第26話 助言


 その日の放課後。

 青田は予定通り、例の手芸部員に蜜蝋さんのことを聞きに行っていた。一方で、俺はノートを広げてこれからやるべきことを整理する。

 仮に青田が蜜蝋さんの行先を上手く聞き出せたとしても、俺が彼女に接触できるチャンスはおそらく一回きりだ。その場で蜜蝋さんをとり逃がしてしまえば、もう二度と彼女に近づくことはできないだろうし、青田も周りから敵視されることになるだろう。


 そうなると、場合によっては力づくで蜜蝋さんの動きを封じる必要があるかもしれない。


 だとしてもそれはあくまで最終手段だ。その現場を見られたら最悪は退学になるかもしれないし、そうなったら姉さんの真相は永遠に闇の中に葬られることになる。それだけは避けなければならない。

 ならば、彼女がその場から逃げられないような情報なりをこちらから提示するのはどうだろうか? 例えば俺が向こうの弱みを握っていて、それを取引材料に使うとか……

 そこまで考えて、俺はあることを思い出した。


「俺が刺された時……錆川はそれを写真に収めてるんじゃないのか?」


 錆川は他人の怪我を肩代わりした時は、出来る限りその現場を写真に収めていると言っていた。仮に俺が刺された現場を撮っているとしたら。


 そこに、蜜蝋さんが俺を刺した姿が映っているかもしれない。


 それがあれば一気に形勢逆転だ。現時点で俺が怪我をしてなくても、その画像があれば十分だ。なぜならこの学園の一部の生徒は錆川の『体質』を知っている。警察に蜜蝋さんの犯行がバレることはなくても、生徒たちに知らしめることはできる。


 よし決まった。まずは錆川に画像の存在を聞き出そう。青田に『錆川に会いにA組に行く』とメッセージを送った後、教室を出た。




「なんだお前。また来たのか」


 A組を訪れた俺を待っていたのは、岸本の不機嫌な声だった。


「『また来たのか』って言う割には、毎回俺に絡んでくるな」

「そりゃそうだろ。錆川のことを守ろうとしている以上、俺からしたらお前も裕子先輩の仇みたいなもんだからな」

「それはまた随分なこじつけだな」

「そうか? 錆川は裕子先輩を追い詰めたって認めてるんだぞ? それなのに必死にアイツを守っているお前の方がおかしいだろ」

「俺はお前みたいに、安易な結論に飛びつく人間じゃない。それだけだ」

「言ってくれるじゃねえか。だけどそんなお前に悪いニュースだ。今ここに錆川はいねえよ」

「なに? じゃあどこにいるんだ?」

「それを知りたいんなら、本人に電話でもかけろよ。とにかくここに錆川はいない。残念だったな」


 確かに教室を見回しても、錆川の姿はない。まさかもう、蜜蝋さんに襲われているのか?

 いや、今は放課後だ。もしかしたら、以前のように運動部の手伝いをしている可能性もある。とりあえずは錆川に連絡を取るか。

 そう思って携帯電話を取り出した時、青田からの着信が入った。


「もしもし?」

『おお、佐久間。予定通り、蜜蝋さんが行く場所を聞き出せたぞ』

「本当か? それで、どうだった?」

『それがさ、どうも彼女、アルバイトしているらしいんだよな。学校近くのファミレスで』

「じゃあ、そのバイト先に行けばいいわけか」

『そういうことだ。ただ、今日はバイトの日じゃないらしい。次に行くのは明後日だって』

「わかった。それまでにこっちも準備しておく」


 電話を切って、先ほどの情報をメモしておく。とりあえずは明後日までに向こうとの取引材料を用意しておく必要があるな。


「そういえば、お前今度は蜜蝋を追っかけまわしてるんだってな?」


 岸本がまたも声をかけてきた。そういえば、こいつも元文芸部だったな。ということは、蜜蝋さんのことも知っているのか?


