第7話 後悔


 ――俺はどこで間違った。

 今、俺の目の前で、血まみれになった錆川が倒れている。頭から血を流し、口から血を流し、腕が異様な方向に曲がっている。

 俺は錆川を守らないとならなかった。そうしなければ、姉さんの死の真相に近づけなかった。

 なのに、俺は……!



 数時間前。

 俺は朝早くに登校し、教室で剣道部の人間関係をまとめ直していた。

 現段階で、襲撃者・“白刃”のアマクサである可能性が最も高いのは、剣道部副主将である、二年生の倉敷作彌。錆川を強く憎み、その嫌悪感を隠そうともせず、剣道部から追い払おうとしている。レギュラー争いに負けたという、錆川を嫌う理由も存在する。

 しかし……本当にそれだけなのだろうか。昨日のあの様子を見る限り、倉敷先輩が錆川を嫌っているのは間違いないのだろう。しかし倉敷先輩の剣道の実力は武智主将にも高く評価されていた。それに倉敷先輩は去年の時点でまだ一年生なわけだから、去年のレギュラーに選ばれなかったとしても、チャンスはまだあったはずだ。レギュラーになれなかったという理由で錆川をあそこまで嫌うものなのだろうか?

 その他に、剣道部で錆川に深く関わっているのは、三年生の奥村春江。錆川に怪我を『肩代わり』してもらったおかげで、レギュラーに復帰した。その話を聞く限り、彼は錆川によって助けられた人間なので、彼女が剣道部を手伝うことをむしろ歓迎しているはずだ。だけど昨日の様子を見ると、彼は錆川に感謝しているというより、錆川を利用しているだけのようにも思える。しかし、彼に錆川を憎む理由がないので、今のところアマクサである可能性は低い。

 そして、剣道部主将である、三年生の武智直樹。おそらくは彼こそが、錆川を剣道部に関わらせている張本人だ。錆川の『体質』についても承知して、剣道部員たちの怪我を『肩代わり』させている。武智主将自身が錆川をどう思っているのかは未だ不明だが、倉敷先輩のように明確な嫌悪感は見せていない。

 他の剣道部員が錆川の『体質』についてどこまで知っているのかはわからないが、とりあえず剣道部で錆川に深く関わっているのはこの三人だろう。その中でも、錆川を嫌っているのは倉敷先輩だけだ。そうなるとやはり、彼が襲撃者なのだろうか。

 ここまで考えたが、ここから先は倉敷先輩に直接話を聞くしかない。しかし彼が素直に話してくれるとは限らないし、襲撃者だと判明したところで、それを罪に問えるかは難しいだろう。

