第10話 “白刃”のアマクサ
「あの時、倉敷先輩を呼び出したのは、武智主将……つまり彼こそが」
「その“白刃”のアマクサってヤツだってことになるのかい?」
「……そうなりますね」
そう話す二人の会話を密かで廊下で聞きながら、僕は思わず口をつり上げて笑顔になってしまった。
――どうやら、僕のプラン通りに事が進んでいるようだ。
倉敷のヤツがどう動くか様子を見ていたが、予想通りに彼は佐久間に襲いかかった。そのまま二人とも共倒れしてくれても良し、もし佐久間が自分がアマクサでないと否定しても、彼らが辿り着くのは武智ではあっても、僕ではない。
そう――彼らはこの“白刃”のアマクサである僕、奥村春江には決して辿り着かない。
まあそれも仕方がないこと。僕が武智の携帯電話をこっそり奪って、倉敷にメールを送って呼び出したんだ。その状況で襲われれば、誰だって武智を疑う。恨むんなら、今時携帯電話の暗証番号を自分の誕生日にしている武智を恨むんだね。
このまま彼らは武智に迫り、武智こそが“白刃”のアマクサではないかと詰め寄るのだろう。だけどその隙に、僕は計画を進めることが出来る。
そう、このまま錆川に多くの怪我を『肩代わり』させて……限界を迎えさせる。
そのために今日も、倉敷を襲撃して錆川にその怪我を『肩代わり』させたのだ。あれだけの重傷を『肩代わり』すれば、錆川もその痛みを消すのに時間がかかるだろう。
それを繰り返していけば、いずれ彼女も限界を迎える。そうすれば僕の復讐も完了する。少し遠回りなプランではあるが、錆川を直接襲うわけにもいかないのだから、こうするしかない。
「それじゃあ倉敷先輩、明日にでも武智先輩に話を聞きに行きます」
「いや、今なら武智さんは剣道場にいるだろう。
どうやら彼らの会話も終わったようだ。なら僕がこの場にいるのもまずい、今のうちに立ち去っておこう。
さて、教室を離れたところで考えてみよう。そろそろ剣道部の練習も始まる。最後の会話を聞くに、倉敷たちは剣道場で武智に接触する気だろう。
武智は当然、メールを送ったことを否定するだろうが、メールの送信履歴は残してある。言い逃れするのは難しいだろう。倉敷たちは武智がしらばっくれていると考えるはずだ。
そうなれば彼らの目は武智に向く。となるとこの先は、いかに武智に疑いを向けさせながら、錆川に傷を『肩代わり』させるかが重要になるだろう。
さて、どうするか。僕は携帯電話のメール機能を立ち上げ、とある連絡先を見る。
“潔白”のバルマー。アドレス帳にはそう登録してあった。
僕が佐久間裕子と出会ったのは一年半前のことだ。文芸部に所属していた彼女は、聡明で周りへの気遣いを欠かさない人気者だった。当然のことながら、僕も彼女のことが気になっていた。だけど当時の僕は剣道部に所属しながらも、特に目立たない容姿をしていたから、彼女に近づくことをどこかで諦めていた。
そんな時、裕子が剣道部に遊びに来て、僕に声をかけた。
『奥村くん、いつも遅くまで練習頑張ってるよね』
その言葉だけで、僕は恋に落ちた。
あの佐久間裕子が、剣道部の目立たない存在である僕のことを見てくれていた。それだけで僕はこの世界に認められた気がした。それほどまでに、僕にとって裕子は大きな存在だったのだ。裕子の方は僕にただ声をかけてきただけだとしても、僕の心にはそれだけで希望が差し込んできたのだ。
それから、僕は少しでも裕子に振り向いてもらうために、一心不乱に練習に打ち込んだ。彼女が認めてくれた剣道という点で少しでも実力を上げようと頑張った。それだけでなく、見た目を良くしようと髪を染めたり、美容の本を読み込んで、スキンケアをしてみたりもした。全ては裕子に認められたいために。
二年生になった時には、裕子と少しずつ会話が弾むようになっていた。彼女は剣道部の練習にも何度か顔を出してくれて、僕が練習で一本を取った時も褒めてくれた。それは決して恋人に向けた言葉ではなく、彼女に関わる多くの友人の一人に向けての言葉ではあったものの、僕はそれでよかった。
だけど、そんな僕を悲劇が襲った。
二年生の夏の大会の直前、僕は足の腱を断裂する大怪我を負ってしまったのだ。
以前から武智や先輩たちに、練習のしすぎではないかと心配されてはいた。そのままでは怪我をするのではないかとも言われていた。だけど僕は少しでも裕子に振り向いてもらいたい。少しでも結果を残して、裕子の隣にいれる男にいたい。それしか考えていなかった。