「追っかけまわしてると言われると、そうとも言えるな。お前にも蜜蝋さんについて聞きたい」

「聞きたいなら教えてやるよ。蜜蝋も錆川のことが嫌いだってよ」

「それはわかってる。俺が知りたいのは、蜜蝋小夜子がどんな人間なのかってことだ」

「どんなも何も、見てわかるだろ? ちょっと見た目整えること覚えたらみんなからチヤホヤされていい気になってる女だよ」


 ……どうも、岸本もそこまで蜜蝋さんのことをよく思ってないようだな。


「というかよ、蜜蝋のことを知りたいんだったら、本人に直接聞けよ」

「え?」

「だってアイツ、まだB組の教室にいるぞ」

「なんだと!?」


 岸本の言葉を受けて、A組の隣にあるB組の教室を覗く。

 確かにそこには、髪を明るく染めた、蜜蝋小夜子の姿があった。友人らしき数人の女子と共に、教室の真ん中に陣取っている。

 どういうことだ? 彼女からしてみれば、教室に留まっているのはあきらかに悪手だ。俺の接近を許してしまうからだ。

 いや、そんなことを考えるのは後だ。とにかくこのチャンスを逃すわけにはいかない。


「蜜蝋さん!」


 B組に入って歩み寄っていく俺の姿を見ても、蜜蝋さんは特に逃げる様子はなかった。周りにいる女子が俺に冷たい視線を向けてくるが、そんなことには構っていられない。


「あら、佐久間くん。先日は手芸部の見学に来ていただきありがとうございました」

「そんな白々しい挨拶はいい。アンタには聞きたいことがいくつもある」

「そうですか。ですがわたくしにはあなたとお話する義務はありませんの。今は友達とお話したいので、ご遠慮いただけますか?」


 蜜蝋さんの発言に呼応するように、周りの女子たちが一斉に俺に向かってきた。


「そうだよ。アンタ、蜜蝋さんを追っかけまわしてるらしいじゃん。キモいんだよ」

「アンタにはあの白髪頭の女がいるんでしょ?」

「アンタが蜜蝋さんと釣り合うとでも思ってんの?」


 まずいな。こうも敵視されてたら、話ができる状況じゃない。せめて錆川が持ってる画像を用意してから来ればよかった。


「ああ、そうでした。あなたが大好きな錆川さんなのですが。先ほど葉山さんと一緒にお出かけになりましたよ」

「アキと?」

「ええ。錆川さんが葉山さんに何か頼みごとがあるということでして。もちろん、どういうお話をされているのかはわたくしにはわかりませんが……」


 そう言って、蜜蝋さんは俺に近づき、周りの女子から見えないように笑顔を浮かべる。


「きっと、錆川さんはあなたの苦しみを肩代わりしたいのでしょうね」


 ――その笑顔は紛れもなく、襲撃者、“空白”のアルジャーノンのものだった。


「アンタ、錆川に何を……!」

「申し上げた通り、わたくしは何も知りませんわ。錆川さんがご心配なのであれば、行ってあげればいいのではありませんか?」

「くっ!」


 確かにここで蜜蝋さんを追い詰めることができない以上、錆川の身を守る方が優先度は高い。後手に回っているが、仕方がない。

 B組を飛び出して、錆川の行方を追うことにした俺の耳に、蜜蝋さんの声が微かに届いた。


「せいぜい必死にお守りなさいな」




「くそっ、どこだ!?」


 校舎内を走りながら錆川に電話をかけたが、応答はない。アキが連れて行ったのだとしたら、手芸部の部室か?

 考えている暇はなかった。手芸部部室の前に向かうと、中から何か騒ぐような声が聞こえる。


 今の声は、アキ!?


 何が起こっているのか知らないが、中にアキがいるのは間違いない。扉を開けようとすると、その前に中から飛び出す人物がいた。


「うわっ!?」


 飛び出してきた人物とぶつかってしまい、後ろによろめいてしまう。一方で相手は床に尻もちをついていた。


「あっ……」


 床に座り込んでいた人物……アキは、俺の顔を見て、何か怯えるような表情になっていた。


「ち、ちがう。佐久間くん、ちがうの! あたし何もやってないよ!」

「落ち着け! 何があった!?」


 そう言いながら、部室の中を覗いた俺の目に飛び込んできたのは。


「お、おい!?」


 左腕にただれたような傷を負って、机にもたれかかる錆川の姿だった。

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