第36話 魔王の正体


 “空白”のアルジャーノン、蜜蝋小夜子との決着がついた翌日。朝一番で蜜蝋さんは俺たちのいるD組の教室を訪れ、俺と共に教壇の上で並んだ。


「え、蜜蝋さん?」


 クラスメイトたちが驚くのも無理はない。敵対状態だったはずの俺と蜜蝋さんが、当然のように顔を合わせているわけだからな。

 だけどこれは必要なことだと蜜蝋さんは言っていた。俺と手を組むため、前に進むためにまずやらなければいけないことだと。


「皆さんに、謝らなければならないことがありますの」


 そう言って、皆の前で頭を下げた。


わたくしが佐久間くんと錆川さんにいじめられているというのは、ウソです」


 俺にかけられた誤解を晴らす。それこそが、蜜蝋さんが俺の仲間として最初にやらなければならないことだった。


「え? ウソ?」

「じゃあ、蜜蝋さんは佐久間をハメてたってことか?」


 当然、みんなの反応はこうなるだろう。というかそれは事実だ。だから俺は彼女が頭を下げるのを止めはしないし、否定もしない。


わたくしは、佐久間くんにワザと濡れ衣を着せましたの。本当は何もされてません。申し訳ございませんでした」


 一通りの謝罪が行われ、教室内が沈黙する中、一人立ち上がる人間がいた。


「小夜子ちゃん、どういうことなの?」

「葉山さん……」

「違うよね? 小夜子ちゃんはウソついてるんだよね? 佐久間くんにそう言えって脅されてるんだよね?」


 アキはこの間からあまり眠れていないのか、目にうっすらとクマが浮かんだ顔で蜜蝋さんに近づいていく。そういえばアキと会うのは、先日の錆川の腕が燃えた一件以来だ。まだ俺や錆川に対する敵意も恐怖も残っているはず。だからここで俺が何か言うのは逆効果だろう。


「違いませんよ、葉山さん。わたくしは故意に、悪意を持って、佐久間くんを陥れたのです。今ではそれを反省し、誤解を解くためにこうして校内を回っているのですわ」

「そんなわけないよ……だって、小夜子ちゃんがそんなことする理由がないじゃん! そうだよ、小夜子ちゃんが佐久間くんを陥れたって言うなら、なんでそんなことしたの!?」 

「佐久間さんが手芸部に見学に来た時、わたくしに詰め寄ったことを覚えていますか? 彼は最初から、お姉さん……佐久間裕子さんの生前の様子について質問するために手芸部を訪れたのです。ですが私は、彼に詰め寄られたことで怖くなってしまい、いじめられたと騒ぎ立ててしまったのです……」

「じゃ、じゃあ……本当に? 本当に小夜子ちゃんが?」

「申し訳ありませんでした」


 深々と頭を下げる蜜蝋さんの姿を見て、アキはどうしていいかわからない様子で目を泳がせていた。よし、頃合いだな。

 教室内に重い空気が漂いつつあったが、俺はひそかに教室の隅にいた青田に目配せする。それを受けたアイツは手を叩いた。


「はいはい、みんな暗いよ! 蜜蝋さんは佐久間にも皆にも謝って、佐久間も蜜蝋さんを責める気はない。じゃ、この件は終わりってことだ!」

「……青田さんの仰った通りですの。全て私に原因があります。佐久間くんは何も悪くありませんわ」


 青田の行動で教室内の空気が緩んだのを見計らって、蜜蝋さんはアキの前に立った。


「葉山さん、本当に申し訳ありませんでした。あなたはわたくしと仲良くしてくださいましたが、わたくしは所詮、こういう女ですの。周りの人間に泣きついて、自分の思い通りに動かす。そんな浅ましい心を持っています。あなたがわたくしに幻滅するのは当然ですわ。手芸部を退部すると仰っても止めません」

「小夜子ちゃん……」

「ですからお願いです。佐久間くんのことは、責めないでください」


 蜜蝋さんの言葉に受け、アキは両手で自分の顔を叩いて向き直る。


 その顔は、いつも通りの元気を取り戻しつつあった。


「全部を納得したわけじゃないよ。佐久間くんが小夜子ちゃんに詰め寄ってたのは事実だし、小夜子ちゃんがそんなことするわけないって今でも思う」

「はい」

「でも本当は、佐久間くんのことも信じたかった……錆川さんのために一生懸命になってる人が、小夜子ちゃんにそんなことするわけないって……そう信じたかった……」

「アキ……」

「ごめんね、佐久間くん。今さらこんなこと言ったって、都合よすぎるよね」


 アキの立場からすれば、仕方のないことだ。俺と蜜蝋さんのどちらかの味方しかできない。選ばないことはできない。そんな状況に立たされて、辛くないわけがない。

 それでもアキは、出会った時のような笑顔を、久しぶりに俺に向けてくれた。


「佐久間くん……私、ひどいことたくさん言って、本当にごめんなさい。よかったらまた、仲良くしてくれる?」

「……ああ、もちろんだ」


 大丈夫だ。アキはまだ立ち直れる。


「それとさ。錆川さんにも謝りたいんだけど、昼休みに連絡って取れる?」

「ん? そういえば……錆川はまだ学校に来てないか?」

「先ほどA組の教室を覗いた時にはお見かけしませんでしたが……」


 アイツにしては学校に来るのが遅いような気がする。まさか、何かあったのか?

