第6話 心優しき弓神アルテミス

 座ってから数分もしないうちに、ミクがこっくりこっくり船をこぎはじめた。


「はっ!」と目を覚ましたかと思いきや、「すぴ〜」と睡魔すいまに負けてしまう。

 しばらく寝たかと思いきや、赤ちゃんのようにお口をモグモグさせる。


 起きたまま夢でも見ているのだろうか。

 愛らしかった瞳だってジト目になっている。


 ミクの体がこちらに傾いてきた。

 イブキに接触してしまい、ひとりで大慌てしている。


「ひぇ⁉︎ すみません!」

「気にするな」


 ミクが頭をユラユラさせて寝落ちしたので、イブキは声に出さないように笑った。


「さてと……」


 立ち上がったとき不思議なことが起こった。


 シャリン、と鈴の音が聞こえたのである。

 シャリン、シャリン、シャリン、と足音のように近づいてくる。


 ここから100m。

 ここから95m。

 ここから90m。


 そこで音はピタリと止まった。


空耳そらみみ……ではなさそうだが……」


 殺気のようなものは皆無。

 けれどもねばっこい視線だけは感じる。


「このプレッシャーは人間というより……」


 感情を持たない殺人マシンか。

 あるいは見えない捕食者プレデターから狙われている気分だ。


「あれ? どうされましたか?」


 目を覚ましたミクが、ふわあ、と大きなあくびをもらした。


「誰かいる」

「どこにも姿が見当たりませんが」

「90mの距離だ。俺たちの存在に気づいている。いまは立ち止まってこっちを見ている」

「小さな野生動物ではないでしょうか。私たちを警戒しているのかもしれません」

「どうかな。そういう愛らしい存在だったら嬉しいが……」


 イブキが目を細めたとき、鈴の音に混じって、小さな光が飛来ひらいしてきた。


「西園寺、伏せろ!」


 光の筋と思ったのは飛矢だった。

 あと2mずれていたら、ミクをかばったイブキの背に刺さっていた。


怪我けがはないか?」

「私は大丈夫です」


 次を射るまでに10秒はかかるはず。

 冷静に計算しながら、刺さっている矢を回収して、ミクを物陰まで退避させる。


「とんでもない名手だな。100m先からでも悠々ゆうゆうと狙ってくるぞ。弓矢をつかう人物に心当たりは?」

「これはエリカちゃんの矢です。弓道の達人なのです。狙った的は外しません」

「さっきの一撃はしくもれたように思えたが……」

「違います! それは勘違いです!」


 ミクはぶんぶんと首を振る。


「わざと木を狙ったのです。エリカちゃんは人を傷つけませんから。その証拠に、ほら、矢に手紙を巻いています」

「なんだと⁉︎ 矢文やぶみだったのか⁉︎」


 殺意が感じられなかったのも納得である。


「さっそく読んでみましょう。きっと東堂さん宛てのメッセージです」


 折りたたまれていた和紙には、とても美しい文字で、


あまつ国より来たりし男神おがみ、月の裏側に住まいし女神、ふたつのレゾンデートルが交わりしはなかつ国』


 と詩文のような言葉が並んでいた。


 イブキが、はぁ? と小首をかしげる。


「俺の読解力では意味がわからないのだが……」

「ええとですね……この広い宇宙の中で私とあなたは出会ってしまった。だから仲良くしましょう。……そのようにエリカちゃんは主張しています」

「いちおう歓迎されているのか?」

「もちろん! 大歓迎です!」


 そんな会話をしていると、さっきと寸分すんぶんたがわぬ軌道で矢が飛んできた。


 タンッ!

 一撃目から数ミリしか離れていないポイントに命中させてくる。


「これは驚いたな。敏腕びんわんのスナイパーでもここまで正確には狙えない」

「エリカちゃんにとっては朝飯前なのです。次はミクに宛てた手紙のはずです」


 二通目の矢文を開いてみると、


『約束されし世界樹ユグドラシルのたもとに、聖なる水は封印されし』


 というメッセージが書かれていた。


 イブキが、はぁ? の表情になる。


「これはどういう意味だろうか? 言葉の奥に秘められたニュアンスがいまいち理解できない」

「おお! 聖なる水です! これは聖水ソーマのことを指しています!」

「そーま?」

「リトルタイガー号のエサなのです!」


 なるほど。

 ガソリンのことか。


「ミクの戻りが遅いので、心配したエリカちゃんが助けにきてくれたのです。本当に女神様みたいな人です。時代が時代ならオリュンポス十二神の仲間入りです」

矢を射かける者イーオケアイラの称号を持つ女神アルテミスというわけか。たしかに再来と呼べる弓の腕前だな」

「そうです。エリカちゃんは色々な方面で神がかっているのです」


 ミクが嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねる。


「まあ、エリカちゃんと比べると、ミクなんて生まれてきてごめんなさいレベルのポンコツ大魔王というか、ミジンコやアオミドロと互角くらいのクソ雑魚ざこナメクジ、むしろ二酸化炭素を排出するだけ性質たちが悪いおじゃま人間なのですが……」

「それは彼女が優秀すぎるという解釈かいしゃくでいいのか?」

「ふふ……どっちでしょうかね……あはは……」


 ミクが壊れかかっている。


 真面目な性格だから、劣等感にさいなまれやすいのではないかと、心配になるイブキであった。

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