第41話 ゴーストライター


「え、え? それってどういうことだ?」


 青田あおたは何がなんだかわからないといった顔をしているが、俺からしたらとんでもないことだ。


「前に説明したと思うが、錆川さびかわを狙う襲撃者たちが名乗っている名前は、姉さんが書いた小説のキャラがモデルだ。そして錆川に見せてもらった小説のエピローグは魔王に苦しみを与え続けて死に追いやるという結末だった。だから俺は襲撃者たちが小説のキャラと同じように、白髪の魔王である錆川を殺そうとしていると考えていた」

「で、ですが、佐久間さくまくん。これって……」

「ああ……」


 俺は再度エピローグを読み直した。


 ※※※


 ――アマクサの刀に斬り裂かれた“白髪”の魔王はその場にうずくまり、地面に血だまりを広げていく。

 その姿を見た勇者たちの心に、ようやく安堵が訪れる。


「……やったのか。俺たちは」


 未だ刀身から魔王の血が滴っている刀を離そうとしたアマクサだったが、その腕をバルマーが掴んだ。


「まだですよ、アマクサ。まだ終わっていません」

「どういうことだ?」

「アルジャーノンさん、これを見てください」


 そう言ってバルマーが指さしたものは、魔王の傷の中から見える、どす黒い霧のような物体だった。


「なによ、これ?」

「これは……まずい! 伏せてください!」

「っ!?」


 バルマーの声を聞いて反射的に身をかがめたアルジャーノンだったが、その頭上を黒い霧が濁流のような勢いで通り過ぎていく。そのまま部屋の壁にぶつかると、石造りの壁がドロドロと溶けた。


「な、なによ、あれ……?」

「……おそらく、あれこそが魔王の正体です」

「なんだと? じゃあ俺が斬ったコイツは!?」


 アマクサの視線の先では白髪の魔王が倒れているはずだった。


 しかし、実際には魔王は立ち上がって自分の傷口から流れ出ていく黒い霧をその小さい手で掴んでいく。


「はあ、はあ……」

「魔王! まだ生きていたか!」

「……そうですね……あなたがもっと深く斬ってくださればよかったのですが……」

「だったらその通りにしてやる!」


 だがトドメを刺そうと刀を構えるアマクサをアルジャーノンが制止した。


「待ってアマクサ! あの霧が来る!」

「くっ!」


 魔王に気を取られて霧への対処が一瞬遅れる。いくら王国中に剣の腕が知れ渡っているアマクサといえども形のないものは斬れない。

 万事休すかと思われたその時、霧がアマクサの身体を覆う寸前で止まった。


「な、なんだ?」

「……よかった、止まってくれましたね」


 魔王は安堵したように呟くと黒い霧を両手で掴み、自分の傷口に押し込んでいく。


「ぐ、ふう……ちゃんと、制御、しないと……」

「何のマネだ? なぜ俺への攻撃を止めた!?」

「私にそんな説明をする義務がありますか? 戦いはまだ終わっていませんよ」


 口から血を吐きながらも魔王は再び立ち上がる。瀕死なのは明らかだが、真意が見えない以上、アマクサは迂闊に手を出せなかった。


「ならばあなたに代わって私が説明してあげますよ、魔王」


 そしてその拮抗した状況を打ち破ったのはバルマーだった。


「おそらくその黒い霧こそが、あなたが魔王とならざるを得なかった要因なのでしょう?」

「……っ!」

「どういうこと……? じゃああの子は、仕方なく魔王になったってこと?」

「私もその黒い霧がどういうものなのかは解明できてませんが、魔王があの力に振り回されて抑え込もうとしているのは当初から見抜いていました。だから私は魔王討伐に加わったのですよ」

「振り回されていただと!? バカを言うな! アイツのせいでどれほどの人間が犠牲になったと思ってる!」

「だから彼女は私たちに殺される必要があったのですよ。王国に仇なす魔王として、これ以上の犠牲を出さないように」


 気まずそうに顔を逸らすその姿が、バルマーの言葉が真実であることを物語っていた。


「ふざけないでよ……アンタ、私に何も相談せずに、一人で勝手に殺されようとしてたの?」

「……あなたに相談したら、私が死ぬのを止めようとしたでしょう?」

「当たり前じゃない! アンタが……魔王になったって……それを信じられなくても、みんなのために誰かがやらなきゃいけないから……だからせめて私の手でって……そう思ってたのに……」


 アルジャーノンの慟哭を目をやった後、バルマーは魔王に向き直る。


「ですがね、あなたを殺したとしてもその黒い霧が一緒に消えてくれるとは限りません。その黒い霧が他の誰かにとりついてしまえば意味がないんですよ」

「それなら私を野放しにして王国が滅ぼされるのを見届けますか? あなた方はそれを阻止するためにここに来たのでしょう? 私が魔王になった理由など、あなた方には関係ないはずです。ただ私を殺して人々を救えばいいのではありませんか?」

「ふざけるな……!!」


 魔王の言葉を受けてアマクサの静かな怒りを孕んだ声が響いた。


「貴様の事情など確かに俺の知ったことではない。だが俺に殺されることが貴様の思い通りだというなら、俺の友が死んだことが貴様の思い通りではなかったというなら……俺は誰を憎めばよいのだ! 彼らの死はなんだったというのだ!」