 だが、彼が姉さんに近しい人間だとしたら、話を聞く価値はある。昼休みにでも接触してみよう。


「おーう、おはよう」


 すると、青田が教室に入ってきた。そして俺を見るなり、足早に近づいてくる。


「さ、佐久間、お前、昨日何やったんだよ」

「は?」

「お前、剣道部の倉敷って先輩にケンカ売ったって本当か?」

「……え?」


 なぜそのような話になっているのか考えたが、昨日の様子は剣道部員だけでなく、仮入部の同級生にも見られていたので、変な形で青田に伝わってしまったのかもしれない。


「別にケンカ売ったわけじゃない。倉敷先輩の暴力行為を止めただけだ」

「ぼ、暴力行為!? 剣道部ってそんなヤバイ集団なのか!?」

「あ、いや、そういうわけじゃなくてな……」

「佐久間、お前もう剣道部に関わるのはやめとけ? いくらお前が錆川にぞっこんだからって、ケガしてまで関わることねえだろ?」

「あのな……」


 いろいろ否定しようとはしたが、青田なりに俺を気遣っての発言だというのはわかったので、強く反論するわけにもいかなかった。


「青田、確かにもう俺は剣道部に関わるべきじゃないかもしれない」

「そうだろそうだろ。剣道部に入らなくたって、錆川を振り向かせるチャンスはまだあるさ」

「ただ俺は、倉敷先輩にはまだ聞きたいことがある」

「おい、お前なに言ってるんだよ。倉敷先輩ってヤバいんだろ? もう関わるのはやめとけって!」

「倉敷先輩が危ない人かどうかはまだわからない。だが俺は、それでもあの人から聞き出さないといけないことがある」

「佐久間……」


 青田は俺を見て、絞り出すように言った。


「もしかして、お姉さんのことか?」

「……」

「倉敷先輩が、お姉さんのことに関わってるのかもしれないのか?」

「まだわからないが……俺はそう睨んでる」


 俺の返答を聞いた青田は、肩をすくめてため息をついた。


「全く、そういうことなら早く言えよ」

「え?」

「お前がお姉さんのことで動いてるんなら、俺に止める権利はねえよ。そのためにこの学校に入ったのも知ってるしな」

「……済まない」

「謝んなよ。ただその代わり、倉敷先輩に話を聞けたら俺にちゃんと無事を報告しろよ。倉敷先輩がまともな人かどうかはまだわからないんだからな」

「ああ、わかった」


 そう言うと、青田は『困った友達持ったぜ』とわざとらしく言いながら席に戻っていった。それを見て、俺はいずれ青田にも錆川の話をしてもいいかもしれないと思った。



 昼休みになり、俺は早速、倉敷先輩に話を聞こうと二年生の教室に向かった。

 二年生のどのクラスかよく知らなかったので、手当たり次第に教室を回ったが倉敷先輩の姿は見えなかった。


「あれ、倉敷先輩どこか行ってるのか?」


 俺がそう呟くと、それを聞いていたのか、一人の二年生が話しかけてきた。


「君、一年生の子? 倉敷なら昼休みはいつも剣道場で自主練してるよ」

「そうなんですか? ありがとうございます」


 俺は礼を言って、剣道場に向かう。

 しかし倉敷先輩、あんなやる気なさそうな雰囲気出してる割に、自主練とかしているのか。少し意外だ。

 剣道場は校舎から少し遠い場所にあるので、昼休みが終わる前に話を聞き出したい俺は急ぐことにした。


 剣道場に着いたが、窓を見ても中の明かりがついている様子はなかった。


「あれ、ここに先輩がいるんじゃないのか?」


 入り口の扉に手をかけてみるが、やはり鍵はかかっていた。倉敷先輩が中から鍵をかけた可能性はあるが、それだったら明かりはついているはずだ。


「おかしいな。ウソを教えられたのか?」


 しかしさっきの二年生が俺を騙す理由もないので、いつも倉敷先輩は昼休みにここにいるはずなのだろう。だとすると……


 昼休みの自主練を放棄する必要があるほどの、緊急の用事が出来た?


 俺は考えを巡らす。

 倉敷先輩が自主練をやめて昼休みに行くところとしたら、それはどこだ? 倉敷先輩が錆川を剣道部から排除するために取る行動はなんだ? 倉敷先輩が“白刃”のアマクサなら、錆川をどうする?

 そこまで考えて、ひとつの可能性に到達する。


「錆川……!」


 そうだ、俺は何をやっていた。

 襲撃者たちの狙いはそもそも錆川だったのだ。本人が散々『私は近いうちに殺される』と言っていたじゃないか。そこまでわかっていて、どうして俺は錆川を守らなかった?

 後悔している場合じゃない。俺は急いで剣道場を離れる。仮に倉敷先輩が錆川を狙っているのなら、錆川を教室から離すはずだ。人気のない場所。そこに錆川を呼び出すはずだ。

 だったら学校内でそれはどこだ? 校舎裏か? 使ってない教室か? 

 使ってない部屋……? そうだ、昼休みなら、部室棟は!

 俺は部室棟に向かって走り出す。根拠はないが、今はしらみつぶしに当たるしかない。部室棟は剣道場のすぐ近く。ここからなら5分もかからない。

 部室棟の前に辿り着いた俺は、階段を上ろうとしたが、その時だった。


「え……?」


 階段の踊り場に見えたのは、見覚えのある白い髪。

 その白い髪が踊り場から階段に垂れ下がっている。


「おい、まさか!?」


 俺が階段を駆け上がると、そこには。


「あ、ああああ……!!」


 頭や口から血を流し、腕があり得ない方向に曲がった錆川が横たわっていた。


 ――どこだ。

 俺はどこで間違えた? 錆川が危険だとわかっていたのに、どこで判断を誤った?

 後悔しても仕方ないのはわかっている。それでも俺は、考えずにはいられなかった。

 俺が正しい判断を下していれば、こうはならなかった、と。

 だが現実は、目から光を失った錆川が俺の目の前にいる。


「錆川! しっかりしろ!」

「……あ」

「っ!? 何か言ったか!? いや、無理して喋るな!」


 俺に何かを伝えようとする錆川を制し、すぐに救急車を呼ぼうとする。だがそんな俺の目の前で、錆川の血が少しずつ傷口に吸い込まれていき、目に光が戻っていく。


「心配……なさらないでください……すぐに……治ります……」


 かすれた声で言ったとおり、錆川の傷はみるみるうちに治っていき、やがて何事もなかったかのように元通りになっていた。

 しかし錆川は身体を起こしたが、頭に手を当てて息を荒げ、脂汗を浮かべていた。


「はっ……はっ……」

「おい、まだ身体を起こすな」

「大丈夫です……傷は、全て治りました、から……」


 確かに錆川の傷は治っている。だが傷が治っても、錆川はまだ苦しそうに息を荒げている。まだどこか傷があるのだろうか?

 いや、そもそもどうして錆川はあんな傷を負っていた? そしてその傷はどうして今は完治した?

 その答えはひとつしかない。錆川はまた誰かの傷を『肩代わり』したのだ。

 だがここには錆川以外に人は見当たらない。そう思っていた。


「あ……!」


 階段の上から、俺たちのいる踊り場を見下ろす倉敷先輩を見るまでは。

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