第27話 ワイヤレス
「おい! 錆川! おい!」
「……」
机にもたれかかる錆川は、机にもたれかかる形で床に座り、左腕をダラリと下げていた。
そしてその左腕は、焦げたように黒ずんだ制服の下からただれたような色の皮膚が覗いている。
「大丈夫か!? これは、火傷か!?」
すぐに何かで冷やそうとしたが、この部屋には水道がない。トイレになら水道があるはず。制服を濡らしてそれで冷やせば……
「……お待ちください、佐久間くん。もう少しですので……」
「え?」
錆川が小声でつぶやいたかと思うと、左腕のただれた皮膚が徐々に白く戻っていく。さらには焦げて穴の開いていたはずの制服もきれいな生地に戻っていった。
「一分、経ちました……」
今回もまた、他人の怪我を肩代わりした結果ということか。だとしても錆川はこの怪我による苦痛をしっかり負っている。『治ったからめでたし』で済まされる話ではない。
「そうだ、アキは?」
振り返ると、まだアキは部室の入り口でへたり込んでいた。
「な、なに今の? 錆川さん、どうなってるの?」
怯えた顔で俺と錆川を見ている。そうだ、アキは錆川の『体質』について知らないはずだ。この超常現象を目の当たりにして、平静でいられるわけがない。
「アキ、説明してほしい。ここで何があった?」
「し、知らない! 知らないよ!」
「知らないことないだろ! そもそも錆川と何してたんだ!?」
「あ、あたしはただ……錆川さんに……」
「錆川に何だ!?」
「ひっ!」
思わず苛立った声を上げて詰め寄ったのがまずかった。俺の声に驚いたアキは、転がるような動きで教室から飛び出していった。
「た、助けてっ!」
「おい、アキ!」
追いかけようかとも思ったが、今は錆川の無事を確認するのが先だ。改めて状態を確認すると、先ほどの火傷のような怪我は既に見る影もなくなっていた。
「……今回も、無事に終わったようですね……」
「無事じゃないだろ。アキにアンタの『体質』を見られたぞ」
「でしたら……葉山さんがお怪我をされた際にも肩代わりできますね……」
「それよりアンタに聞きたいことがある。アキを呼び出して何をするつもりだったんだ?」
蜜蝋さんは錆川がアキを呼び出したと言っていた。つまりこの場所に来たのは錆川自身の意志だ。見たところ、この部屋には他に誰もいない。錆川が手芸部員たちに囲まれて詰め寄られていた可能性は低い。
「……葉山さんが、佐久間くんと仲違いを起こしていたようなので、せめて悪評を晴らせればと思ったのです……」
「悪評を晴らすって、どうするつもりだったんだ?」
「……蜜蝋さんを追い詰めているというのは、全て私一人がやったことであり、佐久間くんは何も関係ないと説明しました……」
「アンタ……いや、今はいい。アンタがそういう人間なのはわかってることだからな。それで、アキはその説明を聞いて納得したのか?」
「……いいえ。あまり納得していない様子でした……『錆川さんは佐久間くんをかばっているだけなんじゃないか。それじゃ小夜子ちゃんを守れない』と怒っていました……」
アキからしたら当然の反応だろう。俺と錆川が蜜蝋さんを追い詰めていると思っている以上、錆川自身の主張なんて信じるはずもない。
「じゃあ、さっきの火傷はどうしたんだ? あれは誰の怪我を肩代わりしたんだ?」
質問を投げかけたが、この部屋にはアキと錆川しかいなかった。必然的に錆川が肩代わりしたのはアキの怪我ということになるはず……
「何をなさっているのですか?」
だがその時、俺たちの後ろから声をかけてくる人物がいた。
振り返ると、こちらに向かってまだ怯えた顔を見せているアキと、冷ややかな視線を送っている蜜蝋さんが立っていた。
「蜜蝋さん……」
名前を呟いた俺には目もくれず、蜜蝋さんは錆川に向かって近づいていく。
「錆川さん、話は葉山さんからお聞きしましたわ」
「……」
「あなた、自分の腕を燃やして、葉山さんを脅したんですってね」
「は?」
錆川が自分で腕を燃やした? 蜜蝋さんは何を言ってるんだ?
