錆川紗雨は今日も深手を負う

さらす

第1話 肩代わり


「私は近い将来、殺されるのです」


 俺の目の前にいる白髪の女は、そう言って微笑んだ。

 その顔は美しいと言えるものだったが、同時にまるで病人のような脆さを感じさせた。


「ですから、あなたが私に復讐するというのなら、早めの方がいいでしょう」


 白髪の女は、俺に背を向けると、その場を立ち去ろうとする。俺はその背中に声をかける。


「待ってくれ、アンタは一体何を知っている!?」


 白髪の女は、俺の質問には答えず、俺に振り向いてこう言った。


「生きていたら、また会いましょう」


 ※※※


 桜の花が咲き誇る道を歩き、暖かな風をその身に受ける。暦は今日から4月を迎え、いよいよ春も本番だ。そしてそれは、多くの人間の環境が変わる時期であることも意味する。

 この俺――佐久間雄士さくま ゆうしも例外ではなかった。桜並木の奥に見える、まだ新しい校舎を見て、自分の環境が変わることを強く意識させられる。

 そう、俺は今年、高校に入学する。数年前に創立された、私立柏原かしわばら学園高校に。

 柏原学園を選んだ理由は、単に家から近かったというだけではない。新設校とはいえ、この学校の偏差値は高い。そんな学校に、さして成績優秀でもない俺がどうしても入らなければならない理由があったのだ。


 なぜなら、俺は……


「おーい、佐久間!」

「……青田あおたか。久しぶり」


 俺の後ろから声をかけてきたのは、俺と同じく今日からこの高校に入学する、青田貴大あおた たかひろだった。俺がいた中学から柏原高校に入学するのは、俺の知る限りではこいつと俺だけだ。


「なんだなんだ、せっかく今日から高校生だってのに、暗いなお前は! このピカピカの校舎で輝かしい青春を送ろうって気はないのか?」

「悪いが、とてもそんな気にはなれない。なんせ『あの事件』が起きたのはこの学校なんだからな」

「あ……」


 青田は俺の言葉を聞いて、気まずそうに頭を掻いた。


「そ、そうだったな。ごめんな、無神経なこと言って……」

「いや、いいさ。それに、このことにお前を巻き込むつもりはないよ」

「……やっぱり、まだ気にしているのか?」

「当然だ」


 俺は青田の問いに、きっぱりと言い返す。絶対に、あの事件のことを風化させるつもりはない。


「青田、入学式までまだ時間があるから、俺はちょっと寄り道してから体育館に行く。先に行っててくれ」

「……わかった。でも、あんまり気に病むなよ」

「ありがとう」


 青田を先に行かせて、俺は体育館とは反対方向にある、校舎の裏に向かう。まるで人気のないその空間だったが、学校の敷地を区切る塀には、いくつかの花が手向けられていた。

 俺はその場で腰を下ろし、手を合わせる。


「姉さん……」


 そう、この場所は、俺の姉が命を落とした場所だった。


 一年前、この柏原学園高校の二年生だった姉――佐久間裕子さくま ゆうこは、校舎の屋上から身を投げて命を落とした……とされている。学校も警察も、姉が自ら死を選んだとして、事件としては捜査されなかった。

 だけど俺はそれに納得していない。あの活発な姉さんが自ら死を選んだとしても、そこには何か理由があるはずだ。俺はその理由をなんとしても知りたい。

 そして、もしその理由がこの学校に隠されているとしたら……俺はそれを知るためにこの学校に入学した。

 手がかりはない。それに俺は姉の交友関係も知らない。だけどそれでも歩みを止めることは出来なかった。


「あの……すみません」


 その時、俺の横から消え入りそうなか細い声が聞こえてきた。声の方向を見た俺は、思わず目を丸くしてしまった。


 そこに立っていたのは、長く白い髪を靡かせた、幽霊みたいな女生徒だったからだ。


 白髪の女生徒は細く、スラリと伸びた手足が印象的だが細すぎるせいでバランスが悪く、顔立ちは整っているもののどこかか不健康そうな顔色をしていた。

 そして何と言っても、その白い髪が一番異様だった。染めたというより、初めからそうであったように見えるほど、その髪の色は真っ白だった。白い髪が太陽の光を反射してキラキラと光っているのがまた彼女の異質さを際立たせている。

