第35話 トドメ
「だから、アンタは錆川を叩き潰して、『肩代わり』を止めさせようとしていたのか」
蜜蝋さんから語られた、錆川との過去。
錆川からも聞いていたように、二人は親友だった。錆川も、蜜蝋さんも、自分たちの関係をそうだと認識していた。
だがその関係を終わらせたのは、やはり錆川の行動が原因だった。
『私の行いがあの人の心を傷つけたのでしょう……』
俺が錆川に蜜蝋さんとの関係を聞いた時、錆川は『肩代わりした傷を本人に戻せることを話してしまった』ことが自分の落ち度だと語っていた。だけど実際は違う。
そもそも錆川紗雨は親友であるはずの蜜蝋小夜子でさえも、自分を利用する人間の一人としか思っていなかった。それこそが、二人の関係を引き裂いた最大の原因だったんだ。
「……
だがそう言った蜜蝋さんの顔には、もう“空白”のアルジャーノンとしての冷酷さは残っていない。彼女は、無理にでも錆川の敵を演じる必要があったんだろう。錆川を止めるために。
「おいおい、どうなってんだよ? じゃあ、蜜蝋さんも錆川を止めたいだけで佐久間のお姉さんのことには関わってなかったのか?」
青田の言う通り、確かに今の話が真実なら蜜蝋さんも姉さんの死には関わっていないことになる。その一方で、新たに判明した事実を忘れてはいない。
「重要なのは、蜜蝋さんが錆川に土下座されたのと同じ日に、姉さんが死んだということだ。蜜蝋さん、もう一度聞くが、アンタが気が付いた時には錆川は目の前にいなかったんだな?」
「嘘はついておりませんわ。あなた方がそれを信じるかどうかは別でしょうけど」
「どうする佐久間? これじゃ振り出しに戻っちまったぞ」
「いや、それは違うな。俺たちは大きく前進してる」
「え?」
「俺と蜜蝋さんの目的は『錆川を止めたい』という点で一致している。それに、今回のことで錆川が姉さんの死について知っている可能性はより大きくなった」
つまり、これで俺は大きな味方を得たということだ。
「そうだろ、蜜蝋さん?」
右手を差し出したことで、向こうも俺の意図を察したようだ。
「……
「ここに来て、無理な演技はやめておけ。アンタは錆川のことを今でも親友と思っている。そうでないと、ここまでのことは出来ないだろう」
「だとしても!
「本当にそう思っているのか?」
「当然でしょう!? 先ほども申し上げたように、私にはもう痛みなど残っていないのですわ! あなたがどう思おうと、知ったことではありません!」
そう言いながらも、蜜蝋さんの目は固く閉じられ、両手を強く握りしめていた。既に演技をする余裕もないんだろう。それでも彼女がこうまで言い張るのは、錆川を救うために敵を演じなければならないという気持ちがあるからだ。
ならトドメを刺してやる。俺が真の敵にたどり着くためには、なんとしてもアンタと手を組む必要があるんだから。
「わかった。そこまで言うなら、アンタにやってもらうことがある」
「え?」
俺は懐から取り出した小さなカッターナイフを蜜蝋さんの足元に投げた。
「アンタに本当に痛みも苦痛も残っていないと言うなら、そいつで俺を刺せ」
「おい、佐久間!? お前なに言ってるんだよ!?」
「……」
「アンタは俺の敵なんだろ? あの時俺を刺したのも自分だって主張するんだろ? なら俺を刺すこともできるはずだ」
「こ、この場であなたを刺したら、そちらのお友達が警察に通報してしまいますわ」
「その心配はない。青田、俺が刺されても警察に通報なんてするな。俺が自分で刺したって言え」
「なんだと!?」
「さあどうだ。アンタに痛みがないのなら、俺を刺しても何も感じないと言うのなら、この場で俺を刺せるはずだ。抵抗なんてしない。したところでアンタの傷は全て錆川が引き受ける」
「……!」
「アンタが俺の敵だと、“空白”のアルジャーノンだと言うのなら、俺を殺してみろ!」
読み通りなら、蜜蝋さんが俺を刺す可能性はかなり低い。だとしても、決してゼロじゃない。彼女が逆上して刺すことだってあり得る。
そうなったとしても、俺は蜜蝋さんを恨むつもりはない。読み違えた俺の落ち度だ。
震えながら足元のカッターナイフに手を伸ばす姿を見ても、俺も青田も動かない。ここで動けば今までの行動が無駄になるとわかっているからだ。
「
まるで自分に言い聞かせるように呟いていたが、ついに手が止まった。
「……佐久間さん。あなたを……信頼して、よろしいのですか?」
「姉さんはアンタに言ったんだろ? 錆川に幸せに生きていて欲しいというのは、アンタ自身の願いだと」
「あ……」
「アンタが信じるのは俺じゃない。自分自身の願いだ」
「……あ、ああ……」
蜜蝋さんはその場にへたり込み、地面に手をついた。
「……ずっと、苦しかった……自分には痛みがないって……誰が傷つこうと何も感じないって……そう思ってた……」
「もういいだろう。アンタと錆川はまだやり直せるはずだ」
「はい……」
顔を上げた蜜蝋さんの顔は、涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「
この時、襲撃者の一人、“空白”のアルジャーノンは俺に敗北した。
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