第35話 ノゾキ未遂事件の後、勇者は語る。

 気がつくとベッドの上にいて傍らには分厚い革表紙の本を読むエレンが椅子に腰掛けていた。俺が意識を取り戻したことに気がついて、本をパタンと閉じて俺の顔をのぞきこんでくる。その顔に浮かぶのは不安と焦燥、恐怖だろうか。


「すまない」


 開口一番、彼女は俺に頭を下げてきた。長い髪の毛が頬に掛かるのを払いのける。


「なんで、謝る?」


 ノゾキをしようとしていたのは俺なのだ。責められこそすれ謝られる覚えは無かった。居たたまれなさから頭を下げるエレンから離れるように身をねじり、ベッドの端のほうで体を起こした。


「君は本当に弱いんだな。何があったんだ?結界を張っているから魔物が入ってきたとは思えない。でも、君は風呂場の前で倒れていた。私に助けを求めにきたんだろう」

「っ!」


 すみません。覗こうとしてました。もっとも、そんなことを言えるはずも無く黙っていると、彼女の言葉が続く。『言い訳士』って言い訳しなくても、周りがいい解釈してくれるのか?


「あの時、冷たい空気が流れ込んできてたんだ。その、もしかしてレインリザードが出たのか?」

「レインリザード?」

「これくらいのトカゲだ。魔物ではない。だから、結界を抜ける可能性はある。普段は地中で生活しているトカゲの仲間なんだが、雨が降ると地中から出てくるんだ。連中は冷たい息を吐く」

「あ、ああ、た、たぶん。それだ」


 すみません。冷たい空気は俺が流しました。


「そうか。レインリザードは危険な動物ではないんだがな…君の世界は本当に安全な世界なのだな。魔物もいない、剣を使うものも魔法を行使するものもいない。平和な世界か…」


 すみません。恐ろしいのはいます。ノゾキとかもいます。魔物はいないけど、人間が怖いです。平和じゃないです。あちこちで戦争やってます。


「うまく想像ができないんだ。それに…すまない。君には何の罪も無いというのに。私が間違って召喚したがばっかりに、こんな危険な世界に連れてきてしまったの言うのに。たった数日の間に4度も気絶するほど君は弱いというのに…」


 すみません。四回目は自業自得です。ノゾキを企てた俺の自爆です。反省してます。


「私はその、人付き合いがあまり得意じゃないんだ。12歳のときに、教会の洗礼式で私の天職が勇者だとわかってから生活が一変した。ただの田舎娘でなかった私を、国の偉い人たちが迎えに来て訓練を付けてくれた。本当は料理人になりたかったんだけどね。でも、勇者である以上、私には責任がある。

 訓練訓練訓練の毎日で、私には人とコミュニケーションをとる必要なんて無かったから。周りにいるのは大人ばかり、私は魔王を倒す勇者として大事にされてきた。訓練さえしていればそれでよかった。周りにいたのも男ばかりで、いつの間にかこんな性格になってしまっていた。

 子供の頃はもっと女らしかったと思うのだけど…。でも、そんな私を強くするためだけに、一緒に魔王を倒すためにいただけにいた人たちだったけど、私には大切な仲間だったんだ。それが全滅した。私には、勇者の特性として女神の加護が与えられている。人よりもはやい成長速度に加えて、魔に属するもの、魔物や魔族に対してのみ、ステータス以上の力が発揮される。それでも、それでも、通じなかった。

 もう駄目だと思ったとき、賢者のヨハンはその身を犠牲にして、君を召喚するための魔方陣を作り上げた。君を召喚したのは私だ。でも、それには共に戦ったみなの思いが込められていた。だけど…」

「召喚したのは俺みたいなクズだった」

「違う!君に責任は無い。召喚した私が未熟だったんだ。なのに、仲間の命を犠牲にした召喚術の責任を君に向けた。最低だろう。君はただの犠牲者だというのに。平和な国からこんな争いの絶えない世界に連れてこられてさぞや地獄だっただろう。なのに、わたしは、そんな君を邪険に扱っていた」

「そうなのか?」


 なんだかんだと言いながら、助けてくれたじゃないか。沈痛な面持ちでエレンが首を左右に振る。


「温泉で君を一人にしたとき、いっそのこと君が死んでもいいかと思っていたんだ」

「そ、それは、そこまでぶっちゃけなくても」

「君の事は必ずなんとかする。だから…」

「ちょっと、待ってくれ」


 俺は布団から這い出て立ち上がった。


「人付き合いが苦手なのは俺のほうだ。エレンは悪くない。目の前で仲間が殺されたんだ。動揺するのは当たり前だろう。なのに、俺は自分のことばっかりで…」

「でも、それは、私が巻き込んだから」

「いいから、聞けって。だって、エレンはまだ16なんだろ。偶然にも俺の妹と同じ年齢だ。妹と同じって考えたら、16なんてまだまだガキだ。生意気なことばかり口にするけど、やっぱりガキだ。しっかりしなきゃならないのは俺のほうなんだ。8つも上なんだから」

「わたしだってすでに成人してる」

「成人したら大人だって言うのか?それなら、おれは立派に大人をしてなきゃいけない。けど、俺は胸を張って大人だなんていえやしない。仕事もせずにうだうだと毎日生きていただけだ。俺を召喚してしまったとか思わなくて良い。どうせ、元の世界に未練なんかないんだ。さすがに、ここで放り出されたらたまらないけど、アルバイン大陸に連れて行ってくれたら、あとはまあ、自力でどうにかするよ。俺はクズだから、これからも情けない事言うだろうし、自分本位になるかもしれないけど、出来る限り自重する。良く考えたら、8つも年下の子供に、わがまま言ってたなんてハズすぎるわ。ちょっとずつだけど、俺もレベルは上がっているし、人並みには近づけると思う。だから、気にするな」

「ありがとう」

「…真面目な話は苦手なんだ。これきりにしてくれ」

「分かった。じゃあ、昼ごはんにしよう。おなか空いただろ」

「あ、ああ」


 話を終えると、エレンは少し晴れやかな顔になり寝室から出て行った。エレンの人となりが少し分かった気がする。俺はクズだが、妹に頼ろうとは思わない。同じ16歳の女の子にこの先も頼りっぱなしってのもないだろう。だから、もう少し俺はちゃんとしなきゃならないと決意を新たにする。

 ノゾキ未遂事件の結末が何故こんなことになったのかがわからないわけだが…。

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