第23話 叱咤
一夜明け、俺は再び錆川が住むアパートの前に立っていた。
しばらく待っていると、錆川の部屋の扉が開き、中から見慣れた白髪の女が出てくる。
「……佐久間くん?」
錆川は俺の姿を見て、不思議そうに首を傾げた。まあ、予告なしに家の前にクラスメイトがいれば無理もない反応だ。
「……どうされましたか? あなたのご自宅は反対方向だと思っていたのですが……」
「俺はアンタに死なれちゃ困るからな。こうして迎えに来たまでだ」
「……そうですか……ご足労をおかけします……」
「俺はむしろアンタに迷惑がられると思っていたんだけどな」
「……そんなことはありません……むしろ私の方が佐久間くんの家の前に行けばよかったと思っています……」
「それじゃ意味がないだろう」
別に俺は錆川と一緒に登校したいわけじゃない。
「……それでは、行きましょう……今日も皆さんのお怪我を肩代わりしたいので……」
「あのな、アンタ……」
思わず苦言を呈するところだったが、コイツに今更何を言っても『肩代わり』をやめないだろう。それなら錆川を見張って、怪我を肩代わりさせないようにするしかない。
俺は錆川の横につき、錆川のペースに合わせるようにして歩き始めた。
「……」
隣で小さな歩幅で静かに歩く錆川の姿を見て、改めて思うことがあった。
「なあ、アンタ」
「なんでしょう……」
「気分とか、悪くないか?」
錆川紗雨という女の特徴が何かと聞かれれば、多くの人間はその真っ白な髪だと答えるだろう。しかしそれ以外にも、錆川の外見には気になるところがある。
まず、その顔色だ。髪色もそうだが、錆川の肌は常人よりも明らかに白い。というか青白い。顔だちは整っているが、それ以上に生気が薄いように感じられる。
さらに思うことは、最近の錆川は出会った時よりもふらついて歩いているように思える。なんというか、普通に歩くだけでも何かを堪えて歩いているのだ。何も知らない人が見れば、病人なのかと思うほどに。
「もし気分が悪いなら、今日は休んだ方がいいんじゃないのか?」
「……そういうわけにもいきません。私は、皆さんのお怪我を肩代わりしないとなりませんので……」
「このまま肩代わりしていけば、アンタの体調はさらに悪くなるかもしれないぞ」
「……それならそれで、私が死ぬだけですので……」
本当に、錆川はそれでいいのだろうか。自分が他人の苦痛を肩代わりして、その苦痛を抱えたまま死んでいく。俺だったら絶対にごめんだ。
しかし錆川はそれでいいと言っている。本来背負うべきではない苦痛を背負うことが自分の望みだと言っている。なぜコイツはそう思えるのだろう。何より……
『その『体質』は、あなただけでなくあなたの周りの人々も不幸にする』
姉さんは錆川にそう言ったんだ。それに対して、コイツは何も思わないのだろうか。
ロクに会話もないまま、学校に到着した。しかし校舎の中に入ると、どこか変な雰囲気があった。
「おい、あれ……」
「あいつら、よく来れたな」
周りの生徒たちが、俺たちを見て何かヒソヒソと話している。正直気分が悪い。錆川は校内で有名なのかもしれないが、高校から入った俺のことを知っている人が何人もいるとは思えない。それなのに皆が俺たちを見てどこか距離を取っているように思える。
だがその時、俺たちの前に立ちはだかる人がいた。
「オーイ、オイ。
この気だるげな口調は……
「倉敷先輩。おはようございます」
「へえ、たまにはちゃんと挨拶できるんじゃねえか。白髪姫と仲良く登校してるから、機嫌がいいのかい?」
「そういう先輩は相変わらずだな。俺たちをからかいに来たのか?」
「そういうつもりじゃねえよ。ちょーっと
「忠告?」
倉敷先輩はスマートフォンを操作して、画面をこちらに見せてくる。そこにはSNSのメッセージ画面が表示され、こう書かれていた。
『高等部一年D組の佐久間雄士と一年A組の錆川紗雨は、結託して同学年のとある女子を学園から追い出そうとしています。皆さん、この二人には注意してください』
「なんだ、これ……」
「昨日、剣道部員たちに向けて送られたSNSのメッセージだ」
「剣道部員に?」
「まあ、剣道部の中にも噂好きのヤツがいるってこった。そいつがどっからか
「拾ってきたってことは、このメッセージがあちこちに送られてるってことか?」
