第20話 “空白”のアルジャーノン


 その日の放課後。俺は蜜蝋さんに話を聞くために、手芸部の部室に向かったが、部室の前に数人の女子が門番のように立ちふざがっていた。

 その中心にいるのは言うまでもなく、今朝俺に怒りを向けてきたアキだった。


「来たね。佐久間くん」


 アキは俺への敵意を隠そうともせずに、睨みつけてくる。この間まで仲良くしていた相手にこうも怒りを向けられるのは、正直きつい。

 しかし、きついからといって止まるわけにもいかない。俺は姉さんの死に納得できないからこの学園に入学したのだ。真相を突き止めるまで、歩みを止めることはない。


「アキ、そこをどいてくれ」

「嫌だよ。小夜子ちゃんをいじめるつもりなんでしょ? 佐久間くんはもう、手芸部に出入り禁止だよ」

「朝も言ったが、俺は蜜蝋さんをいじめてなんていない。それに錆川も蜜蝋さんを拒絶していないと本人から聞いた。俺とアキが揉める理由なんてない」

「理由はあるよ。佐久間くんは小夜子ちゃんを悪者扱いしてるじゃん。その時点で君はあたしと対立するって決まってるんだよ」


 アキだけではなく、その周りにいる四人の女子も俺に怒りをこもった視線を向けている。どうやら蜜蝋さんは随分と人気が高いらしい。

 さて、どうするか。アキが立ちふさがっている以上、強行突破でもしない限り、蜜蝋さんに話を聞くのは難しい。しかしそんなことをすれば、学園内での俺の立場……ひいては錆川の立場はさらに悪くなるだろう。

 しかし仮にそこまで計算して蜜蝋さんがデマを流しているのであれば、彼女が俺たちに悪意を持っている可能性は高い。学園内で常にガードされているのであれば、向こうは一方的に俺たちを攻撃できる。

 そうなると、ここは一旦退くしかないか。


「わかったよ。アキがそこまで言うなら、手芸部には近づかない」

「言っておくけど、錆川さんも手芸部には入れないからね!」

「ああ、そう伝えておく」


 蜜蝋さんが手芸部にこもっている限り、コンタクトを取るのは無理だ。ならばチャンスは学園の外……彼女が一人になった時しかない。

 今後の対策を考えるため、俺は教室に戻ることにした。



 教室に戻ると、待ってましたとばかりに青田が話しかけてきた。


「おい佐久間!」

「あれ、まだ帰ってなかったのか?」


 青田は特に部活に入っていないはずなので、いつもは放課後になるとさっさと帰っていたはずだった。


「お前、どうしちまったんだよ。いや、どうなってるんだよ」

「どうなってるって、何が?」

「知らないのか? お前が手芸部の蜜蝋って女子のストーカーだって噂が流れてるんだよ!」

「は?」


 今度は俺がストーカーだという話になってるのか? 


「聞いた話だと、お前がその蜜蝋さんとやらを追いかけまわしてるとか、殴りかかろうとしたとか、めちゃくちゃなこと言われてるぞ」

「どこからそんな噂が流れてるんだ?」

「どこって、そこら中からだよ。うちのクラスの女子だけじゃなくて、内部入学組でもお前から蜜蝋さんを守ろうって話で盛り上がってるみたいだ」

「……だいぶおかしなことになったな」


 しかし、いくらなんでもこの一日で俺の悪評が立ちすぎている。蜜蝋さんがどんなつもりか知らないが、なぜそんなことをするのだろうか。


「なあ、違うよな? お前、そんなことしてないよな?」


 青田が心配そうに声をかけてくるが、その声にはどこか不安というか、もしかしたらという気持ちが込められているような気がした。


「俺が蜜蝋さんをいじめたとかストーカーとかなんて話は全部デタラメだ」

「そ、そうだよな。お前がそんなことするわけないもんな」

「しかし現実として、みんなの認識だと俺が悪人だということになっている。俺は蜜蝋さんが、何らかの理由で俺を悪人に仕立て上げようとしていると思っている」

「なんでそんなことを……?」

「それはわからない。だが蜜蝋さんがこのまま俺を追い込もうとしているなら、反撃するしかない」


 まだ姉さんの真相にたどり着いていない以上、このまま柏原学園から追い出されるわけにはいかない。


「そういえば、錆川はどうしてるんだ?」

「え?」

「いや、俺が聞いた話だと、錆川もお前に加担しているから敵視されているって聞いたが……」

「……!!」


 ――バカか、俺は!


「お、おい佐久間!?」


 青田の戸惑いの声を背中に受けながら、一目散に教室を飛び出した。向かうのはA組だ。

 そうだ、なんで気づかなかった!? そもそも襲撃者たちが狙っているのは錆川の命なんだぞ! そこまでわかっていて、なんで気づかなかった!?


