第10話
「ぴあっ…?!」
ラフィリアは一瞬だけ見えた木刀の切っ先に驚いて変な声を上げる。
と同時に木刀が再び一瞬で見えなくなったから展開の速さに目を瞬いて、状況が
判断できた頃にはいつの間にか自分を庇うようにすぐ目の前に立つバロンの背中に
開いた口が塞がらなかった。
バロンはいつ、私の前に来たのだろう。
『ほーお?』とグランツはラフィリアの背後から興味津々な声を出してその様子を
眺めていた。
少女もバロンに当たる寸前で振り下ろす木刀の手を止めていたけれど大きな目を
丸くして驚いていた後、はっとなってすぐに収めて謝ってくる。
「ご、ごめんなさい!あのチキンが変な行動するから…っ」
「だから俺はチキンじゃねーって…。危ないお姫様だよなー本当に」
慌てて何度も謝る少女を相手にすることもなくバロンはラフィリアの方を向いて
言葉にはしなかったが心配そうに見つめてきた。
ラフィリアもそれを察してふわりと柔らかく笑う。
「ありがとう。バロン。私は大丈夫」
彼にはそれだけで充分だった。
ほぼ無表情なことに変わりは無くても、瞳には確かに安心の色がある。
二人の間だけでわかるやり取りをしている間にグランツと少女は鍛練場の床に
転がっていた見習い騎士たちを叩き起こしていた。
彼らをみんな帰してようやく静まった場で改めて挨拶が交わされる。
「先程は大変失礼致しました。私はリリーナ。リリーナ・クロイツと申します。
我が家は代々、男も女も平等に鍛えて強くあれと謳っておりますの。そこでこの
チキンが近衛騎士隊の中で強いと話を聞いて決闘を申し込んでいましたの」
「お前なぁ…俺はチキンじゃなくてグランツだって。俺は女に手を上げる野蛮な
趣向は持ってないんだ」
どうやら決闘と言ってもリリーナの一方的なものでグランツはまともに受けて立とう
という気はないようだ。
それでもラフィリアは高みを目指そうと奮起するリリーナを応援したくなった。
なんだか自分と一緒に勉強を頑張って追いつこうとするバロンの姿に似ていて、
とても微笑ましくなったからだ。
「私はラフィリア・クロバーです。リリーナさんは私と同じくらいに見えるのに
木刀を扱えるなんて凄いです。指南はお父様が?」
その質問にリリーナはぱあっと瞳を輝かせてラフィリアに詰め寄る。
「ええ!父様は凄いの!訓練生をたくさん教えていて、とても格好いいの!この
チキンみたいに逃げたりしないでちゃんと私の相手もしてくれるのよ!」
それからそれから、とリリーナの父様愛に押されてラフィリアは笑顔を浮かべながら
聞くだけでせいいっぱいだった。
ルーアシア王国で女性貴族が剣を持つということは基本的に無い。
リリーナの家のように家訓があったり国の防衛のために進んで尽力したいといった
特殊な例がほとんど。
近衛騎士隊は男性で構成されてはいるものの、女人禁制というわけでもない。
ごく少数ではあるけれど女性の部隊も存在している。
ラフィリアがリリーナに捕まって何やら不満そうなバロンはグランツの好奇な
視線に睨みを返した。
「お前さ、騎士隊に興味無いか?さっきの動きは良かった。この俺が直々に鍛えて
やるからさ」
口を利くつもりはないといった様子でバロンはひたすらに威嚇する。
しかし修羅場を何度も経験しているグランツにとっては主人以外に懐かない子犬を
相手にしているようなものなので意味が無い。
けれどこのままでは埒が明かないのも事実なので餌を垂らすことに。
「お前の才能は本物かもしれんが、今のままじゃあ宝の持ち腐れだ。正しく強く
なれば…さっきみたいな状況が起こってもラフィを守れる。彼女だけの騎士に
なれるんだぞ?なりたくないか?」
『ラフィだけの騎士』と聞いて動かなかったバロンの表情が僅かに動いたのを
鋭く捉えてグランツはすかさず続ける。
「騎士として立派になればラフィの傍にずっと居られる理由にもなるだろうし
彼女の家は大事な国の仕事を預かってるからな…誰も反対しないだろ。更に更に、
ラフィにたくさん褒めてもらえるぞ?」
あることないことを吹き込みながらグランツは次の勧誘ネタを頭の片隅に考える。
グランツが近衛騎士隊長として若くして選ばれたのは強さの他にも個人の能力を
少しの動きから判断して適した武器や戦闘技術を正確に当てはめられるからだ。
ラフィリアの身の危険をほぼ本能的に察知して常人なら不可能なくらいの瞬間的な
判断でバロンは身を挺して守った。
彼女以外の全てが自分の敵であるかのように意識しているからなせる業なのかも
しれないが、それにしても頭と体の両方が互いについてこなければ咄嗟の判断が
出来ても体が遅れ、体が丈夫でも頭での判断が遅れれば一瞬。
鍛えれば確実に化けるだろうと感じたグランツはうずうずしていた。
もうひと押し。といった辺りで女性二人の会話が落ち着いたらしくこちらに顔を
向けていたから内心でちょっと残念に思いつつ視線を向ける。
「すみません…グランツ兄様。今日は兄様にお願いがあって来たんです」
「俺に用…?」
グランツは早朝から鍛練場にこもっていたのでクロバー夫妻が連絡した旨がまだ
伝わっていなかった。
ラフィリアたちが屋敷に赴いた時に話が通っていたのはアナトリア夫妻と弟のレイス
だけだった。
何か話を受けていただろうかときょとんとした顔をするグランツにラフィリアは
改めてバロンの鍛練の面倒を見てくれないかという話をする。
聞いて、彼は願ったり叶ったりだと喜んで承諾した。
バロンは渋々な感じではあったけれどラフィリアの傍に居られるためならと頷く。
そうして始まった鍛練の度にリリーナが幾度となく現れてはグランツに決闘を挑み
振られてはラフィリアに愚痴ったり家の話をしたり。
気づけば自分でも知らないうちに親友まで格上げしていた。
会話の合間に何度もバロンとの関係を疑われ、なんでもないと主張しても『実は
秘密な仲なんでしょう?』と変なところを突かれて沈黙すること数十回。
リリーナ的に秘密な仲というのは恐らく男女の恋仲であったり婚約者同士だったりを
意味するのだろうけど、残念ながら彼女が期待する展開にはならない。
(だって、バロンは……)
彼は狼なのだ。人間じゃない。
それに自分にとっては兄弟のような感覚が強いから異性として見るには難しい。
バロンだってそれは同じはず。
同じ……はずなのだ。
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