「そういうこった。つまりだ、もうテメエらはあちこちから敵視されてるって見て間違いねえだろうな」
「そんな……」
まずいぞ。これはまずい。
俺は昨日のことがあったから、蜜蝋さんが自ら俺に危害を加えてくるのだと思っていた。つまり蜜蝋さんの襲撃にだけ注意していればいいのだと。
だけど、もし。もしこのメッセージを真に受けた人間がいて、さらにその人間が蜜蝋さんの味方をするとしたら。
俺たちの敵は、学園内の至るところに存在するということになる。
「さて、自分たちの置かれている状況がわかったところで、
「え?」
倉敷先輩はスマートフォンをポケットにしまうと右足を上げた。
そして……
「っ!?」
俺の体に当たるスレスレの位置で前蹴りを繰り出し、俺の後ろの壁に足を叩きつけた。
「なーにやってんだよテメエはよお」
「な、なにって、なんだよ?」
「
「それが、どうしたっていうんだ!」
「だったら、もっと死ぬ気で守れよ。それこそ、白髪姫を狙うヤツが出てこねえように徹底的にな。なに先手打たれてやがんだ? ああ!?」
「くっ……」
悔しいが、倉敷先輩の言う通りだ。俺は蜜蝋さんに……襲撃者である“空白”のアルジャーノンに先手を打たれ、錆川の身を危険に晒している。
「……お待ちください……佐久間くんが責められる道理はありません……私が狙われるのは、すべて私に原因がありますので……」
錆川は倉敷先輩に触れようとするが、寸前で壁から足を離し、距離を取った。
「触んじゃねえよ、白髪姫。オレは
「……でしたら、やはり私がいなくなればいいのでしょう……?」
「あーっ! やっぱりイラつくなテメエは! ああそうだよ、テメエがこの学園に入ってこなきゃ、こんなに話はこじれてねえ。テメエがいなければ、剣道部も活動停止になってねえだろうさ」
頭を掻いて心底イラついているように吐き捨てる倉敷先輩だったが、その後に錆川に改めて目を向けた。
「だけどよお、テメエは今ここにいるんだよ。テメエが柏原学園に入ったことで、傷を『肩代わり』したことで救われたヤツもいるんだろうさ。認めたくはねえがなあ」
「……それは、何よりです……」
「ただ、言っておくぜ白髪姫。テメエのやっていることは、決して『善行』じゃねえ」
「……!!」
倉敷先輩の言葉に、錆川が少し動揺したような気がした。
「傷や苦痛を『肩代わり』する、テメエのその力……確かに他人にとっちゃ都合のいいモンだろう。ただ、白髪姫。その力を一番都合よく利用しているのは、本当はテメエなんじゃねえのか?」
「……」
「その力がありゃあ、誰だってテメエを頼ってくる。誰だってテメエを必要とする。そうやって他人の苦痛を『肩代わり』することで、テメエは皆に必要とされる自分に酔ってるんじゃねえのか? 皆の苦痛を『肩代わり』することで、許されている気になってるんじゃねえのか?」
「……」
「そうすることでしかテメエは他人からの信頼を勝ち取れねえ。だからテメエも他人のことなんか信じちゃいねえ。いざとなれば他人は平気で自分を切り捨てるモンだと思ってやがる。要するに周りを見下してんのさ。だからオレはテメエが嫌いなんだよ」
倉敷先輩の言葉には、俺としても納得できるところがある。昨日、錆川は蜜蝋さんに関してこう言った。
『蜜蝋さんも私が死んで安心するでしょう……』
錆川にとって蜜蝋さんは友達だったはずだ。だが錆川は、その友達は自分が死んだら安心するだろうと言った。つまり錆川は、蜜蝋さんを信じていないのだ。蜜蝋さんが自分に向けていた友情をまやかしだと思っているのだ。
錆川紗雨は徹底的に自罰的だ。だからこそ、自分のことを大切に思う者の気持ちすらも蔑ろにしてしまう。
倉敷先輩の言葉を受けてしばらく俯いていた錆川は、顔を上げて静かに口を開いた。
「……もし、倉敷先輩が私のことをお嫌いなのであれば……」
そして、いつもの弱々しい微笑みを浮かべる。
「いつでも、私の命を絶ちに来てください」
その顔は、一切の嫌味も悪意もない、純粋な笑顔だった。
「……チッ、やっぱり白髪姫となんざ話すんじゃなかったぜ。それじゃ、あばよ
こちらに背を向けて手を振って歩いていく倉敷先輩を見ながら、俺はこれからの戦いがより過酷になることを感じていた。
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