第2話 疑心

 深夜零時ーー


 気が付くと僕は、コンビニのレジカウンターに突っ立っていた。


 キーーン。


 店内で鳴り響くモスキート音に思わず手で耳を塞ぐ。頭が痛い。と同時に確かな違和感を覚えた。何かがおかしい……。


 あぁ……これは……あれだ……デジャヴだ。


 疑いようの無い圧倒的な既視感。深く呼吸してから息を整えると、目を瞑って未来に意識を集中してみた。


 ドルン、ドルン、ドルン……。

 大型トラックの馬力のあるエンジン音が駐車場から響く。


「紺色のツナギを着た大柄な男……」


 小さな声で確認する様に自分へと呟く。すると数秒後、紺色のツナギを着た大柄な男が入店してきた。男はこちらを見向きもせず腹を抱えてトイレへと向かう。


「いらっしゃいませー……次は店長から話しかけられる……」


「山川君! 今日から新人さん入るから教育よろしくね」


 レトルト商品の棚に商品を陳列しながら店長が僕にそう言った。


「ウス」


 俯きながら店長に返事をすると、中腰でレジカウンターに両の手の平を着いた。


 やはり……間違い無い。不鮮明な部分はあるが、今の僕には確かに未来が見えている……。いや、未来が見えているというよりは、かつて体現した事を繰り返している様な感覚。


 抑えきれない高揚感と得体の知れない出来事に心拍数が上がり、胸の辺りが熱くなっているのが分かる。僕は再び目を瞑るともう一度未来へと意識を集中してみた。


「あのー、すみません!」


 突然、目の前で話しかけて来た女の子にビクッとする。


「えっ、あっ、いらっしゃいませー」


 僕はそう言うと無造作に伸びた前髪を手櫛で流しながら平然を装う。


「今日からここで働かせてもらう紺野 一果です!よろしくお願いします」


 深々と頭を下げる彼女を足元から見上げる。薄汚れた白のスニーカー、紺色のジャージ、シンプルな白のTシャツ、明るめの茶髪は後ろで結っている。


「えっ?」


 彼女はそう言い、僕の顔を見ると一瞬だけ何かに動揺する様子を見せた。


「あー、紺野さん? こっちこっち」


 店長が肩口で汗を拭いながら彼女を呼んだ。


 不思議な事に彼女とのやり取りは全く予見出来なかった。未来が見える等と思い込んでいた自分が恥ずかしい。


 彼女は、目の前の僕にペコリと会釈をすると店長の方へと駆け寄って行った。


 店長から一通りの説明を受けた後、彼女はバイト着に着替えて僕の元へとやってきた。


「店長から仕事内容は山川さんに教えてもらえって言われたので、よろしくお願いします」


 真っ直ぐに僕を見つめる彼女の視線に耐えられず、不自然な伸びをしながら視線を逸らす。そのまま返事すら出来ずにコクコクと2度頷くと改めて彼女へと視線を向ける。


「えー…そしたら…深夜…品出し…大事」


 コミュ力の低さを露呈する歯切れの悪い喋り方の自分に相変わらず嫌気が差した。


「品出し…を教えてもらえるって事ですか?」


 首を傾げながらそう問い掛けてくる彼女に僕はコクコクと2度頷いた。


 陳列するスナック菓子の袋がカサカサと擦れる音、床と靴が摩擦して起きるキュッキュッキュッという作業音だけが静かなコンビニの店内で響く。僕は時折、作業の手を止め、これから起こる事象に対して頭の中で思考を重ねていた。


