第32話 この世界はクソゲー

 キーン。


 スローモーションだった世界が普通の速度を取り戻す。

 横から伸びてきた剣が爪を受け止めていた。


「ったく、なにやってるのよ」

「ちっ」


 おせぇよ。バカ!!

 虎が舌打ちと共に大きく飛びのき間合いを取る。エレンが俺の前に立ちふさがり剣を構える。虎と鼠を見据えたまま、エレンが顔半分後ろを振り返り、俺の状態を確認すると軽蔑するような眼差しで見下ろしてきた。


「ノゾキの次はケンカって子供なの?」


 !?


「せっかく人が気持ちよく買物をしていたのに何をしてるの?ここの野菜なかなか侮れないわ。甘みの強い新鮮なトマトにキャベツが手に入ったし、他の野菜も色々見ていたのに…」

「俺が死にかけてる間に悠長に買物かよ!!!」


 出なかったはずの声が喉から迸り、全身を激痛が駆け巡る。叫ぶと同時に咳き込み血が吐き出された。


「こっちを無視して悠長にお喋りか。舐められたものよのぉ」


 一度飛びのいた虎が低い軌道から後ろを見ていたエレンに襲い掛かる。鼠が抜き身の刀を上段に構えて、動きを同調させる。杖に見えていたのは仕込み杖だったらしい。


 エレンは背後の俺を庇う状態から飛び出して、二人の魔族の相手をする。視界の中で激しい戦闘の始まる最中、間の抜けた音が脳内に聞こえてくる。


 ピンポーン


 ・新しい職業『苦痲無士』を入手しました。


 苦痲無士?

 何だそれ?意味が分からん。最後に『士』って付いてるから職業っぽさはあるが、そもそも、何て読むんだ?そんな職業あるか?当て字か?く…ま…む・し?

 あ!

 クマムシか。あの、殺しても死なないという虫の名前だよな。世界最強だっけ。

 けど、意味が分からん。職業じゃないじゃん。虫の名称じゃん。最後に『士』ってつけて職業っぽく見せてるだけで虫の名前じゃん。しかも当て字だし。

 あれほど念じても動かなかった親指が動くようになっていたので、リモコンを操作してクマムシの解説を読む。

 『ゴキブリ並みの生命力』

 

 アホか!?

 クマクシなのか、ゴキブリなのかはっきりしろや!!

 あれか、死にそうな目に遭いつつ、切り抜けたから手にはいったと。

 舐めてるの?

 この世界の職業って悪ふざけしかないの?『言い訳士』に『ガンマン』に『苦痲無士』って、もうあれだろ。この世界、クソゲーの予感しかしないわ!!


「くそっ。この娘、でたらめすぎる」

「老体を労われいうとろうが!!」

 

 鼠と虎の悪態が耳に飛び込んできて、思考を目の前の状況に戻すとエレンの前に二人の魔族が倒れふしていた。俺にはどうすることも出来なかった魔族だが、エレンの強さの前には月とすっぽんほどの差があるのだろう。伊達に魔王に挑む勇者じゃない。


「それで、続けるの?」


 すでに決着はついているが、エレンは止めを刺すつもりはないようだ。魔王が俺たちを解放したのは、魔王の配下に被害がなかったからに他ならない。そのことを理解しているのだろう。


「ギブンさんにホビンさん。やめましょうよ。陛下は手を出すなっておっしゃられたんだ」


 いままで遠巻きに見ていた野次馬の一人、馬の頭をした魔族が二人に声をかける。たぶん、彼も昔の戦争の生き残りのようだ。


「あんただって…」

「分かるよ。分かるけど…」

「…」

「…」


 雨音に消されて聞こえないが、何かを話しているようだ。人族との戦争で何かを失ったのだろう。それを分かり合える三人だけに通じる何かが言葉の奥に含まれているのだろう。鼠は仕込み杖を地面に置き、虎は伸ばしていた爪を引っ込めた。

