〜本編〜

第1話 予兆

 深夜零時ーー


 気が付くと僕は、コンビニのレジカウンターに突っ立っていた。


 キーーン。


 店内で鳴り響くモスキート音に思わず手で耳を塞ぐ。頭が痛い。


 このモスキート音、17KHz(キロヘルツ)という高い周波数を持つ高音。通常、人間が聴くことのできる音の周波数は20Hzという低い音から20KHzという高い音までとされていて、人間は年齢とともに高周波音を聞き取りづらくなるらしい。そして、この17KHzという高音は平均して24歳以下にしか聞こえない音の周波数になるのだとか。今年26歳の僕がこのモスキート音に頭を悩ませる事が嬉しいのやら嬉しく無いのやら……。


 ドルン、ドルン、ドルン……。

 大型トラックの馬力のあるエンジン音が駐車場から響いた後、紺色のツナギを着た大柄な男が入店してきた。男はこちらを見向きもせず腹を抱えてトイレへと向かう。


「いらっしゃいませー」


「山川君! 今日から新人さん入るから教育よろしくね」


 レトルト商品の棚に商品を陳列しながら店長が僕にそう言った。


「ウス」


 俯きながら店長に返事をすると、中腰でレジカウンターに両の手の平を着き、真正面にある壁掛け時計の秒針をぼんやりと眺めていた。


「あのー、すみません!」


 突然、目の前で話しかけて来た女の子にビクッとする。


「えっ、あっ、いらっしゃいませー」


 無造作に伸びた前髪を手櫛で流しながら平然を装う。


「今日からここで働かせてもらう紺野こんの 一果いちかです!よろしくお願いします」


 深々と頭を下げる彼女を足元から見上げる。薄汚れた白のスニーカー、紺色のジャージ、シンプルな白のTシャツ、明るめの茶髪は後ろで結っている。学年に1人はいる活発な女の子の模範解答の様な服装と佇まい。はっきり言って苦手なタイプだ。


「えっ?」


 彼女はそう言い、僕の顔を見ると一瞬だけ何かに動揺した様子を見せた。


「あー、紺野さん? こっちこっち」


 店長が肩口で汗を拭いながら彼女を呼んだ。僕には見せた事の無い店長のニヤケ顔に少し腹が立つ。彼女は目の前の僕にペコリと会釈をすると店長の方へと駆け寄って行った。


 店長から一通りの説明を受けた後、彼女はバイト着に着替えて僕の元へとやってきた。


「店長から仕事内容は山川さんに教えてもらえって言われたので、よろしくお願いします」


 真っ直ぐに僕を見つめる彼女の視線に耐えられず、不自然な伸びをしながら視線を逸らす。そのまま返事すら出来ずにコクコクと2度頷くと改めて彼女へと視線を向ける。


「えー…そしたら…深夜…品出し…大事」


 コミュ力の低さを露呈する歯切れの悪い喋り方の自分に相変わらず嫌気が差した。


 昔からこうだった訳では無い。むしろ子供の頃は活発で明るい方だったと記憶している。学校の休憩時間になれば、僕の机の周りには友達が集まりいつも賑やかだった。その頃は自分が何かの物語の主人公であるかの様にさえ思っていた。


 しかし、大人になるにつれ、自分が脇役である事を身を持って思い知らされるイベントが多くなっていった。小学校の徒競走、中学校の学力テスト、高校の部活動、大学生活でのコミュニケーション能力。


 どれをとっても平均以下、当たり障りの無い人生。何かに打ちひしがれた事も無ければ何かに夢中になった覚えも無い。傍目にそんな人を見れば「なんの為に?」という理由付けをしたくなる程だ。


 大学時代、何の目的も無く群れる同年代を軽視していた事をよく覚えている。僕は奴らとは違う。という考えから、人が近付きやすい昼食時は中庭でアンパンを頬張りながら誰とも繋がっていないスマホを耳に当てる事で人を寄せ付けない様にしていた程だ。時折、薄っすらと聞こえていた「張り込み刑事デカ」という単語は僕に向けてのものだったのだろう。と今更ながらに理解した。


 そんな人生経験の愚かさから、自分に自信がなくなり、簡単な会話さえ上手く出来なくなったという事実が今、目の前で僕の言葉を理解しようと唇を噛み締めている彼女に伝わるはずもない訳で……。


