1-23.君が望。
〇美怜〇
剥ぎ取られたパジャマのボタンが床に散り、音を鳴らした。
「ぇ」
混乱していた。
私は混乱していた。
行為そのものじゃない、望の眼が赤く染まっていたからだ。
いつもの彼の眼は日本人らしい黒だ。
それがまるで私の様に変化している。
「邪魔だ」
ホックが飛ぶ音がしたが、お構いなしと望は後ろに投げる。
次に剥ぎ取られたのは、ブラジャーだった。
曝け出された膨らみが外気に触れ、冷たい。
「――貴方、誰?」
震えた声で自身がこの質問をした理由は判らない。
望だと信じたくなかったのかもしれない。
「僕は望さ、君が望んだ望さ」
彼は微笑みながら、私の手を片手で押さえつけると、パジャマのズボンを破いた。
気付く、望が私を名前呼びしていない事実に。
「そう君のせいだ、これは――君には理解してもらわなければならない、僕は君を壊せるのだとね」
「――っ!」
生命の危機を直感した。
本能的に足が動くが、やはりそれを抑えられる。
それでも、身体の全身を使い、抵抗する。
殺される。
いや、そう生温いものじゃない何かをされる。
本能が逃げろと警笛を鳴らし続けている。
「面倒を掛けるな」
――⁈
首筋に手を当てられて〆られる。
それだけなのに、呼吸が出来なくなる。
苦しい、声も出ない。体から力が抜けていく。
「いい具合に仕上がったね」
「――カハッ、ゲフッ!」
望の手が外れた。
苦しいが呼吸が戻り、意識がはっきりしてくる。
でも、不思議と体が動かない。
「さて、どうしようかね?」
ニコニコと笑みを浮かべる望。
「お前を引ん剥き、押え付け、お前にぶつけられた怒りを晴らしてもいいね? 腕を折ってもいい。足を折ってもいい。切り飛ばしてもいい。その怒りで満ちた赤い目を抉り出してもいい。白い肌を汚し、僕色に染めてやってもいい。柔らかそうな胸を無茶苦茶にしてやってもいい。お前に消えない楔を打ち込んでもいい。もう二度と使い物にならない様に壊してもいい」
まるで子供がカマキリを見つけて手で弄ぶように言う。
そして、私の眼を見つめながら、
「もう一度言おう、そうしないと僕が君を傷つけることが人間だと理解できないのだろうからね? 了承してくれるね? 返答が無いね? うん、肯定だね?」
下、最後の一枚が剥ぎ取られた。
容赦なく、人間の尊厳を自分の良いように解釈し、蹂躙していく。
いや、本当に彼は人間なのだろうか?
論理的なタガが外れてしまっている。
魂が芯から冷え切る。
無抵抗に抱きかかえられる。
「はぁ――全く――美怜、お前は僕に甘えていいんだよ」
名状し難い恐怖は不意にくしゃっと顔を変えた。
同時に背中を叩かれた衝撃で私の体が動くようになる。
「というかな、甘えるべきなんだよ」
それはいつも私と一緒に寝てくれる、優しい目線を送ってくれる望だった。
「僕が君の間違いを訂正しようとして怒りを買っても僕はそれを甘んじて受けよう。
家族だからね?
間違った怒りをぶつけて来てもお前を叱るだけだ。
美怜はこうも言ったんだ。
家族の言動の方はクラスの他人より軽いと、そんなのが家族であってたまるか、僕が手に入れられなかった家族であるものか!
その考え方は修正しなきゃいけないね?」
水滴。
望の目元からそれがこぼれ落ちているのに気付いた。
「美怜は何のために僕と家族になった?
血縁だからか?
