第5話 剣道部副主将


 放課後になり、俺は錆川と合流しようとA組に向かおうとした。


「おっ、佐久間! 聞いたぞおい!」


 そんな俺をすかさず呼び止めたのは青田だった。なんでこんなにウキウキしてるんだろうか。


「何を聞いたって?」

「お前、錆川に誘われて剣道部入るんだろ? いやあ、お前もう錆川にゾッコンだな! お父さんは嬉しいぞ!」

「誰がお父さんだ、誰が」

「だってお前、中学の時は本当に引くくらい女子に興味なかったからさ。内心すごく心配してたんだよ俺」


 ……俺はそんなに心配かけるくらいにおかしかったのだろうか。


「別にまだ入ると決めたわけじゃない。ちょっと見学に行くだけだ」

「あれ、そうなのか? でも錆川がお目当てなのは変わらないだろ」

「残念だが、それも違う」

「まあ、照れんな照れんな。それじゃ、頑張って来いよ!」


 青田に背中を叩かれ、俺はもう二度とこいつに錆川関連の話をしないと、背中の痛みを感じながら誓った。



 A組の教室に行くと、既に錆川は荷物を纏めて教室の前に立っていた。


「待たせたな。じゃあ、行こうか」

「はい……」


 その時なぜかA組の生徒たちが俺たちを見ているのを感じた。全員が目を丸くして、俺たちを見ながらヒソヒソと話している。どうやら錆川に関わる人間がいるのが珍しいようだ。

 確かに俺も、錆川が姉さんの死に関わる人間でなければここまで関わることはなかっただろう。それほど錆川紗雨という人間は日常から離れている。だけど俺にとって、姉さんが死んだあの時から、日常とは遠くに感じるものになっていた。


 当たり前のように姉さんがいた日常は、もう帰ってこないのだ。


「よお色男、女連れで部活見学行くらしいな」


 そんなことを考えていた俺に、岸本が声をかけてきた。俺は錆川の前に立ち、岸本に手出しさせないようにする。


「それがお前に関係あるか? それともお前は女連れで部活見学したいのか?」

「ははっ、そんな白髪の女連れて部活見学なんてごめんだね。まあお前は錆川がタイプなのかもしれねえけどな」

「随分突っかかってくるな。そんなに錆川をいじめたいのか?」

「いじめてる? 俺は裕子先輩……お前の姉貴の仇を取ろうとしているんだぜ? 感謝しろよ」

「その物言いが既にいじめる側の人間の言葉だってわからないか?」


 岸本がどんなつもりなのかはわからないが、こいつが錆川にまぎれもない敵意を抱いているのは間違いない。

 いや、待て。そうなるとこいつも、襲撃者……三人の勇者の一人である可能性はあるんじゃないのか?


「なあ岸本、お前がアマクサなのか?」

「はあ?」

「お前が姉さんの小説に出てくるキャラを名乗って、錆川を襲撃したのかって聞いてるんだ」

「わけわかんねえこと言うなよ。裕子先輩が書いた小説なら俺も知ってるが、アマクサってのは俺がモデルじゃねえよ」


「……その言い方は、あの三人は誰かをモデルにしているのは間違いないってことだな?」


 岸本の発言を聞き逃さなかった俺は、すかさず追及する。それに対してヤツは舌打ちをした。


「面倒くせえな……ま、認めてやるよ。確かにあの三人は裕子先輩が実在の人物をモデルに作ったキャラだそうだ。だがそれがどうした? その三人が錆川を狙っているっていうのか?」

「俺はその三人が、姉さんの死に関わっていると睨んでいる。その三人の中にお前がいるのなら、容赦はしない」

「そうかい。なんで裕子先輩のことにそいつらが関わるのか知らねえが、せいぜい頑張りな」


 岸本は鞄を持って、去り際に俺に手を振って帰って行った。


「岸本くん……やはり私が許せないのですね……」

「そういえば、あいつも姉さんと親しかったのか?」

「……彼は、文芸部の一員でしたから……」

「そうなのか?」


 岸本はどちらかというと、運動部にいそうなイメージがあったが、まさかあいつも小説とか書くのか?


