第29話 嘘つき
暗い夜の中でも、ファミレスの明かりはひと際目立つ。そんなことを考えながら、俺は腕時計に視線を落としていた。
「そろそろ10時か」
そう呟いたのと同じ頃、青田がファミレスの入り口から出てきた。
「おう、確認したぞ。確かに蜜蝋って名札つけた店員がいた。見た目もお前が言った特徴と一致してたよ」
「そうか。じゃあ彼女はそろそろ出てくるんだな?」
「間違いない。事務所っぽいところに引っ込んでいったからな。裏口か、もしくは正面口のどっちかからは確実に出てくるはずだ」
「じゃあ俺は裏口に行く、青田は正面口の前にいてくれ」
「わかった」
青田には事前にファミレスの中に入り、蜜蝋さんが働いているのかどうかを確かめてもらっていた。まだ青田は蜜蝋さんと面識がないので、怪しまれてはいないはずだ。
「しかし本当に大丈夫なのか? ここであの人に逃げられたりしたら、もうお前が打つ手はないんじゃないのか?」
青田が心配するのも当然だ。今の俺は、蜜蝋さんの弱みを握っているわけでもなく、彼女を脅す道具を持っているわけでもない。さらには力押しも通じない。ここで蜜蝋さんに逃げられてしまえば、俺が出来ることはないのかもしれない。
だけど俺には予感があった。その予感が当たっているとしたら、おそらくは蜜蝋さんとここで戦いになることはない。
「大丈夫だ。とにかく俺かお前のどちらかが蜜蝋さんの姿を確認した時点で、相手の携帯電話を鳴らす。鳴ったら合流する。それでいいな?」
「あ、ああ」
裏口と正面口は反対の位置にある。どちらから出てくるかわからない以上、両方を張っていなければならない。
正面口の前に留まった青田と別れ、俺は従業員用であろう裏口の前に来た。まだ人が出てくる気配はない。
数分後、中から挨拶するような声が聞こえ、裏口の窓に人影が見えた。
間違いない。あのシルエットは、蜜蝋さんだ。
扉が開く前に青田に電話をかける。それと同時に、こちらに走ってくる足音が聞こえてきた。
裏口の扉が開け放たれ、中から出てきた人物に向かって、俺は声をかけた。
「蜜蝋さん!」
「っ!? あなた……!?」
俺の姿を見た蜜蝋さんは、一瞬だけ体を硬直させたが、すぐに正面口の方向に走り出そうとする。
だがその先には、俺からの連絡を受けた青田が走ってきていた。
「くっ!」
それを受けてまた別の方向に逃げようとしていたが、前後は俺と青田に挟まれ、横に逃げようにもファミレスの駐車場を仕切るフェンスがあるために逃げようがない。それを悟った蜜蝋さんは動きを止め、俺に笑いかけた。
「……随分と用意周到なことですわね。お仲間を引き連れて
「そうじゃない、蜜蝋さん。俺はアンタと話し合いに来たんだ」
「はあ?
俺としては本音を話しているが、向こうはそう捉えていないようで、今度は口に手を当てて高らかに笑った。
「あっははは! そんな話を信じると思いまして?
「敵同士、か」
「申し上げたはずですわ。
「……」
「ですが既に
確かに蜜蝋さんはそう言っていた。錆川が肩代わりした怪我を自分に戻されるかもしれない。だからこそ憎んでいるのだと。
だが、それは……
「嘘だな」
きっぱりとそう言い切れる。彼女は嘘をついている。
「お、おい、佐久間。どういうことだ?」
奥にいる青田にはまだ状況がわかっていないようだ。それはそうだろう。俺も昨日の時点では、彼女を敵だと思っていたし、青田にもそう説明した。
「嘘? 何が嘘だと言うのです?
