1-31.ライオンの生贄にされる兎。
○望○
誰が何の競技に出るか決めてLHR《ロングホームルーム》が終わり、皆が部活や家へ足を向け始める。
「晩御飯、何にしようか?」
美怜は会話をこちらに促しながらも提出用の指定用紙に決まったことを書き込んでいく。
美怜の机に椅子を寄せた僕はそんな彼女の手元を眺めているだけだ。
ペン習字でも習うべきかと、美怜の綺麗な文字を見て真剣に考える。
僕は文字が汚い。
「朝、トレーニング途中に頼み込んで買わせて貰ったイサザが玄関に生きたまま置いてある。当然、帰るまでは元気を保てるようにしてある」
「イサザかー、良いもの買ってきたね」
「踊り食いもいいし、お吸い物も捨てがたい、初体験ゾーンは悩むね?」
「うーん、卵とじもいいんだよ……」
イサザとはシロウオで知られる魚で、主に舞鶴では三~五月に取れる五センチほどの小魚である。
伊佐津川に産卵に来た所を落とし編みという専門の道具でとる舞鶴の名産品だ。
僕は食べたことが無いが、朝、走っていると川の中にその道具を使って捕っているのを見て、興味を覚えたのだ。
「美怜にお任せしていいかな?」
「うん、任されたよ……何にしようかな~……」
頼られたことが嬉しいとニコニコし始める美怜。
あれやこれやと献立を口ずさみながら、仕事を進めていく。
「ところで、クラスの皆とは話せるようになったかい?」
そんなことを言いつつ、僕は書類の不備を確認していく。
まぁ、そんなもの無いとは思うが、自分の仕事が無いので仕方なくだ。
「まだ自分からは話せないし、驚くことはまだあるけど、自分を殺すような真似はしてないよ……望が守ってくれるからね、ありがと」
「どういたしまして」
「そしたら皆、聞いてくれるようになって、うん――楽しいよ」
美怜が心底楽しそうに微笑むと教室がパッと明るくなるような感じを覚えた。
可愛い。
「でも、ホントに望、人気者だね? 皆、一様に望のことを聞いてくるよ?」
「例えばどんなふうにだい」
正直、威嚇しすぎて恐怖の大魔王ぐらいの評価だと思うのだがね?
「家での望の私生活とか、好みだとか、色々かな」
そういえばと美怜が前置きをしつつ、次の言葉に続ける。
「一緒に寝たりしてくれる話をすると女子の皆が沸き立つのはどうしてなんだろ?」
想定外に凄い話をしていた。
今更、シスコンだとか、問題にはならないのだが、少しはプライバシーというモノには配慮してほしい。
あと、突っ込みどころとしては、
「君は常識を少し知るべきだと思うのだがね?」
「?」
顔にはてなマークが浮かぶ美怜。
理由が有るのかもしれない、今度、聴いてみることにする。
「さておき、仲が良いのが羨ましいのだよ、皆」
「えへへー」
答えを述べると照れたように白い頬を真っ赤にさせる美怜。
そんな彼女を可愛いと思うのは兎を想像させるからだろう。うん。
「九条君、お暇ですの?」
透き通るような美声が、左横から掛けられた。
ゆっくりと僕は視線を向けると、
「鳳凰寺さん、こんにちは」
予想通りのゲジ眉。
何処となくそのゲジ眉に力が戻っている気がする。
彼女への気持ち悪さは消えたが、どう反応していいか判らず気まずい。
立ち位置を決めていない相手とのコミュニケーション程、難しいことは無い。
許したのだから、勝者と敗者では無いし、そもそもにもう敵ではない。
どうしたものか。
「さっき、女子の皆と会話を楽しそうにしてたから、もう大丈夫だよね?」
「ぇえ、おかげ様で――ありがとうございました」
美怜に向かって鳳凰寺君は腰を深く曲げる。
「いえいえ、こちらこそありがとうだよ」
「?」
対して美怜も椅子に座りながらだが、腰を深く曲げる。
ゲジ眉君は礼を言われたことにキョトンとする。
「だって私は、鳳凰寺さんのおかげで望に依存出来るようになったんだから」
「……?」
わけがわからないですわとこっちに目線を向けないでくれるかね、鳳凰寺君。
説明すると長くなるから。
僕でさえ未だに美怜の彼女に対する態度は理解しきれず、少し戸惑うのだから仕方ないだろう?
「望は暇そうにしてるから持って行っていいよ?」
「――は?」
美怜にモノのような扱いを突然言われ、僕の思考が止まった。
僕の思考を止めるとは流石だと思いつつ、復帰する。
「望に暇と聞いたんだよ?」
「暇じゃないが」
「暇だよね? 書類、眺めてるだけだもん」
ぐうの音も出ない。
「とりあえず、望に用事があるということと何処か別の場所で話をしたいという暗喩、そういうことだよね? 鳳凰寺さん」
首を縦に振るゲジ眉君。
「お話して、確認したいんです」
「……成るほど、わかったよ……お貸出しします、五体満足で返してね?」
ゲジ眉君の絞り出すような声に美怜が何か、合点がいったようだ。
納得したような顔をしながら、僕を生贄にささげる。
「美怜、それは判ってるさ。けど、僕の意思は――」
美怜が左手の人差し指で僕の唇を封じてきた。
「無視だよ、無視」
プンスカと美怜の顔に書かれている。
何で怒らせたのか、僕には理解できない。
「望も相手に行動を促すだけじゃ駄目だよ。ちゃんとお話しないと判りあえないよ? 私たちの喧嘩みたいにね?」
「いや、僕が言いたいことはないんだが?」
「鳳凰寺さんにはあるから、聴いてあげなよ」
ムウ……口がぺー太君みたいなバッテンになっている気がする。
言い返しても良いがどうしたものか。
「――私が望の事、許さなくていいの?」
そして浮かべた微笑みと対照的な真剣な眼差しで僕を諭す様に言ってくる。
つまりアフターケアをしっかりしろと言う事らしい。
仕方ない、譲歩しよう。
受けた仕事だ。
「サービスだからな?」
「うん、ありがとう。私はもう少しかかるから気にしなくていいからね、鳳凰寺さん」
「では遠慮なく、お借りいたしますね?」
そう言うとゲジ眉君は僕の白い手を取る。
彼女の褐色の少しその手が硬く感じられ、少し湿っぽい感じがある。
――緊張しているのか?
そう疑問を覚えるが、想像の域を出ない。
そして引きずられるまま、教室の外へと連れ出されていく。
「ごゆっくり~」
美怜に助けてくれと視線を送るが、彼女は楽しそうに手を振るだけだった。
どうしてこうなったのだろうか。
捕食された兎の気持ちが理解出来た気がした。
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