第34話 魔法の無駄遣い

 地すべりに流されること数十秒、行き着く先は何も無い宙空。


「だあああああああああ」

「うるさーい」


 谷間に放り出されて絶叫を上げる俺を、エレンが冷めた目で突き刺してくる。一瞬感じた無重力ののち、すぐに重力という名の力が俺たちを掴み取った。勢い良く落ちていく俺の手を取り、エレンは冷静に魔法の力を構築する。

 眼下に見えるのは谷間に流れる細い川。

 地滑りに使っていた土のボードでは川に沈んでしまうからと、今度は氷のボートを展開する。

 氷のボードが水しぶきを立てて川面に着水し、少し遅れてエレンと俺がその上に着地する。着地の瞬間、ふわりと上昇気流が巻き起こり落下の衝撃を相殺する。俺が宿の二階から落下したときに出来なかったことだ。


「なんでもかんでも簡単にやりやがって」

「文句言ってる暇があったら、しっかり捕まってなさい」


 川の流れは割りと早く、エレンの腕をしっかり握っていなければいつ振り落とされるか分かったものではない。っていうか、なんでエレンはこの不安定な筏モドキの上で安定して立っていられるのかといろいろと思うところはあるけども、目の前に迫ってくる大岩に意識が持っていかれる。


「おいおいおい、ぶつかるぞ」

「いちいち耳元で叫ばないでっっと」


 彼女はそういいつつ、俺の手をとったまま右手の剣を一振り、大きな岩が吹き飛んだ。斬ったわけでもなく、破壊したわけでもなく、巨大な岩を弾き飛ばした。

 は?

 なんで?

 意味が分からない。


 進路を妨害するような岩や流木があればエレンが弾き飛ばし、ちょっとした落差があってもエレンが氷のボードごと空を飛ばす。二人の進みを妨げるものは何も無かった。

 そのまましばらく進んだところで、森に続く川原が見えてきたのでエレンが氷のボードを砂浜へと寄せていく。


「助かったのか?っていうか、このまま川を下れば海に出られたんじゃないのか?」

「海に出てどうするのよ」

「アルバイン大陸に渡るんだろ」

「いやいやいや、海をどうやって渡るのよ。船が無きゃ無理よ」

「氷の船なら作れるんじゃないのか」

「もっと無理よ。ほら、それよりいくわよ。で、どっちに行けばいい?」

「何で俺に聞く」

「だって、君は町の方角が分かるんだろ」

「ああ、そういうこと。そんなに細かくは分からないけど…」


 俺はリモコンを操作して、dメニューを開いた。

 『アザザシ山で土砂崩れ発生』

 もはやいまさらとしか思えないテロップが流れてくるのを見ながら地図の表示を拡大する。どうやらdメニューの天気予報は、基本的に現在地を中心に表示してある。

 北西に魔王城があり、昨日の村らしき場所があった。そして、現在地の東の方に名前の無い集落があるらしい。距離感的には確かなことはいえないが、魔王城と村と同じくらいの距離だ。


「ここから東の方に集落がたぶんある。言っとくけど、確実な情報じゃないからな」

「別に良いわよ。当ても無く歩くよりはマシでしょ」

「それに、集落を目指す必要なんてあるのか。寝るところならエレンがどうにかできるわけだし、俺はやだよ。また襲われたりするの」

「まだ、言ってるの、それ。まあ、宿を利用するかどうかは別にしても、時々食べ物は手に入れたいし、集落があれば街道があるでしょ。何も無い山道を歩くのは大変だからね。そういうわけよ。それで、どうするの。もともと雨が上がるのを待とうっていう話だったけど、この辺で一泊していく」

