第28話 ズレ


 翌日の朝。

 教室にアキの姿はなかった。しかしその代わり、アキの友達である女子たちが俺を見るなり近寄ってきた。


「ちょっと、佐久間くん。アンタの彼女がアキちゃんを脅かしたらしいけど、どういうつもりなの?」

「はあ?」


 『彼女』というのはたぶん錆川のことを指しているのだろう。そっちの誤解はともかく、錆川がアキを脅かしたという誤解は解かなければならない。


「言っておくが、錆川はアキを脅かしてなんか……」

「はーいはい、ごめん。ちょっとコイツ借りるよー」


 突然割って入った青田に強引に連れていかれて、俺は教室を出ていくことになった。


 廊下の隅に追いやられたと思うと、青田はこちらを見て呆れたように言う。


「お前なあ、あの状況で弁解したところで向こうが聞くわけねえだろ。ああいうのはスルーするしかないんだよ」

「しかし、このままじゃ錆川が……」

「お前のそういう堅いところは好きだけど、他のみんながそうとは限らないってことは覚えとけ」

「……わかった」


 珍しく青田が真面目な顔になっている時は素直に聞き入れた方がいい時だ。


「それで? 蜜蝋さんと会う準備はできたの?」

「実は状況が変わったんだ。まずは昨日起こったことを話す」


 昨日の手芸部部室で起こった出来事の後、俺は錆川に電話をかけたりメッセージを送ったりしたものの、返答はなかった。蜜蝋さんが俺を刺した瞬間の画像も入手できていない。メッセージは既読にはなっているので、錆川は無事ではあるだろうが、昨日の様子を考えると心配にはなる。

 どちらにしろ、蜜蝋さんは錆川に直接触れられなくても自分の傷を肩代わりさせられることがわかっている。つまりは俺がやるべきことは錆川の傍にいることではなく、蜜蝋さんを一刻も早く説得することだ。

 俺の話を一通り聞いた青田は、錆川の『体質』を見た時と同じく右手で目を覆った。


「ええと、話を整理させてくれ。つまり蜜蝋さんは、どんな状況でも錆川さんに怪我を移せるわけだ」

「そうだ」

「そうなると、仮に佐久間が蜜蝋さんをその……まあ力づくで脅すとしても、意味ないわけだよな。その人の全部の怪我を錆川さんが肩代わりするんだから」

「そこが問題なんだ。力押しは効果がない以上、彼女を言葉で説得するしかない」

「うーん……また難題だな……」


 難題か、確かにそうだ。腕力というアドバンテージは通用しない。上手く彼女を押さえこむとかが出来るなら話は変わってくるかもしれないが、それでも騒がれたらアウトだ。


「そういえばさ、俺ってまだその蜜蝋さんって人と会ったことないんだけどさ、その人ってかなり度胸が据わってるよな」

「ん? どういうことだ?」

「いやだって、その人錆川さんに怪我を移せるとはいえ、自分の腕に火を点けたかもしれないんだろ? めちゃくちゃ度胸ないとできないだろそんなこと」

「……」


 そう言われてみればそうだ。

 蜜蝋さんが錆川に火傷を肩代わりさせるためには、一旦自分が火傷を負わなければならない。いくらすぐに肩代わりさせられると言っても、そんなことが普通の人間に可能なのだろうか。


「……うん?」


 というか、そもそもおかしくないかそれ?


「なあ、青田。仮にお前が自分の傷を全部錆川に押し付けられるとして、自分から傷つきに行くか?」

「ん? いや、そんなこと怖くてできねえよ。というかみんなそうなんじゃないの?」

「じゃあ、お前が蜜蝋さんだとして、錆川を殺したいって思ったらどうする? 自分を傷つけて、錆川を追い詰めるか?」

「それはやっぱり無理だよ。かと言って直接錆川さんを襲ったら警察に捕まるだろ。そうなると……錆川さんの『体質』を利用して、他人の傷を肩代わりさせつづけるとか?」

「……」

「ああでも、錆川さんって肩代わりした傷を全部治せるんだよな。じゃあ意味ないか」


 青田の発言は、蜜蝋さんが口にした計画を言い当てている。彼女は俺を襲って錆川に限界を迎えさせると言っていた。だが実際には、自分の傷を錆川に肩代わりさせている。

 なぜだ? そもそも俺は一度、蜜蝋さんに刺されているんだ。それが出来る彼女からすれば、わざわざ自分が傷を負わなくても、俺に傷を負わせてそれを錆川に肩代わりさせればいい。自分の傷なら距離が離れていても錆川に肩代わりさせられるからか? だとしても、視覚的な恐怖はあるはずだ。

 何かがおかしい。蜜蝋さんの言動と、実際に起こしている行動にズレがあるような気がする。


「とりあえず話を戻すか。蜜蝋さんには力押しは通じない、お前を刺したっていう証拠の画像もない。だとしたらもう、画像があるっていうハッタリでもかまして、相手がそれに引っかかるのを期待するか?」

「……いや、ひょっとするとその必要はないかもしれない」

「え、なんで?」


 俺の頭の中では、ある可能性が浮かび上がってきている。もしそれが真実だとしたら、彼女を力づくで黙らす必要も脅す必要もない。


 蜜蝋さんを、説得できる。


「ところで青田、蜜蝋さんってアルバイトしてて、明日はそのバイト先にいるんだよな?」

「ああ、間違いなさそうだぞ。夕方からのシフトで、夜10時には上がるって聞いたけど」

「なら、そのバイト先を出たところで待ち構えるしかないな」

「そりゃまあそうだけど、それまでは錆川さんを守らないといけないぞ?」

「……錆川を守る、か」


 確かに蜜蝋さんはどこにいても錆川に傷を肩代わりさせられる。だから明日までにいくつもの怪我を負わせることもできるだろう。

 だけどおそらく、彼女の本当の目的はそこじゃない。俺の推測が当たっているとしたら、彼女が求めているものは……


『あなたの『体質』で他人の怪我を肩代わりしようなんて思わないことですわね』


 俺たちの目的と、同じものだ。

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