「それでは、行きましょうか……」


 そう言うと錆川は静かに歩き出したので、俺もその後に続いて、剣道場に向かった。



「よーし、お前ら並べ!」

「はい!」


 剣道場に着くと、部員の上級生たちが一列に並び、主将らしき人の号令で俺たち新入生と向かい合った。


「さて、新入生の皆さん、我が柏原学園剣道部にようこそ。俺が剣道部主将の武智直樹たけち なおきだ。よろしく」


 仮入部をした新入生たちはジャージに着替えていたが、俺はとりあえず見学だけしたいと言ったので、制服のままだった。


「よろしくお願いします!」


 俺以外の新入生たちはみんな運動部経験者なのか、武智主将に大きな声で挨拶をした。ただ俺はどちらかというと大きな声を張るのが苦手なタイプなので、挨拶が遅れてしまった。


「おっと、君は佐久間くんって言ったかな? いくら見学だけしたいとは言っても、先輩に対しては元気よく挨拶しないとダメだぞ!」


 武智主将は見るからに体育会系といった屈強な見た目で、坊主頭と堀りの深い顔が特徴的だった。


「すみません、よろしくお願いします!」

「うん、それでいい。ま、この一日で入部を決めろとは言わん。ちょっとでも剣道に興味を持ってくれれば、俺としては成功だからな。遠慮なく見学してってくれ!」

「はい!」

「じゃあ、錆川。君はとりあえず、用具の清掃を手伝ってくれ。それと、『例の仕事』も頼むぞ」

「……はい」


 武智主将は錆川に指示を出し、用具室に向かわせた。どうやら錆川は、雑用紛いのことまでしているらしい。

 しかし、武智主将の言った『例の仕事』というのも少し気になる。仮に彼が錆川の『体質』のことを知っているのであれば、その仕事とは、負傷者の怪我を肩代わりしろという指示なのだろうか。


倉敷くらしき! 倉敷はどこだ!?」

「主将。倉敷なら、今日はまだ来てませんけど……」

「あの野郎……副主将だって自覚あんのか? まあいい、練習始めるぞ!」


 武智主将の号令で、剣道部の練習が始まった。


 剣道部の練習は、序盤は特に目新しいものはなかった。おそらくはどこの運動部でもやっているであろう、準備体操とストレッチから始まり、腕立て伏せやスクワットなどの筋力トレーニングが行われた。 中学時代も運動部にいたであろう新入生は、少し疲れを見せながらも、筋トレについていっていた。一方で俺はというと、二・三年生たちの動きに注目していた。

 三年生は武智主将を初めとした九人。二年生は六人いた。顧問の教師はこの場には顔を見せていない。新入生の前だからか、全員が無駄口を叩くこともせず、真面目に練習に取り組んでいた。錆川はというと、マネージャーらしき女子と一緒に部員が使うであろう防具を拭いていた。

 今のところ、特段おかしなところはない。錆川を狙う、“白刃”のアマクサを名乗る襲撃者がこの剣道部内にいるかと思ったが、部員の中に錆川を恨んでそうな人間はまだ見当たらない。


「よーし! じゃあ次は素振りだ、全員竹刀を持て! 新入生の諸君は、まずは見ててくれ」


 武智主将はお手本とばかりに新入生の前に立ち、構えを取る。息を吸い込んで、素振りを行おうとした時だった。


「お疲れ様です」


 道場の扉を開けて、一人の男子生徒が入ってきた。校章の色を見る限り、どうやら二年生のようだ。ボサボサの髪型と眠そうな目つきをしていて、青いフレームの眼鏡をかけていた。