「私も同じ気持ちよ。アンタ、自分が死ねばめでたしめでたしで済ませられると思ってんの? 一人で抱え込むことが私や王国への裏切りだとは思わなかったの!?」

「……だったら、あなた方にはそれ以外に有効な策が思いついているのですか? 私を殺さず、この黒い霧を確実に消し去る方法を」

「それは……」


 誰もが言葉に詰まるかと思われたその時。


「ありますよ」


 バルマーは魔王の問いにはっきりとそう答えた。


「黒い霧を消し去る方法はまだ用意できていませんが、少なくともあなたを殺すよりは有効な策は思いついてます」

「なんですって……?」

「私が転送魔法を得意としていることはご存知でしょう?」


 バルマーが得意とする転送魔法とは、特定の範囲内に存在する物体を別の場所に瞬時に転送するというものだ。剣や食料、最大で酒樽程度の大きさの物であれば、あらかじめマーキングしていた場所に転送が可能となる。


「なので、こうします」


 そう言ってバルマーは、自分の腹に短剣を突き立てた。


「えっ!?」

「何をしている!?」


 驚くアルジャーノンとアマクサをよそに、バルマーは短剣を引き抜いた傷口に魔法陣を刻む。その後、瀕死の魔王の傷にも同じものを刻んだ。


「……! 待ちなさい、あなたまさか!」

「そのまさかですよ」


 魔王がバルマーの意図を察した時にはもう遅かった。


 魔王の傷口から流れて出ていた黒い霧が弱まり、代わりにバルマーの傷から同じものが流れ始める。


「おいバルマー!! お前……自分も黒い霧を引き受ける気か!?」

「……ええ、その方が……魔王一人で負担するよりも軽く済むでしょうから……」


 フラフラと動きながらも顔に微笑を浮かべるバルマーに対し、魔王は焦りの声を上げる。


「なんてことを……!! 自分が何をしたのかわかっているのですか!? これであなたも魔王の仲間と扱われるのですよ!?」

「ええ、そうでしょうね。苦しいでしょう? 自分のせいで他人が傷つくのは」

「……!!」

「だからあなたは自分一人で傷を背負い込もうとした。そんなの贖罪ではありませんよ。私は魔王討伐に加わったのは、あなたによる悲劇を終わらせるためです。自分一人が死ぬなんて楽な道に逃げるのは許しませんよ」

「私による、悲劇……」

「みんなわかっているんですよ。あなたが単なる我欲で魔王になったわけではないと。薄々気づいている者が大半です。あなたを魔王として討伐したところで、残るのは疑心暗鬼と不安だけですよ……ぐっ!」


 苦痛の声を上げるバルマーの身体をアマクサが支える。


「おいバルマー、さっきの魔法まだいけるか?」

「え、ええ……なんとか……あと二回くらいは……」

「なら俺とアルジャーノンにも同じものを刻め」

「まさか拒否なんてしないわよね? 私も自分一人で抱え込むなんて許さない」

「……まったく、人使いが荒い……」


 そしてバルマーは改めて魔王に顔を向ける。


「先ほども言いましたが、まだ黒い霧を消し去る方法は見つかっていません。ですが我々四人でこれを抑え込めば……あなた一人で抑え込むより猶予はあるでしょう」

「……なんで、あなた方がそこまでするんですか?」

「先ほどの言葉をお返ししますよ。そんな説明をする義務はありません」


 その言葉を聞き、魔王は深く頭を下げ、自分が今までよりもずっと長く厳しい戦いに挑むことを悟ったのであった。


 ※※※


 この結末は錆川に見せられたものとは明らかに違う。いや、真逆と言っていい。そしてこの真逆の結末が意味するものは。


「姉さんは錆川を死ぬべき存在だなんて思っていなかったんだ」


 間違いない。これこそが姉さんが書いた本当の結末だ。そして姉さんが錆川に残した言葉も意味もやっとわかった。


『私があなたの悲劇を終わらせる』


 この言葉は作中のバルマーのセリフと同じものだ。つまり……


「姉さんは、小説内に自分をモデルとしたキャラを登場させていたんだ」

「ま、まさかそれが……」

「それこそが、“潔白”のバルマーの正体だ。魔王の苦しみを共に背負ってその命を救おうとした。“潔白”のバルマーの正体は姉さん……佐久間裕子ゆうこだ」


 そしてこの結末を見た今だと、三人の勇者が示す意味合いも変わってくる。


「全て繋がった。三人の勇者は錆川を殺すためのキャラじゃない。その痛みを一緒に背負って助けるためのキャラだったんだ。それこそが姉さんの真意だ」

「おい、それじゃあ……錆川さんが持ってたエピローグっていうのは……」


 青田はおそらく俺と同じ可能性に思い当たっている。


「何者かが偽の結末を書いて、錆川が見るように仕向けたんだ。姉さんが錆川の死を望んでいたと思わせるために」


 言葉にしたことで、俺の中に静かな怒りが湧きあがった。

 その偽の結末を書いた『何者か』にどういう事情があるのかは知らない。もしかしたら錆川を憎むれっきとした理由があるのかもしれない。


 しかしそれは、姉さんの思いを歪めて利用していい理由にはならない。


「青田、蜜蝋みつろうさん」


 俺は決意する。


「偽物の結末を用意した、“ゴーストライター”を探し出すぞ」


 “ゴーストライター”には、必ず罪を償わせる。

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