せるとレオンは「大事にしろよ」ととだけ言った。


 先程の交渉時にレオンは一軒のみ所在する宿なるものも聞いていてこれから赴くようだ。お目当ての宿屋の門を叩くと質素な内装の一室の中に若く優しそうな娘と初老の女性が座っていた。


「いらっしゃいませ」

「一泊お願いしたいのだが部屋は空いているか?」

「勿論、空いていますよ。こんな辺鄙な所ですから空いていない日なんてないですよ」

「それは良かった。ではお願いしよう」

「ありがとうございます。少し準備しますのでここでお待ちください。お母さん、お客さんにお茶をお願いねー」

「はいはい」


 娘は奥の部屋へと消え、母親はお茶の準備を始めた。レオンとアルバートは椅子に腰か体を休める。


「ふぅ」

「だいぶお疲れのようだな。この先着いて来れなくなって道端でくたばるのも時間の問題かな?」

「…………その時は骨を拾ってくれる事をお願いするよ」

「ははは、冗談が言えるじゃないか。心配はいらないな」

「ささ、お茶が入りましたよ。召し上がれ」


 置かれたお盆の上には三つのコップ。二人は困惑していた時、娘が戻ってくる。


「お母さん、お客様は二人でしょ。一個多いよ」

「あら? おかしいねぇ、どうして三つ出してしまったんだろうねぇ?」

「ごめんなさい、お母さんよく間違えちゃうんです」

「いやいや、気にしないでくれ」


 他愛のない会話の中、”ピーー”と小さく音が鳴る。レオンだけはその音に気が付き一旦外に出るとその後を追ってアルバートがやってきた。


「いきなりどうしたんだい?」

「見えるか?」

「あれは………」


 レオンが指さす空に一羽の鷹が旋回している。彼は左腕を空に掲げるとそこ目掛けて下降を始め遂には停まった。


「久しぶりだな、元気だったか?」 


 羽を拡げれば2mはあるだろう見事な鷹だ。どうやらレオンとは顔なじみのようで良く見ると右脚に小さな伝書が入った筒がついていた。それを取ると鷹は再び羽ばたき去っていった。丸まった紙を広げ目を通すとレオンは真剣な顔つきへと変わる。


「何が書かれているの?」

「ちょっとお呼び出しのようだ。それにここは…………近いし丁度いいな。アルバート、すまないが屋根はお預けだ」

「え? どう言う事?」


 それからレオンは答える事もなく、宿に置いてあった荷物を引き上げる。


「すまない、宿泊はしない事にした」

「あらまぁ、それは寂しいですね」

「これはお詫びだ、取っておいてくれ」


 一枚銀貨を机に置いていきレオンは宿屋を出るとせっせと歩き始め、アルバートは訳が分からず困惑する。


「レ、レオン、一体どうしたって言うんだ?」

「森の民を知っているか?」

「森の民? 世界の観察者と言われる?」


 ”森の民” それはこの狭間の地には古より世界を観察し調律を行う神の使いとも言われる民族である。それが彼らは世界に異変が起きた時、その根元を断ち調和を行う使命を負っていると聞かされて来たが特別な場所に身を置いているらしく目にした者はごく一部で彼らに認められた者だけと言い伝えられる。


「その森の民がどうしたと言うんだい?」

「これから彼の地”森の民の地”に向かう」

「”森の民の地”!? 何故君が知っているんだ?」

「色々な縁があってな。今は別に話さなくてもいいだろう?」

「それで”森の民の地”に行ってどうするんだい?」

「分からない。とりあえず来いとだけ書いてあるだけだったからな」

「あれは彼らの鷹だったのか」

「でどうするんだ? ついて来るか? それともここで別れるか?」

「も、もちろん行くよ」

「よし。ただ”森の民の地”に行く前に一人持って帰るようにとも書かれていたから先ずはそっちを先に済ませる」

「一人?」

「そうだ、穏やかだったシムとは比べ物にならないだ」


 振り向きざま、そう言いながらレオンはニヤリと笑った。

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