「そこじゃない。俺が嘘だと言っているのは、アンタの目的の方だ」
「蜜蝋さんの目的って、錆川さんを殺すことじゃないのか? 現にこの人は、自分が襲撃者の一人だって認めてるんだぞ?」
「そちらの方がおっしゃった通りですわ。だからあなたは
「話を逸らそうとしているな。俺はもう、アンタの目的が錆川の命じゃないことを確信した。本当の目的は……」
蜜蝋さんは俺を見ている。
「錆川が誰かの怪我を肩代わりするのを、やめさせることだ」
そしてその顔が、都合の悪い事実を指摘された時のように、こわばった。
「最初からそうだったんだ。アンタは錆川を殺したいんじゃない。止めたいんだ。だから俺ではなく、自分の傷を錆川に肩代わりさせた。あの火傷も、元々はアンタが負ったものなんだろ?」
「……
「少なくとも、錆川はアンタの傷なら触れなくても肩代わりできると言っていた。あの場でアイツに火傷を肩代わりさせられるのは、アンタだけだ」
「あの時は葉山さんもいらっしゃったでしょう? 彼女が何らかの理由で火傷を負ってしまったのを、錆川さんが肩代わりしたのではなくって?」
「そうだとしたら、アキは自分が火傷を負ったことを黙っているはずがない。そもそもアキは錆川の『体質』を知らなかったわけなんだからな。それに、アンタが火傷を負ったのがアンタだと考えた理由は他にもある」
「……何があると言いますの?」
俺たちは蜜蝋さんに何か手を出しているわけじゃない。にも関わらず、彼女の表情には焦りの色が見え始めていた。
だが俺は容赦しない。だから言い放つ必要がある。
「アンタは、他人を傷つけられる人間じゃない」
全ての前提が覆る、この言葉を。
「アンタは俺に傷を負わせて、錆川に肩代わりさせると言っていた。だが実際には自分が傷を負っている。アンタがその気になれば、アンタに味方する人間を使って俺や誰かの傷を肩代わりさせることもできたはずだ。だけどアンタはそうしなかった」
「……そうする必要がなかっただけですわ!
「だとしても、アンタは一度その傷を負わなくてはならない。自分で自分を傷つけないとならない。他人を傷つけることもできたはずなのに、アンタは自分が傷つくことを選んだ」
「それが何だと言いますの!?
「俺を刺したのは、アンタじゃない」
「……!」
俺の言葉に、蜜蝋さんはさらに追い詰められていく。それ自体が、俺が真相に迫っていることを表していた。
「ちょ、ちょっと待てよ佐久間! お前が刺された時、その場には錆川さんと蜜蝋さんの二人しかいなかったんだろ? お前からはそう聞いたぞ?」
「そうだ。そして俺は錆川の目の前で、背中を刺された」
「なら明白でしょう?
「ならアンタは、俺を刺した後、呑気にあの場に留まっていたのか?」
「え?」
「もしアンタが俺を刺したなら、まずはその場から立ち去るはずだ。自分が襲撃者の一人だと明かす必要もない。だがアンタは自分が“空白”のアルジャーノンであるとわざわざ明かした。おそらくその目的は、錆川や俺に敵であることをアピールするためだ」
「わ、
既に蜜蝋さんの声には震えが混じっていた。もう少しだ。
「錆川が肩代わりした傷を、自分に返しやすくするためだ」
そう、最初から彼女の最大の目的はそれだったんだ。思えばあの時から違和感はあった。
『錆川さん、あなたは
蜜蝋さんのあの言葉は、まるで錆川が自分を支配下に置くために傷を肩代わりしたのであってほしいと望んでいるようだった。錆川が、錆川自身のために肩代わりしたのだと、そうであってほしいと望んでいる人間の言葉だった。
だが実際には、錆川は蜜蝋さんに傷を返さないと言った。だから彼女は怒ったんだ。だから彼女は錆川を嫌っているんだ。
どこまでも自分を犠牲にして、自分だけが傷つき続ける錆川紗雨を止めたいと思っていたから。
『あなたが限界を迎えて、
だから蜜蝋さんは、自分の傷を肩代わりさせて、いつか錆川が泣きながら自分に傷を返すことを望んでいた。錆川に自分の道を歩んでほしいと。もうこんなことはやめてほしいと。
「さあ、どうなんだ。俺の推理は当たっているのか?」
「……」
「当たっているなら、俺たちが敵対する必要はない。そうだろ?」
「……」
「答えろよ、白髪の魔王の親友、“空白”のアルジャーノン!」
その言葉の直後。
「……いつからでしょうか?」
蜜蝋さんの両目から、涙が溢れだした。
「
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