 なんだこの人は? 俺がそう思いながらジロジロ見てしまったのに向こうも気づいたのか、女生徒は髪を一房手に取った。


「あの、すみません。変、ですよね……こんな真っ白けの髪なんて……」

「あ、いや……」


 女生徒はまるで自分が悪いかのように謝ってきたが、謝るのは無遠慮に彼女を見た俺の方であるべきだ。だけど俺は、彼女の姿に見とれて、謝るのを忘れてしまった。


「あの……あなたは、今年から入学する人……ですよね?」

「え? ええ、そうです」


 柏原学園の制服は、学年ごとに校章バッジの色が違う。おそらく彼女はそれを見て、俺が今年からの入学だと判断したのだろう。


「ここで何があったか……ご存じなのですか?」

「あ、はい。実は……ここで亡くなったのは……俺の姉なんです」

「え……!?」


 俺がそれを告げると、白髪の女生徒はなぜか怯えたように後ずさった。


「あ、あの、どうしましたか?」

「あなたが……佐久間裕子さんの……弟……?」

「ええ、そうですが……なにか?」


 しかし女生徒は一転して泣きそうな顔になり、俺に近寄ってきた。


「あ、あの……?」

「ごめんなさい……」

「え?」

「ごめんなさい……ごめんなさい……私はあなたに取り返しのつかないことをしてしまいました……」

「え、ええ?」


 突然泣きじゃくりながら俺に謝ってくる女生徒。何が起こっているのかわからない。


「ですけど、ご安心下さい。もしあなたが私の死を望んでいるのなら、その望みはもうすぐ叶います」

「は……?」

「ああ、そうでした……まだ私の名前をお教えしてませんでしたね……」


 そして女生徒は、涙を拭って俺に微笑みかけた。


「私は、錆川紗雨さびかわ ささめと申します。生きていたら、また会いましょう」


 そう言って、錆川と名乗った女生徒はその場から立ち去ってしまった。


「なんなんだ……? あ、まずい。もう入学式の時間か」


 腕時計を見ると、入学式が始まるまであと五分となっていたため、俺は急いで体育館に向かった。



 入学式は滞りなく終わった。

 しかし一年前に校内で生徒が亡くなったこともあり、校長の話には、学校内で危険な行為はくれぐれも慎むようにという内容が含まれていた。まあ当然だろう。

 教室に案内された俺たち新入生は、担任教師からこれからの予定について聞かされていたが、正直俺はさっきの錆川という女生徒のことで頭がいっぱいだった。


『あなたに取り返しのつかないことをしてしまいました……』


 錆川は確かにそう言った。『取り返しのつかないこと』。俺が考えるに、思い当たる出来事はひとつしかない。


 それはもちろん、姉さんの死だ。


 もし錆川が、姉さんの死に関わっている人間だとしたら……取り返しのつかないことをしてしまったという発言も納得がいく。それに錆川は姉さんについては知っていても、俺については知らなかった。つまり今のところ、錆川と俺の接点は姉さんの関係者という点しかない。

 ならやはり、錆川は姉さんの死について何かを知っているということに……


「おい、おーい佐久間!」


 そう考えていると、青田に声をかけられた。いつの間にか休み時間になっていたらしい。


「なにボーッとしてるんだよ。気になる女子でもいたのか?」

「……お前は本当にそればかりだな」

「まあいいじゃねえか。それよりさ、内部進学組にすげえ女子がいるって聞いたか?」

「内部進学組?」


 この柏原学園は、中高一貫校だ。つまり高校には中学から内部進学した生徒と高校から入学した生徒がいて、高校一年生のうちは内部進学組のクラスと、外部入学のクラスにわけられているそうだ。


「そうそう、内部進学組にさ、髪が真っ白な女子がいるってんだよ! しかもそいつがさ……」


 青田は矢継ぎ早に言葉を繰り出してくるが、俺は次の言葉に衝撃を受けた。


「人を殺したんじゃないかって、噂されてるんだってよ」


 それは俺の疑念を、確信に変える言葉だった。


「青田……その女子は、錆川って名前か?」

「ん? なんだもう知ってるのかよ……」


「そいつはどのクラスだ!?」


 俺は思わず立ち上がって、青田の胸ぐらを掴んでしまった。


「な、なんだよいきなり……」

「すまん……しかし質問には答えてくれ。錆川のクラスはどこだ?」

「あ、ああ。確か一年A組だって聞いたぞ」


 俺は青田からの返事を聞くと同時に、すぐに自分の教室を飛び出した。

 やっとだ、姉さんの死から一年。やっとその理由の手がかりが掴めるかもしれないんだ。そう思うと、俺はいてもたってもいられなかった。

 校舎を駆け巡って、俺はやっと一年A組の教室の前に辿り着いた。今は休み時間だ、教室に入っても構わないはず。

 そう思って教室の扉を開け放った俺が見たものは――


「え……?」


 一年A組の生徒たちに囲まれ、その中心で苦しそうに踞っている錆川の姿だった。



 ……俺の目の前で、錆川紗雨がまるで民衆に糾弾される罪人のように、教室の中心でうずくまっている。白い髪で遮られてその表情はよく見えないが、口元は何かに耐えるように閉じられていた。