「あの! 山川さんはキノコの山とタケノコの里、どっち派ですか?」


 キノコの山とタケノコの里のパッケージを持って訊ねる彼女に、


「こっち」


 と、何となくタケノコの里を指差してそう答える。


「えっ? 違う……」


「んっ?」


「いや、思ってたのと違ったんで」


 物珍しそうな表情で僕の顔を覗き込む彼女を尻目に僕は顔をしかめた。やはり彼女とのやり取りは予見出来ない。


「あのー、山川さん。ひとつだけ質問しても良いですか?」


「えっ、あっ……うん」


「私の事、覚えてますか?」


「……」


 僕は少し考えると、スナック菓子を陳列しながらゆっくりと首を横に振った。


 普段から他人に興味がない僕からすればそれは、日常茶飯事の事だ。何せ、高校3年間クラスが一緒だった奴に大学で再会した時、「はじめまして」と挨拶してしまった位だ。


 しかし、今の僕には彼女の不可思議な言動が気になって仕方がなかった。


「あっ、あの、君は…ぼっ、僕の事、知って、るの?」


「変な事言ってると思って聞いてくださいね」


 彼女はそう前置きしてから、少し照れ臭そうにこう続けた。


「私、多分タイムリープしてるんです」


「……んふ……」


 僕は、不格好な愛想笑いでその場を誤魔化すと、振り向く事無くトイレへと向かう。(清掃中)の立て看板を置いて逃げる様にトイレの中へ入ると、ズボンを脱がずにそのまま便座へと座った。


 彼女はきっと変なのだろう。「変な事言ってると思って聞いてくださいね」と前置きしたとはいえ……変だ。どう考えても彼女は変な事を言っている。この手の女とは関わらない方が身の為だ。








 それから彼女とは、一定の距離を保ったまま仕事を続けた。レジスターの扱いも慣れていたので研修もそこそこにレジに立ってもらう事にした。時折「立ち読みするおじさんが来ます」やら「そろそろバイクが店の前を横切ります」やらとドヤ顔で予見して来たが、それ位の事なら俺にも見えている。


 そしてこれは予見なのでは無く、彼女の言うように自分もタイムリープしてるのでは? という疑問が頭によぎった。しかし、どのタイミングでどうやってタイムリープしているのかは全く分からずにいた。いくら考えても分からない答えに痺れを切らした僕はレジカウンターの横でお札を数えている彼女に聞いてみる事にした。


「で、いつ……タ、タイムリープ……するの?」


「えっとー……その辺はちょっとあやふやでー……」


 彼女が首を傾げて考えているその時だった。


 ガシャーン!! ガシャガシャ!!

 突然の聴き慣れない爆音に僕はレジカウンターの中で咄嗟にしゃがみ込んだ。まだ、視界には入っていないが車がガラスを突き破って店内に入って来たのが何となく分かった。隣にいた彼女も同じ体制でしゃがみ込んでいる。彼女は僕と目が合うなり、


「あー、そうです! そうです! この後に頭をボゴッて……」


 場違いなトーンで無邪気に話す彼女の口元を手で抑える。そして、僕もこれから起こる展開を予見出来ていた。予見出来たのはいいが、さすがに自分の頭がかち割れる未来を見るのは気分が悪いし、正直言ってすごく怖い。ドクンドクンと打ち鳴らす胸の鼓動が手の震えを助長し、血液の流れが止まったかの様に強張った足が重たい。


「とっ……とり、あえず、こっ……ここから、にっ、逃げよう」


 そう言いながらも、鮮明に思い出せば思い出す程、痛みと恐怖が脳内を駆け巡る様にフラッシュバックした。吐き気と目眩で動けない僕はついにレジカウンターの下でダンゴムシの様にうずくまってしまった。


「早く」「逃げなきゃ」「動いて」と僕に向かって必死で叫ぶ彼女の声が途切れた後、「ボゴッ」「ガゴッ」「ドガッ」と彼女を殴打する生々しい低音が何度も僕の鼓膜に響いた。


 それなのに……僕は……恥ずかし気も無く……苦しみたくない。早く終わらせて欲しい。痛いのは嫌だ。と、死への服従を誓う様にうずくまった状態で頭だけをスッと前の方へと差し出した。


 ボゴッ!!


 僕の望み通り、後頭部に強い衝撃と鈍痛が走った。意識が遠のいていく中、ふと彼女がいた方へと視線を向ける。彼女の手足はあられの無い方向へと曲がり、はっきりと抵抗の跡が窺えた。僕は自分の不甲斐なさに顔を伏せながらゆっくりと目を閉じたのだった。

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