空飛ぶ花瓶

 落とされた影に身の毛がよだつ。額から流れた汗が顎で溜まり、落ちた一滴、地面に染み込む。"奴なのか?" 少年はそう思いながら恐る恐る顔を上げ、影の落とし主を見ると見知らぬ大柄の男に見下ろされていた。その正体が見当違いだった事から少しばかり安堵した様だが、男が何も言わない事に不気味さを感じると意を決して少年は口を開いた。


「あ、あの、何か用ですか?」

「お前、この街の人間じゃないな。どこから来た?」

「………東から……… 今は旅をしてます」

「そうか。………何故だがわからんがお前の顔に見覚えがあるな」

「えっ」


 その言葉に少年心臓が強く脈打ち更に不安を募らせた。


(僕の事を知っているのか!?)


「まぁ良い。それよりお前、汚れているが質の良い物を身に付けているな。中でもその手にしているそれ、中々に美しい装飾だ」


 男は抱えているをを指差し言った。


「………そうですか」

「見るに金に困っているのだろう? それを買い取ってやる。いくらだ?」

「………これは譲れません」

「強がるな、お前の為だぞ」

「………出来ません」


 少年はギュとその剣を強く抱きしめ目線を逸らし拒絶の意思を示すと大男はしばらく黙り込んだ。しかしながら、未だその冷淡な双眸で少年を見下ろしている。しばらくしても変化のないその場に危険を感じたのか少年は腰を上げ去ろうとした瞬間、男が剣の掴み奪取しようと襲いかかって来た! 突然の事に動揺しながらも少年はガッチリと剣を抱え込み離すまいと非力ではあるが必死に抵抗する。


「やめろ! 離せ! これは絶対に手放す訳にはいかないんだ!」

「大人しくしろ! 殺すぞ!」


 助けを求めようとも近くに大通りの人の波は遠く、叫んだとしても届かないだろう。揉み合う中で少年は何とか喰らいついている。


「ち! いい加減にしろ!」


 

 すると痺れを切らした男は腰元から短刀を取り出し振りかざす! そのキラリと光る銀色を見た時少年は死を意識した。

 

 (ああ……… もう駄目なのか)


 少年が諦め掛けたその時、男の後ろ、空に何かが飛んでいるのを見た。


 (何だあれは? ………花瓶?)


 それはまさしく花瓶で、速度を上げ落下している。そうして”ガシャン!”と音を立てたのは男の頭上で割れた破片が派手に飛び散った。男の額からツーっと赤い血が流れた数秒後、白目を向いて失神してしまうと剣から大きな手が外れ、その場にドシンと倒れ込んだ。

 少年は気が抜けて尻餅をつく。ぜいぜいとする呼吸を整えていると、頭上から若い男の声がするのに気が付いた。


「おーい、金髪、大丈夫かー?」

 

 建物の屋上から誰かが手を振っている。少年は未だに震える右手を上げ返答すると屋上にいる彼はそこから飛び降りた。


「危なかったな。怪我してないか?」

「ああ…… 大丈夫」

「そうか、良かったな」

「助けてくれてありがとう」

「いいって事よ」


 褐色の肌に栗色の短髪、歳は少年と同じくらいの様だ。少年が観察していると同時に彼も少年の身なりを観察してきた。


 (この男も何か企んでいるのか?)

 

 少年は疑いの念を抱いていると ”ぐう” と腹の虫が鳴ってしまった。


「金髪、腹減っているんだな?」

「あ、いや、その……」

「よし! 来いよ!」


 そう言うと彼は一人大通りへ向かって行ってしまう。着いて行くか、どうするか少年はその場で悩み立ち止まったが促されると迷いがありつつも付いて行く事にした。

 そうして二人は賑やかなタルトスの街の中を歩く。褐色の肌の彼は街の色々な事を紹介しながら少年の前を歩いた。褐色の肌の少年に誇らしげに少年にタルトスの素晴らしさを解いていたが少年にその話の内容の頭に入っていっていない様に見えた。それから進む街並みに段々と変化が現れる。立ち並んでいたレンガ作りの建物は少なくなっていき道は剥き出しの地面に変わる。そこを歩く人達が身に纏っているのは質素な衣服。そうして褐色の肌の彼はある粗末な作りの小さな家の前で止まった。