 しかし錆川を取り囲む生徒たちは、彼女に対して手を差し伸べることはしない。それどころか、全員が彼女を責めるように見下している。それは一目で異様だとわかる光景だった。


「なん、だ……?」


 目の前の光景に対する疑問を口にしたつもりだったが、上手く声が出なかった。そのせいで教室内のA組の生徒たちは俺の存在にまだ気づいていないようだ。

 そんな中、一人の男子が錆川に近づく。


「錆川紗雨、なぜお前が今、こんな状況に置かれているかわかるか?」

「……」

「なんでお前が俺たちに糾弾されているかわかるかと聞いているんだ」

「それは……」


 錆川は男子の疑問に答えようとするが、その前に男子は錆川の頭を踏みつけた。


「うっ……!」

「なんで即答しねえんだよ。やっぱりまだお前は自分の罪の重さをわかってねえようだな」

「……」


 あまりにも異様な光景に圧倒されていた俺だったが、さすがにこれはやり過ぎだ。だから俺は教室内に飛び込んだ。


「おい! お前ら何やってんだよ!」


 俺は生徒たちをかき分けて、錆川と男子の前に立つ。それでようやく俺の存在に気づいたのか、一部の生徒は気まずそうに顔を背けた。


「なんだお前? 外部入学組か?」


 しかし錆川を踏みつけている男子は、俺の登場にもまるで動じず、こちらを睨み付けていた。


「だとしたらなんだよ? 何があったのか知らないが、無抵抗の女子の頭を踏みつけるとか、明らかにおかしいだろ!」

「『おかしい』? そうか、お前にはそう見えるのか。内部進学のヤツなら、そんなことは言わねえ。やっぱりお前、外部入学のヤツだな?」

「内部とか外部とかどうでもいい! 今すぐその足をどけろ!」


 これだけ言っても、俺以外にこの男子を咎める人間はいない。それだけで、この空間が異常だということがわかった。

 しかし、相手の方は俺の顔を見ながら何かに気づいたような顔をし、錆川の頭に乗せていた足をどけた。


「……岸本だ」

「は?」

岸本灰南きしもと はいなん、俺の名前だよ。お前は?」

「……佐久間、雄士」


 なぜこの状況でお互いに名乗るのかよくわからなかったが、つられて答えてしまった。


「やっぱり……お前が佐久間か。じゃあ、よく聞けよ。こいつだぜ」

「え?」



「この錆川紗雨こそが、お前の姉貴を殺した張本人だ」


 

 …………?

 ……何を、言ってるんだ、こいつは?


 頭の中が纏まらない。岸本が言った言葉から、辛うじて単語をすくい取ることしかできない。


 『殺した』『お前の姉貴を』『姉さんは自殺だったはず』『錆川紗雨が殺した』


 数々の思考が俺の中を駆け巡っていくが、どうしても結論が出てこない。俺の知っている情報と、岸本の言葉がかみ合わない。だけど……


「ショックだよな。だけどこれは俺たちが導き出した結論だ」

「……どういうことだ」

「錆川紗雨が、アンタの姉貴……裕子先輩を殺したとしか考えられない。そういうことだ」

「……」


 俺は尚も踞っている錆川を見る。彼女は岸本の言葉に対して、否定も肯定もしていない。だから、俺が改めて質問をぶつけるしかなかった。


「本当、なのか……?」

「……」

「錆川紗雨、アンタが俺の姉さんを殺したって言うのか……?」

「……」

「答えろよ!」


 俺が叫ぶと同時に、錆川はようやく顔を上げて俺の顔を見据え、こう答えた。


「違います」


 小さな声だが、はっきりと、そう答えた。

 しかし錆川の言葉にはまだ続きがあったのだ。


「ですが……私がいくら『殺していない』と訴えたとしても……岸本くんたちは納得しないでしょう……それは仕方の無いことなのです……」


 殺していないと言っても納得しない?

