第22話 隠されたエピローグ


 柏原学園から歩いて十分ほどの場所、表通りから離れた住宅街に錆川の自宅はあった。


「ここが?」

「はい……今の私の自宅です……」


 目の前にあったのは、随分と古めかしい木造のアパートだった。外壁はもともと白だったのだろうが、もはやくすんだ灰色といった色合いになっている。

 そのアパートの一階にある一番手前の部屋の前で、錆川は足を止めた。ポケットから合い鍵を取り出て解錠し、扉を開けてこちらに目を向ける。


「それでは、お入りください……」


 部屋の中に入るように促されるが、気になることがあった。


「えーと、もしかしてアンタ、一人暮らしなのか?」

「……ええ、そうですが?」

「いや、その、一人暮らしの女子高生の家に上がり込むっていうのも……」

「……何か問題がありますか?」

「アンタ、危機感とかないのか?」

「……もうすぐ死ぬ人間に、それが必要ありますか……?」

「……わかった。お邪魔します」


 これ以上話してもラチがあかないので、とりあえず上がらせてもらうことにした。


「……では、こちらにお座りください……」

「あ、ああ」


 錆川はクッションをフローリングの床に置き、自身はその向かいの位置に正座する。

 座った後に改めて部屋を見回すが、どう見ても物が少ない。床に置いてあるのは足の短いテーブルと今俺が座っているクッション、さらには壁に無造作に立てかけられている小さな掃除機くらいしかない。

 壁にも特に時計やカレンダーなどがかけられているわけでもなく、テレビやパソコンもない。勉強机らしきものもない。小さな本棚は存在したが、学校の教科書やルーズリーフをまとめたファイルらしきものが入っているだけで、漫画や小説などが入っているようには見えなかった。

 洋服タンスらしきものもあったが、そこまで多くの服を入れられるような大きさではなかった。


 高校生の一人暮らしだとしても、あまりにも物がない。引っ越そうと思えば一日で荷物をまとめられるのではないかとすら思ってしまう。


「……足を崩してお座りになって大丈夫ですよ……」


 錆川はなぜか床に直に正座しているので、俺も遠慮して正座していた。たぶん俺が何を言っても、自分がクッションを使うという選択はしないんだろう。大人しくクッションを使わせてもらうことにした。


