『希』第五話

ガヤガヤと騒がしい雑音、固定カメラで撮影している舞台の映像とは違い、手ブレの酷い画面…居酒屋?

ガクン、と揺れた画面の後に映ったのは、顔の赤い出演していた仲間。

「お疲れ、ほい、今日の感想をどうぞ!」

「感想ー?いや、それ酔う前に言ってよ…今全然言葉出てこないし。あーっと、え、僕これの一人目?えーーっと…」

この居酒屋の壁紙や店内の様子も、うっすらと見覚えがある気がしてきた。

これは…終演後の打ち上げだ。

手ブレの酷いカメラは、ふざけながら団員一人一人の顔を映して、一人一人に今日の感想を問う。

真面目に答える人もいれば、もう酔っ払っていてふざけている奴もいる。話にならない奴すらいる。

手ブレはずっと酷い。撮っていたのは誰だったっけ?

間違いなく撮影者も酔っているブレ方だ。

…とても嫌な予感がしてきた。

この時は初の主演が終わり、誰よりも飲まされた打ち上げだった。

酒には比較的強い方だと思っているし、飲み会はどちらかというと端でゆっくり飲んでいたり仲間の介抱に回る立場になりやすい。

そんな俺が、この日の打ち上げばかりはほとんど記憶がなかった。

こんなビデオを撮っていたことさえ覚えていないくらいに。

このまま見続けたら、何をしていたか全く覚えていないが、きっと酷く酔った自分の醜態を見ることになる…

止めよう。

もう一度DVDプレーヤーに手を伸ばして——


「おい、ゆうま!」


俺の声が、俺の名を呼んだ。



手ブレの酷いカメラはまたぐるんと揺れて、声のした方向…画面の中の俺を映した。

画面の中の俺は、顔を真っ赤にしてやはり酷く酔っていた。

演技でもしているのかという程の、いつもの俺なら絶対にしない、満面の笑みで。


「俺さ、お客さんに楽しんで貰いたいわけ。

でも今日さ、それだけじゃなくてさ、何より俺がずーっと楽しかった!

俺さー、舞台にいる時がいっちばん幸せなんだよ。楽しいんだよ。

このために生きてるんだなーって!

今日さ、主演って夢叶ったけど俺まだまだやるからさ、俺欲張りだから!

ちゃんと俺の役者人生見ててよ、そんでまた撮りに来い!」





家を飛び出した。

全力疾走で家から一番近くの高架下を目指した。

自分でも分からない。

こんなに走る意味も、それに向かう理由も。

DVDの自分の声に押されているとしか思えなかった。

心臓から何かが漏れる前に、喉元まで迫っているこれが飛び出す前に、早く、声が出せる場所に。

大声が出せる場所に。

発声練習が、今すぐにしたい。


…DVDの俺に話しかけられたのかと。

一瞬、飛び跳ねそうな程驚いたが、最後の言葉で思い出した。

DVD制作のために来た撮影スタッフの名前。

たまたま同じ名前であることがきっかけで仲良くなった撮影スタッフだった。

打ち上げの様子を撮っていた撮影スタッフを、酔った俺がふざけて敢えて名前で呼んだ。ただそれだけのことだった。

それだけのこと。

それだけのことに、こうして突き動かされる自分が情けない。

座長がDVDを見ることを勧めた意図に、今更気付いた自分が情けない。

何より、酔っぱらった昔の自分なんかに救われる自分が、情けなかった。


辿り着いたのは川沿いの高架下。この街に引っ越してから見つけた練習スポット。

思い切り大声が出せる場所ではあるが、あまりにも大きい電車の通過音にじぶんの声までかき消されてしまうから、発声練習の場にはならないかった。

でも今はそんなことどうでもよかった。

タイミングよく電車の近付く轟音が聞こえる。

全力疾走で疲れた肺に追い討ちをかけて、引きちぎれそうな程息を吸う。

轟音が近付いてくる。

今、だ。


「————————————————!!!」


飛び出そうな程早鐘を打つ心臓が痛い。

酸素の足りない頭が痛い。

息の吸い方、吐き方、発音、一斉に無視してただ自分から出る最大音量を喉から絞り出した。

こんなの発声練習だなんて言えない。

咆哮だ。

やけに視界が歪むと思ったら、涙だった。



電車が通過した後に残ったのは、なぜか鮮明に聞こえる川の音、ひりつく心臓の悲鳴、耳の奥の耳鳴りだけになった。

無理やり使った喉が痛い。

心臓も肺もまだ痛いし息切れる。

僅かな物音がしたので振り返ると、自転車を引いたジャージ姿の学生二人組が俺を見ていた。

近所迷惑、と言いたげな鋭い視線。

今日、全く上手くいかな俺の演技を見ていた周りの目と同じだった。

だがもそんなのどうでもよかった。

ジャージかあ、運動系の部活か。

なんてことをぼーっと思うくらい、視線なんてどうでもよくなっていた。


辞めようか、なんて本気で思っていないのによく考えついた言葉だ。

辞められる訳がないのに。

才能・運なんてもののせいにして馬鹿みたいだ。

周りのものばかり気にして怖がって馬鹿みたいだ。

全部俺が俺のために選んだ人生なんだから。

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