第17話 追及


 そして現在。俺は錆川と共に裁縫の体験をすることになったのだが……


「いたっ!」

「だ、大丈夫ですか……? あまりご無理はなさらないでくださいまし」

「いや、大丈夫だ、これくらい……!」


 俺はまた針を指に刺してしまった。既に左手の指にはいくつかの絆創膏が巻かれている。


「佐久間くん……そんなに頑張らなくても、手芸部に入れないなんてことはないから大丈夫だよ」


 アキが俺を見ながら呆れている。それがどうにも悔しかった。結局俺は蜜蝋さんに糸を針に通してもらったわけだが、その後のボタン付けの体験で悪戦苦闘することになった。どうしてこうもこの針は穴に通りにくいのか。


「ふふ、佐久間くんは負けず嫌いなんですのね」

「そ、そういうつもりはなかったんだが……どうやらそうらしい」

「まあ、そんなに焦ることはありませんわ。わたくしも昔は裁縫が苦手でしたから」

「え、そうなの?」


 アキが意外そうな顔をする。確かに先ほどの慣れた手つきを見れば、昔から裁縫が得意だったのだと思うだろう。


わたくし、実はこの学園に入学するまでは結構大ざっぱな性格をしておりまして……中等部に入ってから裁縫の練習をするようになりましたの」

「へぇー、意外……」

「ですから佐久間くんも、練習をすれば上達するはずですわ。ですから今は出来なくても、手芸部への入部を断るなんてことはありませんわ」

「……ありがとう」


 蜜蝋さんが俺を励ましてくるが、俺としては別の事が気になっていた。


『この学園に入るまでは、大ざっぱな性格をしていた』


 蜜蝋さんは確かにそう言った。そうなると、今の蜜蝋さんとかつての蜜蝋さんにはイメージの違いがあるのかもしれない。倉敷先輩の情報では、中等部時代の蜜蝋さんは『眼鏡をかけた地味な女子』というイメージだった。それは今の蜜蝋さんの外見から受ける印象とはかけ離れている。

 それに、もう一つ気になることがあった。


「錆川さんは、さすがにお上手ですね」

「はい……子供の頃から……やっていましたので……」

「ふふ、こうしてあなたとお話するのは久しぶりですね」

「……はい」


 錆川と蜜蝋さんはやはり友人だったようで、蜜蝋さんは積極的に錆川に話しかけている。しかし錆川の方は、どこか蜜蝋さんに対する態度がぎこちないように見える。なんというか……何かに怯えているように見えるような……