 蜜蝋さんの狙いは、俺ではなく錆川であるということに。


 俺が悪人だという噂を流したのは、錆川を守る俺が邪魔だったからだ。アキや周りの生徒たちを使って俺を自分に近づかないようにさせて、その隙に錆川を狙うつもりだったんだ。

 まんまと嵌ってしまった。しかし後悔している暇はない。早く錆川の無事を確認しないと。


「まだ教室にいてくれ!」


 思わず口に出してしまうほどに願い、A組の教室にたどり着いた。

 まだ最終下校時間にはなってない。教室にいるかもしれない。


「錆川!」


 中を覗き込むと、暗い室内の中にひときわ目立つ白い髪の人物がちょこんと座っていた。


「……佐久間、くん?」


 力のないフラフラとした動きで立ち上がり、こちらに振り向いてくる。よかった、錆川はまだ無事だ。


「どうされたのですか……? 蜜蝋さんにお話を聞きに行ったのではなかったのですか……?」

「錆川、よく聞け。蜜蝋さんはアンタを狙っている」

「え?」

「いいか。これから先は俺と一緒に行動しろ。そうでないと……ぐっ!?」


 『そうでないとアンタの身が危ない』。そう言い終わる前に、俺の背中……正確には腰の少し上あたりから、急激に熱が広がるような感覚が走った。

 その直後。その熱は痛みとなり、俺の全身に駆け巡る。


「ぐ、あ、あああああっ!!」


 数歩前に歩き出したが、それまでだった。足に力をこめることができず、膝が折れて、そのまま床に倒れこんでしまう。


「な、ん、だ……」


 何が起こったのかもわからず、視界がどんどん暗くなっていき、それ以上考えることができなかった。





 ……ん?

 今、俺はどうなっている? 何も見えない。ただ、考えることはできている。

 体は動かせるか? 体の感覚はあるか? 試しに指を動かすと、指の腹が床か何かを撫でるような感覚があった。

 目は開けられるか? 目を開ける方法はわかるか? 試しに目を開けようとすると、視界に光が戻ってきた。

 

 そしてその視界の中に、白い髪の女の顔があった。


「……佐久間くん。お目覚めですか……?」


 白い髪、生気が感じられない顔、弱弱しい微笑み。

 間違いない。錆川紗雨だ。


「さび、かわ……?」

「よかった……ご無事で……今回もちゃんと、『肩代わり』できたようですね……」


 肩代わり?

 その言葉の意味を考える前に、俺の顔に暖かい液体が降り注いでくる。


「少し……横になります……」


 その液体が錆川の口から溢れた血であることを認識した時には、既に視界から錆川の姿が消えていた。


「……おい! 錆川!」


 意識が急速に鮮明になる。体に感覚が戻っていく。倒れる前と同じように問題なく体は動く。

 だがその代わり、床に倒れた錆川の顔からますます生気が失われていく。口だけじゃない。背中からも大量の血を流し、血だまりに体を横たえていた。


「アンタ、また俺の傷を肩代わりしたのか!?」


 今の錆川が負っている傷は、さっきまで俺が負っていた傷だ。見たところ、背中を何かで刺されたようだ。


「ああ……佐久間くんはどうやらご無事のようですね……よかった……」

「そうじゃないだろ! なんでアンタはいつもそうなんだ!」


 なんでこの状況で俺を心配するんだ。なんでこの状況で自分の痛みを訴えないんだ。


 なんでアンタはいつも、自分だけが痛みを背負い込めばいいと思うんだ。


 俺の憤りとは裏腹に、錆川の傷はまたも治り始めていく。床に広がっていた血も、どんどん体に吸い込まれていく。


「大丈夫です……あなたのお怪我は肩代わりしましたから……ご安心ください……」

「違う! 俺はそんなことを言ってるんじゃない!」


 なぜ自分がこんなに憤っているのかわからない。だけど今の錆川の姿を見て、俺はこう感じてしまう。


 俺が傷を負わなければ、錆川が苦しむこともなかった。


 俺はどこまでバカなんだ。コイツの前で傷を負えば、何をするかなんてもうわかっていたはずだ。わかっていたのに、なんで止められなかったんだ。


「ちくしょう……ちくしょう……」


 不甲斐なさに涙が出てくる。俺がもっとしっかりしていれば……



「泣かせる光景ですわね。好きな男をかばって、傷を肩代わりする女の子。ええ、一昔前のラブストーリーを見ているようで感激ですわ」



 俺の耳に届いた声は、錆川のものではなかった。まだ錆川は床に体を横たえている。今の声は壁際から発せられたものだ。

 視線を向けた先にいたのは、明るい茶髪の上品そうな女子。


 手芸部部長、蜜蝋小夜子だった。


「蜜蝋、さん? なんでここに?」


 いや、聞くまでもなかった。この場にいるはずなのは、俺と錆川、そして俺を刺した犯人しかいない。


「そんな他人行儀な呼び方をなさらないでくださいな」


 そして蜜蝋さんは、その上品な顔に暗く残酷な笑顔を浮かべた。



「“空白”のアルジャーノン。そうお呼びくださいまし」

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