第13話
「謝っていただいたのは本当ですが、ダンスを強要はしていません。バレット公爵
閣下ご自身がどうしても謝罪を形にされたいそうだったので別の方法でお願いした
だけです」
言い切ってラフィリアはアンビと呼ばれていた令嬢を強く見返す。
自分が彼女たちに見るからに悪いことをしたのならまだしも、声をかけられず
ダンスもできなかったことを恨まれる筋合いはない。
ケインと真っ先に踊りたかったのなら進んで彼に声をかけるべきなのだ。
「本当に…気に食わない娘。クロバー侯爵家の名を盾にしたってムダよ?あなたが
ご夫妻の本当の娘でないことくらい、わたくしたちは知っているもの。一体、どんな
卑劣な手を使ったのかしら」
くすくすと悪魔のような笑みを浮かべたアンビにラフィリアは身の危険を感じて
背中を冷たい感覚が通り過ぎる。
そして彼女が視線だけで他の令嬢に指示を出していることに気づいて振り返ろうと
した矢先、両腕を拘束されてしまう。
「いや…っ…何をするの…!」
「一番最初に申し上げましたわ。夜会の上手な渡り方を教えてさしあげますの。
安心してちょうだい。同じ女性として、痛いことはしないから」
『でも、最初は痛いかもしれないわね』と愉悦に笑いながらアンビが次の指示を
出そうとしたとき。
彼女の顔色がさっと青ざめた。
一体何がとラフィリアが把握する前に拘束されていた両腕は自由を取り戻して、
ふわりと自分の体が宙に浮く感覚を覚える。
「…ご歓談中、失礼。主が戻らないとリリーナ嬢が心配していたので迎えに来た。
まだ何か、話はあるだろうか」
さらりと柔らかく流れる美しい黒髪に獲物を鋭く射貫くような金の瞳。
ラフィリアは気づけば屋敷に留守番をさせていたはずのバロンに横抱きにされて
いたのだった。
険しい表情なのは恐らく、本能的に主人の危険を感じてなのだろう。
今にも自分を抱いたまま目の前の標的を食い殺さんといった様子にラフィリアは
慌てて彼の意識をこちらに向けさせる。
「も、もう大丈夫!大丈夫だから、早くリリーナの所に行きましょうっ?」
バロンは視線だけをラフィリアに向けた後、そのまま無言で来た道を引き返す。
半分くらい戻ってきたところでラフィリアは自分が今も横抱きにされていることを
思い出して恥ずかしくなった。
「バ、バロン。私、歩けるから…その……降ろして?」
「…わかった」
少し残念そうにしながらもラフィリアのお願いは絶対に守ってきたバロンは素直に
彼女を地面の上に降ろす。
そんな優秀な彼でも、留守番というお願いはやはりダメだったようだ。
来てくれて結果的にラフィリアは助かったのでバロンを責めることは特にしない。
改めて彼をまじまじと見れば、夜会用のスーツではなく近衛騎士隊の正装だった。
王国の式典など特別な場合によく用いられる清廉さをイメージして作られている
白を基調としたもの。
ちなみに通常の護衛で着る隊服は深い紺色を基調としている。
ラフィリアの視線にただ無言で視線を返すバロンにはっと気づいて慌てて視線を
外してラフィリアは早足に歩いた。
その後をいつものように彼がついて歩く。
それだけなのにラフィリアの心から徐々に不安が抜けて軽くなっていく。
会場に戻って来てリリーナと再会を果たし、新たにバロンを含め三人で夜会の
続きを楽しんだ。
バロンは表面的には近寄る令嬢に愛想を振り撒きつつまともに相手をせず、ずっと
ラフィリアのことを気にして見ていた。
ラフィリアはその視線が何故だか非常に気になって、耐え切れず壁際にいたバロンを
引っ張ってきて一緒に料理をつまんだりダンスに誘う。
そうして踊っている間、ラフィリアはバロンの熱を持ったような瞳にどきりと大きく
胸が高鳴るのを感じた。
だんだんに恥ずかしくなってきて顔もきっと赤くなっているだろうと予想がつくのに
不思議とその瞳から視線を外せない。
一体、自分はどうしてしまったのだろう。
どきどきと鳴り止まない鼓動が心地よくて、自分にしか見せないバロンの柔らかい
表情がたまらなく愛しく思える。
ダンスが終わってからもしばらくは落ち着かなくて気を紛らわせるためにリリーナと
珍しく積極的に会話をした。
夜会から無事に屋敷へ帰ってきて湯浴みも済ませ、ラフィリアはほーっと息を吐く。
そのままベッドの中に沈み込みたい気分だったところを同じく湯浴みを終えた
バロンに阻止されてしまう。
彼は今、直立不動でラフィリアの部屋の中央にいる。
じっと無言でこちらを見つめて何かを期待しているような雰囲気を醸し出す。
ラフィリアはそれがわかるから悩ましく思いながらバロンに近寄る。
そして両手を持ち上げれば彼の瞳が嘘のように生き生きとして、ゆっくり抱きしめて
やれば心底幸せそうにラフィリアを抱き返してくる。
大人になってもバロンは狼のようで、いつの間にか主人と認められたラフィリアに
撫でたり触れてもらえると非常に喜ぶ。
きっと狼の姿に戻っていれば千切れんばかりに尻尾を振っていることだろう。
だけどバロンは絶対に自分からラフィリアに進んで触れることがない。
令嬢たちに囲まれて危険だったり非常時は例外として、普段はラフィリアが自ら
触れるまでただじっと耐えて彼女が『お願い』をしない限り一定の距離を保って
いるのだ。
ひたすらに甘えてくる大きな彼はいつまででもこうして抱き合っていられるので
頃合いを見てラフィリアが離れ、寂しがる様子に耐えられずベッドの上に招いて
横になった後に優しく頭を撫でてやる。
ほぼ毎晩で繰り返し行っている就寝前のお約束。
変わるとしたら部屋の場所がラフィリアのものかバロンのものかくらいで、今更
特別に何か思うこともなかった。
ただ、最近よりバロンを意識している自分がいるような気がするくらい。
すぐ目の前でラフィリアをゆるく抱きしめて満足そうに眠る無防備なバロンが
とても愛しく感じて、時々胸が苦しくなる。
(彼は……バロンは、狼なのに…。)
切なくなるようなこの気持ちが何なのか、言葉に変えてしまえばきっと楽になる。
しかしそれは同時に抱いてはいけないものの気がして憚れる。
ゆっくりと眠りの中に落ちていく意識の中で、ラフィリアはこの気持ちはどうした
ものだろうかと思った。
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