第3話 三人の勇者


 昼休み。

 俺は青田とアキが追及してくる前に、昼食を持って教室を飛び出した。二人が俺を呼び止める声が聞こえたが、構ってはいられない。

 A組の教室の前に着くと、こちらも授業が終わったようで、教師が教室から出てきた。


「よし……岸本に何か言われる前に、錆川を連れ出さないとな……」


 そう意気込んでいた俺だったが、A組の教室の中を見渡しても、岸本はいなかった。


「あれ、休みなのか……?」


 まあ、いないならいないで好都合だ。廊下側の席を見ると、錆川は普通にいた。俺に気づくと、弱々しい微笑みを浮かべて立ち上がる。


「こんにちは、佐久間くん。また会えましたね」


 『また会えた』。それは錆川がやはり、自身の死を身近に感じていることを意味していた。


「……錆川、ちょっと時間はあるか?」

「はい……構いませんよ」


 そう言って弱々しく微笑んだ後、錆川は弁当を持って立ち上がった。


「ここじゃ人目につくし、どこかゆっくり話せる場所はないか?」

「……それでしたら……良い場所を知ってます……」


 そう言うと、錆川はゆっくりと歩き出す。どうやら着いてこいということらしいので、俺は何も言わずにその後を歩いた。



「……なんだここは?」


 錆川が俺を連れてきたのは、部室棟にあった一室だった。おそらくは何かの部室なのだろうが、表札には何も書かれていない。


「こちらは……『文芸部』の部室だった部屋です……」

「『だった』?」

「今は文芸部は廃部になっていますので……」


 そう言いながら、錆川は鍵を使って部屋を開ける。意外にも中はまだ掃除がされているようで、埃っぽさはなかった。


「では、こちらにどうぞ……」


 錆川は近くにあった椅子に座るように促してくる。机もあったし、弁当を広げるには不自由しない。錆川の方もその向かいにある椅子に座っていたので、俺も向かい合う形で座った。

 お互いに弁当を広げて食事を始めるが、俺はこいつと仲良く昼飯を食べるために呼んだのではない。さっさと本題に入ってしまおう。


「錆川、アンタには色々聞きたいことがある。だから場所を移した。それはわかるな?」

「……はい」

「よし、じゃあ一つ目の質問だ。アンタと姉さんはどういう関係だったんだ?」


 現状、錆川が自分が姉さんを追い詰めたという主張が岸本を初めとした周りの人間たちに信じられている。つまり錆川と姉さんはある程度近い関係だったはずだ。


「……裕子先輩と私は、同じ文芸部に所属してしました……」

「なんだと?」

「この学園の文芸部は、中等部と高等部の生徒が一緒に活動していたのです……なので、私たちはそこで知り合いました……」


 ……なるほど、関係としては近いものがあるわけか。


「それで? アンタと姉さんは仲は悪かったのか?」

「いえ……裕子先輩には非常にお世話になってまして……私も……裕子先輩に憧れていました……」

「だとしたら、なぜアンタが姉さんを追い詰めたと主張しているんだ? ここまでの話を聞いてたら、アンタが姉さんを自殺に追い込む理由が見当たらないが?」

「……」


 錆川は少し気まずそうに顔を伏せた後、小さな声で言った。


「私の『体質』について……昨日お話しましたよね……」

「……ああ」

「裕子先輩も……私の『体質』について知っていました……」

「なんだって!?」


 姉さんもあの超常現象を目撃したというのか。


「私の『体質』については……同じ学年の生徒たちや、私に近い人たちなら知っている人は少なくないのです……」

「しかし、他人の傷を肩代わりする力なんて、他人に知られたらもっと騒ぎになってるだろう」

「直接目撃されない限りは……単なるオカルト話だと思われますから……私の『体質』を信じている人たちは……直接目撃した人たちだけです……」


 確かに、俺も直接見なければ、他人の傷を肩代わりする力など信じなかっただろう。そう考えると、あの力を知っている人間はこの学校内にほぼ限られているのかもしれない。


「姉さんは、アンタの『体質』については何て言っていたんだ?」

「裕子先輩は……この『体質』をどうにか私から取り除けないかと考えていました……」

「取り除く?」

「はい……裕子先輩は『その『体質』は、あなただけでなくきっとあなたの周りの人も不幸にする。取り除けないのなら、せめて隠して生きていた方がいい』と仰っていました……」


