第3話 生まれて初めて死にました!
『ゲギャッギャッギャ!』
肌寒く、ほの暗いフロアに、ゴブリンの王の嘲笑するような笑い声が響いた。
ダンジョンの最奥の玉座に座っていたゴブリンキングに挑んで。
おそらく数分後。
僕は激痛に苛まれていた。
「ううぅっ!!」
ボタボタと流れ落ちるのは僕の血だ。
棍棒で体中を殴られたせいか、少し動くだけでも骨が軋むのが分かる。
冗談じゃなく肋骨も三本くらい逝ってるみたいで、冗談じゃないくらい痛かった。
よくある少年向けの物語とかで「肋骨何本か逝ったみたいだな」なんてセリフがあるけれど、実際に折れたらそんな余裕なんてないから、作者は肋骨折ってみたらいいと思った。
クラッとしてしまい、地面に尻をついてしまった僕に、
巨体な緑の怪物がにじり寄ってくる。
『ゲギャギャギャギャ!!』
「はぁ……はぁ……っ!」
息もマトモにはできない。
思考するには、明らかに酸素が足りない。
右目は潰されたから、もう開かない。
構えられた棍棒を前に、僕はお尻を引きずりながら立ち上がることもできずに後ずさった。
棍棒が振り下ろされる瞬間、死を予感したそのときに走馬灯のように浮かんできたのは、
幼き頃のユウキとの約束であった。
―――
今から七年前。八歳のころ。
自室で読書に励んでいると、バァン! と勢いよくドアが開かれた。
「ねぇカルマくん!! 一緒に大冒険者になろうよ!!」
「う、うん? いきなりどうしたの?」
大冒険者というのは、
普通の冒険者と違い、一つの土地に留まらないのが大冒険者なのだが、常に命の危険が付きまとう職業だ。
どうして彼女は、そんなものになりたいだなんてことを言いだしたのだろう。
僕が疑問の眼差しを向けていると、彼女は嬉々とした表情を浮かべて、背中に隠していたものを僕に見せた。
「これ! これ見てよ!!」
そう言ってユウキが手渡しきたのは、一冊の本だった。
本の名前は、『アルテス冒険記』。
大冒険者アルテスが、世界各地を渡り歩いたときの各大陸の特徴を記した冒険記だ。
これなら読んだことがある。
もっと古い時期に発行されたものが、おじいちゃんの書斎に入っていたのだ。
これがどうしたというのだろう。
「ほら見てよ! 雲の上には、たっくさんの島が浮かんでるんだよ!! そこには色んな人がいて、宝物があって、たっくさんの面白いがいーっぱいあるんだよ!!」
この世界には、無数の大陸が浮かんでいるのだ。
確か、反重力魔石が各島の底にあって、浮かんでいるとか。
そして、僕達が住むこの島は、最も高度の低い島。
通称、『雲の下にある島』スタルト。
つまりは、このスタルト以外の島は、雲の上にあるというわけだ。
雲の上にある島々。
この雲を抜けた先にある、出会いや冒険の数々。
僕だって男の子だ。
ワクワクしないわけがなかった。
「……でも、危険だよ冒険なんて。いつ死ぬかもわからないし」
「危険なことなんて承知だよ!! でも、でもさ……やっぱりワクワクしない!?」
「……だとしても、どうして僕なんかを誘うんだ? 僕には剣を振る才能も、魔法を扱う才能もない。僕なんかより適任はいるだろう?」
「才能があるとかないとか、そんな話をしてるんじゃないの!! カルマくんは行きたくないの?」
彼女の真っ直ぐな言葉と瞳に、心が揺れる。
彼女を見ていると、言い訳ばかりしている自分が恥ずかしくなる。
ああ、そうだ。
「僕は、君と――――」
――冒険が、したかったんだ。
―――
頭の中で想起された一番大切な記憶の回想も、これにておしまい。
僕の頭は巨大な棍棒によって打ち砕かれた。
けど、即死したわけじゃあなかった。
「ああっ、あああああああああ!!!」
バキバキバキ。ゴキゴキゴキ。
奇妙な音を立てながら、僕の体は奴に生きたまま喰われていた。
『グギャッギャッギャッ!』
皮膚を裂き、骨を貫いて内臓を貪る奴の笑い声を聞きながら、
僕には強い後悔を残す時間だけが、無慈悲にも与えられていたのだった。
――そうだ。
彼女は昔、よく笑っていたではないか。
けれど、その笑顔も、しばらく最近は見ることもなかった。
悩んでいたことでもあったのだろうか。
言い出せないことでもあったのだろうか。
彼女は確か、剣術道場の一人娘だと聞いた。
もしかしたら、冒険者業を反対されていたのかもしれない。
そうか。
僕は、彼女に理想を押し付けるばかりで、彼女を理解しようとすることから逃げていたんだ。
僕は弱くて、彼女は強いから。
そうやって、自分の不甲斐なさを理由にして、きちんと彼女を見ることから避けていたんだ。
彼女と離れたくないからと、索敵や雑用は人一倍頑張った。
剣術や魔法の鍛錬だって、中級の壁が超えられるよう毎日欠かさなかった。
けれど、それだけじゃあ、駄目だったんだ。
もっと、それこそ『死ぬ気』で頑張って努力して。
もっと、彼女から逃げずに、目を合わせて話さなきゃいけなかったんだ。
もっともっともっともっと。
やれることは、あったはずなのだ。
「うあ……あぁっ……あっ」
けれど、後悔したところで、もう遅かった。
すでに痛みすら感じなくなっていた体を見ると、内臓はほとんど残っていなかった。
よく意識が飛ばなかったな、と自分の諦めの悪さに失笑する。
よほど彼女との夢が、彼女への未練が、強かったと見える。
でも、それも、もう終わる。
俺は、ぼんやりとした視界で、奴がその大顎で俺の頭を噛み砕こうとしている様子を見ていた。
今更になって、涙が頬を伝った。
滝のように止まらない涙と鼻水。
視界がますます悪くなる中、痛みで言葉も出ない僕はただ
死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない。
僕は、まだ――、
彼女に何一つ、返せていないんだ。
だから、神様、どうか。
(僕に、もう一度だけ、チャンスをください)
届くはずもない願いを、言葉にもできずに願って。
されど、そんな都合の良いこともあるはずがなく、僕の首は奴に噛み千切られた。
グチャグチャグチャグチャ。
奴の醜い咀嚼音だけが、耳の奥で反芻していた。
――次の瞬間。
僕は間違いなく、否定の余地など少しもなく、
その命を落としたはずだった。
―――
ハッとして目を覚ますと、そこには毎日見ている光景が広がっていた。
カラカラとドアが開く音が断続的に鳴る空間。
あちらこちらで、酒を飲みかわす集団の数々。
ギルドボード前で、どの依頼を受けようかと悩んでいる初級冒険者の集団。
意識がここではないどこかに飛ばされていた僕は、
目の前の男がイライラとしている様子に気付き、背筋を伸ばした。
男は「はぁ」とあからさまに溜息をついて、口を開いた。
「悪いけどカルマ、君はクビだ」
「……へあっ?」
僕は思わず変な声を出してしまった。
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