「倉敷! お前、新年度早々遅刻とはどういうことだ!」

「……すみません、武智先輩。教室でうたた寝してしまいました」

「理由はいい! さっさと道着に着替えろ」

「はい……」


 どうやらあの人が、さっき言っていた倉敷先輩らしい。どうも、固そうな武智主将とは対照的な人間のようだな。

 倉敷先輩は静かに制服を脱いで道着に着替えて、俺たちと合流した。しかしまだ眠そうな眼をしている。


「えーと、こいつらは何ですか?」


 目を細めながら、俺たちを不思議そうに見てくる。武智主将は呆れたような顔をした。


「お前なぁ、今日から新入生が仮入部してくるって言っていただろうが」

「ああ、そうでしたっけ? 副主将やってる、倉敷作彌くらしき さくやですー、よろしくー」


 気だるげに自己紹介した倉敷先輩に、こちらの気持ちも抜けてしまう。こんな人が副主将なんだろうか。


「ま、こんなヤツだが、実力はウチの部でもトップだ。去年は県大会の個人の部でベスト16に入った。一年生でな」


 県大会ベスト16という成績に、新入生たちがどよめく。この剣道部が強豪という話は聞いたことはないから、確かに快挙だ。


「でも、教えるのとか向いてないんで。指導は別の先輩から受けて下さいー」


 そんなどよめきをよそに、倉敷先輩は一人で体操を始める。


「んー……?」


 だが、何かを見つけたように声を上げると、体操を中断して先ほどとは打って変わってスタスタと歩いて行く。

 その歩みの先には、防具を手入れしている錆川の姿があった。


「ちょっとちょっとぉ、どういうことっすかぁ、これは?」


 そして倉敷先輩は、錆川に近づくと。


「つっ……!」


 その白い髪を掴んで、錆川の身体ごと髪を引っ張り上げた。


「お、おい! 倉敷!」

「なんでこのクソ白髪姫が、こんなところにいるんですかねぇ? オイ、二度とこの剣道場に足を踏み入れんなってオレ言ったよなぁ?」

「も、申し訳ありません……」


 髪を引っ張られているにも関わらず、錆川は当たり前のように謝罪を口にする。

 なんだこれは? いや、考えてる暇はない!


「やめろ!」


 俺は錆川に駆け寄り、身体を支えて痛みを和らげようとする。同時に倉敷先輩の腕を押さえた。


「オーイ、オイ、今度は何なのかなあ? 白髪姫はいつの間に、守ってくれる騎士ナイトサマまで手に入れちゃってんのかなあ?」

「何だはこっちの台詞だ! アンタ、いきなり何のつもりだよ!」

「ああ、ああ、新入生は知らねえのか。こいつはな……」

「人殺しかもしれない、だろ?」


 俺の返答に、一瞬真顔になった倉敷先輩。だけどすぐにその顔に薄笑いを浮かべた。


「へえ、新入生なのに知ってんのか。んで? そこまで知ってて白髪姫の騎士ナイトになろうとしてんの?」

「こいつに今死なれたら困る。それだけだ」


 倉敷先輩は何かを考えた後に、錆川の髪から手を放す。だが代わりに、今度はもう片方の手で、俺の腕を掴んだ。


「ま、勇敢なことで。だけどよ……」


 そしてその手に力が込められ、俺の手が倉敷先輩の腕から強引に剥がされていく。


「が、ああああ!」


 先ほどの気だるげな様子からは考えられないほどの力で、俺の腕が意志とは無関係に持ち上げられていく。握りしめられた腕から、激痛が伝わってくる。


騎士ナイト気取りたいんだったら……」


 そして強烈な前蹴りが俺の腹に炸裂した。


「ぐあっ!!」

「もうちょい、チカラ、つけな」


 蹴りで吹っ飛ばされた俺に、錆川が駆け寄ってくる。


「佐久間くん、大丈夫、ですか……?」


 錆川が俺の身体に手を触れると、腹の痛みは途端に引いた。代わりに錆川が自分の腹を押さえて、強烈に咳き込む。


「げほっ、ごほっ!」

「錆川、お前また……!」


「んん-、佐久間ぁ?」


 俺の名前を聞いた倉敷先輩は、何かに合点がいった様子で俺に近寄ってきた。


「なあんだ、もしかしてお前、裕子先輩の弟か?」

「だったらなんだってんだよ?」

「いやあ、なに。ケッサクだと思ってよ。姉貴殺した相手を、必死に守ろうとしてんだからよ」

「こいつは姉さんを殺したことは否定した。それに、こいつに死なれるのは困るんだよ」

「ま、いいや。武智さぁん、今日はちょっと休みますよ。こいつがいたんじゃ、練習なんてやってられませんからねぇ」


 そう言って、倉敷先輩は制服を持って剣道場を出て行ってしまった。

 事態を見ていた部員たちは唖然としていたが、俺は一つの可能性を考えていた。

 剣道部の部員で、姉さんの名前を知り、錆川を強く憎む人物。


 倉敷作彌。


 おそらくは、彼こそが――“白刃”のアマクサだ。

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