「なあ蜜蝋さん、ひとつ聞いていいか?」

「はい? ボタン付けについてでしたら、一回実演してみましょうか?」

「ああ、いや、そうじゃないんだ。錆川と蜜蝋さんって、中等部の頃は同じクラスだったのか?」

「……ええ、そうです。中等部の頃は、いつも一緒でしたね」


 確かに錆川も『いつも一緒に行動していた』と言っていた。どうやらそこに間違いはないようだ。しかし俺が知りたいのはそういうことではない。少し探りを入れてみるか。


「その割には、錆川の現状を知らないようだな」

「どういうことでしょうか?」

「錆川がA組でどういう扱いを受けているのか知らないのか?」

「……!」


 俺の言葉を聞いた蜜蝋さんは口をつぐむ。どうやら知らないわけではないようだ。


「蜜蝋さん、アンタは一年の何組なんだ?」

「……B組です」

「そうなると教室はA組の隣だな。錆川が岸本たちから罵倒されているのを聞いたことがないのか?」

「それは……」


 俺は更に蜜蝋さんを追い詰める。もしかしたら、姉さんの件で錆川が責められていることが、この二人を疎遠にしたのかもしれない。


「ちょ、ちょっと佐久間くん!? そんな言い方ないんじゃないの!?」


 アキが俺をたしなめるが、ここで引き下がるわけにはいかない。だが意外にも、蜜蝋さんは俺の質問に素直に答えた。


「佐久間くんのご想像の通りですわ。わたくしは……錆川さんがA組でいじめを受けていることを知っていながら……何もしませんでした……」


 涙を浮かべながら、俺に懺悔するように絞り出した声で答える。


わたくしは、臆病者ですわ。中等部の頃はあんなに仲が良かったのに……錆川さんが裕子先輩を殺したと疑われてた時に、何も声を上げなかったんですの……」

「姉さんのことはどれくらい知っていたんだ?」

「実は……わたくしも、元文芸部員ですの」

「なんだと? じゃあ、姉さんや岸本とも親しかったのか?」

「そうです……」


 蜜蝋さんは姉さんとも仲が良かった、これは見逃せない事実だ。彼女が姉さんと近い人物なのであれば、姉さんの死に関わっている襲撃者の一人、“空白”のアルジャーノンである可能性は俄然高くなる。


「じゃあもう一度質問する。姉さんが書いた小説を読んだことはあるか?」

「はい……一回ですが、拝読しました……すみません、先程は嘘をつきました」


 蜜蝋さんも姉さんの小説を読んでいた。つまり彼女はアルジャーノンという名前を知っているということに……


「佐久間くん! ストップストップ!」


 だが俺の追及を見かねたのか、アキが俺と蜜蝋さんの間に割って入ってきた。


「どういうつもりなの? もしかして君、小夜子ちゃんをいじめるために、ここに来たの?」

「そんなつもりはない。だが、蜜蝋さんが俺の姉さんの死に関わっているのであれば、見過ごすことはできない」

「ひどいよ佐久間くん! 小夜子ちゃんが君のお姉さんを殺したっていうの!?」

「そうは言っていない。だけど俺は……」

「とにかく! 今日はもう帰ってよ! 今日の佐久間くん、おかしいよ!」


 アキが興奮状態になってしまっている。さすがに正面から攻め込み過ぎたか。


「わかった……蜜蝋さん、今日はこれで失礼するよ」

「佐久間くん、申し訳ありません。ですが、わたくしは裕子先輩がどうして亡くなったのかは、何も知らないのです」

「小夜子ちゃんが謝ることないよ。とにかく佐久間くん! 明日教室に来たら話あるから! 休まないでよ!」


 アキは俺を睨みながら、蜜蝋さんを慰めていた。さすがにこれ以上話を聞くことは出来ないので、大人しく帰るしかなさそうだ。

 仕方なく俺は、手芸部の部室を後にした。



「さすがに焦りすぎたか……」


 日が沈みかけた道を歩きながら、俺は思わず反省を口にした。

 もしかしたら俺も少し結論を出すのを急ぎすぎたのかもしれない。蜜蝋さんがアルジャーノンである可能性は確かに高いが、今のところはまだ可能性だ。確信にはほど遠い。

 それに有力な情報は得たものの、蜜蝋さんと俺を繋ぐ役目を担う、アキを怒らせてしまった。これではこの先、蜜蝋さんと接触するのは難しくなるだろう。それはまずい。

 そうなると、錆川を通じて蜜蝋さんと接触するかとも考えたが、今日の様子を見る限り、錆川は蜜蝋さんに対して何か恐れを抱いているように見える。それに、もし蜜蝋さんがアルジャーノンだとしたら、錆川の命を狙っていることになるので、あの二人を近づけるのは得策ではない。

 ここまで考えてみたが、まずは明日、アキの追及にどう対処するかが当面の課題ではある。上手くアキを説得して、また蜜蝋さんから話を聞かなければならない。そこまで頭を整理した辺りで、俺は自宅に到着した。


「ただいま……」


 これ以上考えても明確な案は出ないと判断し、今日はさっさと寝ようと決意した。

 だがこの時の俺は――


 ――佐久間雄士という人間に悪意が向けられつつあることを、まだ知る由もなかった。

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