1-44.欠けた心。

〇望〇


 平沼君が火傷を負っていた状態だったので先に病院に行かせたとソラ君に嘘を語ると


 『仕方ありませんわね。

 後は全部、ソラにお任せください――後でお話を聞かせてくださいね』


 っと納得してくれた。ありがたい話である。


「どうですか?」


 受付で言われた病室の前、扉に寄りかかる唯莉さんに声をかけた。


「もう落ちついたわ。望にだけは先に言っとくべきやったんや……すまん」


 唯莉さんは項垂れながら、そう謝辞を述べてくる。


「自分も浮かれてたんやろな。

 今まで全然進まんかったのにあの人も美怜ちゃんも進めるようになって、旨いことなってきて――現実と創作を見誤った、自分は物書き失格や」


 その商売道具の両手が硬い物にぶつけたように赤く血に染まっている。


「――今まで僕のおかげで旨くいってたんですから、唯莉さんの計画に欠点があるのは仕方ないですよ。

 そして今回は事故です。ですから、仕方なかったんです」

「そう言ってくれるのはありがたいんやが――美怜ちゃんにはどこまで話したんや?」


 言い淀んだが、言わなければならないと意を決する。


「全部話しました」


 唯莉さんが深く息を吸い込み、鞄から取り出した氷砂糖を一個咥える。


「……家族の下りは誤魔化せなかったんやね――ほんま堪忍な。

 家族を欲しがっていた望にもつらい思いさせてもうた。

 唯莉さんが不甲斐ないばっかりに」

「……僕が辛い思いをしていたとは何の話ですか?」

「自覚が無いならええわ、あえて言わんわ。

 さて……来たら入れろ言われとるから。

 ――覚悟はしておいたほうがええで」


 そう言うと、唯莉さんは扉から放れ、僕へ進むように勧める。


「唯莉さんは同席しないんですか?」


 扉を開けようと手を掛けると、彼女は何処かへ行こうとする。


「あかん、これ以上何か起きたら、ホントに商売道具が使えなくなってしまうわ。

 一応、診察してもらってくるわ」


 そして角を曲がって消えていった。


「どうしたものか」


 覚悟とは何だろうか――絶縁されるという考えが最悪かつ一番有り得る。

 それは仕方ない。

 平沼君と義父を会わせてしまった原因は僕にある。

 そしてお願いされたことも失敗に終わってしまった。この覚悟は美怜を突き放す時点で既にしている。問題ない。

 考えても仕方ない、先延ばしにする選択を捨てる。そして扉を叩き、


「望です」


 病室へ。

 大きな個室だった。調度品も置かれており、VIP待遇という奴なのだろう。


「――嬉しいな、お見舞いとは」


 お義父さんが手を振ってくれていた。


 オカシイ。


 そんなに気さくさな人ではなく、家ではいつも疲れていた顔でモノを語ることも少ない。

 外のお義父さんは別だが……

 見れば過労から来ていた白髪も潤いを取り戻し、黒くなっている部分がある。


「望、よく来てくれた」


 僕の名前が呼ばれた。

 どういうことだろうか。僕の名前を呼ぶことはほとんど無い。


「――どうした、驚いた顔をして」

「いえ、憑き物が落ちたような顔をしていて、吃驚きょうがくしただけです」

「ハハハ、何かが欠けて、気が楽になったようには確かに思えるけどな」


 お義父さんの口調が目上の人以外に接するときの自分に被った。

 いつもなら静かな声色で力強い発言をする。

 僕のように声色を道化させる真似をしないのが目の前の人物だ。


「――息子にそんな心配をさせるとはまだまだだな?」


 ――息子?


「お義父さん、今なんて?」

「そんな心配をさせるとは」

「いやその前です、息子と言いましたよね?」


 僕の声が弾むのが判る。

 同時に僕の中で今の状況は狂っているのも理解した。


「望は娘だったのかい? 

 生憎だが、独身の僕が引き取ったのは男の子だし、息子しかいないものでな。

 女装趣味でも芽生えたのか?」


 僕は眩暈を覚えるが堪え、立ちの姿勢を保つことに成功する。


「――覚悟とはこういうことだったんですね、唯莉さん」


 ポツリと呟き、僕は予想外の事態を飲み込んだ。

 精神的ショックに対して、トラウマの存在――思い人との記憶をお義父さんは忘れてしまったのだ。

 そしてそれに付随するようにその人との娘、美怜のことも忘れている。

 僕は明確な不快感を得た。確かに息子と呼ばれて嬉しかった。

 でも、僕はこんな馬鹿げたことでお義父さんに認めてもらおうと思ったことは無い。


「トラウマで自分のいい様に出来るのが家族な訳が無い! 

