第8話 痛みの記憶


 俺は錆川を守るつもりでいた。

 だが現実は、錆川はまた深手を負い、その傷が瞬時に治った今でもまだ、苦しそうに息を荒げている。

 そして俺の目の前には、階段の上から俺たちを見下ろす一人の人物がいた。


「倉敷先輩……!!」


 倉敷作彌。

 現状、錆川を狙う襲撃者・“白刃”のアマクサである可能性が最も高い人物。その倉敷先輩は、眉を寄せた険しい表情で、俺たちを見下ろしていた。


騎士ナイトくん……なぁんでここにいるのかなぁ?」


 そう言いながら、ゆっくりと階段を降りてくる。錆川に重傷を負わせたのは彼である可能性はある。それでなくても、昨日の剣道場の一件もある。彼を錆川に近づけるのは危険だ。

 だから俺は踊り場に降りてくるのを防ぐように、彼の前に立った。


「なんのつもりだよ、騎士ナイトくん?」

「それはこっちの台詞だ……倉敷先輩、アンタここで何をしてた?」


 見たところ、倉敷先輩は何か武器を持っているようには見えない。だとしても、俺と倉敷先輩では腕力の差がある。戦って勝てる相手とは思えない。しかし、ここで引けば錆川が危ない。後ろを見ると、まだ錆川は立てる状態まで回復していない。誰か通りかかった人間に助けを呼ぶまで、時間を稼がなければならなかった。


「ここにテメエがいるってことはぁ……そういうことなのかい?」

「……?」


 その言葉の真意が掴めないが、とにかく今は錆川を守ることが先決だ。


「倉敷さん、アンタを錆川に近づけるわけにはいかない。ここは諦めてくれないか?」

「オーイ、オイ、騎士ナイトくんさぁ、先輩に向かって随分と強気な口の利き方じゃないですかねぇ? それにオレは白髪姫に用事があるんだから、どいてくれないかなぁ?」

「錆川をどうするつもりだよ?」

「どうもしねえよ。ちょっと聞きたいことがあるだけだ。ということでさっさとどけよ。これ以上オレをイライラさせんな」


 倉敷先輩は足を階段のフチにコツコツと当てて、こちらが早く退くように促してくる。どうする? このままでは、力尽くで突破されてしまう。どうすれば……


「おい、佐久間! 大丈夫か!?」


 その時、この膠着状態に乱入してくる人物がいた。階段の下から駆け上がってきて、焦った顔で俺と倉敷先輩を見比べている。


「あ、青田!」


 なぜかここにやってきた青田は、錆川を見て驚愕していた。


「何でお前がここに!?」

「ああ!? お前が心配だったから、こっそり後をつけてきたんだよ! そしたらなんだこの状況はよ!」


 後をつけてきた?

 まさか、錆川の『体質』も見られていたか!? いや、もしそうならそれを見た時点で青田は騒ぎ出していたはずだ。そうではないということは、俺と倉敷先輩が言い争っている声を聞いて、ここにやってきたのだろう。


「……チッ、用意周到じゃねえか騎士ナイトくん。まさかお仲間を連れてきてたとはな。今度は二人がかりってことですかぁ?」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! アンタ、倉敷先輩だな!? 佐久間が何をしたか知らないが、ここは落ち着いてくれないか!?」

「ああ?」

「佐久間がアンタの気にくわないことをしたなら俺が謝る! だけどこれ以上佐久間に関わらないでくれ! 頼む!」

「……」


 青田は倉敷先輩に対して、深々と頭を下げた。それを見た倉敷先輩は、何かを考え込むように頭を掻くと、呆れたようにため息をついた。


「なんだよ、そっちは違うのか」

「は?」

「はいはい、騎士ナイトくんのお友達よ。君に免じて、今は引き下がりますよ。だけど、オレがそいつに関わらないようにしてくれってのは、保証できねえなあ」

「ど、どういうことですか?」


 青田の疑問に倉敷先輩は俺を睨み付けながら答えた。


「それは騎士ナイトくん次第ってことだよ」

「……!」

「はいはい、今は引き下がるって言ってるんだから、早くどいたどいた」


 倉敷先輩は俺と青田にどくように促し、階段を降りていった。そして踊り場にいる錆川を見る。


「白髪姫サマよ、助けたなんて思うんじゃねえぞ」

「……はい」

「テメエが何のつもりか知らねえが……オレがいる限り、剣道部にはこれ以上関わらさせねえ。覚えとけ」

「……」


 倉敷先輩はそう言い捨てると、今度こそ立ち去っていった。

 その姿が見えなくなったと同時に、青田はその場にへたり込む。


「し、死ぬかと思ったぁ~」

「青田、ありがとうな。お前がいなかったら危なかった」

「全くだよ。というか佐久間、お前入学早々なんでこんな一悶着起こしてるんだよ……」


 青田が俺を見上げたが、俺の後ろから錆川が声をかけた。


「佐久間くんは……悪くありません。悪いのは全て私です……」

「え、そうなのか?」

「青田、来てくれた立場でこんなことを言うのは悪いと思っているが、この場は外してくれないか?」


 青田の救援は助かったが、錆川の『体質』や襲撃者について知らない青田をこれ以上巻き込むわけにもいかなかった。そんな俺の思惑を知る由もない青田は、俺と錆川を見比べた後に笑顔になる。


