第21話 宣戦布告
初めから、俺は彼女に疑いを向けていた。
この状況から考えても、彼女が俺を刺したのは間違いない。俺が錆川と落ち合うのを見計らって、俺に傷を負わせて、その傷を錆川が『肩代わり』するように企んでいたのは間違いない。
なによりもう、実際に本人からその名前が出てしまっている。
“空白”のアルジャーノン。
その名前を自ら名乗るのであれば、蜜蝋小夜子はもう俺の敵であることは確定だった。
「ご気分はいかがでしょうか?」
蜜蝋さんは先ほどの冷酷な笑みを打ち消し、手芸部でも見せていた穏やかな表情に戻る。
だけど今の俺にはその顔が、こちらをからかっているようにしか見えなかった。
「……最悪だ。背中を刺されたんだから、いいわけないだろ」
「あら、
「自分で刺しといて、随分な言い様だな」
「私があなたを刺したという証拠でもありますの?」
蜜蝋さんは俺から視線を移し、錆川に目を向ける。
「錆川さん」
名を呼ばれた錆川は、ピクリと体を震わせた。その顔には少し恐怖が浮かんでいるようにも見える。
「
そう言って、蜜蝋さんは錆川に視線を合わせるようにしゃがみこむ。
「ええ、大嫌いです。あなたのその『体質』も、あなたのその態度も、あなたのその行動も」
「そう、ですか……申し訳ありません……蜜蝋さんが私を殺したいのであれば……受け入れます……」
「……っ!」
錆川の返答に対して、蜜蝋さんは一瞬眉をつりあげて、怒りを露わにした。
その直後、室内に高い音が鳴り響き、錆川は再び床に倒れこむ。
「お、おい!」
「あなたは!
「何やってる! 離れろ!」
殴った後に尚も掴みかかろうとするのを見て、慌てて蜜蝋さんを錆川から引き剥がす。息を荒げながらも、まだその顔には怒りがこもっていた。
「……随分と錆川さんに肩入れしますのね」
「錆川にはまだ生きていてもらわないと困るからな。アンタに殺されるわけにはいかない」
「
「なに?」
「錆川さんがこのままその『体質』であなたの傷を肩代わりし続ければ、いずれ錆川さんに限界が訪れるかもしれませんわね」
「俺の傷を?」
そこまで言われて、俺は蜜蝋さんの真意に気付く。
もし彼女が錆川さんを殺したいだけならば、錆川を直接襲えばいい話だ。しかし錆川を刺すなり突き落とすなりして殺したとなれば、当然のことながら蜜蝋さんは警察に捕まるだろう。
だが、錆川に他人の傷を肩代わりさせて死に至らしめたらどうなるか? 錆川が肩代わりした傷は一分後には治ってしまう。治った上で錆川の精神が限界を迎えてショック死するのだとしたら、警察は死因不明と判断するだろう。当然、『体質』のことなど信じるはずもない。
つまり蜜蝋さんは、錆川が限界を迎えるまで俺を襲うつもりだ。
「……なぜだ」
「はい?」
「なぜそこまで錆川を憎む? アンタは錆川に命を救われたはずだ。それなのになぜ憎む? 錆川が肩代わりした傷を、アンタに戻せるからか?」
「……」
俺の問いに蜜蝋さんは無表情で答えた。
「……ええ、そうですわ」
だが蜜蝋さんの視線は、俺ではなく錆川に向いていた。
「錆川さん、あなたは
「……」
「あなたはそれを利用して、
蜜蝋さんは再び錆川に詰め寄るが、その声には先ほどよりも余裕がない。なんだ? まるでなにかを訴えかけているような……
「……私は、あなたのお怪我をお返しするつもりはありません」
一方で、錆川は俺の後ろで小さな声で答えた。
「……確かに肩代わりしたお怪我はお返しすることはできます……ですが、私はあなたのお怪我を肩代わりしたいのであって、お返ししたいわけではありませんし……特に蜜蝋さんを支配下に置きたいとは思っていません……」
「……!」
「大丈夫です……蜜蝋さんのお怪我は私が肩代わり致しますので……ご安心ください……またいつでも私を使っていただければ……」
「やっぱり、あなたは
蜜蝋さんの表情に再び怒りの感情が浮かぶ。
「決めましたわ。
「……はい。私はそのために存在しますので……」
「待て錆川! それは本気で言ってるのか!? 蜜蝋さんはアンタを殺そうとしてるんだぞ!」
「……初めてあなたとお会いした時から、私は近いうちに殺されると申し上げたはずですが……?」
「それで、『はいそうですか』と納得できるわけがあるか!」
しかし俺がどんなに叫んだところで、錆川の意志は変わらないだろう。コイツは誰かが目の前で傷ついていれば、躊躇なくそれを『肩代わり』する。今までそれを何度も見てきた。
そんな俺たちを見て、蜜蝋さんは静かに笑う。
「ふふふ、楽しみですわね。あなたが限界を迎えて、
「……ご安心ください。全てのお怪我を私が肩代わりして、ちゃんと死にますので……蜜蝋さんはもうあの怪我で苦しむことはありませんので……」
「……そう言っていられるのも、いつまででしょうね。まあ、いいでしょう。それでは佐久間くん、錆川さんを死なせたくないなら、死に物狂いで守ることですわね」
そう言って、蜜蝋さんは教室を出て行った。
十分後。
「おい、錆川」
「……なんでしょう」
昇降口で靴を履き替えた後、俺は校門へ歩きながら錆川に向き直った。
「アンタ、このままだと本当に死ぬぞ。いいのか?」
「……私は、いいと言っています」
「蜜蝋さんはアンタの友達だったんだろ? このままだとアンタはその友達を殺人犯にすることになる。それでもいいと言うのか?」
「……蜜蝋さんは殺人犯にはなりません……私が佐久間くんや皆さんのお怪我を肩代わりして、勝手に死ぬだけなので……世間では誰も蜜蝋さんを殺人犯だとは思わないでしょうし……蜜蝋さんも私が死んで安心するでしょう……」
「それはアンタの本音か? 本気でそれを言っているのか?」
「私は……生きていても仕方のない存在だと何度も申し上げていますが……?」
「……」
錆川はいつも通りの言葉を、いつも通りの小さな声で言う。
だけど今日はいつも以上にその言葉に腹が立った。なぜかはわからなかったが、コイツが蔑ろにしているのが自分自身だけではないように思えたからだ。
「それでは佐久間くん、生きていたら、また会いましょう……」
そう言って別れようとする錆川だったが、とっさにその腕を掴む。
「……なんでしょうか?」
「待ってくれ。アンタは蜜蝋さんに狙われている身だ。このまま蜜蝋さんがアンタを殺すために誰かに怪我を負わせるかもしれない。それだったら、俺が自宅まで送っていく」
蜜蝋さんが次にどんな行動を起こすかわからない以上、俺が錆川を見張っていた方がいいかもしれない。
「……そうですか。でしたらあなたにお見せしたいものがあります」
「なに?」
「私がいかに、罪深い存在であるかの証明……それをお見せします」
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