 しかし、よく考えてみれば錆川が姉さんを殺したとなれば、それは当然警察が事件として扱うはずだ。だけどあの時、警察は姉さんの死は他殺の線は薄いと判断し、捜査を打ち切った。俺は納得できなかったが、警察はそう判断したのだ。錆川が警察をも欺いたというのだろうか。


「佐久間、騙されるなよ。こいつはお前の姉貴を殺した女だ。警察にも追及されない方法でな」


 岸本が釘を刺すように言ってくるが、この状況でそれを信じろというのも無理がある。


「警察にも追及されない方法なんてものがあるとは思えない。そうなると、アンタの言葉を真に受けるわけにもいかない」

「ま、そうだろうな。だから今から説明してやる。おら、こいよ錆川!」


 岸本は錆川の腕を引っ張り、自分の横に立たせる。そして筆箱から、カッターナイフを取り出した。


「よく見てろ、こいつの異常性を」


 そして左手で錆川の腕を掴んだまま、右手に持ったカッターナイフを思い切り振り上げ……


「お、おい!?」


 それを錆川の腕を握っている、自分の左手の甲に突き刺した。


「……!!」


 俺は一瞬、岸本の行動の異常さに恐怖し、硬直した。周りの奴らも、見ているだけで岸本に近づこうともしない。

 だが数秒後、我に帰った俺は、岸本に駆け寄る。


「お前、何やってんだ! 早く止血を……!」


 あれだけ勢いよく突き刺せば、傷は相当に深いはず。とにかく血を止めようと、俺はポケットからハンカチを取り出す。


 だが当の岸本は錆川の腕から左手を離し、平然とカッターナイフを片付けていた。


「お、おい。早く血を止めないと本当に危ないぞ!」

「血……? 俺のどこから血が出てるんだ?」

「え……?」


 岸本はナイフが刺さったはずの左手を俺に見せる。

 しかしそこには、傷などどこにもない、普通の手があった。


「な、なんで……!?」


 確かにこの左手には、深々とカッターナイフが刺さったはずだ。俺は慌てて岸本が机に置いたカッターナイフを調べる。カッターの方に何か仕掛けがあるのかと思ったが、それはオモチャでもなんでもなく、本物のカッターナイフだった。しかもそのカッターには、誰かを傷つけた証である、血が付いている。


「何が起こっている……!?」


 俺は岸本の方を振り返ると、その隣にいる錆川が左手を押さえているのに気がついた。しかもその左手から、赤い血が流れているのも見える。


「わかったか、佐久間? これが錆川の異常性だよ」


 岸本は平然とした顔で俺に語りかけるが、俺は未だ事態が飲み込めていない。


「まだわかっていないようだな。こいつはな……」


「待って下さい」


 岸本が何か言おうとしたのを、未だ左手から血を流し続ける錆川が制した。そして彼女は俺の前に立ち、血が流れる左手の甲を俺に見せつける。手の甲の中心には『まるで刃物で刺されたかのような』傷があり、そこから赤い血がとめどなく溢れだし、見るからに痛々しかった。


「佐久間くん、こちらをご覧下さい」


 錆川がその言葉を言うと同時に、信じられない光景が俺の前で展開される。


「なっ……!?」


 左手の甲にあった傷が、まるでビデオの逆再生のように、みるみるうちに治り始めたのだ。流れ出ていた血も、傷口に吸い込まれていくように錆川の体内に戻り、そこには岸本と同じく傷ひとつない手だけがあった。


