第8話 月と闇に魅入られし乙女

 無事にガソリンを入手した。


 ミクがこの日一番のハイテンションになった。


「いまこそ混沌カオスの眠りから目覚めるのです! 我が騎乗きじょう! リトルタイガー号! 聖水ソーマを食らいし聖獣のパワーを見せつけてやるのです!」


 主人のやる気に応えるように、ゴロロロンッ! と愛車もえまくる。


「安全運転でいいからな」


 イブキは助手席からくぎを刺しておく。


「わかっています。東堂さんは勝ち馬に乗ったつもりでいてください」

「大船に乗ったつもりの間違いではないだろうか?」

「いいえ、勝負です。油断すると死にます」


 ミクの顔には自信がみなぎっている。

 プライドをへし折るわけにはいかず、俺に運転させてくれ、とは切り出せないイブキであった。


「ミク=アレクサンドラ=西園寺! またの名を死なずの君ノスフェラトゥの姫! 出撃します!」


 いったん走り出した車体は、みるみるスピードを上げていき、絶景の中をぶっ飛ばしていく。


「ひゃっほぃ!」

「少しアクセルを踏みすぎではないか?」

「リトルタイガー号がいうことを聞かないのです! もっと速くとかすのです! くっ……油断すると手綱ハンドルを持っていかれます!」


 下り坂のところでトップスピードを記録する。

 水たまりを踏んだとき、パシャリ、と水音がした。


「丘の中ほどに赤い建物があるな」

「あれは神社の鳥居とりいなのです」


 ミクは石段の入り口でブレーキを踏んだ。


 奥のところに社殿しゃでんの一部が見える。

 そこまで続く坂道は木々のカーテンに囲われている。


「この島にも神様がいるんだな。みんなで来ることもあるのか?」

「はい、ハイキングの目的地として訪れたとき、境内けいだいの掃除をしています。降りてみますか?」

「いや、またの機会にしよう」


 ミクは相づちを打ってからドライブを再開させた。


「ノスフェラトゥの姫というのは、西園寺のニックネームなのか?」

「なっ⁉︎ なっ⁉︎ ななななっ⁉︎ なぜ東堂さんがその二つ名をご存知なのですか⁉︎」


 ミクは首筋までまっ赤になった。


「いや、さっき西園寺が自分のことをそう呼んだから」

「アハハハハ……見苦しい姿を見せてしまいました……」


 イブキは声に出さないように笑った。


 思春期のど真ん中なのだ。

 根拠なきアイデンティティーを渇望かつぼうするのも無理はない。


「あそこの木……上のところに誰かいるな」

「それはきっとエリカちゃんです」


 ミクはスピードを落として、窓から首を出した。


「お〜い、エリカちゃん!」


 返事をするように、シャリン、と鈴の音が降ってくる。


 木の上で女の子が寝ている。

 Y字になっている部分をベッド代わりにしている。


 オオカミのように凛々りりしい少女だとイブキは思った。


 月光みたいな銀髪を風になびかせている。

 耳にかかるひと房を三つ編みにしており、その上から黒いリボンを巻きつけている。


 シルバーロングという髪の珍しさも、ファッションの奇抜きばつさに比べたら驚くに値しない。


 白衣に緋袴ひばかまという巫女服をまとっているのだ。

 神社から抜け出してきたような服装で、腰のところから狐面きつねめんをぶら下げている。


 エリカは子猫みたいに目をこすった。

 4mはあろうかという高さから軽々と着地を決めた。


「誰かと思えばミク殿……ごきげんよう」

「聖水ありがとうございました。とても助かりました」

「いえ、礼には及びませぬ」


 あまりの美少女っぷりにイブキは息を飲む。


「はじめまして。月城つきしろエリカと申します」


 ガラス玉のように色素の薄い瞳を向けてきた。


「東堂イブキと申す者だ。新しい院長として赴任してきた」

「イブキ殿、以後お見知りおきを」


 おじぎをされたとき、シャリン、とおごそかな雰囲気が広がる。


「月城はいつも巫女装束しょうぞくなのか?」

「はい、タイトな服だと息が詰まりそうになります」


 音の正体もわかった。

 狐面からふさつきのひもが垂れており、わえられている真鍮しんちゅうの鈴が、シャリン、シャリン、と邪気をはらうように鳴る。


 入所者のデータを思い出す。


 月城エリカ、17歳。

 フィンランド人とのハーフ。


「エリカちゃんも荷台に乗っていきませんか?」


 ミクが誘ってみたが、エリカはやんわり断ってから、地面に置いてあった弓と矢筒やづつを拾い上げた。


「我は月と闇に魅入みいられし者なり」


 女神のような顔に狐面をつけてから去っていった。


「なあ、西園寺。さっきのセリフはどういう意味だ?」

「私は夜行性ですから、と主張しています。エリカちゃんはお昼寝が趣味なのです」

「みんなと群れずにお昼寝するなんて、まさに一匹狼だな」


 ヤンデレ島で二番目に出会ったのは、不思議な目の色をした少女であった。

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