 姉さんは錆川の『体質』をどうにか治そうとしていたのか? 確かに人のいい姉さんだったら、錆川を助けようとしたのかもしれない。


「だけど、姉さんはアンタを助けようとしていたんだろ? それがどうして、アンタが姉さんを追い詰めたって話になるんだ?」

「私は……この『体質』を失うことなど考えられなかったのです……」

「なんだと?」

「この『体質』こそが……私の存在理由ですので……それを失うことなど考えられなかったのです……」


 確かに錆川は、『この『体質』を皆に役立てたい』と言っていた。だけど、俺からしてみれば、それは錆川が一生傷つき続けるということを意味する。

 姉さんも恐らくそう考えたのだろう。だから錆川の『体質』を取り除こうとした。そう考えればつじつまが合う。


「じゃあ、『体質』についての意見で、姉さんとアンタは対立したってことか?」

「そうです。そして……」


 錆川は震えた声になりながらも、こちらを見据えて、言った。


「裕子先輩が亡くなったのは……私が先輩の傷を肩代わりした直後なのです……」

「なんだと!?」


 そんなこと、俺は初めて知った。いや、そもそも錆川の『体質』を知ったのが昨日なわけだし、錆川が姉さんの傷を肩代わりしてしまえば、姉さんの身体にその傷は残らない。俺が知らなくて当たり前だ。


「裕子先輩はあの日……私の目の前で傷を負いました……ですから私がその傷を肩代わりするのは当然のことです……」

「当然のことって……まあいい、それはそういうもんだと解釈する。それで? その日は何が起こっていたんだ?」

「あの日……私はこの文芸部の部室に残っていたのです……そこに、裕子先輩がやってきて、『もうこんなことはやめてくれ』と私を説得したのです……」

「『こんなこと』っていうのは、他人の傷を肩代わりすることか?」

「はい……私はいつも、重傷を負った方の傷を肩代わりしていましたので……ですが裕子先輩は、それを快く思っていませんでした……」

「姉さんはアンタの行動を止めようとしていたのか?」

「そうです……ですが裕子先輩のその行為は、一部の人から快く思われていませんでした……」

「一部の人?」

「はい……傷を肩代わりしてもらいたい人たちです……」


 そう言われて、俺は考える。傷を肩代わりしてもらった側から考えれば、錆川の『体質』はもはや治癒能力と言っても過言ではない代物だ。なにせ、どんなに大きな怪我をしても、錆川に頼めばそれが無くなってしまうのだから。特に怪我をしやすい運動部の人間からすれば、喉から手が出るほど必要な能力だろう。

 だけどそれは、錆川にその苦痛を押しつけることに他ならない。いくら錆川が肩代わりした傷を一瞬で自分の身体から無くせると言っても、錆川は確かに苦痛を感じているのだ。自分の苦痛を他人に押しつけてそれで終わりで良いはずがない。


「裕子先輩が私を説得していた時でした……先輩は後ろから誰かに殴られて、私に覆い被さるように倒れたのです……」

「誰かって、アンタはそれが誰か見なかったのか?」

「その人は、ヘルメットで顔を隠していましたので……」

「それって、まさか昨日のヤツか!?」

「それはわかりません……とにかくその人は、裕子先輩を殴った後、部室を出て行ってしまいました……私はすぐに先輩の傷を肩代わりして……先輩は目覚めました……」

「それで、姉さんは大丈夫だったのか?」

「……裕子先輩は、傷を肩代わりした私を見て、こう言いました」


 錆川はなぜか、微笑みを浮かべる。


『私があなたの悲劇を終わらせる』


 そう言った錆川の微笑みは、姉さんが錆川に向けた微笑みと同じなのだと悟った。

 