 そんなご都合主義な関係性、存在が僕の求めていた家族ではない――そうであるはずがない!」

「どうしたんだい?」


 僕は衝動的に叫んでいた。

 僕の根幹が言わせていた。

 お義父さんが驚きの顔で肩で息する僕を見てくる。


「平沼・美怜って子を知ってるかい?」


 敬語はやめだ。

 高ぶった感情のまま、強い意思を含ませて言葉をぶつける。


「何を言ってるんだい? 望」

「アルビノでビクビクして兎みたいで、青紫から赤色に眼が変わる少女のことだ。

 最近、野生化して元気だが」

「ははは、望のいい子のことかな」


 捉え所が無い。

 心が壊れたせいで、どこかしらで論理力や感情の一部も抜けているように思える。

 僕の言葉は暖簾に腕押しをしている感じしかない。


「さて始業式のあのスピーチ良かったぞ」

「――っ!」


 一番、あのスピーチを聞かせたかった人に聞いて貰えていた。

 そして、褒めてもらった。

 そのことで僕の怒りが逸れて行くのを自認する。嬉しいと思う自分を否定できない。


「それを伝えたかったのと何か重要な事で唯莉に無茶言ったのは覚えてるんだ」


 そして少年のように笑うお義父さん。


「そしたら何故か倒れてこの様さ。

 走ってきた生徒にぶつかって頭を打ってしまったのかもしれんね。

 唯莉のように歳を取らない訳にもいかない――全く彼女が羨ましい」


『あんたら二人に会いたいそうや――倒れる覚悟でな?』


 唯莉さんの言っていた言葉が思い出され、歯軋りをした。


「判ってるよ、お義父さん。

 それは平沼君に向けたかったものだ!

 自分が壊れるのも厭わずに覚悟を決めるということは、平沼君に家族らしいことをするために舞鶴にきたんだ!

 そして僕にはもう要らないと宣告したかったんだ――トラウマで近寄れない娘の成長を想像するために引き取った代理品、道具はもう要らないと!」


 こうとしか考えられない。僕は計画をほぼ終わらせており、もう僕は用済みの筈だ。

 視界が霞む。僕はもう家族を手に入れられない、義父とはもう家族には一生なれない。そうことだからだ。

 ふとさっき泣かしてしまった少女の泣き顔が浮かんだ。


「要らないとか馬鹿をいうな」


 それは決して大きな声ではなかった。

 しかし、ハンマーで殴られたかのように、明らかに叱られている感情を僕に与えてきた。

 同時に確かに意思があり、どこか引きずり込まれる魅力のある口調だった。

 それは僕がかつてみて憧れたお義父さんの言葉だった。

 お義父さんがいろんな人へ向け、納得、説得、了承させているのをみて真似しようと思った、そのままの声だ。


「望。

 一人になった家は寂しくなった。

 それで何かの枷を感じていて息子と言えなかったこと、そして親らしいことをしてやれなかったことにも後悔した。

 だから、それを言おうと思って舞鶴に来たのは確かだ――すまん」


 お義父さんは僕に頭を下げているのが判る。

 止まる思考をどうにも出来ない。

 これまで一度もお義父さんから、頬を張られたことも叱りの言葉を受けたことも、彼が頭を下げてきたことも無かったからだ。


「――お前が内心で付けてる枷、義の文字を外して呼んでくれ」


 ポンっと僕の頭に手が乗せられ、泣く子をあやす様に撫でられる。


「……お……とうさん……」

「そうだ、お前のお父さんだ」

「お父さん、お父さん、お父さん」


 止まらなくなる。視界の歪みもどうにもならなくなる。


「あぁ、泣いていいぞ、お前のお父さんだからな」


 長年、欲しかった繋がり。それを得るために僕は色々なことをしてきた。

 非道なことも、無茶も、何だってやった。

 それが達成された僕は、泣く、という反応でしか心の満ちたりから溢れる感情を表現できなかった。


 ふと――平沼君の泣き顔が脳裏に浮かんだ。


 家族を求めていたのは彼女もだ。そして彼女は今一人だ。

 僕が家族を得たのに、彼女は一人ぼっちになってしまった。


 自分の手を見る。


 平沼君が僕と同じように手の温もりを感じていたのならば、それを失った今は――自分がそのような状況に置かれたらと思い、身震いし、涙が止まった。


「よし、泣き止んだか? お前は僕の息子だ、判るな?」

「はい」


 言われ、深呼吸し、落ち着き、お父さんを見る。


「息子のお前に頼みがある。今、お父さんの中には欠けた何かがある。

 それを取り戻すために努力をしてくれ。

 ここにきた理由、お前に息子と言う以外に何か大切なことを忘れている気がするんだ――お前の言っている僕の娘、美怜という少女がそうなのかい?」

「――!」

「そのようだね、頼む、連れて来てくれ。

 これからは親らしいことはしてあげたいと思うんだ、望にもその彼女にも」


 頭を下げられた。


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