第37話 “潔白”のバルマー


 現在、俺たちは昼休みに元文芸部の教室に集まって今後の方針について話し合っている。“白刃”のアマクサ、“空白”のアルジャーノンに勝利し、残る襲撃者は“潔白”のバルマーのみ。本来なら俺はこの場に錆川も同席させるつもりだったが、状況が変わった。


 錆川紗雨はこの先、俺たちの行動をもっと表立って妨害する可能性がある。


「一体、何が起こったのですか? わたくしの身体に痛みが戻ってくるなんて……」


 蜜蝋さんの目には涙が浮かんでいた。それが悲観によるものではなく、喜びによるものなのは明らかだ。彼女の身体に痛みが戻ってきたということは、錆川の『体質』が弱まっていることに他ならない。


「おい佐久間、俺たちにも説明してくれ。なんで蜜蝋さんの傷が錆川さんに移らないってわかったんだ?」


 青田が質問を投げかけてくるが、俺としても上手く説明できるほど言葉が纏まっていなかった。だから現状で確実なことから整理していくしかない。


「俺も確信があったわけじゃない。ただ、朝の錆川との通話でアイツは『蜜蝋さんに何をしたのか』と聞いてきた。つまり俺たちが蜜蝋さんを説得して仲間に引き入れたことが、錆川にとって不都合な事態に繋がっている」

「その不都合な事態っていうのが、蜜蝋さんの傷を肩代わりできなくなったことか?」

「そうだ。錆川にとって、誰かの傷を肩代わりできなくなるのは最も避けたい事態だ」

「いくらなんでも、それは理解できねえな……」

「俺も理解はできない。だが錆川紗雨は『誰かの傷や苦痛を肩代わりする』という行為を自らの存在意義としている。自分の存在意義が崩れてしまうのを恐れる気持ちなら理解できるだろう? そこは錆川も俺たちと変わらない」

「で、ですが、わたくしが佐久間くんと手を組んだことがどうして錆川さんの『体質』を弱めたのでしょうか?」


 蜜蝋さんの疑問は当然だ。俺たちの行動がなぜ錆川の『体質』を弱めたのかはわからない。だが逆に、それを解明できたなら錆川の真意にもたどり着けるかもしれない。


「……そもそも、錆川は本当にどんな相手の傷も肩代わりできるのか?」

「え?」

「錆川が他人の傷を肩代わりするためには、何か条件があるんじゃないのか? 直接触れるとかじゃなく、もっと大きな前提条件が必要なんじゃないのか? そして今の蜜蝋さんは、その条件から外れているとしたら?」

「あり得ますわね……現に、わたくしはもう錆川さんのことを恨んではいません。あの方と、もう一度やり直したいと思っております。もしかすると、この心境の変化がその条件に関わっているのでしょうか?」

「断定はできないが、可能性はあるな。せめてもう一人、錆川が傷を肩代わりできない人間がいればわかりやすいんだが……」


 そこまで考えたが、現状で錆川の『体質』についてわかるのはここまでだ。ならもう一つの謎について考えるか。


「ところで話は変わるんだが、蜜蝋さんは“潔白”のバルマーの正体については知らないってことでいいんだな?」

「はい。メッセージの文面でやり取りしただけでして、顔どころか声も知りませんわ」

「男か女もわからないってことか……」

「でも佐久間よ、そのバルマーってヤツが蜜蝋さんたちをけしかけたんだろ? だったらソイツは錆川さんに強い恨みを持つ、身近なヤツなんじゃないのか?」

「確かにな。それにもうひとつ手がかりがある」

「手がかり?」

「あの時、蜜蝋さんが俺を刺したんじゃないとすれば、犯人は別にいるはずだ」

「……そう、ですね」


 そう、蜜蝋さんは俺を刺していない。あの時の彼女は俺や錆川の敵として立ちはだかるため、わざと自分が刺したように演じていたんだ。


「蜜蝋さん、アンタがあの教室に入ってきた時、俺はもう刺されていたってことでいいのか?」

「ええ……わたくしが入ってきた時には錆川さんが傷を『肩代わり』していた後でしたわ。“潔白”のバルマーにあの場所に行けとメッセージで指示されましたの」

「バルマーに?」

「ええ。なのであなたを刺したのは……」

「“潔白”のバルマー……襲撃者の最後の一人ということか」


 姉さんの小説においても、バルマーは三人の勇者のリーダー格だった。それに、奥村先輩や蜜蝋さんに指示を出して錆川への襲撃をそそのかしている以上、バルマーが首謀者であるのは間違いない。錆川がいる前で俺を刺したのも、アイツに傷を『肩代わり』させて蜜蝋さんと敵対するように仕向けるためだろう。


「おい、というか今の話が本当なら、錆川さんはお前を刺したヤツを見てたってことにならないか?」

「え?」

「お前から聞いた話だと、錆川さんが目の前にいる状態で背中から刺されたんだろ? だったら錆川さんはお前の向こうにいた犯人を見ているはずだ」

「た、確かに……」


 俺はあの時の状況から、蜜蝋さんに刺されたのだと思い込んでいた。だから錆川に犯人の正体について聞くこともなく、自然と蜜蝋さんと戦う流れになっていた。

 だけど犯人が蜜蝋さんでなく“潔白”のバルマーだとしたら、錆川はバルマーの正体を見ていることに……


「……ん?」


 錆川は、バルマーの正体を知っている?

