第2話 魔王


 小さい頃から、姉さんは俺にとって尊敬の対象だった。


「ユーシくん、どうしたのかな?」

「あ、姉さん。あのさ、ここの問題がわからないんだけど……」

「ああそれ? 国語の文章問題だね。そういうのってね、難しく考える必要なんて無いんだよね。本文に書いてあることを、素直に受け止めて考えればいいんだね」

「素直に?」

「そう、素直に」


 姉さんはいつも俺に『素直であれ』と言っていた。俺はどうして姉さんがそう言うのかはよくわからなかったけど、姉さんは理由があって言っているのだとは理解していた。

 そう、姉さんはいつもいい加減なことは言わない。他人に真摯に向き合ってくれる。だから俺は姉さんを尊敬していた。


 そして……あれは姉さんが亡くなる一ヶ月前のことだった。


「ユーシくん、これを見てくれるかな?」

「なに、これ?」

「実はね……姉さん、小説を書いてみたんだよ」

「姉さんが、小説を?」

「そう、友達に勧められてね。それで、友達に見せる前にユーシくんにおかしなところがないか読んでもらいたくて」

「え、俺でいいの?」

「ユーシくんだからいいんだよ」


 やはり姉さんの言葉の意味はよくわからなかったが、小説の下読みに俺を選んでくれたのは、姉さんに認められたみたいで嬉しかった。


 小説の内容は、王様に選ばれた三人の勇者が魔王を倒すための旅に出るといったストーリーのファンタジー小説だった。それだけなら、特に目新しいストーリーではなかったが……


「あの、姉さん」

「なあに?」


「なんでこの魔王……白髪の女の子って設定なの?」


 そう、なぜか魔王の外見は一般的に想像されるおどろおどろしいものではなく、なぜか白い髪の美しい少女だと描写されていた。


「ああ、それはね……」



 ※※※



 入学式の翌日。つまり錆川紗雨と出会った翌日。

 当然のことながら俺は今日も学校に登校し、錆川に昨日のことを問いただすつもりでいた。


「と言っても、クラス違うわけだし、錆川に会えるのは昼休みか……」


 意気込んではいたものの、錆川が早めに登校しているかもわからないので、始業前に会うのは無理がある。そうなると昼休みにA組に向かうしかない。

 なので今できることは別にないということだ。錆川が気にはなるが、大人しくしているか。

 俺はそう考えながら教室に入る。俺のクラスである一年D組は、外部入学組であるからか、まだクラス内でも決まったグループが出来てはいなかった。俺もまだ青田以外に親しいクラスメイトはいなかったため、とりあえず席に着いて、昨日貰った教科書でも眺めようとした。

「よっと、前いいかな?」


 そう言いながら既に俺の机の上に座ってきたのは、茶髪を後ろで縛った明るそうな女子だった。髪を縛っている青いリボンが特徴的ではある。だが俺はこの女子とまだ話した覚えはない。


「……いきなり机に座ってきたな」

「まあいいじゃないの。同じクラスなんだし」

「なんだその理屈は……」


 なんだかよくわからない持論を振りかざす女子の名前を、記憶から探り出してみる。


「えーと、葉山はやまさん、だったっけ?」

「そ、葉山明菜はやま あきな。アキって呼んでいいよ」


 いきなりあだ名で呼ぶのを勧めてくるとは、随分と入り込んでくるな……


「じゃあそのアキは、何か俺に用なのか?」

「あー、そうそう! 佐久間くんさ! A組の錆川さんと愛の逃避行したらしいじゃん!」

「……は?」


 愛の逃避行? 何を言ってるんだこの人は?


「すごいよねえ、錆川さんがA組でいじめられてたところに乱入して、『俺が助けてやる!』って錆川さんを連れ出したんでしょ? それでそのまま保健室で、錆川さんと誓いの口づけを……」

「ちょ、ちょっと待てえ!」


 なんだなんだ、何が起こっている!? 確かに俺は昨日、錆川をA組の教室から連れ出して保健室に向かって……いや、だとしてもなんでそういうことになる!?


「あ、あのさ、アキは誰からその話を聞いたんだ?」

「え? 聞いたんじゃなくて、見たんだけど」

「なに?」

「昨日、A組で錆川さんがクラスの人に何かの理由で責められてたでしょ? 何が起こったのか気になったから様子見てたら、君が錆川さんの手を取って、教室から連れ出してたのを見たんだよ。いやあ、格好良かったよ。いかにもお姫様を助ける王子様って感じで」

「……」


 目をキラキラさせて語るアキを見るとどうも、ものすごい誤解をされている気がする。


「……ん?」

「え、どうしたの?」

「アキは、錆川がA組でいじめられていたのを見たんだよな?」

「えーとね、その部分に関しては、見たっていうより聞いてたんだよね。なんかA組の男子が錆川さんをすごく責め立ててたのは聞いてたんだけど、内容までは知らないよ。あれってなんだったの?」


 アキの言葉通りなら、どうやら彼女は錆川がなぜ岸本に責められていたのかは知らないようだ。それなら、その部分は伏せておいた方がいいか……


「つまらないことだよ。錆川がなんとなく気にくわないとか、そんな理由だ」

「ふーん、なんだ……そうだったの」


 アキは首を傾げながら、不思議そうな顔をする。しかしその直後に、にんまりとした表情になり、俺を見た。


「でも、佐久間くんはそんな錆川さんを見過ごせなくて助けに入って、それで錆川さんが君にホレちゃったと……」

「だからなんでそうなる!?」

「え、違うの?」

「……違う。俺はただ錆川に用があって訪ねただけだ」


 実際、俺は錆川に姉さんのことを問いただしに言っただけなので、嘘は言っていない。


「ほんとにー? 君も高校からの入学だよね? それなのに何で内部進学組の錆川さんに用があるの?」

「う、それは……」


 それを聞かれると、姉さんのことを話さなくてはならない。それはさすがに面倒だ。


「え、もしかして、君の方が錆川さんに一目惚れだったとか!?」

「ち、違う違う!」


 また話があらぬ方向に行こうとしているので必死に否定したが、そこに割って入ってくるヤツがいた。


「お、おい佐久間! お前昨日、錆川の名前知ってたのってそういうことだったのか!?」

「青田! お前いきなり入ってきて余計なことを言うんじゃない!」


 俺とアキの間に突然割り込んできた青田は、楽しそうな笑顔を浮かべて俺を見る。そうだった、こいつも色恋沙汰となれば首を突っ込んでくるヤツだった……


「やっぱり佐久間くん、錆川さんのことを……」

「佐久間、お前あんなこと言いながら、しっかり青春してんじゃねえか!」

「だから違う! お前らちょっと黙ってろ!」


 二人で盛り上がり始めた青田とアキを宥めているうちに、始業のベルが教室内に鳴り響いた。


「あ、もう始業か。じゃあ佐久間くん、後で続き聞かせてもらうからねー」

「俺にも聞かせろよ。いやあ、俺も負けてらんねえな」


 それぞれ席に戻る二人。……とりあえずこいつらを何とか振りほどいて、錆川に話を聞かないと。

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