傷の舐めあいを求めたからかもしれない。
他愛もない会話などで一緒に過ごす心地よいだけの関係を求めたかもしれない」
否定できない。
私は唯莉さんに見捨てられ、それを癒してくれる望に飛びついた。
同じ境遇を味わったことのある人間だということに共感もした。
彼なら私を判ってくれる、甘やかしてくれる。
そう思ったからだ。
「だがな、言ってやる。
傷の舐めあいや血縁だけの繋がりが家族であるものか。君がした他人に出来ない暴力をぶつける事が出来る甘えも家族だ。
間違ったことをしでかそうとしているのなら、それを叱り、正してやるのも家族だ。
そして言おう。
なんで君は他人の言動で自分を殺そうとするのに、僕という家族の言動で自分を生かそうとしないのか?」
言われ気付く。
彼の私に対する行為は悪意では無い。
確かにおせっかいだが、私のためを思ってのものだ。
他人のように自分の利益のために私を貶めようとし、私を辱めているわけではない。
「美怜には、自分に素直に、ありのままで生きてほしい」
「――ぁ」
そして思い出した。
――叱ってもくれないし、あれしろこれしろって言ってもくれないし、何となく壁が……
小牧さんに述べた、私が本当に家族として求めていたこと。
今、望がやってくれているこが将にそれだと気づいた。
「君は君として生きる権利を放棄するのかい?」
「……でも怖いよ、他人は」
私はその枷から出ることが出来ない。枷の向こうに居る人たちが怖い。
望はこちらを向き、困ったように笑った。涙のあとが残ったその視線。
こちらを出来の悪い妹を見るような優しさを感じた。
「大事なことだから二度目だ。
何度でもいうがな――他人に対して怖いと思うなら、それは僕の責任だ。
僕を幾らでも責めればいい。
僕は君が恐怖を感じないように努力しよう」
そして冷たい両手が私の顔を優しく掴んで、こちらの視線に眼を合わせてくる。
「君は有象無象に埋もれることは幸運にも出来ない。
だれもが、アルビノの君をみるだろう。
僕がいなくても誰より輝くだろう。
ただ、それを怖いと思うあまりに自分を殺してくれるな!
悪口? 軽口? そんなものは称賛だ、やっかみだ。褒められているのさ。
胸を張れ! 他人がどう言おうとも関係ない!
傷を舐めるじゃなくて支えてやる! この望が、お前の望む通りに生かせてやる」
彼の手に力がこもり、私の頬に痛みを覚えさせる。
「お前の名前、美怜、怜の文字は迷いが無く賢いという意味がある。
すなわちな、お前にはそうあれるようにと願いがこめられているんだ。
そうであってくれないと、僕はな……僕はな……お前の父親に顔向けできないんだよ!」
私の頬に入れる力が緩み、外れた。
望が崩れ落ち、身を委ねるように倒れ掛かってくる。
まるで力尽きたかのように彼の体が軽い。
「すまない、ちょっと疲れた……」
そして彼から嗚咽が漏れ始める。
これが……本当の彼なのだろうか?
弱弱しく私の胸で泣く望が、どうしても悪い人に見えない。
いや、これが本当の彼なのだろうということが何となく確信出来た。
こんなにも私のことを思ってくれていて、自分が崩れるまで私を説得しようとしてくれていて。
能力や才能は実はメッキ張りで――本当の望は私の目の前に居るような年相応よりも涙もろい少年にしか見えない。
彼だって強く振舞っているが、彼の形が出来あがるまで虐めも受けていただろうし、親が居ないつらさも知っていたはずだ。
私のフラッシュバックの様に、彼のトラウマを刺激した結果がこれなのかもしれない。
賢い彼だ、こうなることは彼自身も判っていた筈だ。自滅するとも言っていた。
――なんでここまでしてくれるの? 家族だから?
――そもそもに家族と言えども、ここまでしてくれるだろうか?
疑問が浮かぶ。
家族を知らないから良く判らない。
でも、してくれないだろうと思う。本当に私のことを考えてくれているのでなければ。
あれ、私も口元にしょっぱい液体が流れてきた。視線が霞む。
悲しくないのに、なんで?
――嬉しいんだ、私。
「ごめ、ごめんなさい――私はなんで――目立つこと、他人から外れることを怖がっていたんだろう、望が居たのに」
涙を指で飛ばすと目の前が広がった。
私囲っていた枷が倒れ、世界が開けていく。
周りに誰か居ても何処にでもいける。
彼らは視線や言葉を向けてくるだけで、私には手が届くことは無いだろう。
一歩出て、その柵で囲われていた場所を振り返る。
私が居たそこには目の前にある宝物を置きたくなった。
だから私はそっと宝物――望を両手で包み込み、胸に引き寄せる。
望の体温が私に感じられた。暖かくて優しい感じがする。
昨日は拒絶し、感じられなかったそれ。それは愛しく、こんなにも大切なものだということに気付いた。
だからもう少し力を入れて望を私に押し付ける。
「ごめんなさいじゃない、負い目を感じる必要は無い――だから」
そうか細く述べる望が求めているものは判る。
「ありがと、望」
先回り。
そして私は嗚咽を続ける彼の頭を撫でた。
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