決意

「アルバート! こっちを頼む!」

「は、はい!」


 強い日差しの下、アルバートはタルトスの中央広場にて茶葉を木箱詰めし、木箱が満たされるとフタをし釘を打ち込み、人一人くらいの大きさの木箱を二人掛かりで荷車に運搬する事を繰り返し汗をかいていた。


 ディーフの計らいで、短い期間であるが働かせて貰える事になっていた。

 アルバートは人生において労働に勤しんだ事はない。ましてやこんな肉体労働だ、初日はとても苦労した。それでも数日間を耐え抜き、今とて喰らいついてはいる。一方のディーフは慣れたもので四方八方へ飛び回っていた。

 

 この赤い茶葉、箱詰めの際に独特の匂いが鼻を突く。お世辞でも香りが良いとは言い難い。けれど、これに湯をくぐらせると瞬く間に香ばしく、口当たりの良い紅茶になるのはなんとも不思議だ。貧しいディーフの家で出された紅茶がまさにこれだ。ディーフは運搬中に落ちたおこぼれをある毎に拝借していた様で先日のアルバートが抱いていた疑問も解決された。

 

 この茶葉がどこで栽培されているのかはディーフはおろか、中心街の人間、この仕事の雇用主ですら知らないと聞く。知り得ているのは領主とその側近、他に栽培の関係者数人らしい。

 些か引っかかる所もあるが情報の漏洩を決して許さず、厳格に守り抜いているからこそ独占し利益を生み出す事が出来ているのだろう。

 

 朝早くから働き昼過ぎになった今、アルバート達は最後の木箱に釘の打ち付けが終わり馬車に乗せ上げる。そして他国へ運ばれて行くそれを二人は見送った。

 

 今日とて作業が終わり一息つく。アルバートが自身の両手を見てみるとボロボロで、爪の間には砂が入り込み、10本の黒い曲線が爪の先に見える。衣服には汗が染み込んでいてベタベタとした感覚が身体的には気持ち悪いが、精神的にはどこか爽快さを感じていた。

 作業中は余計な事を考えなくて済むようだが作業後の途端に訪れる不安は拭い去る事が出来なかったようだ。


「よっし! 今日も終わりだな! アルバート帰ろうぜ!」

「ああ」


 依然としてアルバートはディーフの家に居候させて貰う身分。一晩だけのつもりだったのに「旅立つその日まで居て構わない」と言われた事で悪いとは思いつつもその言葉に甘えさせて貰う事になったのだ。


 道沿いの市場で、その日における最低限の買い物を済まし家路を急ぐ中、既に陽は落ち始めている。その途中で街の人間が少し騒めきたっているのに気が付いた。様子を伺いながらアルバートは耳を澄ましていると、とある会話が入った。


「おい、明日急遽、領主様が中央広場で演説するらしぞ」

「じゃあ、またが出たって事か?」


 それを聞いたディーフの表情が強張る中、アルバートはディーフに尋ねた。


「ディーフ、ってなんの事だい?」

「ん、ああ、まぁな」


 そのままディーフは口を紡ぎ、家の敷居を跨ぐまで何も話す事は無かった。


「帰ったぞ」

「お帰りなさい、お兄ちゃん。アルバートさんもお疲れ様」

「ただいま」

 

 イーリはアルバート達が帰って来ると直ぐに食事の準備を始めた。だが台所に立つその後ろ姿の雰囲気は何処となく暗いのをアルバートは感じていた。体の汗と汚れをお湯で拭き落とし洗濯された衣服に袖を通す。それから食卓がある部屋に戻ると既に用意されている食事。アルバート達は席に着き「いただきます」と言って食事を始める。

 いつもなら和気藹々と時間が流れるのだが、今日は咀嚼音のみで空気が重い。


 そんな中で静寂を切り裂いたのはイーリだった。


「………お兄ちゃん、明日、領主様の演説があるの知ってる?」

「知ってる」

「………行くの?」

「当たり前だろ」

「………行かないでよ」


 ディーフは机を”バン!”と力強く叩き立ち上がった。


「お前! 忘れろって言うのかよ!? 親父達の事!」


 それからディーフは家を飛び出してしまった。アルバートはいきなりの事にどうすれば良いのか分からない。

 

 暫くすると俯いていたイーリが話し始めた。


「………ごめんなさい」

「いや大丈夫だよ。………二人には何かあるのかい? もし嫌じゃなかったら理由を話してくれないか?」

「………タルトスは一見とても華やかで皆幸せそうにしています。確かに色々な事件が増えるように不安もなりました。けどそれだけじゃないんです。街の外に出た人が帰ってこなかったり、馬車が襲われたり……… 今まで多くの人が居なくなりました。そして恐らく、その人達はもう生きてはいません。この街の外にがいるんです」

「化け物?」

「十年ほど前から突然に現れたみたいで。いつこの街を襲って来るのか分からない。領主様は化け物が現れた時、自衛団と共にその化け物を討伐に向かいます。だけどそんなに自衛団も大きくありません。だから街からも義勇兵を募るんです

 。今までに三回、討伐隊が結成されたけど、いずれも撃退で終わっていて、自衛団の人も義勇兵に名乗り出た街の人も大量に犠牲となりました。領主様が突然に演説するなんて、これしか考えられない………」

「そうだったのか………。だけどディーフがあれ程感情的になるのはなぜ?」

「私達元々五人家族だったんです。お父さん、お母さん、それおお兄ちゃん。数年前、今回と同じ様に領主様は討伐隊の為の義勇兵を募ったんです。そしてお父さん、それともう一人の兄が討伐隊に加わりました。撃退には成功したけど討伐隊はほぼ壊滅、その結果、二人は死にました………。それに二人がいなくなった後、病弱だったお母さんは後を追う様に逝ってしまった」

「そうだったのか」

「だから、お兄ちゃんは二人の仇を取りたいのだと思います。私、不安で堪らない。私は一人になりたくない………」


 イーリは静かに涙を零しながら切実に語るとアルバートの胸は苦しくなりなんと声を掛けて良いのか分からず、ただ側にいる他なかった。


 ……

  

 イーリが落ち着きを取り戻すと、普段の様な素振りを取るものの、どこか強がって見える。それからディーフを迎えに行くと言うが、外はすっかりと暗い。少女一人は危険だ。アルバートは自分が迎えに行く事を進み出た。


 外は漆黒に包まれ、静けさの中に鈴虫が小さく鳴く。

 

 ディーフはこういう時には決まった場所に必ずいるとイーリはアルバートに教えた。


 難民の民家も姿を消し雑草が生茂る平地の中、月を垂直に鎮座する大きな岩が一つ。その上に人影がある。それはディーフに違いなかった。アルバートは近くまで行くと座るその後ろ姿に話しかける。


「ディーフ帰ろう。イーリが心配しているよ」

「………悪かったな、変なもん見せて。イーリからなんか聞いたか?」

「聞いたよ」

「そうか………。だけど、俺はもう決めているんだ」


 月を見つめるディーフの真剣な表情は揺るぎない様子だった。

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