第3話 逃避行
深夜零時ーー
気が付くとコンビニのレジカウンターに突っ立っていた。僕は一呼吸置くと冷静に状況を理解した。
キーーン。
店内で鳴り響くモスキート音を聞くなり、バックヤードの更衣室へと入った。そそくさと私服に着替えるとタイムカードに退勤をつける。
「山川君? 山川くーん」
店内から僕を呼ぶ店長の声が聞こえるが、今はそれどころでは無い。僕は早くここから逃げないといけない。信じ難いが僕はこのコンビニで殺されてタイムリープしているようだ。今回は最初から最後までハッキリと覚えている。他人に指し示す様な根拠は無いが確信している、間違い無い。
「山川君?」
扉からひょっこりと顔を覗かせる店長と目が合った。
「何してんの?」
「体調悪いんで帰ります」
「えー、新人さん来てるから、引き継ぎだけしていってよ」
店長の後ろで彼女がピョコピョコと跳ねながら僕に手を振っている。
「あー……その子なら大丈夫ですよ。経験者なんで」
「えっ? 知り合いなの? でも、履歴書には未経験って……」
僕と店長の会話をかき消す様に、
「はい! 未経験です。山川さん教えて下さい!」
と、彼女が高らかに言い放った。
「だってさ……じゃっ、よろしくー」
と、店長は陽気にそう言い残して店内へと去って行った。バックヤードに取り残された僕と彼女の間には気まずい空気が立ち込めている。そりゃそうだ……撲殺される女の子の横で僕はただただ丸まってたんだから。
「で? どうするんですか?」
キョロキョロと何かを探しながら彼女が僕に問う。
「えっ? どうするって……逃げるしかないでしょ?」
「なんで? 戦わないんですか? 私達でどうにかしないと」
彼女は壁に立て掛けてあったモップを手に取ると、まるで中国の棒術使いかの様にモップの柄の部分を僕の顔の前に突き付けてきた。ふざけているのか真剣なのか分からない彼女の表情に少しイラつく。
「なんでって、逃げる以外にどうするの? 殺されるんだよ? 戦う? 無理でしょ!」
興奮気味に話しているからなのか、いつもより饒舌になっている自分に少し驚いた。彼女もそんな僕に圧倒されたのか少したじろいだ後、モップを床に置いた。
「すいません……」
「はっ? なんで謝るの? ふざけてたから? それと、僕がどうしようと君に関係ある? ねぇ? なに? てかさ……」
その後しばらく俯いたまま動かない彼女を一方的に責め立てた。得体の知れない恐怖と動揺を発散するかの如く。何を言いたいのか、何を伝えたいのか自分自身でも分からないまま、店長が止めに入るまでの間ただひたすら彼女に罵声を浴びせ続けた。
僕が丸まって動けなかった事に対して追及してこない事が特に釈に触った。
自分の中で非を認めれば認める程、相手を責めずにはいられなくなる。情けないがこれが僕が僕であり続ける為の防衛本能であり、他人と上手く関わる事が出来ないどうしようも無い欠点でもある。
自動ドアを通ると家から来た道を戻った。もう9月も終わりだというのに日が落ちても尚、歩くだけでじとっとした暑さが肌にまとわりついてくる。電灯に群がる虫を見てると余計に暑苦しく感じた。いや、死を直感してから感覚が過敏になっているのだろうか。普段より生きているという実感がある。
国道沿いの歩道を歩いていると前方から立ち読みおっさんがこちらに向かって来るのが見えた。僕は、すれ違いざまに、
「あー、今日違うコンビニ行った方がいいですよ」
と、つい声を掛けてしまった。
無様に逃げ帰った事への罪滅ぼしのつもりなのだろうか。自分でもよく分からないが彼女の顔が少し浮かんだ後、自然と声を掛けてしまった。
「……」
立ち読みおっさんは無言で立ち止まるとクルリとこちらに振り返った。僕は後退りする様に「じゃっ」とだけ伝えると小走りで家路へと着いた。
「ただいまー」
自分の声が乱反射して返ってきそうな程に狭い6畳1間の我が家にボソリと呟く。電気を付け、使い古して黄ばんだクッションに腰を下ろすと自然と涙が溢れた。
生きてる……。
ここは安全だと思えば思うほど、彼女はどうしたのだろうかという不安に苛まれた。無理にでも彼女も一緒に逃げさせるべきだったのではないか。しかし、僕達が逃げる事で次は店長や他の客が被害に遭ってしまう。やはり彼女が言うように得体の知れないサイコパスと戦うという選択肢しか無かったのではないか。そう思えば思うほどに自分だけが逃げた事への罪悪感で頭がいっぱいになった。
「早く戻らないと」
……頭では分かっていても……気持ちが……体が……死を拒絶するかの様に震えている。
生産性の無い自問自答を繰り返す内に無情にも時間は過ぎていく。ふと見上げた壁掛け時計が3時30分を指し示した頃、救急車のサイレンが、その少し後にパトカーのサイレンがアパートの前を通り過ぎてコンビニのある方向へと向かって行った。どちらのサイレンも「お前のせいだぞ」と僕を責め立てている気がして嗚咽が止まらなくなった。
嗚咽からくる胃液のツンとした臭いが口の中を充満した頃、窓の外が暗がりから白けていく景色に目を奪われた。地平線からゆっくりと太陽が昇ってくる姿はとても神々しく、赦しを得た様な気になった。極度の疲れと安堵感からか、太陽が登り切る前に僕は意識を失う様に眠りについたのだった。
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