第16話 お手製ドリンク愛情120%入り

 夕食後。

 イブキが廊下のコーナーを曲がろうとしたとき、女の子とぶつかりそうになった。


「きゃ⁉︎」

「すまない、驚かせたな」


 これで五人目だ。

 なるべく地肌に触れないよう、バランスが崩れた体を支えてあげる。


「怪我はないか? どこか痛いところは?」


 少女はそっと胸に手を添えた。


「ここが少々……」

「胸が苦しいのか?」

「はい、心臓の辺りがジンジンします」

「歩くのが辛いなら部屋まで送っていこうか」

「あっ! すみません! やっぱり平気ですから!」


 顔を赤くしてトトトトッと走り去っていく。

 一度だけ振り返り、イブキと目が合い、ますます赤面している。


「院長さんのカレー、おいしかったです!」


 向こうが手を振ったので、イブキからも振り返しておく。


「どう対応すべきか迷うな……しかし胸がジンジン痛むという発言は気になる」


 忘れないうちに名前と症状を記録しておく。


 一連のやり取りを見守る四つの瞳があった。

 ミクとクマさんぬいぐるみだった。


「さっきの子……許せませんね……新参者でありながら東堂さんに色目をつかうなんて……」


 ペンをナイフのように握って木に突き刺した。

 怒りにまみれたペン先が3cmもめり込んだ。


 手元のメモ帳には、イブキの移動ルート、女子との会話、両者のリアクション等がつぶさに記録してある。


 これは風紀の乱れを正すためのパトロール。

 だからストーカー行為ではない。


「東堂さんも東堂さんなのです。優しすぎるのです。あれでは相手がつけあがります」


 包帯の上から首筋をガリッとひっかく。


「こうなったらミクが裁きを下すしかありません」


 メモ帳をめくり、末代まつだいまで呪うリスト、と書かれたページを開いた。


 すでに四つの名前が並んでいる。

 ぶつぶつ呪文を唱えながら、五つ目を書き加える。


 エロイムエッサイム、エロイムエッサイム……。

 グリモワールに眠りし赤き竜よ……。


「ザス・フォルス・ザ・デス……死なずの君ノスフェラトゥの姫の名において命ずる……黒鉄の亡霊ナイトメア……魂の狩人……地獄門ヘルズ・ゲート……双天そうてんことわりを狂わせ……神々なき世界が顕現けんげんせん……」


 十字架を切ってフィニッシュ。

 我ながら格好いいなと大満足するミクを、さわさわと夜風が包んだ。


「このヤンデレ少年院において、本当に恐ろしいのは誰なのか……ノスフェラトゥの逆鱗げきりんに触れたらどうなるのか……骨のずいまで教えてあげる必要がありますね」


 ぺったんこの胸を張り、チッチッチと指を振った。


 すぐにパトロールを再開させる。

 イブキの部屋までやってくる。


 話し声が聞こえたので、扉に耳を当てて、中の様子をうかがってみた。


「はい、これが約束のヤンデレ島マップです」

「わざわざ届けてもらってすまない。鬼竜の協力に感謝する」


 誰かと思えば、アカネであった。


「あれ? 院長さん、自販機のジュースを買ったのですか?」

「それは西園寺からもらったやつだ。何をお返しすべきか、迷っていてな」

「ふ〜ん……」


 ミクの心臓がドキンっと跳ねる。

 お返しのことで迷っているなんて嬉しすぎる。


「缶ジュースを受け取ったから、缶ジュースを返すのがフェアだと思っている」

「いいと思います。ミクっちは甘い飲み物なら何でも喜びます」

「なるほど、参考になる。明日あたり探してみる」

「頭をナデナデしたらもっと喜びます」

「ナデナデ?」

「末っ子キャラなので」


 ミクはガッツポーズをしまくった。


 ジュース一本くらいで頭ナデナデとは⁉︎

 ゆくゆくはお姫様抱っことか、フレンチキスとか、添い寝とか、いやらしい妄想が膨らんでいく。


 一年後にはプロポーズが待っているかもしれない。

 それからイブキの子どもを妊娠して、その一年後には一児の母になっていて……。


「それじゃ、おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


 アカネの背中が見えないことを確認したとき、渋みのある声が降ってきた。


「そこにいるのは西園寺か?」

「ひぇ⁉︎」

「やっぱりそうか」

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……すぐに消えますから」


 逃げたかったけれども、足腰が震えて動けなかった。


「部屋で話すか?」

「いや⁉︎ そうじゃなくて⁉︎」

「相談したいことがあったのだろう。だから俺をずっとマークしていたのだろう」


 尾行がバレていたとは⁉︎

 パニックのあまり目をぐるぐるさせる。


「おっしゃる通りです! ちょっと悩みを聞いてほしくて! でも東堂さんは忙しそうですから、出直してこようと思います!」

「いや、時間ならある。悩みを抱えたままだと眠れないだろう」

「はぅ……」


 ミクは椅子にちょこんと腰かける。

 難しそうな本とか、筋トレグッズとか、動物の骨でつくられたお守りが飾ってある。


 名前をつけるならワイルド&インテリジェンス。

 野性味あふれる部屋にドキドキする。


「ココアでも飲むか? さっき湯を沸かしたばかりだから、すぐに用意できる」

「いただいてよろしいのですか⁉︎」

「みんなには内緒な」


 思いがけない特別扱いだったので、好感度のバロメーターがぶっ飛んだ。


「東堂さん、あれは?」


 机に置かれてある分厚いノートを指さした。


「日誌だな。毎日つけるようにしている」

「今日の分もですか?」

「もちろん」

「よ……よ……読ませていただいてもよろしいですか⁉︎」

「書きかけだが、それでもいいのなら。記憶の定着につかっているから、面白い内容ではないぞ」


 ミクにとってはお宝に等しい。


「では、拝見いたします」


 ヤンデレ島へやってくるシーンから書かれてある。

 移動のフェリーでイルカの群れを見たらしい。


 期待が半分。

 不安とプレッシャーが半分。

 イブキらしい率直な文章で心境がつづられている。


 自分の名前を見つけた。


 西園寺ミク。

 ヤンデレ島で最初に出会った少女。

 体の線は細いが、頑張り屋さんで親切心にあふれる。


「はぅ……」


 嬉しすぎる。

 日誌に出てくる自分は、優しくて、気が利いて、ひたむきで、素朴そぼくさがあり、少女漫画の主人公みたいに愛らしい。


 ミクは覚悟を決めた。

 クマさんぬいぐるみのファスナーを引っ張り、中から茶色い小ビンを取り出した。


「これは東堂さんへのプレゼントです。ミクからの気持ちです。受け取ってくれませんか?」

「もらってばかりで悪いな。市販のジュース……じゃないのか」

「疲労回復ドリンクです。翌朝はスッキリと目覚めます」


 いでみると甘ったるいビタミン臭がする。


「本当に俺が飲んでいいのか? 元はといえば自分のための栄養剤だろう」

「東堂さんのことを考えながら一生懸命つくりました。ミクがお役に立てることは、これくらいしか思いつきません」


 天使のスマイルを向けられる。


「西園寺はいい子だな。思いやりの心がある」


 これは少女の親切心。

 飲まないことは拒絶に等しい。


 液体がのどを滑り落ちるとき、ミクはうっとりと目を細め、自分の指にキスをした。

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