「着いたぞ。俺の家だ」


 彼は中へ入っていったのだが少年は中に入る勇気が出ない。ここまで来てまたししてもその場に踏み止まっていると


「何やってんだよ。早く来いよ」


 入り口からひょこっと顔を出した彼に促される。金髪の少年は戸惑いながらもその家の中で足を進めるのであった。


「おーい、帰ったぞー」


 家の中には最低限の物しかなく壁の所々は崩れ掛けている。そして彼の声に反応し奥から出て来たのは、彼と同じく日に焼けた小麦色の肌、背中まで伸びた小豆色の髪を持つ可愛らしい少女だった。


「お兄ちゃん、お帰り。あれ? お客さん?」

「おう、えーっと、そういや、まだ名前も言ってなかったな。俺はディーフ。こっちは妹のイーリだ。俺の4つ下で今15歳だな。お前の名前は?」

「僕はア………」


 少年は危うく出そうになった言葉を飲み込み言い直す。


「僕は………アルバート」

「そうか、アルバートか! 宜しくな! イーリ、俺もアルバートも腹減ってんだよな。早く飯作ってくれないか?」

「うん、ちょっと待ってて」


 少年はアルバートと名乗った。何かを後めたい表情と共に………


 夕食の時間となりスープとパンと酢漬けの野菜が食卓に並ぶ。アルバートは目の前に置かれたそれらを口にするか躊躇したが意を決してスープを口に運ばれると表情がほんの少しだけパッと晴れる。


 

 ”味がする”



 気が休まる事のない毎日からアルバートは何を食べても味を感じる事がなかった。そんな中で予期もしなかった久しぶりの味覚を噛み締めたのだ。

 

 

 (………僕は今、安心しているのか………)

 

 

 …………


 

 食後、出された赤色した紅茶をアルバートは口にした。


「美味しい」

「だろ? この紅茶の茶葉はタルトスの名産で近隣の諸国へ輸出されたりするんだ。それと茶葉は高級品だからありがたく飲めよ」

「ありがとう」


 アルバートは何か思う事があったがそれを口にせず、この貧相な家の中で手にしている所々割れたカップの中にある赤い紅茶を見つめた。


「にしても今日は危なかったな。今度は気を付けろよ」

「本当に助かったよ。多いのかい? 今日みたいな事は」

「昔からあったはあったけど、ここ最近はぐんと多くなった。それも主従関係のグラハム王国が数ヶ月前に崩壊してからだよ。よそ者の出入りも多くなって治安がグンと悪くなってな。それに他国の諸侯がこのタルトスを狙っているって噂だしタルトスの住民も不安を持ってるはずさ」

「………そうか」

「けど、このタルトスの領主様は賢明な人だ。街の犯罪も他国の脅威も何とかしてくれるはずさ」

「………気を悪くしたら申し訳ないのだけれども中心街とこの一帯に差があるのは何故?」

「ああ、ここらのもんは皆、難民なんだよ。俺達もそうだ。多々ある理由から行き場をなくして彷徨う中、領主様は俺達を受け入れてくれた。視察でこっちにも来てくれて、いつか俺達にも中心街の様な生活が出来る様に尽力するとも言ってくれているんだぜ」

「立派な方なんだね」

「でも、生きる為には今は街に出て働かないとなんねぇ。まぁ苦しい生活から解放される日が来るまで頑張るしかないな。ところでアルバートは旅人なんだよな? これからどうするか決めてんのか?」

「いや、当てもなく旅を続けているだけで」


 顔を下げ、どこか陰鬱なアルバートに対して秘事があると感じたディーフはこれ以上何かを聞こうとは思わなかった様だ。


「ふ〜ん、因みに金はあるのか? 旅するにも金が必要だろ?」

「実は手持ちもなかなか厳しくはなってきていて………」

「そうか、なら仕事紹介してやるよ!」

「ほ、本当かい?」

「もちろんよ! そうとくりゃ明日は早いぜ! 今日は泊めてやるから、もう休め! なっ!」


 ディーフは意気揚々とするのであった。


 それからお湯を張った桶を用意してもらい、アルバートは浸し絞った布で体を拭く。

 戻るとイーリが衣服、寝床も準備してくれていた。

 

 そして滑り込むように潜り込んだ久しぶりの布団。アルバートは目蓋を閉じるとすぐに深い眠りへと誘われていくのであった………

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