「……手品か?」

「手品ではありません。今の現象に、タネもトリックもありません。そういう、『体質』なのです」

「『体質』って……今の超常現象が?」

「そうです」


 そして錆川は、自らの『体質』とやらについて説明を始める。


「私は……自分に触れた人間の傷や苦痛を肩代わりしてしまう『体質』なのです。先程は岸本くんが負うはずだった傷を、私が肩代わりしたということです」

「待て待て。全く意味がわからない。つまり……他人がアンタに触れている限り、その他人は傷を負わず、代わりにアンタが傷つくってことか? 比喩ではなく、物理的に?」

「その通りです」

「……そんな荒唐無稽な話を信じろと?」

「信じるかどうかは……佐久間くんが見た事実から判断して頂きたいのです……」


 確かにさっき、俺は岸本が自分の手にナイフを突き刺すのを見た。そしてその傷をなぜか錆川が負っているのも見た。


「そして、私が肩代わりした傷は、一分後に治ります。ですから先ほどの刺し傷も……瞬時に治ってしまったということです……」

「……そこまでがアンタの『体質』だっていうのか?」

「……その通りです」

「……」


 そこまで聞いて、俺は思った。


 この『体質』とやらは……錆川にまるでメリットがない。


 当たり前だ。他人の傷を肩代わりしてしまうなんて、生きていく上で障害でしかない。本来、全く別の人間が負うはずだった苦痛を、どうして肩代わりしなければならないんだ。

 そうなると、錆川はこの『体質』を呪っているはずだ。『なぜ自分だけが』と考えて当然だ。少なくとも、俺が錆川ならそう考える。


「だから私は、この『体質』を皆様に役立てたいのです」


 しかし錆川は、なぜかそんなことを言い出した。


「私は……どうしようもない人間です……生きていても仕方のない存在です……ですが私に、この『体質』があれば……皆様が負うはずだった苦痛を肩代わりできるのです……」

「ア、アンタ、何言って……」


「理解できたか? 佐久間」


 唖然とする俺に、岸本が声をかけた。


「こいつはな、自分から俺たちに頼み込んできたんだよ。『裕子先輩のことで、誰かを責めるなら、自分を責めろ』ってな」

「……なんだと?」

「俺も裕子先輩の自殺に納得できなかった。俺だけじゃない、先輩を知っている人間は誰も納得しなかった。だから先輩が死んだ直後は、みんなが疑心暗鬼になっていたんだ。『誰かが裕子先輩を自殺に追い込んだんだ』ってな」


 確かに、俺も姉さんの死に納得がいかなかったから、この学校へ入学したんだ。その気持ちはわかる。


「だがその時、錆川が『自分が佐久間裕子さんを追い詰めた。だから責めるなら自分を責めろ』って言ってきたんだ。だから俺たちはこいつを責めてるし、こいつが裕子先輩を殺したも同然だと思っている」

「し、しかし! さっき錆川は『殺していない』と言ったぞ!」

「確かに直接は殺してないだろうさ。だけど俺たちは、こいつが裕子先輩を追い詰める何かをしたと思っている」

「……錆川が誰かをかばっている可能性は?」

「それも考えたさ。でもな……」


 岸本は錆川の頭を掴み、机に叩きつける。


「あうっ!!」

「俺たちはもう……こいつが裕子先輩を殺したと思うしかねえんだ。こいつが他人の罪を抱え込んでいるとしても! 俺たちにそれを知る機会なんてない! だからもう、俺たちは……!」


 そう叫ぶ岸本の顔は……どこか悲痛なものを感じさせた。

 だけど、それは……!


「ふざけんな!」


 俺は岸本に掴みかかり、錆川の頭から手を離させる。


「なにしやがる!」

「そんなの……姉さんの死をダシに、錆川を虐げてるだけだろうが! 俺の姉さんを、そんなふうに利用するな!」

「こいつが裕子先輩を殺したって言ってるんだよ! だったらそれが真実だろ!」

「だとしても! 俺はまだ納得しない! 錆川からなぜ姉さんが死んだのかを聞かない限り、俺は納得しない!」


 だから俺は、錆川の手を取る。


「頼む、錆川と二人で話をさせてくれ。俺は……なんで姉さんがあんなことになったのか、どうしても知りたいんだ」

「……いいだろう。だけどどうせそいつは、『自分が追い詰めた』としか言わないだろうさ」

「それでもいい。じゃあ、来てくれ錆川」

「……」


 錆川は俺の言葉に黙って従い、一緒に教室を出た。



 俺は錆川と共に、保健室に向かった。傷が治ったのを見たとはいえ、もしかしたら痛みは残っているかもしれないと考えたからだ。


「保健の先生はいないみたいだな……」


 保健室は空いていたが、養護教諭の人はいなかった。俺は棚を見て、薬や包帯がないかを探しながら、錆川に質問する。


「錆川、本当にアンタが姉さんを追い詰めたっていうのか?」

「……私は、そうだと言っています……」

「だとしても、はいそうですかと納得はできない。さっきの『体質』とやらを見た後だと尚更だ」


 錆川は、自分の『体質』のことを『皆様に役立てたい』と言っていた。そこから考えると、彼女は傷だけでなく、他人の苦しみを全て自分が背負えばいいと考えている人間のように思える。