「それで? アンタは『自分が罪深い人間である証拠を見せる』と言っていたな」

「……はい、こちらをご覧ください……」


 そう言って錆川は本棚から一冊のファイルを取り出した。テーブルの上に開かれたそれを見てみると、パソコンで打たれた縦書きの文章が並んでいる。

 その文章の中には、見覚えのある単語があった。


 『白髪の魔王』、『“白刃”のアマクサ』、『“空白”のアルジャーノン』、『“潔白”のバルマー』


「これって……!」

「はい……裕子先輩が書いていた小説……そのエピローグの部分です……」


 姉さんが俺に読ませてくれた小説は、三人の勇者が白髪の魔王を倒した時点で物語が終わっていた。だから俺も、てっきりそれで完結なのだと思っていた。

 だがここにあるのは、明らかにあの小説の続きの部分だ。勇者たちが魔王を倒した後の物語が描かれている。


「これを、どこで見つけたんだ?」

「裕子先輩が亡くなった後……文芸部にあったパソコンの共有フォルダから見つけました……恐らくは亡くなる直前に書いていたのでしょう……」

「……」


 もしかしたら、これを読めば襲撃者の手掛かりに繋がるかもしれない。そう考えて、小説に目を通した。



 ※※※



 ――アマクサの刀に斬り裂かれた“白髪”の魔王はその場にうずくまり、地面に血だまりを広げていく。

 その姿を見た勇者たちの心に、ようやく安堵が訪れる。


「……やったのか。俺たちは」


 未だ刀身から魔王の血が滴っている刀を離そうとしたアマクサだったが、その腕をバルマーが掴んだ。


「まだですよ、アマクサ。まだ終わっていません」

「どういうことだ?」

「アルジャーノンさん、これを見てください」


 そう言ってバルマーが指さしたものは、魔王の傷の中から見える、どす黒い霧のような物体だった。


「なによ、これ?」

「これはおそらく、魔王の力の源なのだと思います。この黒い霧がある限り、魔王は復活するかもしれません」

「じゃ、じゃあ、この子はまだ死んでないってこと?」


 アルジャーノンの顔にかすかな安堵のようなものが浮かんだのを、バルマーは見逃さなかった。


「アルジャーノンさん。魔王はあなたのお友達だったことは知っています。あなたにとっては、助けたい相手なのかもしれません。ですが……」

「……わかってる。そもそもこの子を倒さないとならないって言いだしたのは私だもの。決着をつけなきゃならないのなら、私がつけるわ」

「だが、この霧を絶たない限り魔王が復活するかもしれないとしたら、我々はどうすればいい?」


 王国中にその剣の腕が知れ渡っているアマクサでも、形のない物を斬ることはできない。かと言って、正体不明の物体に迂闊に触れば命の危険がある。

 対応を決めあぐねている二人に対し、バルマーは冷静に言葉を続けた。


「魔王が復活する可能性があるのなら、永続的に苦しみを与え続ければいいのです」

「どういうことだ?」

「私が転送魔法を得意としていることはご存知でしょう?」


 バルマーが得意とする転送魔法とは、特定の範囲内に存在する物体を別の場所に瞬時に転送するというものだ。剣や食料、最大で酒樽程度の大きさの物であれば、あらかじめマーキングしていた場所に転送が可能となる。


「ああ、それがどうした?」

「魔王の体内に、その転送魔法のマーキングを施します」

「ちょ、ちょっと待ってよ。そんなことしたら……」

「ええ、いつでも魔王の体内に致命的な傷を負わせることができるでしょうね」


 仮にバルマーが長い年月をかけて王国中に転送魔法のマーキングを施し、それらをすべて魔王の体内に転送できるようにしたとする。そうなれば勇者どころか国民は自由に魔王に苦痛を与え続けることができる。どんなに鋭利な刃物であろうと、どんなに熱せられた鉄の塊であろうと、弱った魔王にそれを防ぐ手立てはない。


「本気で言ってるの、バルマー?」

「私は本気ですよ。考えてもみてください、今までこの魔王にどれだけの人間が傷つけられてきましたか? どれだけの人間が命を落としましたか? それを考えれば、むしろ軽い罰ではありませんか?」

「……」

「そうだな、俺は賛成だ。アルジャーノン、我々は元より魔王を殺しに来ているのだ。それにお前も自分の手で決着をつけたいと言った。この罰は、お前の言う決着にふさわしいのではないか?」

「……そう、ね」


 三人の意見は、この瞬間に一致した。


「さあ、これで本当に最後です。罪深い魔王よ、あなたに与える罰はあらゆる人間がいつでも苦痛を与えられる存在となることです。あなたはそういう存在なのです」


 バルマーの手から光が放ち、魔王の体内に魔法陣のようなものが刻まれる。


「我々の苦痛は、あなたが引き受けなさい。それが今まで我々に苦痛を与えてきた、あなたの末路です」



 ※※※



 ……その後、三人の勇者は魔王に苦痛を与え続ける罰を与えたことで国民の圧倒的支持を集めつつ、それぞれの生活に戻り、物語は幕を閉じた。


「……これが、姉さんが考えていたエピローグなのか」


 確かに文体もストーリーの流れも、別におかしなところはない。俺が持っている部分の続きであると言われれば、納得はできる。


「……わかりましたか? 私がどんなに罪深い存在なのか」


 小説を読み終えたところで、錆川が声をかけてきた。その顔はより一層弱々しいものに見える。


「……裕子先輩もまた、私が罪深い存在だと思っていたのです……だから、魔王が苦痛を受け続ける結末にしたのでしょう……」

「姉さんがアンタを魔王だと考えて、ずっと苦しみ続けるのがふさわしい人間だと思っていたと言うのか?」

「……この小説がなによりの証拠ではありませんか? その白髪の魔王のモデルが私だとすればですが……」

「仮に姉さんがアンタを嫌っていたとしても、それでアンタが罪深い存在とはならないだろう」

「裕子先輩が私を嫌っているのであれば……それは私に非があるのでしょう……私の何らかの行動が……裕子先輩がこのエピローグを書くきっかけとなったのです……」


 確かにこれを姉さんが書いたのであれば、姉さんもまた錆川を嫌っていたと言えるかもしれない。


「とりあえず、この小説はコピーさせてもらってもいいか?」

「ええ……お好きにどうぞ……」

「それじゃあ、今日はこれで失礼するよ。また学校で会おう」

「はい……生きていれば、ですが……」


 流石に襲撃者たちも、錆川の家に押しかけて命を狙うのは警察に捕まるリスクが大きいと判断するだろう。とにかく、今日はまだ錆川は生きている。

 しかしこの部屋を見て、そしてこの小説のエピローグについて語る錆川を見て、再度思うことがある。


 錆川紗雨、この女は徹底的に自罰的だ。とにかく自分が苦しむことを望んでいる。

 だけどもしかしたら、もしかしたら錆川には……



 何かもっと別の、本当の望みがあるんじゃないか。そんな考えを抱いた。

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