「ああ、そうだったな。出来ればそうしたい。服もどろどろだし」

「ちなみに明日の天気は」

「晴れ。今日の夜には星も出てくるよ」

「それはいいわね。さすがに川のそばは危険だから、ちょっとだけ歩こう」

「なんで、そんなに楽しそうなの?」

「えっ、だって、星空って良いじゃない?それに、昨日手に入れた野菜を使ってみたかったのよね。野営地見つけたら、早速料理してみましょう」


 鼻歌混じりにエレンが歩き出す。

 そのあとを俺は小走りで追いかけた。川岸から少し行ったところにちょうどいい広間があり、そこにエレンがドームハウスを作り上げる。エレンが用意してくれた風呂に早速入る。雨と泥で汚れていた体を洗い流しすっきりする。そして、出てきた頃にはホカホカの料理が出来てはいなかった。


「ご飯、まだ」

「もう食べるの?村を出発してまだ2時間くらいよ。お昼には早いでしょ」

「そうだっけ?」

「そうよ。私も軽くお風呂で泥を落としてくるわ」

「お、おおう」


 このドームハウスにはドアは一個も無い。

 入り口もそれぞれの部屋もトイレも、もちろん風呂場にもない。

 衝立のようなものがあるので丸見えというわけではないけども、ほんの少し飛び上がれば覗ける。

 

 初日のドームハウスでは気絶したので、彼女の入浴は見ていない。

 二日目の宿では一瞬は見えたが、桶をぶつけられたので本当に一瞬だ。まあ、データならあるけども。ちなみにデータはロックしているので上書きの心配はない。だが、画像は多いほうがいい。

 エレンに手を出そうという気はない。

 それとこれとは別だ。

 だって、そこに裸があれば覗くだろ。

 することないし。

 しかも、一度見れば録画できるのだ。桶をぶつけられようとも、気絶させられようとも、一瞬でもこの瞳に捕らえることができれば俺の勝ちだ。温泉のデータもすばらしいものだった。

 だが、あれは余りにも短い。

 できれば、もっと動くデータが欲しい。

 見つかったときのために、職業を『言い訳士』に変更しておく。鼠と虎には通じなかったけども、通じないとは限らない。好奇心は猫をも殺すというが、ノゾキは俺を殺すかもしれない。


 直接顔を出せば見つかるだろう。

 鏡でもあればいいが、ここにはない。

 だが、俺には魔法がある。


 そろりそろりと足音を立てないようにお風呂場の方に近づいていくと、水の流れる音とエレンの鼻歌が聞こえてきた。衝立の向こう側にいるエレンを想像すると、息子が元気を取り戻していく。

 魔法の力を行使して空気を冷やす。

 暖かい空気は上に昇り、冷たい空気は下に溜まる。

 暖かい空気の層と、冷たい空気の層が生まれたらどうなるのか。

 光は屈折する。

 衝立の向こう側を直接見ることはできないが、光を曲げてしまえばどうだ?

 屈折した光に運ばれて、衝立から顔を出さずに彼女の裸が見える。

 極小範囲の蜃気楼。

 思いついた俺は天才だと思う。

 魔力は決して高くは無いので、冷たい空気を少し作っては流していく。

 

 水の激しく流れる音はなくなったので、湯船につかっているのだろう。彼女の鼻歌は続いているので、時間的余裕はまだあるらしい。

 自分が入ったときに、壁に印をつけていればよかった。

 空気が曲がっているかが良く分からない。うまくいっているかは分からないが、冷たい空気をこれでもかと送り続ける。


「なんか、ひんやりするなぁ」


 彼女が空気の変化に気付いたようだ。

 ちょっと不味いなと思うが、それで止める俺ではない。

 諦めたらそこで試合終了だ。

 もっとだ。

 もっともっと、冷たい空気を流し込む。

 理論は詳しく知らないが、きっと温度差があるほど屈折率は上がるはず。

 エレンが作った氷の感触を思い出して、より冷たい空気を作り出す。

 いや、氷じゃ足りない。

 ドライアイスを想像しよう。

 0度以下、どんどん冷やせ。

 冷えればエレンがお湯を温めようと上の空気はきっと熱くなる。

 もっとだ。

 もっともっと。

 空気をがんがん冷やす。

 









 がんがん冷やした結果、マナの枯渇で気絶した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る