「そ、そうだよ! あたし、ただ錆川さんに小夜子ちゃんに関わらないでって言っただけなのに、なんかいきなり自分の腕に火を点けて……なんかよくわからないけど、手品か何かであたしを脅かしたんだよ!」
「ま、待ってくれ! アキ、何を言ってるんだよ!」
「あたしだってわからないよ! いきなり錆川さんの腕が燃え始めて……あたしは何もしてないんだから、錆川さんが自分で火を点けたに決まってるじゃん!」
アキはそう言いながら、小刻みに体を震わせて混乱していた。ダメだ、この状態じゃ、何を説明しても聞き入れられないだろう。
「とにかく、錆川さん。あなたの行いは私のお友達を傷つけました。
蜜蝋さんはアキの隣に戻り、その両手を握る。
「もう大丈夫ですわ、葉山さん。
「うん、うん。怖かったよ、小夜子ちゃん……」
「錆川さん、これでおわかりになったでしょう? あなたの行いは他人を傷つけるものなのです。ご理解いただけましたら……」
アキから見えない角度で、蜜蝋さんは笑う。
「あなたの『体質』で他人の怪我を肩代わりしようなんて思わないことですわね」
……なんだ? 今の言葉。
よくわからないが、何か違和感があった。なんというか、蜜蝋さんの目的とズレているような……
そう考えているうちに、蜜蝋さんはアキを連れて廊下に出て行った。
「錆川、どういうことだ? アンタが自分で火を点けたなんてことは信じられない。ここで何が起こったんだ?」
俺の質問に対して、錆川はなぜか笑顔を浮かべた。
「……ああ、ああ、嬉しい……」
「は?」
「……私の『体質』が、より多くの方の苦痛を引き受けられるようになったのですね……」
「おいアンタ、何言ってるんだ?」
こちらの言葉が聞こえていないかのように、喜悦の笑顔を浮かべている。こんな錆川は初めて見る。
「先ほどの火傷ですが……おそらくは蜜蝋さんが負ったものなのでしょう……」
「蜜蝋さんが? いや、だけどあの人はここにいなかったんだぞ。触ってもないのに肩代わりしたっていうのか?」
「ええ……お伝えしていませんでしたが……私は蜜蝋さんのお怪我は触らなくても肩代わりできるのだと思います……」
「なんだと!?」
錆川の『体質』は、触れた相手の傷を肩代わりするというもののはずだ。逆に言えば、触れなければ肩代わりしなくても済む。
だけど蜜蝋さんは、いつでもどこにいても、錆川に怪我を肩代わりさせられると言うのか。
「どういうことなんだ、錆川。なんで蜜蝋さんだけそんなことができるんだ?」
「……それはわかりません……私はそういう『体質』ですので……苦痛を引きよせてしまうのでしょう……ああ、嬉しい……」
「笑いごとじゃないだろ! アンタはそれで……」
「いいんです」
「……!!」
「私が蜜蝋さんのお怪我を全て引き受けて、最終的に死んでしまえば、皆さんが幸福になります」
「アンタは……!!」
アンタ自身は、その『皆さん』の中に入らないって言うのか。
「……もう少しです……もう少しで皆さんの苦痛を全部抱えられます……生きているうちに、そうしないと……」
もはや錆川の目は狂気の光を放ち始めているように見えた。
一体なんなんだ。錆川紗雨がここまで苦痛を引き受けようとする理由はなんだ。
「生きていれば……また、会いましょう……」
体を引きずるように歩いていく錆川に、俺はなぜか圧倒されていた。
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