第33話 お互いの幸せ


 裕子先輩の死を知ったのは、突如として学校が休校になった日の昼間のことだった。

 携帯電話に岸本くんからの着信が入り、出た瞬間に怒鳴り声が響いたのだ。


『蜜蝋! お前、昨日何をしてた!? なんで裕子先輩が死んだんだ!?』

「は? え? どういうことですの? 裕子先輩が、死んだ?」

『とぼけるな! お前ら昨日は部室にいただろ! 裕子先輩もそこにいたはずだ! 何があった!』

「何を、仰ってますの? 裕子先輩が、死んだ?」

『もういい!』


 一方的に電話が切られた後、頭の中で答えの出ない考えがぐるぐると回った。


 裕子先輩が、死んだ? なんで? 昨日も普通に話していたのに?

 

 何かの間違いなんじゃないのだろうか。だけど当日になって休校になるなんて、よほどの事件が起こったのは間違いない。その『よほどの事件』が、裕子先輩の死を指しているのだとしたら。


 辻褄が、合ってしまう。


 念のため、裕子先輩に連絡を取ってみる。だけど呼び出し音がいくら鳴っても、裕子先輩は出てこない。

 なんで。なんでだ。なんでよりによって今日は、出てくれないんだ。

 わたくしの願いもむなしく、携帯電話の呼び出し音は止まることはなかった。


 

 その翌日。柏原学園の校長から、裕子先輩の死が正式に全校生徒に伝えられた。

 当然のことながら、校長の口から死因が語られることはなかった。しかし学校の敷地内に警察が立ち入っていることや、門の前に大量のマスコミが押し寄せていること。さらには一昨日まで裕子先輩は普通に学校に通っていたことなどから、ほとんどの生徒は察していた。


 裕子先輩は、学校内で自ら命を絶ったのだと。


 しかしその知らせを受けても、わたくしの頭はまだ状況を受け入れられずにいた。あまりにも唐突すぎる。裕子先輩に何か大きな悩みがあったのかもしれないけれど、あの人はそれを自分で乗り越えられそうな人だった。少なくともわたくしはそう感じていた。

 もしかして、殺された? 裕子先輩は何者かに殺された? その可能性はある。だけどそれを探るのはわたくしの役目じゃない。現に今、警察がそれを探っているはずだし、わたくしが出る幕はない。

 わたくしがやるべきことは……


『あなたのお怪我をただ肩代わりできて、それでよかったのです……』


 そうだ。錆川さんはどうしているのだろう。あの土下座された日から会っていないし、彼女は裕子先輩と仲が良かった。もしかしたらかなり動揺しているかもしれない。

 今のわたくしがやるべきことは、まず錆川さんに会って彼女をケアすることなのかもしれない。朝礼が終わったら会いに行こう。


 しかし、その日は朝礼の後に各クラスでホームルームが行われた後、すぐに下校することとなった。当然、部活動も禁止で、錆川さんに会うことも叶わなかった。

 仕方なく家に帰り、やることもなかったので部屋のベッドに横になっていた。しかしその数時間後、部屋の扉が乱暴に開け放たれて、お兄様がわたくしを睨みつけてきた。


「小夜子ぉ、何をやってるんだよ?」

「何を、と仰いますと? 特に何もしていませんわ」


 横になったまま返答したわたくしに対してお兄様はさらに苛立っていたようだったけれど、その姿に特に恐怖は感じなかった。なぜならわたくしの中におけるお兄様の存在感はもう小さかったからだ。学校で錆川さんや裕子先輩といった人たちに出会ってから、お兄様がわたくしに与える影響なんてほぼなかった。だからわたくしにとって、お兄様はもう怖くない。


「お前、昨日も今日もロクに学校に言ってないらしいねえ。僕の言ったことを忘れたのかな? ちゃんと学校に行って、僕の妹らしくちゃんとした子になれって」

「お兄様こそわたくしの言ったことをお忘れですか? 昨日は学校で事件が起きて休校になったと言いましたし、今日はその事件の影響ですぐに下校になっただけですわ」

「へえ、ならその事件が何か言ってみなよ」

「部外者であるお兄様に言う必要はありませんわ」

「いつから僕にそんな口を利けるほど、偉くなったのかな!?」


 大声を出したと思ったら、次の瞬間にはわたくしの体は強引に持ち上げられて、お腹に膝蹴りがめり込んでいた。


「……っ!!」


 そのまま壁に叩きつけられて、ベッドの上に尻もちをつく。ここまでされればさすがに痛い……


 ……え?