 だとすると、『姉さんを自殺に追い込んだ』という発言も誰かをかばってのウソの可能性があるのだ。


「俺はアンタに本当のことを言ってほしい。もしアンタが誰かをかばっているのなら、それこそアンタを許せない」

「……私は、許される必要などありません……それに……」


 錆川は、その青白い顔をなぜかほころばせた。


「私は……近いうちに殺されます……」

「は?」

「ですから、あなたが私と行動を共にするのは……あまりおすすめしません……」


 『殺される』。それは錆川の置かれている状況を考えると、冗談には聞こえない。

 一体何を言っているのか。そう問いただそうとした時だった。


「え?」


 保健室の扉が開け放たれ、廊下から奇妙な人物が入ってきたのだ。


「……」


 その人物は、学校指定とは違うジャージを着て、バイク用のフルフェイスのヘルメットを被り、手には金属バットを持っていた。ヘルメットのシールドはスモーク仕様になっていて、顔は見えない。

 なんだこいつは? 明らかに普通じゃない。だがそんなことを考えている暇もなく。


 ヘルメットの人物は、錆川に向かって走り出し、そのバットを振り上げていた。


「なっ!?」


 一瞬のことで、動きが遅れた。錆川はヘルメットの人物を見てもまるで動じず、攻撃を避けようともしない。

 ダメだ、あいつを止めるのは間に合わない。だから俺は咄嗟に……


「ぐあっ!!」


 錆川とヘルメットの人物の間に飛び出し、バットの一撃をまともに受けてしまった。


「ぐ、は……」


 頭からなにか温かいものが流れ出してくる感触があった。その上、視界がチカチカと弾け、意識が朦朧とする。

 なんてことだ。こんなところで、俺は死ぬのか。俺はまだ、姉さんのことも何もわかっていないのに。


 だけど俺のそんな思いも虚しく、視界は暗転していった……




 どれだけの時間が経ったのだろうか。


「はっ!!」


 俺は気が付くと、保健室の床に倒れ伏していた。まだ意識が朦朧としているが、頭の痛みは感じない。

 咄嗟に頭に手をやる。しかし手に血が付いた感触はなかった。

 立ち上がってみようとすると、特に問題もなく立ち上がれた。周囲を見渡してみると、さっきのヘルメットはもういない。


 だけどその代わりに、頭から血を流している錆川が床に倒れていた。


「お、おい!」


 錆川は、その白い髪を自らの血で赤く染め、眠るように目を閉じていた。

 そうだ、そもそもあのヘルメットの狙いは錆川だったんだ。じゃあ俺は、結局こいつを守れなかったのか……?


 しかし俺の目の前で、錆川は静かに起き上がる。


「錆川! よかった、意識はあるのか!」

「……ご心配……なさらないでください……すぐに……治りますから……」

「え?」


 その言葉通り、錆川の血がみるみるうちに頭の中に吸い込まれ、何事もなかったかのように傷が治る。赤く染まっていたはずの髪も、元通りの白になっていた。


「お前……まさか……」

「はい……佐久間くんの傷を……肩代わりしました……」

「……なんでだ」

「はい?」


「俺は、アンタと出会ったばかりの人間だぞ! それに俺は、アンタを許せないとも言った! そんな俺を、なんで助ける!」


 俺は、本当に姉さんを殺したのが錆川だとしたら、こいつを殺そうとさえ考えていた。なのに現実は、俺が錆川に助けられてしまっている。

 わからない。姉さんを殺したという錆川と、俺を助けた錆川、どちらが本当なのか。

 だけど俺の混乱をよそに、彼女は俺に微笑みかけた。


「私は……皆様の苦痛を引き受けるための存在ですから……当然のことをしたまでです……」


 ……どうかしている。

 岸本は、錆川は異常だと言った。もしかしたらあいつは、錆川の『体質』のことを指してそう言ったのかもしれない。


 だけど俺に言わせれば……その『体質』を誰かを助けるために躊躇なく使い、あっさりと苦痛を引き受ける錆川紗雨という人間そのものが異常だ。


「それに……先程も申し上げましたが……あなたが私と行動を共にするのはおすすめしません」

「……さっきみたいに、誰かに襲われるからか?」

「はい、私は近い将来、殺されるのです」


 『自分は近い将来、殺される』。それが事実として自分の目の前に迫っているのに、錆川はどこか満足気な表情だった。


「ですから……あなたがお姉さんのことで私に復讐しようとするなら……早めの方がいいでしょう」


 そう言って、錆川は保健室を出ようとする。だが俺は、まだ何も聞き出せていない。


「待ってくれ! アンタは……何を知っているんだ!?」


 だが錆川は、俺の質問には答えなかった。



「生きていたら、また会いましょう」



 その言葉は、錆川が自らの死を身近に感じていることの、何よりの証拠だった。

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