第19話 握られた命
俺は錆川を訪ねて、A組に向かった。廊下から中を覗き込むと、いつも通りに錆川は自分の席にちょこんと座っている。
「錆川、ちょっといいか?」
「……なんでしょうか」
「蜜蝋さんとの関係について聞きたい。場所を移そうか」
「わかりました」
A組の教室にいると、また岸本に絡まれる可能性もあったので、さっさと人のいない場所に移ることにした。
部室棟に移動した俺たちは、文芸部の元部室に入る。
「それでだ。蜜蝋さんとは中等部の頃に仲が良かったって話だったが……」
「佐久間くん」
「ん、どうした?」
「あの、蜜蝋さんに何をするつもりなのでしょうか……?」
「え?」
『何をするつもりなのか』と聞かれたら、まずは彼女の真意を問いただしたい。現状、俺と錆川は蜜蝋さんによってあらぬ疑いをかけられている。なぜその状況に俺たちを陥れたのか、聞かなければならない。
そういえば、錆川はまだ自分が蜜蝋さんをいじめていることになっているのを知らないのかもしれない。まずはそこから説明する必要があるか。
「実は蜜蝋さんは、俺と錆川にいじめられているというデマを俺の友達に流しているんだ」
「……!」
俺の言葉を受けて、錆川は口に手を当てて、ショックを受けたように目を丸くしている。やはり友達にそんなデマを流されるのは、錆川にとってもショックなんだろうな。
「だから俺の当面の目的は、蜜蝋さんがなぜそんなデマを流すのかを問いただし、彼女が襲撃者の一人なのかどうかを見極めることだ」
「そう、ですか……」
「その前に、アンタと蜜蝋さんがなぜ仲違いをしたのかを聞きたい。そこに蜜蝋さんがデマを流した理由があるのかもしれない」
「……」
俺の問いに錆川は少し沈黙したが、一呼吸置いて俺を見据えた。
「佐久間くん。蜜蝋さんの言っていることは、全てがウソではありません」
「なに?」
「私が……蜜蝋さんをいじめていたというのは、本当です……」
「……!?」
錆川が、蜜蝋さんをいじめていた? それが本当のことだと?
いや待て。俺はこの数週間で、錆川紗雨という女の人間性をある程度理解した。こいつは徹底的に自罰的な傾向がある。『自分は生きていてはいけない』だとか、『殺されるのであれば、それを受け入れる』などという発言。そして、他人の傷を肩代わりしてしまう『体質』に、こいつの人間性が表れている。
それを踏まえて推測すれば、こいつの発言の真意が見えてくる。おそらくこいつは、過去に蜜蝋さんと仲違いしたことを、自分に原因があると思い込んでいる。自分が何か間違いを犯して、蜜蝋さんに責められているのだと決めつけている。
だから俺は、錆川の言葉を否定した。
「俺にはとてもアンタが蜜蝋さんをいじめるような人間には見えないな」
「……ですが、蜜蝋さんがそう仰っているのであれば、私の行いがあの人の心を傷つけたのでしょう……」
「じゃあ聞くが、アンタのどんな行動が蜜蝋さんを傷つけたんだ? それを聞かない限り、俺は納得しない」
「……わかりました。お答えしましょう」
そう言うと、錆川は携帯電話を操作して、ある画像を俺に見せる。
「これは……!」
そこには、手足があらぬ方向に曲がり、血まみれの状態で道路に倒れている女子の姿が映っていた。
柏原学園の制服を着ていることから、うちの生徒のようだが、おさげの黒髪に眼鏡をかけたその女子の姿には見覚えがない。
しかし錆川がこの画像を持っているということは――
「この人も、アンタが過去に傷を『肩代わり』した人なのか」
「……そうです。中等部の頃、蜜蝋さんは私の目の前でひき逃げにあったのです」
「え?」
この画像の女子が、蜜蝋さん?
確かに顔をよく見ると、確かに今の蜜蝋さんに似ている気がする。しかしこんなに地味な感じだったのか。
「蜜蝋さんは車に轢かれて重傷を負いましたが……即死ではなかったので、すぐに私が『肩代わり』したのです……ですので蜜蝋さんがひき逃げにあったことは、本人と私しか知りません」
「なるほどな。ところで蜜蝋さんは、前からアンタの『体質』については知っていたのか?」
「はい……私が運動部の方の怪我を『肩代わり』するのをお見せしましたので……ですのでご自分が無傷でいるのを見て、すぐに私に駆け寄って下さったのです……」
「その時、蜜蝋さんはどんな感じだったんだ?」
「私に泣いて謝って下さいました……『ごめんなさい、ごめんなさい』と、何度も仰っていました……私としては、蜜蝋さんのお役に立てたのでむしろ嬉しかったのですが……」
蜜蝋さんからすれば、本来自分が負っていたはずの怪我を錆川が『肩代わり』しているのを見たわけだから、罪悪感を抱くのは当然だろう。
「だが、今の話を聞く限り、蜜蝋さんがアンタを嫌う要素はない。むしろアンタに感謝しているはずなんじゃないのか?」
「いえ……その数日後に、私は過ちを犯してしまったのです……」
「過ち?」
「私が……『肩代わり』した怪我を元の相手に戻せることを……蜜蝋さんに話してしまったのです……」
それを聞いて、俺は奥村先輩の一件を思い出す。
確かに錆川は奥村先輩の足の怪我を戻していた。先輩の痛がりようから見ると、怪我を負った直後の状態に戻せると考えていいだろう。
いや待て。奥村先輩の場合、足の怪我だった。確かにあの怪我も相当重いものではあるのだろうが、命に関わるものじゃない。
しかしさっきの画像に映っていた蜜蝋さんの姿は、明らかに重体だ。あの状態では、即座に救急車を呼んでも助からなかったかもしれない。 そして錆川は、『肩代わり』した蜜蝋さんの怪我を本人に戻すことができる。怪我を負った直後の状態で。それが何を意味するか。
「蜜蝋さんは、アンタが怪我を戻せると知った時、どんな反応をしたんだ?」
「……私を激しく、罵倒しました。『私の命を握るためにあんなことをしたのか』と……」
そうだ。蜜蝋さんの怪我は命に関わるほど重いものだった。もし錆川がそれをいつでも本人に戻せると知ったら。自分の命を、いつでも奪えると知ったら。
それは、関係が終わるには十分な理由かもしれない。
「つまりアンタは、蜜蝋さんが自分を怨む理由があると考えているわけか」
「はい……ですがそれは当然のことだと思います……私は……存在してはいけない人間なので……」
相変わらず自罰的なことを言う錆川に少しの苛立ちを覚えながらも、この話を聞いたことで収穫はあった。
襲撃者の一人、“空白”のアルジャーノン。小説の内容では、魔王のかつての親友であったアルジャーノンは、親友が魔王を名乗ったことで『殺す決意』をしている。蜜蝋さんが錆川に命を握られていると感じているのであれば、彼女にとって錆川は魔王に映るのかもしれない。
そうなれば、蜜蝋さんがアルジャーノンである可能性は俄然高くなる。
「アンタと蜜蝋さんの間にどんな過去があるのかはわかった。だけど俺があの人にデマを流されているのは変わりない。自分の無実を証明するためにあの人と対立しなきゃならないのはわかってくれ」
「はい……」
錆川が小さく頷くのを見て、俺は席を立つ。
蜜蝋さんが錆川を怨む理由があるのかもしれないが、そんなことは俺には関係ない。
もし彼女が姉さんの死に関わっている襲撃者なのであれば、見逃すわけにはいかない。
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