 そう思っていると、携帯電話に着信が入ってきた。発信者は錆川だ。


「もしもし、錆川か?」

『……佐久間くん……あなたは……何をなさったのでしょうか……?』

「何をした?」

『……蜜蝋さんに何をなさったのかをお聞きしています……』


 どういうことだ? 錆川には俺が蜜蝋さんに接触することは伝えていない。なんでそのことを知ってるんだ?


「何をしたと言われても、何もしていない。ただ仲直りしただけだ」

『……それは、佐久間くんと仲直りをしたという意味ですか……?』

「いや、蜜蝋さんはアンタとも仲直りしたいと言っている。いいか、あの人は最初からアンタを止める目的で……」


『余計なことをしないでください』


 ……!?

 なんだ今の声は? いつもの消え入りそうな声じゃない、はっきりとした怒りの声だ。間違いなく錆川の声であるはずなのに、まるで別人のように聞こえるほど印象が違う。


『……私は蜜蝋さんの痛みも、あなたの痛みも、他の皆さんの痛みも全て『肩代わり』したいのです……私はそのための存在です……そう申し上げたはずですが……?』


 錆川の声はいつもの消え入りそうなものに戻ってはいたが、それでもいつもとは違う怒りのようなものを感じる。だがそのことで、ひとつハッキリしたことがある。


「なるほどな、これでわかった。どうやら俺の行動は無駄じゃなかったようだな」

『どういうことでしょうか……?』

「アンタは確実に焦っている。俺が姉さんの死の真相に近づくことで、アンタに不都合なことが起きる。そうだな、例えば『アンタが誰の痛みも肩代わりできなくなる』なんてことが起きるんじゃないか?」

『……っ!』


 錆川の反応を聞いて、俺は直感した。


「蜜蝋さん」

「え?」

「そこにある安全ピンで、自分の指を軽く刺してみることってできるか?」

「え、ええ……」


 蜜蝋さんの身体からは痛みが失われているし、どんな怪我をしてもすぐにその怪我は錆川に移る。だから蜜蝋さんは躊躇することなく、自分の指に安全ピンを刺した。


「……え?」


 しかしその指からは、赤い血が僅かに流れ出し、消えることはない。


「あ、ああ……い、痛い……私の身体に……痛みが……?」

「さて、どうだ錆川? アンタの指に傷はあるか?」

『……やめてください……なんで……蜜蝋さんは傷を負っているんですよね? それを私にください……私が全部『肩代わり』しますから……早くその傷を……痛みを私に……』

「残念だが、蜜蝋さんの傷はもうアンタに自動的には移らない。なるほどな、これがアンタの恐れていたことか」

『なんでですか……? 私は……皆さんの傷を『肩代わり』するために……それだけが私の……!!』

「今わかった。姉さんもおそらく、俺と同じことをしたかったんだ。なんで姉さんが死んだのかはわからなくても、姉さんの目的は最初から同じだった」


 そう、姉さんは自分の小説において、魔王を『白髪の少女』という設定にした。そしてその理由も、俺に語ってくれていた。


 ※※※


『なんでこの魔王……白髪の女の子って設定なの?』

『ああ、それはね……この魔王って私が放っておけない人がモデルなんだよ。その人って、『自分のために生きていない人』だからね』

『自分のために生きていない人?』

『うん。でもその人は、誰かのために生きて誰かのために消費されることが自分の望みだって言い張ってる。それを自分の望みだと言い張るために、みんなの痛みを背負い込んでいる。自分が誰かに利用されて消費されるという立場にしがみついている。だから周りも、その人のことを利用していい存在だと思い込まされているんだ』

『う、うん。ちょっとよくわからないけど、姉さんはその人を助けたいってこと?』

『助けるって言えるほど私は偉くないけど、その人が誰かに利用されるのは止めたいって思ってるよ。だから私はこの小説を書いたんだ』

『え?』


『もし、世界を滅亡させる存在を魔王と呼ぶんだとしたら、そうやって他人を利用する人間を増やしていく人は魔王だと思うから』


 ※※※


「姉さんはあの時から、アンタの生き方を否定していた。アンタ自身を否定していたんじゃない。アンタが他人に利用される道を歩むのを否定していたんだ」

『……』

「倉敷先輩も言っていた。アンタが来てから剣道部がおかしくなっていったと。剣道部員はアンタを利用することに疑問を持たなくなっていったと。だから倉敷先輩はアンタを嫌っている」


 思えば俺も、錆川のことをどこかで『そういう人間』だと納得しそうになっていた。他人の痛みを背負い込むのが当然で、錆川自身もそれを納得している以上、俺にそれを止める権利はないのかもしれないと。

 だがそれは違う。錆川紗雨は魔王ではなく人間だ。なら、錆川を魔王たらしめているものは何なのか。


「アンタの他人の痛みを肩代わりする『体質』。それこそが魔王だ」


 その『体質』があるから、錆川は他人の痛みを背負い込む存在だと思い込めている。ならそれさえなければ、錆川はもうその生き方を選べない。


「もう少しだ。アンタは蜜蝋さんの痛みを肩代わりできなくなった。そこにアンタの体質を破るカギがある」

『……私はそんなことを望んでいません』

「アンタが望んでいなくても、姉さんは望んでいる」


 少しずつだが近づいていた。姉さんの死の真相にも、錆川の『体質』の謎にも。


 錆川紗雨が死ぬ前に、どちらも突き止めれることができれば、俺の目的は達成される。

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