 それを見て、エレンも剣を納める。

 彼らに背中を見せて俺の元に戻ってくると、肩に手を乗せた。


「じっとしてて」


 肩に乗せられた手を中心に、エネルギーが流れ込んでくるのを感じる。昨日の夜、魔法の使い方を教えてもらったときと同じだが、流れ込んでくる力はそれ以上だ。体中が熱くなり、インフルエンザにかかったときのような倦怠感を覚える。頭がぼうっとなり沸騰しそうになるが、それはほんの数瞬。

 今度は一気に体が熱が失われて、雪の降る街を裸で歩くような寒気を感じるが、それはすぐに通り過ぎていく。通常に戻ってきたとき、体中に苛んでいた痛みが一気に引いていた。


「治したのか?」

「そんなところ。それで、ケンカの原因は何なの?」

「だから、ケンカじゃねえよ!!いやいや、説明必要?女将さんが言ってたろ。先の戦争の生き残りの年寄り連中がちょっかい出すかもって」

「そんなこと言ってたっけ?」

「…マジ?マジで言ってる?大体、魔族の村で手足縛って放置ってありえないだろ!!」

「そ、それは、君が女湯を覗くからじゃないか」


 顔を赤らめて俺から顔を背ける。

 そこで照れるなよ!!


「覗いてねぇよ。俺は無実だよ。あそこは女湯じゃなくて混浴だっての」

「こんよ…く?」

「そうだよ。バカ」

「バカとは何だ。バカとは、とにかく、助けてやったんだ。ありがたく思え」

「思えるか!!そもそも、放置したせいだろうが」

「そんなに怒ることないでしょ。ああ、そうか、おなかが空いているのね。そういえば、もうお昼回っているし、さっき、そこで美味しそうな食事処を見つけたんだ。行ってみようか」

「何でそうなる!?っていうか、腹が減って怒りっぽくなるとか、俺は子供じゃねぇ」


 頭痛がしてきた。

 体の痛みはすべて無くなったのに、頭が痛い。だめだ。この女、意味不明だ。性格がつかめん。支離滅裂じゃないか。


「どっちが子供だよ。お前いくつだ?」

「君とそんなに変わらないだろ。16だ」

「は?」


 ガキじゃん!!

 外人は大人びて見えるというが、あの美の化身のような立派な裸の持ち主が16歳とかありえない。詐欺だ。16歳はないわ。15歳でも、17歳でもいいが、16歳はだめだ。淫行だとか法に触れるとか言うつもりはないが、16歳はないわ。

 最悪だ。

 俺のくそ妹と同い年とかありえない。

 会えば「まだ死んでなかったの?」とゴキブリでも見るような目で見てくるクソ妹を思い出す。っていうか、よくよく考えたら江玲奈(エレナ)とエレンって一文字違いじゃん。だめだ。ヤリたいとか思ってたけど、もう無理だ。顔とか全然似てないけど、なんかだめだ。手が出せない。クソ妹も話の通じない宇宙人だったが、エレンもそうか。というか、この年代はすべてそうなのか。

 最近の若者はというほど、老けちゃいないが…。


「それで君はいくつなんだ?」

「24だよ。立派な大人だよ」

「え?」


 目をぱちくりと白黒させる。日本人は外人には若く見えるというが、さすがに同じくらいと思われているとは思わなかった。童顔ではないし、中年並みに腹が出ているのだ。まあ、立派な大人とはいえないか。無職だったし。


「すまない。いや、ごめんなさい。君呼ばわりしていたけど、失礼だった。いや、失礼でしたね。えーと、リュウさんと呼んだらいいですか?」

「いやいや、やめて。いきなり敬語とかマジかんべん。いままでどおり、君でも呼び捨てでもいいよ」

「そう?じゃあ、そうさせてもらうけど、いつまでそうしているつもり?」


 そういって、伸ばてくる彼女の手を取り立ち上がった。剣を握る勇猛な姿からは想像もつかないほど、小さく柔らかい華奢な手にどきりとする。雨は相変わらず地面を打ち続け、俺は全身泥まみれで、ずぶぬれだった。虎と鼠の魔族はどこかに消え、野次馬のように軒先に出ていた村人達も雨から逃れるように姿を隠していた。


 魔法を全力で三度も行使していた俺は、宿に戻ると気絶するように眠りに落ちた。

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