だが、そんな僕に訪れたのは怪我による激痛と、それを上回る絶望だった。もし僕が剣道を出来なくなったら? 裕子は決して僕を見てくれないのではないか。例え剣道が出来なくなったところで、裕子は僕を見捨てるような人間じゃない。そんな軽い女なら、そもそも好きになっていない。それはわかっている。
だけど見捨てられなかったとしても、剣道が出来ない僕は決して裕子の特別にはなれない。それがたまらなく怖かった。以前と変わらず接してくれたとしても、以前よりも密接になることは決してない。そんな気がしてならなかった。
だけどそんな僕を見て、武智は一人の女の子を連れてきた。
『錆川、なんとか出来るか?』
『……大丈夫です』
武智が連れてきたのは、裕子とよく一緒にいた中等部の女の子だった。可愛い子ではあったものの、それ以上に異様に白髪の多い髪と、病人のようにやつれた顔色が印象に残っていた。
だけどこんな女の子一人が来たところで、僕の怪我をどうすることもできない。僕の絶望は、これから一生続く。そう思っていた。
錆川と呼ばれた女の子が僕の足に触れた瞬間、みるみるうちに痛みが引いてくるまでは。
『え? い、痛みが……?』
痛みがない。というより、たしかに怪我をしたはずなのに、痛みがあったという記憶すらない。僕が怪我をしたのは事実なのに、まるで怪我をしたという実感がない。
試しに足を動かしてみる。問題なく動く。これまで通りの足さばきができるのかは試してみないとわからないが、以前と同じように動くという確信があった。
『う、ぐう……!』
だけど代わりに、錆川が足を押さえて苦しそうに呻いている。何が起こっているのかがわからない。
『錆川、大丈夫か?』
『はい……すぐ……治りますので……』
錆川はその言葉通り、一分後には何事もなく立ち上がって、武智に頭を下げた後に剣道場を出て行った。
後に僕は、錆川紗雨が持つ『体質』について聞かされることとなったが、僕はそれを聞いた時に歓喜に打ち震えた。
これだ。錆川さえいれば、僕は怪我をすることはない。錆川さえいれば、僕は裕子の隣にいれる。裕子を振り向かせることができる。
いや、それだけじゃない。例え裕子が怪我をしても、錆川さえいれば裕子の怪我を治すことが出来る。錆川さえいれば、裕子は僕の前からいなくならない。
これは運命だ。偶然にも僕と裕子が通う学園に、錆川という人智を超えた存在がいたのだ。これはもう神様が僕と裕子を引き離さないように用意してくれたに違いない。そう確信していた。
裕子が、死ぬまでは。
なんでだ。なんで裕子は死んでしまったんだ?
裕子に何か悩みはあったのかもしれない。それは人間である以上どうしようもない。それはいい。
だけど裕子が死ぬのはあり得ない。だって裕子のそばには錆川がいたんだ。錆川の『体質』さえあれば、裕子が死ぬことはあり得ないはずだ。なのにどうして裕子は死んでいる?
決まっている。錆川がちゃんと『肩代わり』しなかったからだ。
許せるはずがなかった。その『体質』があれば裕子を救えたはずなのに、救わなかった錆川を許せるはずがなかった。それがお前の役目だろう。それがお前の存在理由だろう。どうしてお前が『肩代わり』しなかったんだ。
僕は錆川紗雨を憎んだ。どうしようもなく憎んだ。錆川は僕と裕子を引き裂いた魔王だ。そうとしか思えない。許せるはずもない。
だけどどうする? どうすればいい? 錆川を殺すか? そんなことを考えていた時に、僕の携帯電話に一通のメールが届いた。
『錆川紗雨に、復讐しませんか?』
“潔白”のバルマーと名乗ったそのメールの送り主の誘いに、乗らないはずがなかった。以前裕子に見せてもらった小説のキャラクター名。おそらくはこの人物も、錆川に強い憎しみを抱いているのだ。
そして僕は、錆川の周りの人間を襲撃し、その怪我を錆川に『肩代わり』させるというプランを聞かされた。錆川が怪我を『肩代わり』して自滅すれば、僕が警察に捕まることはない。錆川が『肩代わり』した怪我は彼女の身体からも本来の持ち主からも消え失せるため、警察は僕を捕まえるだけの証拠を揃えられないからだ。
僕はバルマーに復讐に乗るという返事を送った後、彼(あるいは彼女)はこう返してきた。
『あなたが“白刃”のアマクサとなるのです』
そう、僕は“白刃”のアマクサ――魔王を倒す勇者の一人だ。
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