「それが私が、裕子先輩と交わした最後の会話です」

「その後姉さんは……」

「はい、あなたのご存じの通りです……」

「……」


 やはり、そうか。姉さんが、あの明るかった姉さんが、ただ自殺したはずがない。

 姉さんは錆川を助けたかったんだ。他人の苦痛を引き受け続ける錆川を助けたかったんだ。

 姉さんがどうして命を絶ったのか。その全貌はまだわからない。だけどこれだけは言える。


 姉さんの死が、錆川を助けるための何かに繋がっている。


「ですが……それでも私は裕子先輩の行動には賛同できません……」

「なんだと?」


「私はどうせ、近いうちに殺されるからです」


 そうだ、昨日から一貫している錆川のこの発言。

『自分は近いうちに殺される』

 昨日のヘルメットの人物といい、錆川が何者かに命を狙われているのは確かなんだ。


「教えてくれ錆川。昨日の襲撃者は何なんだ? アンタはなぜ命を狙われているんだ?」

「心当たりは……あります」


 そう言うと、錆川は携帯電話を取り出し、画面を俺に見せてくる。


「これって?」

「私を殺そうとしている方々からの……宣戦布告です」

「は?」


 錆川が見せてきたのは、差し出し人が非通知設定のメールだった。そこにはこう書かれている。


『錆川紗雨、我々はお前の罪を自覚させ、必ず報いを受けさせる』


 だが俺が気になったのは、本文よりもその下に書いてあった名前だった。


『“白刃”のアマクサ、“空白”のアルジャーノン、“潔白”のバルマーより』


「この名前って……!」


 俺は記憶を辿り、この三人の名前を思い出す。

 そうだ、俺はこの三人の名前を見たことがある。なぜなら……


「この名前、姉さんの小説の登場人物だ……!」


 そう、以前見せて貰った姉さんが書いた小説。三人の勇者が白髪の魔王を倒しに行くという内容の小説。


 その三人の勇者の名前こそが、アマクサ、アルジャーノン、バルマーだった。


「じゃあ、襲撃者の目的は姉さんの敵討ちだってことなのか?」


 わざわざ小説の登場人物の名前を名乗るということは、襲撃者は姉さんの意志を代弁しているつもりなのかもしれない。


「おそらくは……そうなのかもしれません……それが理由なのであれば、私は殺されても仕方ないと思います……」

「……」


 だけど俺は知っている。姉さんは、そんなつもりであの小説を書いたわけじゃない。

 なぜなら……


「錆川、アンタが死ぬつもりでも、俺はまだアンタに死なれるわけにはいかない」

「え?」

「俺はアンタの『体質』が、姉さんの死に関わっていると確信した。だったら今アンタに死なれたら、姉さんの死の真相は永遠に闇のままだ」


 そう、姉さんは錆川の『体質』を知り、錆川を助けるために動いていた。ならば襲撃者は、姉さんの死について知っている可能性が高い。

「俺がこの三人が誰なのか突き止める。それまでアンタには生きていてもらう」


 だけど錆川は、俺を見ながら言う。


「私は……あなたに守ってくれと頼んでいませんが?」

「だからなんだ。俺は俺のためにアンタに生きていてもらいたいんだ」

「そうですか……しかし……」


 錆川は弁当を片付けて静かに立ち上がる。その目は鈍い光を放っていた。


「あなたが私を守り抜くのは、難しいでしょう……私は……生きていても仕方の無い存在ですから……」


 そして俺に背を向けて、部室の扉を開けながらこちらに振り返る。


「それでは、生きていたらまた会いましょう……」


 やはり錆川は、自分の命に全く執着がないように見える。しかし構うものか、なにがなんでもあの女には生きていてもらう。


 それが、俺と姉さんの願いなのだから。

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