「品出し…を教えてもらえるって事ですか?」


 首を傾げながらそう問い掛けてくる彼女に僕はコクコクと2度頷いた。







 自分でも不思議なのだが、コミュニケーション能力は低いが、業務内容の伝達や接客は難無くこなせるのだ。


 しかし、品出しの業務内容だけをツラツラと彼女に説明し終えると会話の糸はプツリと途切れる。


 陳列するスナック菓子の袋がカサカサと擦れる音、床と靴が摩擦して起きるキュッキュッキュッという作業音だけが静かなコンビニの店内で響く。


 店内のBGMが途切れる度に、襲ってくる沈黙は不甲斐無い僕を責め立てている様だ。かといって、自分から差し出せる様な話題の引き出しを持っているはずもなく、必死に話題を探そうと唇を噛み締めている彼女の横で僕は黙々と菓子を陳列していた。


「あの! 山川さんはキノコの山とタケノコの里、どっち派ですか?」


 キノコの山とタケノコの里のパッケージを持って訊ねる彼女に、


「こっち」


 と、横目でキノコの山を指差してそう答える。


「えっ? 何でですか? タケノコの方が人気じゃないですか」


 彼女は物珍しそうな表情で僕の顔を覗き込んできた。


 しかし、僕はその「何でですか?」に対する返事をする事もなく、黙って陳列作業を再開した。キノコを選んだ事に対しての理由が、少数派を選ぶ事によって自分が個性的だという主張をしたかったから。とは、到底言えなかったからだ。







 客が来た想定で実際に操作をしながらレジスターの扱い方を教える。彼女は必死にメモを取りながら僕の手元と口元を交互に見返した。彼女は物覚えが良い方なのか、1度の説明だけで理解を示した。


「後、レジを引き継ぐ時にお金のチェックは絶対する様に」


「はい」


 一息つくと、不意に店内の壁掛け時計へと視線を向ける。時計の針は深夜2時を指していた。


「やばっ! 立ち読みオッサン……ちょっと……レジ……いて」


「あっ、はい」


 バタバタとバックヤードに入ると、呑気にイビキをかいて寝ている店長の横で雑誌類を台車に乗せ、品出しの準備をする。


 雑誌の開封、陳列を15分程で済ました頃、それを見計らったかの様にサンダルに上下スウェット姿の立ち読みオッサンが颯爽と店内へと入店してきた。


「いらっしゃいませー」


 大きな声で挨拶をすると、レジの前で構える彼女。


「えーっと……立ち読みオッサン……かっ、かっ、買い物……しないから構え無くてい、いい」


 キョトン顔の彼女に付け加える。


「毎日……立ち読み……だけして……帰る、から」


 立ち読みオッサンは今日も変わらず、左端の雑誌を手に取ると目を細めながら紙面へと顔を近づけた。毎日毎日、棚に並んだ週刊誌を端から端まで約2時間かけて読み漁る。それも10年も前から毎日というのだから、滑稽を通り越してそれはもう狂気じみている。そしてそんな異端な存在を身近に感じる事で、僕はいつしか自分はまだ正常だと思える様になり、自然と笑みが溢れる様にもなった。


「お知り合いですか?」


「えっ? なっ……なんでっ?」


「笑いかけてる様に見えたんで」


「いや……知らない、けど……元々はここでバイト……してた……らし、い、OBらしい」


「へー、そしたら私にとっても先輩ですね」


 彼女はそう言うと、夜中のコンビニで雑誌を立ち読みするオッサンへと微笑みかけた。それは、人を小馬鹿にした様な冷たい笑みでは無く、敬意を表する様な温かい笑み。馬鹿正直なのか、異端なのか、どちらにせよ僕は理解しがたい感情を抱く彼女の横顔が少し怖く感じた。




 深夜三時--


 ガシャーン!! ガシャガシャ!!

 突然の聴き慣れない爆音に僕はレジカウンターの中で咄嗟にしゃがみ込んだ。まだ、視界には入っていないが車がガラスを突き破って店内に入って来たのが何となく分かった。隣にいた新人の彼女も同じ体制でしゃがみ込んでいる。彼女にはそのまま静止する様、両手で「座ってて」とジェスチャーを送る。イレギュラーな出来事が突然起こった割に僕は冷静だった。それと同時にこれは事故では無く、故意的に起こされた事件だと予見していた。予見? いや、今になって鮮明に思い出した。僕は、この日のこの出来事を経験している。現に犯人の次の行動が手にとる様に分かる。確か、鉄パイプの様な物で僕の頭を……。


 ボゴッ!!


 後頭部に強い衝撃が走った後、僕の意識は真っ暗な闇の中へと遠のいていった。微かに響くモスキート音と共に……。

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