「おおっと、ごめんな佐久間。俺としたことが、気が利かなかった」

「本当に済まない。この埋め合わせはきっとする」

「それは期待してるぜ? じゃ、昼休み終わるまでには戻って来いよ」


 小声で、『チャンスを掴めよ』と耳打ちしたきた後に、青田はこの場を立ち去った。どうもまだあいつは俺が錆川に惚れていると思っているらしい。

 とにかく、これで人払いは済んだ。あとは錆川から話を聞かないとならない。


「さて錆川、ここじゃ邪魔になるから、文芸部の部室に行くぞ」

「……わかりました」


 俺たちは踊り場から離れ、文芸部の部室で話をすることにした。



「聞かせて貰おうか。倉敷先輩と何があった?」

「……」


 錆川は口を開かない。元々錆川の狙いは、『自分が襲撃者に殺されること』なので、それを阻止しようとする俺に情報を与えたくはないのかもしれない。だがそれでも、俺は情報を聞き出さなければならなかった。


「質問を変えよう。アンタは誰の傷を『肩代わり』したんだ?」

「……」


 錆川は黙ったままだ。しかし、錆川の『体質』は、他人から傷を『肩代わり』した後、一分後にはその傷を治してしまうというもののはずだ。さっきの傷が治ったということは、あれは他人から『肩代わり』した傷だということになる。


「答えてくれ。誰の傷を『肩代わり』したのかは知らないが、あれだけの大怪我をした人間が学校内にいることは確かなんだ。本来は事件になってもおかしくはない。それを放っておいていいのか?」


 錆川の様子から見て、本来の傷の持ち主は相当の大怪我を負っていたはずだ。あれが他人から負わされた傷だとすれば、それは大きな事件であることは間違いない。


「……言えません」

「錆川……! まだそんなことを!」

「ですが、一つお教えしましょう」


 錆川は立ち上がって、俺の頭に手を置く。


「質問致しますが……佐久間くんは私を庇った時のお怪我の記憶がありますか……?」

「え?」

「……お怪我をした時の、痛みを覚えているか、とお聞きしております……」

「そういえば……」


 痛みを覚えているか、と言われたら、ない。思い切り頭を殴られたはずなのに、まるで他人事のように、その時の実感も、記憶もない。ただ、頭を殴られたという事実しか覚えていない。


「私の『体質』は……傷を『肩代わり』する時に、その人の『痛みの記憶』も肩代わり致します……」

「なんだと?」

「つまり、その人にとって、正真正銘その傷は『なかったこと』になるのです。全て『肩代わり』致しますから……」

「待て、じゃあそれは……」

「はい。代わりに私には『痛みの記憶』が残ります……」


 なんだそれは……

 じゃあ錆川は、重傷を『肩代わり』するごとに、その痛みの記憶が蓄積していくっていうのか……?


「ですがご安心ください……佐久間くんには、今後一切、あの時の痛みは残りませんから……」

「そういうことを言ってるんじゃない! アンタはそれでいいのか!?」

「私は、いいと言っています」


 そこまできっぱりと言われて思い出す。剣道部の先輩たちの様子を。

 奥村先輩は、足の腱を切る大怪我を錆川に押し付けておいて、何も罪悪感を感じていない様子だった。

 武智主将は、錆川が剣道部員たちの怪我を『肩代わり』することを容認していた。


 それは、彼らが傷の痛みを覚えていなかったから、自分がどれだけの痛みを錆川に押し付けているのかという実感がなかったからではないだろうか。


 その時、校内にチャイムが鳴り響いた。昼休みはもう終わってしまうようだ。


「それでは……私は教室に戻ります……」


 静かに歩いていく錆川を、俺は止めることができなかった。



 放課後になり、廊下を歩きながら、考えていた。

 俺はまた、錆川に怪我を負わせてしまった。錆川が襲撃者に狙われていることを知っていたのに、守りきることができなかった。

 しかも錆川は、今日の傷の痛みを一生背負っていくことになる。傷が治っていたとしても、痛みの記憶が錆川を今後も苦しめるかもしれない。

 これ以上、錆川が傷を負うことになれば、おそらくアイツは限界を迎える。それは想像に難くなかった。


 そう思いながら、校舎の階段を下りている時だった。


「いよお、騎士ナイトくん……」


 俺が声をかけられ、振り向いた直後に。


「うっ!?」


 木刀を持った倉敷先輩が、俺に向かって斬りかかってきていた。 

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