「ふん、これに懲りたら今度はちゃんと言うことを聞くようにしなよ」


 動揺しているわたくしの顔を見て満足したのか、お兄様は部屋を出て行った。だけどわたくしが動揺しているのは、蹴られたせいじゃない。


 ――痛みが、ない。


 思い切り蹴られたお腹も、激しく壁に叩きつけられた背中にも痛みがない。一切ない。でもそんなはずはない。あれだけのことがあれば、いつものようにアザのひとつはあるはずだ。

 服を捲り上げても、お腹にはアザはなかった。何もされてないかのように、傷一つない。だけどお兄様に蹴られたのは事実だ。

 何が起こってるの? 事態が呑み込めないままだったけれも、携帯電話の着信音で我に返った。

 発信元は……錆川さん?


『……蜜蝋、さん……げほっ! ……大丈夫ですか……ぐ、ううっ……』


 通話口からは確かに錆川さんの声が聞こえてくるけど、その中にはうめき声や咳込むような声が含まれていた。


「錆川さん? わ、わたくしは大丈夫ですが……あなたこそ大丈夫ですの? 何かありました?」

『いえ……別に何もありません……もしかして蜜蝋さんは……お腹を蹴られたりしませんでしたか……?』

「え?」


 なんでそのことを? 錆川さんがそのことを知ってるはずがない。だってお兄様に蹴られたのは今さっきの出来事だ。わかるはずがない。


「あ、あなた。わたくしを盗撮でもしてるんですの?」

『……盗撮はしてませんが……肩代わりはさせていただきました……』

「は? 肩代わりって、わたくしの傷を? で、ですが、今のわたくしはあなたに触られていませんわ」

『……先日は、申し訳ありませんでした。私が蜜蝋さんの命を握っているなどという誤解を与えてしまいました……本当に申し訳ありません……私としては是非ともお詫びをしたいのです……』

「何を言ってるんですの?」

『……蜜蝋さんのお怪我を、全て引き受けたいと思ったのです……そうしたら、触らなくても肩代わりできるようになったようですね……』

「え?」


 触らなくても、肩代わりできる?

 ふと、わたくしの目に机の小物入れに立ててあるカッターが目に入った。刃を出して、左手の甲に刃先を当てる。


 そしてそれを下に向かって思い切り引いてみた。だけど、手の甲からは血が出てこなかった。


「え、え……?」

『あ、あああ……今度は左手にお怪我をされたのですか? ですが大丈夫です……』


 通話口から、心底幸せそうな声が発せられる。


『蜜蝋さんのお怪我は……全て私が肩代わり致します』


 待って、待ってよ。左手に痛みがない。それどころか傷一つない。何もない。

 私の体に痛みがない。傷がない。何もない。空っぽ。

 気が動転しそうになりながら、再び携帯電話を手に取る。


「錆川さん! 何を、何をしたの!?」

『蜜蝋さんのお怪我を肩代わり致しました……』

「それはわかってる! なんで!? なんでそんなことをするの!?」

『蜜蝋さんのお役に立ちたくて……蜜蝋さんに幸せになってほしくて……こんな私が役に立てるのが嬉しくて……だから肩代わりしたのです……』

「違う! そんなこと望んでない! わたくしは! 錆川さん! わたくしは……!」

『大丈夫です……これで蜜蝋さんは痛みも苦しみもありませんし……私はあなたの役に立てて、痛みを肩代わりできます……お互いに……幸せです……それでいいのです……』

「そんな、そんなのが、幸せ? 違う! 錆川さん! あなたは! それでいいわけがない!」

『それでいいのです。私はそのために存在しているのです』

「そんなわけ、ない! こんなの、あなたに押し付け続けるなんて、そんなことしたくない!」


『生きていたら、また会いましょう』


 そう言われて、電話は切られてしまった。

 ……せっかく、友達になれたと思ったのに。せっかく、居場所ができたと思ったのに。裕子先輩は死んで、錆川さんには痛みを奪われ、後に残ったのは、もう痛みを感じることも、傷を負うこともなくなった体だけ。

 

「かえ、して……」


 私の心に、埋めようのない空白がぽっかりと空いていた。

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