 いや、それはおかしいだろう。襲撃者たちは錆川を憎んで、敵対しているんだ。現に“白刃”のアマクサも“空白”のアルジャーノンも、小説内で魔王を憎むキャラとして設定されていて、奥村先輩と蜜蝋さんも目的は違えど錆川と敵対していた。

 バルマーの目的が錆川の殺害であれば、錆川に正体を知られるのは避けたいはずだ。現にバルマーは他の襲撃者にも正体を隠していた。殺そうとしている相手に正体を知られていいはずが……


「いい……はずが……」


 ……ひとつだけ、可能性がある。

 バルマーの正体を錆川が知っていて、かつそれがバルマーにとって不都合ではない状況がひとつだけある。


「……なあ、青田。ちょっと今からとんでもないことを言うんだが、驚かずに聞いてくれるか?」

「ああ? なんだよ急に。ていうか、俺からしたらここ数日の出来事に全部驚いてるんだから気にするなよ」

「ありがとう。それでだ、俺が思うに“潔白”のバルマーが錆川紗雨を殺すために動いているのは間違いない。そのためにアマクサやアルジャーノンに復讐をもちかけた。だけど仮にバルマー自身にも錆川への復讐心があるなら、共通の目的を持つ他の襲撃者たちにも正体を隠す必要はないはずだ」

「い、言われてみりゃ、そうだな」

「しかし現実には、蜜蝋さんもバルマーの正体を知らなかった。そこまで自分の正体を隠していたバルマーが、錆川に対しては平然と正体を見せているのはおかしい」

「じゃあお前を刺したのはバルマーじゃねえってことか? だとしても、錆川さんがその犯人が誰なのかを言わないのはおかしいだろ」


「なら、錆川がその犯人とグルだったとしたら?」


「……は?」

「錆川は俺の行動を把握していた。それだけじゃない、蜜蝋さんが俺に関するデマを流して孤立させていたのも知っていた。蜜蝋さんに近づけない俺がA組に来て錆川と合流しようとするのも予測できたはずだ」

「佐久間くん、まさか……」


 蜜蝋さんは俺の言おうとしていることに気づいたようだ。だが俺もこれをはっきりと言葉にするのに勇気がいる。まだ口にすることに躊躇いがある。だから濁した言い方になってしまった。

 だとしても、俺は言わなければならない。俺たちはそもそも誰と敵対しているのか。錆川を殺し、姉さんの死の真相を隠そうとしている本当の敵は誰なのか。


 だから言わなければならない。アイツを、錆川を逃がさないために。



「“潔白”のバルマーは……錆川紗雨だ」



 俺たちの本当の敵の名前が、錆川紗雨であることを言わなければならない。


「い、いやいや、いやいやいや! お前何言ってるんだよ!?」

「思えば錆川は、最初から『自分が全ての苦痛を背負い込んで死ねばいい』と言っていた。だから自分を殺させるためにあらゆる手を使っていたんだ」

「だけど、錆川さんはお前を刺した犯人ではあり得ねえだろ!? お前が刺された時、あの人は目の前にいたんだろ!?」

「確かにな。だが、錆川なら俺がA組に駆けつけてくることも予測できたし、錆川ならあのタイミングで蜜蝋さんをA組に呼び寄せることも出来た。そして錆川がバルマーだとしたら、他の襲撃者に正体を隠す理由もある。なにせ標的本人なんだからな」

「じゃ、じゃあ、本当に錆川さんが……?」


 俺を刺した犯人は錆川ではない。しかし、錆川が全ての黒幕であるとしたら、つじつまが合ってしまう。


『私に不幸が集中して……最後に私が殺されれば、全ては丸く収まります……』


 錆川が全てを背負い込んで死のうとしていることに、つじつまが合ってしまう。


「いずれにしろ、錆川が俺たちの行動を不都合に感じているのは事実だ。蜜蝋さんが俺に味方したのも計算外だったんだろう」

「佐久間くん……錆川さんをどうするおつもりですの?」

「え?」

わたくしは、錆川さんともう一度やり直したいと思っております。ですがあなたの一番の目的は、裕子先輩の真相を突き止めることなのでしょう? もし、錆川さんが本当に裕子先輩の死に関わっているのだとしたら……あなたは錆川さんをどうするおつもりですの?」

「……」


 蜜蝋さんの顔には、僅かながらの不安が浮かんでいるように見えた。彼女の言う通り、俺の一番の目的は姉さんの死の真相を突き止めることだ。そして錆川がそれを隠しているのだとしたら……


 俺は……


 その時、携帯電話の着信音が響いた。発信者は倉敷先輩だ。


「もしもし?」

『オーイ、オイ、騎士ナイトくん。ずいぶんとおかしなことになってませんかねえ?』

「え?」


『白髪姫が、一年A組のヤツらに頭下げてるぜ』

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